都内最古の狛犬の謎に迫る経緯

下項の前段として、前ページに記した大円寺の「顔だけ狛犬」と目黒不動尊の関係について、その調査・研究の過程を記しておくことにする。
目黒不動尊の石段上の狛犬(写真下)は、都内最古の狛犬として有名である。
その胸と足にはこのように銘が刻まれている。

  胸  奉献 不動尊霊前 唐獅子二匹
  
右足 亀岡久兵衛正俊
  
左足 承應三甲午三月廿二日


1994年 円丈師匠が大円寺の「顔だけ狛犬」を発見
1995年 円丈師匠が著書「THE 狛犬!コレクション」に<正体不明の獅子頭>として発表
2001年 及川博夫氏が「狛犬の杜27号」の『狛犬アラカルト』にこのように記した。

電話取材になったが、快く応じて頂いた御住職のお話は次のとおりであった。
「先々代の住職が明治の中頃、同統の天台宗目黒不動の境内で破損の激しい一対の狛犬が処分された際、あわれに思い吽の頭部のみ引き取り蓮華座に据えたものである。」
そう云われて見ると先々代の温かい慈悲の心が伝わってくるようである。


都内最古と云われる亀岡久兵衛正俊(江戸築城の際の石垣棟梁)奉納の承応3年作に酷似しており、こちらが多少柔軟な感じで時代が少し下がるが元禄年間よりは前の狛犬と思われる。
いづれにしても、目黒不動尊境内のどの辺りに設置されていたものか今となっては判然としない。
しかし、目黒川を挟んで残されたこの大円寺の獅子頭は、狛犬フアンにとって「目黒不動幻の一対」の証明であることは間違いのないところである。


2005年 2月頃滝上部に先代が居る」との情報アリ(情報提供者不明)
2005年 4月山田敏春氏<
滝上部の先代の写真を撮って大円寺の獅子頭が滝上部の顔無し先代のもと確信>
2007年 4月の狛研例会で
山田敏春氏が亀岡久兵衛についてスピーチし、その中で
      大円寺の獅子頭が目黒不動滝上部の先代のもの」と初めて公式の場で指摘。
2009年 10月円丈師匠が狛研例会で<
大円寺の獅子頭と滝上部の先代>について語る。




◆都内最古の狛犬は双子だった!

滝上部の斜面に右記大円寺の「顔だけ狛犬」の胴体部分があるが、このほどそれと対になっている阿像に刻まれた文字が判明。
  なんと左足に「
承応三年(1654)」
     右足に「
三月廿二日
     胸に「
奉献 不動尊前」「江戸中橋南槙町亀岡久兵衛
  の文字が刻まれていた。
奉納年、奉納者が石段上部の都内最古の狛犬と全く同じ。顔も彫も似ている。
どうやら
双子狛犬として奉納されたようだ


独古の滝後ろの斜面上部

スパッと切断された左像〜この頭部が大円寺にある。
前足部が破損し、顔を大円寺へ持って行くに際してこのようにキレイに切断したのではないだろうか?

先代となった阿像はほとんど完全な姿をとどめている。



胸と足に銘が刻まれている
しかし、山田敏春さんは「現在石段上にいる狛犬の胸に町名がないことから、製作時期がずれていた可能性」を指摘する。

「久兵衛の屋敷は中橋南槙町あったが、明歴3年(1657)の火災で焼失。
この狛犬が江戸中橋南槙町にいた時に奉納したものと確認できた訳ですが、町名のない石段上の狛犬の方は明歴期以降に造られたのかも知れません。」と。

双子なのか兄弟なのか…狛犬ロマンを掻き立てる発見、あなたの見解は?
4つの顔を並べてみました

目黒不動尊・石段上の吽

目黒不動尊・石段上の阿

大円寺・「顔だけ」の吽

目黒不動尊・滝上先代の阿
こうして比べて見ると、目も鼻も口も…酷似しているのがよくわかります。
かつての設置位置について、円丈師匠は「男坂(現在の石段上の位置)と女坂の上にそれぞれ置かれていたのではないか」との想像を語っています。

◆愛くるしい狛犬

同じく滝上部の小さなはじめ狛犬、やっと顔が判明。
上を向いていて表情が分からなかった狛犬さん、年代不明、足も胴体から未分化。
でも実は素朴でこんな愛くるしい顔をしていました。


2010年第76号より
文・大野久美子、阿由葉/写真・阿由葉