あ∽うん  斎藤 良夫
情熱の獅子山

蜘蛛の巣は彫れなかった…」というのが 石工・武井五郎 が残した言葉。

次男・武井玉雄さん(70)と六女・池田ミセ子さん(62)が、96歳の天寿を全うした母から聞いた話だ。

明治36年5月生まれの五郎は49歳で人生を駆け抜けてしまったから兄妹の記憶は薄い。
蜘蛛の巣の逸話は、逆に五郎の技量の高さの証ともいえる。

神奈川県山北町の県道沿いにある八幡神社(薮田拓司宮司)に五郎の狛犬はいる。
参道の石段を五、六段あがった左右に頭を下向きにして構えている。
阿像、吽像の下方に四つに組んだ二頭の子獅子がいる。
いわば自然の傾斜を利用した獅子山である。
昭和6年10月の建立で、「奉」「献」は書道家の父・武井百五郎の字。
父の字を息子が彫った珍しい例だ。
神社の扁額も百五郎の揮毫だ。
2ヶ月後の12月、五郎は薮田宮司が常駐する隣りの松田町にある寒田神社の拝殿前にもう一対の獅子山をつくった。

他に五郎の狛犬は聞かない。
2社で親獅子4頭、子獅子8頭。

五郎はなぜ獅子山に没頭したのか。

五郎は10人兄弟姉妹の次男。
兄弟のほとんどが鉄道員になる中で一人北海道に渡って石工になった。
厳しい修業時代と父親になってからの〈子育て〉の気持ちを獅子山に託していたのだろうか。

五郎は何頭も習作を重ねた。
その一頭が姪の高橋富佐江さん(71)の家にある。
実家の庭に置かれていた子獅子を結婚の記念にもらったのだ。
荒削りの未完の姿は、二十代の青年石工の意気込みを彷彿させる。

2004年40号