これらの他に「石匠 内藤一門之供養塔」がある。
昭和44年に「故 内藤慶三の遺志により建之」とある。
この供養塔の二面にぎっしりと47名の名が刻まれている。
没年で明治41年から昭和51年までの60年間。
かなり大きな工房であったことがうかがえる。
戒名、没年、俗名が記されていて、その中の4人の戒名だけに「慶」あるいは「雲」の文字が含まれている。この4人が慶雲を名乗ったのではないだろうか。
留五郎、作太郎(留五郎の長男)、一三、慶三の4人だ。
俗名は全て姓と名が刻まれているが、最初の6人だけは姓はなく名のみ。
これは内藤姓だと思われる。
この6人についで留五郎二女の夫・大塚安五郎の名もある。
また、川村友吉にだけ「留五郎一番弟子」と特別に刻まれている。腕が良かったことがうかがえる。
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