あ∽うん  斎藤 良夫
伊東忠太の狛犬
伊東忠太は明治〜昭和時代、建築家としてのみならず、建築史学者、批評家、デザイナー、日本画家、漫画家、文筆家、世界中を旅した探検家などとしても偉大な足跡を残した。
まさに天才であり、建築家の枠を大きく超えた鬼才であった。
彌彦神社の狛犬
図案 伊東忠太。原盤 新海竹太郎。石工 酒井八右衛門…。
新潟県弥彦村の彌彦神社(大森利憲宮司)。
随神門前に阿吽が向かい合って鎮座している。
明治45年の焼失に伴い、現社殿が再建された大正5年10月に狛犬も建立された。
三人の名前がすごい。
伊東は社殿の設計技師で平安神宮や築地本願寺などを手がけ、建築界初の文化勲章受章者。数々の「妖怪画」でも知られ、妖怪を建物の装飾に使っている。
新海は近代彫刻の先駆者の一人で帝室技芸員。「武蔵学園」の徽章など伊東と組んで制作している。
酒井は東京・駒込の石工の親方。記念碑などの刻字は井亀泉(せい・きせん)の名前で彫っている名工だ。
伊東は自由奔放に妖怪を画いているが、狛犬は神殿狛犬の流れをくむオーソドックスな招魂社系。
石工が<招魂社系狛犬一筋>といわれる酒井とは、これも何かの因縁か。
石材は私には不明で年代の割には苔むしているが、前足で足座をつかむ狛犬の姿は実に力強い。
狛犬のミニチュアが「厄除開運狛犬」として2,000円で売られている。

2003年36号より

手摺りの狛犬
おかっぱ頭のなんとも可愛い狛犬だ。
東京・虎ノ門にある日本最初の私立美術館「大倉集古館」。
玄関から2階へ上る「くの字型」階段手摺りの親柱に5体の狛犬がちょこんと座っている。
高さ約30センチ。「吽像」「阿像」が交互に置かれ「阿像」は珠をかかえている。

大倉集古館は大正6年に誕生したが関東大震災で焼失し、昭和二年に建築家・伊東忠太によって再建された。
狛犬は忠太の図案を基に建設会社の職人が粘土で型を取り彫った。
石材は階段と同じ中国産花崗岩の「黄竜山」(きたつやま)石という。

手摺りの狛犬は、これも忠太が手がけた東京・築地の「築地本願寺」正面入り口の石段にも見える。
(写真左)

像は阿吽の型をとっているが狛犬というより翼のはえたオリエント風の獅子像。
面白いことに階段を上がった「阿像」の手摺りの先の柱に張り付くように彫られた像は「吽」。
同じように「吽像」の手摺りの先は「阿」。
つまり階段の4体の獅子像は前後左右が阿吽に配置されている。

忠太の建物にはよく動物や妖怪などが使われている。
「建物全体の調和がねらい」といわれるが、手摺りの狛犬は<忠太の遊び心>としか言いようがない。

2003年38号より