湯島天神の狛犬 |
発泡スチロール狛犬現る!
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昨秋(1997)のことである。湯島天神境内に、奴は何の前触れもなく現れていた。 それは目も鼻もないのっぺらぼうで、狛犬というよりなめくじに近い外観であった。 それにしては立派な台座付きである。 宮司の方に伺うと、坂の上の狛犬を本殿前に据えるとのこと。その為の実物大雛形というのが奴の正体であった。 |
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引っ越し前(料理包丁道研鑽報徳之碑の前) |
年末には据える予定とのことだったが、日程の確認が取れぬまま、気付いたら既に引越済(写真下)である。今迄のにらめっこ状態から一転、片や咆哮、片や睥睨の勇姿である。更に台座には湯島天神らしく梅が彫られていた。めでたしめでたし。 ところで、安住の地を見つけた彼らは、元々銅鳥居前の参道狛犬だったとのことである。 又、別に本来の本殿前狛犬も存在していたらしいのだが、そちらは何処に行ってしまったのであろうか。 |
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2007.11.3 追加最新情報
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江戸名所図絵狛犬廻り(その22)〜湯島天満宮 | |||||||||
江戸名所図絵より〜拝殿部分の拡大 |
合格祈願の絵馬で賑わう湯島天神へ行ってきました。名所図絵には拝殿前に狛犬が1対描かれています。 現在は柵前の参道に足上げ狛犬と本社裏の戸隠神社に尾の下がった江戸狛犬がいます。 どちらかが図絵の狛犬と思われます。 江戸名所図絵の挿し絵は数枚を残して文化年末までに描き終わったと云われていて、文政以降の狛犬は描かれていないと云うのが一つの手がかりです。 まず足上げ狛犬ですが、このタイプは文政年間になって多く造られたと云われています。そして、神社側の説明や明治初期に撮られた写真によれば、狛犬は社頭の銅鳥居の側にいました。 |
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戸隠神社の狛犬は逆光で写真が難しい! |
この左右1対が元拝殿前にいたと思われる狛犬です。 |
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では、戸隠神社にいる狛犬はどうだろうか。 尾の下がった江戸狛犬は文化年間から一般化したと云われていて、江戸名所図絵が描かれた時代と合います。 |
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【追加新情報】 2007年10月の狛研例会にて、久保田和幸さんから衝撃の報告(?!)がありました。 何と、この戸隠神社の建立年を確認したというのです! あの狭いすき間へ、お腹を引っ込めて無理矢理、密かに(!)入ったそうです。 そして確認したのは 明治8年5月 という刻み! と言うことは、残念ながらこれは江戸名所図会の狛犬ではないことがハッキリしました。 では一体、図会の狛犬はどこへ行ってしまったのでしょうか? 先の狛犬展で、鈴木さんの資料から昭和45年位までは、この狛犬が拝殿前にいたことが明らかになっています。 また、liondog さんの研究によれば、明治30年発行の「新撰東京名所図会」に描かれたものがこの狛犬である可能性がかなり高いと思われます。 従って、明治8年から昭和後期までは、戸隠神社の狛犬が拝殿前にいたようです。 新しい発見で、謎は更に深まってきてしまいした。 新資料の発見が待たれます。 |
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【最新情報追加】2017.3.1 その新資料が発見されました!(2017.2月の例会にて発表) 山田敏春さんが国会図書館のデジタルコレクションから「文政寺社書上」という江戸時代の記録集を調べ、 この湯島天神の拝殿前狛犬と旧銅鳥居前(現・拝殿前)の足上げ狛犬の記録を発見したのです。 それによると拝殿前狛犬の変遷は (1) 享保14年に「江戸名所図会」の狛犬が建立され (2) 明治8年に現・戸隠神社の狛犬に代替わりし、その後、昭和45年位まではいた。 (3) その後、空白のままだったが、平成9年12月にこの足上げ狛犬が据えられた。 と言うことになります。 詳しくは、「今月の狛犬133」をご覧下さい。 |
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