伝説の巨大獅子 〜熊野神社(東神奈川) |
江戸期建立の狛犬としては、1.65mと図抜けて大きい。
そして、これを彫ったのが飯嶋吉六。 しかし、この巨大な狛犬が、今、ここにこうしていることは、奇跡に近いことなのです。 この狛犬ほど、波乱に満ち数奇な運命を辿った狛犬は他にいないでしょう。 ここでは吉六の話ではなく、吉六の彫った狛犬の物語をどうぞ! |
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嘉永6年6月(1853)、横浜市神奈川区…そう、黒船来航で大騒ぎの時と場所です。 そんな中、これだけ大きな狛犬を奉納した氏子さん達の思いは「日本の国を護って欲しい」ということが最大の願いだったのではないでしょうか。 そして、そんな狛犬を彫れるのは…名工として名高い鶴見村の石工・飯嶋吉六さんしかいない! 依頼を受けた吉六さんは、この場所でコツコツと彫ったと伝えられています。 しかし、完成間もない安政2年(1855)10月、前年から続いていた地震…安政の大地震で阿像が台座から落ちてしまった! 次の災難は大正12年(1923)9月の関東大震災。今度は吽像が落ちてしまった! 今と違って、拝殿前にあったが、それぞれの災難でも、すぐに台座へ据え直してもらったとのこと。この大きさだから、大変な作業だっただろうが…その台座にはそれぞれ「英気」「威凛」の文字が刻まれていたと言います。 そして戦争の時代…神社の拝殿前とあらば色々な光景を黙って見つめていたことだろうが… だが、最大の悲劇はこの後に訪れた。 10数年の時が過ぎ、再び掘り出され、仮殿境内へと運ばれた。 戻ってきたとはいうものの、台座もなく、空襲の炎と土手に埋められていたダメージは甚だしく、その痛み具合は見るも無惨な姿だったという… 「是非、修復させて欲しい」という強く熱心な申し出に、神社側も快くお願いすることにしたそうだ。 これが、今いる、あの大きな狛犬のたどってきた長い道です。 参考;円丈師匠、その他いろいろな人からの話 ※ 下記の建立年は写真集「わが町の昔と今」神奈川区編の記載による。 |
神社名 | 熊野神社 |
住 所 | 神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-1 |
石 工 | 鶴見村 飯嶋吉六 |
建立年 | 嘉永6年6月(1853) ※ |
奉 納 | 不明 |