T.紙布≠フ話の前に・・・・・。

和紙の渡来時期
紀元105年後漢の人「蔡倫」が大成したものを書くための紙≠ヘ、朝鮮半島高麗国を経て、610年日本に渡り、後年、東北宮城県白石に伝わりました。
紙衣(※良く揉んだ和紙を張り合わせ、 木綿や絹の裏をつけた衣)
@「紙衣」を最初に用いたのは、仏僧であると伝えられています。
奈良東大寺修二会(しゅにえ)での紙衣着用は、752年、大仏開眼の年に実忠(じっちゅう)和尚によって始められたと伝えられています。
A播磨の国書写山にこもって修行していた性空上人が、紙を着ていたという記事(922年)を最初にして、名僧が多く紙衣を着用しています。
   
B鎌倉時代になると「源平盛衰記」に阿波の内侍が、「色黒うして、姿衰えたる老尼の、紙衣の上に濃き黒染めの衣をぞ着たりける」と言っており、法衣の下に紙衣を着ていたことが示されている。
   
C時宗の開祖、一遍上人も諸国行脚の際に紙衣を持参したと言われています。
   
D現存する最古の紙衣は、米沢市上杉神社の保存されている上杉謙信着用の紙衣です。
「紙衣」には、土佐・伊予の仙花紙(せんかし)が用いられましたが、昭和48年から白石和紙も用いられています。(十文字漉き)
=製法=
1枚一枚を両手で強く丸めて、伸ばす。この作業を3〜4回繰り返して良く揉み、この後、棒に巻き付けて押し縮める。和紙に縮緬のようなしわが出来ます。この紙をつないで反物を作り、毛羽立った紙面に寒天を刷毛で縫って乾かします。
最後に木綿で裏打ちをして仕立てます。
古いものには、絹で補修したものもあるとか、木綿の方が絹より高価だったということのようです。



U.紙布≠ニは・・・・・。

紙で布を織る

「紙布」と「紙衣」の違いは、
「紙衣」は、紙そのものをそのまま貼りあわせて反物にして衣を作り、
一方「紙布」は、織物の一種で、薄手の楮紙を細く裁断して縒りをかけ、糸状にして織った「布」の事を言います。

「紙布」が文献に現れるのは、、寛永15年(1638)に成立し、
正保(しょうほ)2年に刊行された「毛吹草(けふきくさ)」陸奥の項で、
 紙布 奉書ヲ ヨリテオリタル物也 と見える。

・紙布の工程は、10工程ほどで、昔は分業だったようです。
・織り方は、木綿用の手機を用い、筬框は桐製を用い、縮緬・紅梅織りは、2丁杼を用いました。
・平織り、雲斎織り(綾織りの一種)の実用衣から、最高級の夏の礼服としての縮緬や紋織りなどが織られました。
・絹を経糸にして織った縮緬紙布や紋紙布などは、年々伊達家に60反ずつ買い上げられ、京都近衛家、将軍家、諸国大名への献上進物にしたそうです。

白石紙布の起こり

白石における紙布≠フ起こりは、白石藩主2代片倉重長公頃であろうとされています。
片倉家の『条々』が示す、万治2年より少し前(1650年前後)のことと思われます。
白石藩、家中武士の手内職として発展してきましたが、藩政崩壊により次第に衰微(すいび)し、白石で紙布≠ェ織られていたのは、明治初期まで、その後の大正期には途絶えてしまいました。

昭和初期には、かつて織ったことのあるお年寄りが、数人残っていただけでした。

そこで、片倉家子孫の片倉信光氏が、郷土の伝統工芸の白石紙布≠復興させようと昭和4年頃に、佐藤忠太郎氏・遠藤忠雄氏らと共に紙布≠ノ取り組みました。

当時70〜80歳の紙布を織った事のあるお年寄りに聞き歩いて、製法を習い、蔵や押入れに仕舞い込んであった着物や帯、端切れを譲り受け、研究を重ねて10年の年月を経て、ようやく昭和16年に初織りを皇太子に献上したそうです。

その後、戦争で中断し、戦後白石紙布≠ヘ全く顧みられなくなってしまいました。今は、工芸品として残っています。


昭和30年3月19日、白石紙布≠ヘ文化財保護法第56条の9の規定により、記録作成等の措置を講ずべき文化財として選択されました。
昭和46年3月31日付 文化庁長官 今日 日出海 名を以て『工芸第7号選択書』が正式に文化庁から送達されました。


紙布≠ヘ、仙台藩の名産品であるのに、何時、誰が始めたという沿革を伝えていません。これは、仙台藩や片倉藩の武具として自藩用に織られていた結果ではないかと思われます。

現在、白石紙布≠フ手法に則って織っているのは、遠藤忠雄さんの奥様のまし子さん、佐藤忠太郎さんのご子息の奥様の佐藤和子さんです。お二人の指導により、私を含め、数名の後進のものが白石紙布≠織ろうと励んでいます。
佐藤さんは、私の倉敷の大先輩でもあります。現在白石紙布≠フすべてを知る唯一の人です。80歳を目前にして、伊達の織り師が伝えた縞帳の復元を紙布≠ナ織っています。それと並行して、紙布≠フ研究報告書を作成しています。本当に頭が下がります。私も80歳を迎える時に、佐藤さんのように元気で織りに向かい合いたいと思います。



各地の紙布

・かつては、丹波地方において『黒谷紙』を用いて、丹波紙布が織られていました。昭和34年片倉氏が布団表地としている格子縞・藍縦縞布を採取しています。白石紙布に比べ技術は劣っているようです。また、製法も若干違っています。極めて素朴で、特性は一般的に地質が厚い。これは経糸が手紡の木綿糸で、緯糸に使う紙糸も0.5〜1pと太いためです。
・他に島根県の石見地方、明治30年代まで織られていたという記録があります。
・山形県庄内浜の漁師やその妻たちが着ていた『おろこぎ』。裂き織りに比べ軽く柔らかく、保温性もあるので防寒暴風に適し、波しぶきを避ける防水性も持ち合わせていました。地厚で半纏のような、今でいうと防水コートのようなものでしょうか。現在民芸品として、小物が販売されているようです。。
・現在、和紙を漉いている地域で紙布≠織るところが多くなっていますが、白石紙布≠ニは、若干異なる手法を用いているようです。出来上がった布は、やはり地厚のものです。



白石紙布の特徴 
白石紙布の特徴は、 柔らかく ・ 軽く ・ 丈夫 という三条件が揃っていることです。

これは、紙の原料である『楮』の生育地最北限という条件の中で、楮の繊維が長くなり、更に寒ざらしで上記特徴のあるものが出来るわけです。

従いまして、丈夫な楮和紙であるとか、昔の和紙で枯れているからとか、薄くて柔らかいからとかいうだけの和紙では、白石紙布≠るいは、それに近い紙布≠ヘできません。

現況に置いて、江戸時代の白石紙布≠ノ近いものを織るためには、白石和紙に最も近い、古来の方法で漉かれた手漉き和紙を使い、織らざるを得ません。和紙を探すのに苦慮しているのが現状です。探し求めた和紙で白石紙布の手法を用いて作ったものを白石紙布≠ニしたいと思います。

白石紙布用の紙について 
白石紙布@pの紙の大きさは美濃大判、曲尺1尺2寸5分(約37.5p)×1尺7寸5分(約52.5p)です。
この大きさが、紙糸になるまでのあらゆる操作の際、もっとも扱いやすく、適しています。
50枚を1帖として、2帖100枚で着尺(おおよそ幅38p長さ11.5m)1反分とされています。
目方は、50枚で75匁(おおよそ280g)が標準で、それより重くなると、厚い紙になるので白石紙布≠ノは使わずに、傘紙として使われました。

※280g×2帖=560gですが、裁ち落し分と揉むことによる目減りがありますので、出来上がりは、和紙糸450g前後かと思います。ということは、一般的な白石紙布≠ヘ、600〜700gであると、推測できます。江戸・明治時代の縮緬や勾配織りのものは、400g前後ではないかと思います。
日本工芸会のある先生からは、600gの着物は重いと言われました。私が作った平織絹紙布・紋紙布の着物は、大凡500g〜600gで、勾配織りの着物は、350g〜400gです。出来上りは、幅1尺×長さ3丈3尺です。

参考までに  
    
  献上紙布を作るときは、伊達家の面目にかけて侍自身も身を清めて織ったとのことです。

紙布織の心構えとして、小見家に残されている『機伝用法』九ヶ条によると、

一 頭は中目眼より八分下を吉
二 人体は如浮水
三 心は如大石
四 目は日月如巡
五 肩は肘を目口の間になるを吉
六 手はなやして弓弦を如切
七 膝は如扇を開
八 足は雪中の高山を下る如
九 躰の腹は空身に大石のかかるが如

                右九ヶ条とある。

                  ※これは、織り手の心構えと身のこなし方の極意です。



白石紙布≠フ種類
白石紙布≠ヘ、紋織り(模様織り)の他、使う材料によって呼び名があり、

経緯とも和紙糸を使って織ったものを諸紙布と言い、、袴・蚊帳・帯などに用いられました。

経糸に絹糸、緯糸に和紙糸を使ったものを絹紙布と言います。一般的には、着物(長着)用とされています。

経糸に木綿糸、緯糸に和紙糸を使った綿紙布。これは、主に農民の衣服地とされました。通常緯糸には反故紙が使われ、太地の粗製品が多く見受けられました。

また、経糸に麻糸、緯糸に和紙糸を使って織ったものもあります。

他に、経糸に絹、緯糸に絹糸と和紙糸を交互に織った『紅梅(勾配)織り』も多く織られたようです。

※以前、手織り会の大先輩 佐藤和子女史に、江戸時代の紅梅織りの布を見せて頂く機会に恵まれました。糸は、60デニール、紙も今のものの比ではなく、薄く強い。筬は、80羽を使用していました。
紅梅織りは、その後日本工芸会の日本伝統工芸染織展・日本伝統工芸展への出品・入選作になっています。縮緬紙布・紋紙布への試みも始めています。
各地の和紙を試しながら、江戸時代の白石紙布≠追い求めています。長い道のりです。

白石紙布の用途
紙布の用途は、専ら夏衣とされ、絹紙布や縮み紙布は、絹・綿・毛織物・麻布に比べて軽く涼しく、汗を良く吸い取りベタつかず、肌触りが柔らかく、着心地が良いので、老人の夏衣として特に愛用されていたと言います。実際に、私が着物や仕事着に仕立て着てみて分かったのですが、立ち働いても熱気がこもらず、静電気も起きず、涼しく暖かい大変着心地の良い、重さを感じないものでした。

諸紙布作業衣類は、水洗いにも十分耐え、丈夫で熱射を避けるので、炎天下や麦焼きなどの作業衣に適していたようです。また、水分を吸い上げないので、水田作業にも利用されていたそうです。
白石紙布を織り始めると、最後は諸紙布で着物をと思ってしまうのですが、諸紙布は、地厚の製品です。究極は、縮み、縮緬かと思います。

紙布用の紙は、紙漉きのときに、楮の繊維が縦に並ぶように『流し漉き』という方法をとります。汲み上げた船水を縦方向に何度も何度も流して漉く方法で、繊維は縦方向に揃うので、緯には破れにくい紙となります。繊維を切断しないで済むので、強い糸になります。元結・水引・提灯・傘などに用いられた紙です。

紙糸作りの手順
  1. 先ず、和紙を細く裁ち、それを屏風だたみに四つ折りにし、上下1〜2pを残して、だいたい1.5〜2mm位に裁ちます。
  2. この和紙を広げ、湿り気を与えて石の上で転がすように揉みます。
  3. 紙縒りのようになったものを天地を残し、長く続くようにちぎっていき、それを糸車で撚りかけをして、一本の細い糸を作ります。
  4. これを蒸して撚り止めをします。昔は熱湯にくぐらせました。糸は必要に応じて染めます。
遠藤さんので見せて頂いた紙布≠ヘ、紬の布と変わらず、忠雄さんの仕事着は、使い込んだ晒しのような、ガーゼのような、肌触りの良いものでした。
〜〜〜特注〜〜〜
 明治初年に日本を訪れたドイツ人ライン氏が、1886年ライプツィヒで刊行した著書『日本工芸紙』に白石紙布の記録があり、日本で滅亡し、忘れ去られようとしていた白石紙布≠フ技術がもととなり、ドイツ人よってオートメーションで作られた紙で洋服生地が作られたという事実があります。
しかし、ドイツには楮がなかったので、原料にパルプを使い、防水加工が施されました。出来上ったものは『ペーパーヤーン』と言われるものとなりました。

『ペーパーヤーン』は、汗を吸わず、水をはねる硬い感じの布で、紙布≠ニちょうど正反対の性質を持つものでした。

          (参考:「白石和紙 紙布 紙衣」 片倉信光著より)

紙より製品 
・・・・・・白石川でアユをとる人は、投網の手綱には、6本か8本の紙よりを編んだ長い紙紐を用いている。麻綱は水に濡れるとぬめりが出るし、5〜6年使うとダメになるが、紙綱は、1本あれば一生間に合うと言われる程で、水に濡れてもぬめりがなく、手放れが良くてもってこいの綱だという。柿渋を引いても引かなくても良いと愛用している。船の紙綱なども同じであることがわかる。予想外の事である。

紙より製のリュックサックがある。すかり≠ニいう。川漁の投網や弁当を入れて背負うが、夏この中に入れた弁当は悪くならないという。小さな網袋は、手提げや、弁当を入れて肩にかけるのがあり、財布や懐中の書類入れもある。財布は、大工さんが釘袋に使っている程丈夫である。

火事場頭巾は、刺し子頭巾より強い。紙ハバキは山で仕事をする木こりが25〜26年使ったという。山葡萄のツルを経糸に、緯糸は紙よりで編み、藍で染めてある。まむしは、藍を嫌うので良いと。朝露に濡れると普通の藁製や麻製は、5〜6年の寿命だという。水に濡れても丈夫だというのが紙の特徴である。

武者わらじが、仙台藩の侍が用いるのは、紙わらじ≠ナある。武具は、藩外へは秘密であるので、知られていない。具足箱に入れてあるし、土蔵にはたくさんあった。藁のわらじは、一日10里(40km)歩いて3〜4足は切らすが、紙のわらじは、1足で160里(640km)は、履けると記してある。火事場へは、水で濡らしてから履く。焼き釘なども踏み抜くこともなかった。明治維新の戦争で官軍は、道に鉄のヒシを撒いて安心していたが、仙台藩の兵隊は平気でどんどん渡ってくるので驚いたという。武者わらじは、切り緒のわらじで、普通緒は作り付けに作ってあるが、これは、短い輪の切り緒で、履くときに紺染めの緒を通して履き、ぬいだ時は、緒を抜いておくので、他人には、履かれない。こうして連日履き通すことが出来た。奥の細道を歩いた芭蕉が仙台城下で加右衛門から紺の染緒のわらじを贈られて「風流のしれものその実を現わす」と非常に喜んでいるが、その実を現わすという意味は、もう一つ加右衛門が仙台藩の秘密のわらじを贈ったように、あるいは彼が常置された忍者であったのではなかったかとも思われる書きぶりである。わらじの意味がわかれば了解できるようである。

暮れいそぐ四谷すぎたり紙草鞋

という句が芭蕉にあるが、意味がわからぬ。紙緒草履でもないしと・・・・・・。紙草鞋は知られていない。
……。 
      
(抜粋:「白石和紙 紙布 紙衣」 片倉信光著より)

紙布の用途



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