第九話:クラッシュ

 

 

  同時刻。

 

「だからっすよ? 音楽ってやっぱ聞かせるのも大事だけど、魅せることが出来なきゃ駄目じゃないっすか?」

 

「まぁな。その点で言えば、洋楽は出来のいい曲を聴かせて魅せてくれるよな?」

 

 マニアックな話でマジョ子と誠は盛り上がっていた。マジョ子と誠はかなりの短時間で打ち解けあっているのを、霊児は自分の机に座って聞いていた。

 お互い好きなミュージシャンが同じだったため、曲の感想や音楽の好みを言い合うなどで、フランクな会話が続いている。そのために、自然と邪魔にならないよう相槌をする。

 まだ続くのか・・・・・・・・・出来れば解散って言いたいんだけどな・・・・・・・・・。

 話の輪に入りづらい霊児が胸中で呟いたと同時に、マジョ子のポケットから一六ビートのへビィーメタル着歌が鳴り響いた。

 

「何だよ。いいとこなのに」

 

文句を言いながら、携帯電話を取り出す。非通知ではないが、電話帳に登録されていない番号に怪訝となりながらも出ることにする。

 

「誰だコラ?」

 

『………あの、初めまして! アタシは美殊……真神美殊の友人の戸崎晶です!』

 

 電話越しから響いた声の丁寧な返答に、マジョ子は怪訝に眉せる。

電話越しの晶にはそれ所ではない。席を立ち、見えもしないマジョ子に一礼までしている始末だ。

 

「で、何かようなのか?」

 

『はい。その、ミコトが』

 

「ミコトがどうしたんだ?」

 

美殊という単語に反応し、誠もマジョ子の受話器に耳を近付ける。

 

「あ……の……」 

 

「・・・・・・・・・吐け」

 

萎縮してしまうアキラに、マジョ子が電話越しの脅迫的に呟く。さきほどの不良が嘘に思えるほど、嵐の前を予感させた。

 

「はい! 不良についていっちゃいました!」

 

 それを聞いて、マジョ子は小さく鼻で溜息を吐いた。

 

(バカが。新入りの分際で、粋がりやがって)

 

 胸中で美殊を罵る。美殊は頭の回転も速く、こちらの指示にも理解して応える貴重な人材と、マジョ子は少なからず美殊を評価していた。しかし、やはり新人は新人。ケツに殻をぶら下げたヒヨッコだった。

 この件が片付け次第、自分の部隊が行う訓練メニューを消化させようと心に決めた。

 

「今から銀丞に向かうから、お前はそこに居ろよ」

 

 アキラに釘を刺し、電話を切ったマジョ子は霊児に向き直る。

 

「美殊のバカが先走りました」

 

歯軋りしながらマジョ子は言う。

 

「ですが、私にも落ち度があります」

 

 踵と踵を揃え、直立不動で己が何の考えも無しに、探索を続行させたことに謝罪する。

 けなしたり庇ったりと、忙しいマジョ子に霊児は苦笑してしまう。マジョ子は後輩の美殊を気に掛けているのは、火を見るよりも明らかだ。そして、嬉しく思うのだった。

 

「謝るのは後でも出来るだろ?それよりも、さっさと銀丞に行くぜ」

 

「はい」

 

 霊児は机に置いてある布を巻いた刀を手に取り、マジョ子も机の引出しから取り出したマガジンをポケットに入れる。

 またあの槍兵の悪魔に出くわすことも考え、銀の杭も懐に入れながら誠には一応、ここに残るように言っておこうと霊児は振り返る。

 

「とりあえずマコっちゃんはここで連絡を待って――――って? いねぇし!?」

 

 ギョッとして辺りを見渡すマジョ子と霊児。

誠の姿は何処にもいない。さっきまでマジョ子の隣にいたのは確かであった。

 ただ開きっぱなしのドアからは一陣の風が、部活の中に迷い込むだけだった。

 

 

 

 電話を切られてしまったアキラは、厄介なことになってきた。と、胸中で溜息を吐いた。

 そして、言い様の無い胸騒ぎがある。美殊の身もそうだが、それ以上に言葉に変換できないもどかしいものが、心中全てを覆っていた。

その『何か』に頭を悩ませ、カフェのテーブルで頬杖をつく。

 

「やっぱり……警察だよ……」

 

 美殊はいらないと言ったが、いくら運動神経抜群で養母から護身術も習っていると言っても、相手は男性でしかも武器も持っている。千切っては投げるという、言葉通りに実行出来るのは知っているが、数が数で多勢に無勢である。加減抜きで美殊は、大立ち回りをするだろう。

 

「やっぱり、電話しよう」

 

 そう、友人を助けるために。美殊が殺人犯にならないように止めるのは、友人として当然だ。

 携帯電話を取り出し、ボタンが指に触れた時だった。いきなり、ガラス窓越しでも聞こえる急ブレーキ音が鳴り響く。

窓に顔を向けると、銀丞に横付けした紫色のバン。運転席と助手席のドアから、美殊がついていった不良達の仲間だとすぐに解った。アキラを見るなり、ニヤリと笑う。

 嫌な顔だと、アキラは率直に思った。陰険というたった一言で、片付けられる類の顔に嫌悪した。しかし、すぐに直感する。何故、車をいちいち取りにいってからコッチに戻ってきたのかを。

 店のドアを乱暴に開けて、入るなり笑いを堪えるようにアキラを指差す。

 

「ほらぁ。オレの言ったとおりだろ? 友人見捨てて逃げる子じゃないって?」

 

 長い舌を躍らせながら言うスキンヘッド。

 

「本当だ。今時早らねぇ〜」

 

 鼻に耳にと、ピアスだらけの相棒はアキラを見るなり腹を抑えた。

 嘲笑を響かせて近付く二人の不良の男達に、アキラはまさかと思った。

 

「うんじゃ〜よ。お友達の負担を軽くするためにも、オレ達と一緒に来てくんない? 穴が六つあれば、ローテーションも素早いと思うからさ・・・・・・・・・ってぇか?」

 

 スキンヘッドのセリフで血の気が一気に引く。

 二人は笑いながらアキラの両腕を掴んで、力任せに引きずろうとする。

 常連客が哀れに連行されていく所を、やはりまったく無視して次のグラスを磨く銀丞のマスター。だが、この行動は第三者なら誰もが取る一つの選択でもある。しかし、店のベルを鳴らして入ってきた少女は数少ない少数派であった。

 道を塞ぐように立ち、不良とアキラを見るなり、見下すように鼻で失笑した。

 

「『憑かれた』奴の気配を辿ってきたけど・・・・・・・・・猿が二匹だけなんて引きが悪いわね」

 

 嘆息する少女。しかし、不良二人もアキラすら目前の少女のセリフなど聞いていなかった。威圧されて自然と、アキラが先ほどまで座っていた席まで後退してしまった。それだけ、迫力と存在感が段違いだった。

 白のヘアバンドで長い髪を後ろに束ねている。上は黒のライダージャケット。ジッパー式のポケットに両手を突っ込んで不良を見上げている。ここまではまだアキラの許容範囲であるが、そのジャケットの下は清楚感すらあるワンピースで、靴はショートブーツ。はっきり言ってチグハグだった。

 ヘアバンドとワンピースなら、さっぱりとした清楚な少女と見える。

 ライダージャケットとショートブーツだけなら、バイカーファッションにも取れなくも無い。ファッションとしては一種独特すぎるセンスの持ち主といえるのだが、それらが目に付かないほどの美貌を持っていた。

 大きく見開くその目で放たれる眼光は、冷厳で威厳がある。まるで王侯の容赦無い威圧的な眼。それ故か、孤高の翳りもあった。

 薄く形のいい赤い唇は生気を漲らせ、起伏の無い表情に時折浮かぶ冷笑だけで、身体が畏縮してしまう迫力がある。

 美的調和が揃った美殊のような美貌とは、まったく違う種類。アキラの目の前に立つ少女は、傲慢といえるほどの生命力。原始的な美の力を体現していた。

 

「その子を離しなさい。さすがに言葉は通じるとは思っているわ」

 

 黙していたその唇から発せられた声は、絶対的な命令であり、そして遥か彼方から見下し切っていた。

 言われてハッとなる二人。彼女に見惚れていたため一拍も遅れて、不良二人の顔が一気に赤黒く変色する。

 

「あら? 言葉が難しかったのかしら? すぐに殴りかかってくると思っていたのに」

 

 少女がからかうかのように、クスクス笑った。眼だけはどうしようもなく冷たい。

 

「てめー! いい気になるんじゃねぇ!」

 

「クソアマが! テメェもついでだ! アジトでじっくりといたぶってやら!」

 

 不良の二人が空いている手で、少女も掴まえ様とする。まるでそうするのを待っていたかのように鼻で笑い、拳法の構えを取った。

その刹那――――――――破壊が奏でる不協和音が、銀丞に横付けしていたバンの方角から鳴り響いた。

 

 

 

 四月一七日、午前一一時四分。

 

 

 

 電話で状況を聞いたおれはすぐさま、現場へと向かうために走った。

 校門の前をゾロゾロと帰宅する生徒達の隙間を縫い、グランドの土を抉るように走る。

時折進行ルートを妨げる生徒は、その頭を飛び越えていく。通り過ぎていく生徒達におれの後ろ姿を見たものはいたが、ただ奇妙に首を傾げた。その次には悲鳴や怪訝と視線で追うが、視線が止まる前におれは校舎の門を抜け、一足飛びで向かいの歩道を渡り、自分の家を背にしてひた走る。いや、走るのも面倒で、歩道は人が多すぎて轢いてしまいそうだから、両膝のバネで跳躍し、渋滞していないルートを選ぶ。

 手近の電柱に着地し、隣の電柱から電柱へと飛び移る。

交差点の標識を捻じ曲げ、頑丈な信号機も踏み込みが強すぎて砕け散る。だが、今はそんなことなど些事だ。

 こめかみ辺りに火花が散る。血が滾りに滾る。心臓がマグマのように脈打つ。

昨晩のように疾走するおれだが、心境はまったく違う。昨日の晩は高揚感と言いようの無い解放感とともに、風を裂くたびに叫び出したいほど歓喜した。そして、今は煮え滾る怒りと、焼き切れるような焦燥感に苛まれて疾走している。

 一分でも一秒でも早く銀丞へ向かい、そこから不良らしい奴らを見つけ次第締め上げて、美殊の居場所を割り出さなければならない。

 時間が惜しい。一秒間経つだけでも胸に重圧感が掛かる。

 クソが。クソッタレどもが。もしも美殊を傷付けていたら・・・・・・・・・今まで『生きていたこと』を、後悔させてやる。

 肩、背中、胸がバンプアップの作用で、ロングTシャツが裂けるのも無視し、さらに脚の回転を上げて電柱から路上へ着地。その時にアスファルトを陥没させたが――――大丈夫だ。誰も見ていない。

 右直角カーブを曲がるため右手でアスファルトに爪を立てる。

スニーカーの靴裏からは煙を上げ、アスファルトは爪で抉りつつ直角コーナーをアウトインアウト。減速した分を取り返すために、スプリンターのスタートダッシュ。視界が一瞬で針のように細くなる。空気すら抵抗感をもたらすスピードの世界に突入しても、おれの目には直線の終わりに差し掛かる銀丞の看板を見逃さなかった。だが、その動体視力に別のものまで映る。紫色のバンの横からトコトコと歩き、振り返った。

つぶらな瞳と眼が合った。

 

 

「ニャ〜〜〜」

 

 

 生まれて間もない小さな三毛猫。可愛らしい子猫。

 まずい、このままでは子猫を踏んでしまう。子猫を踏むという残虐な行為だけは避けねば。

 四足歩行の獣のように両手両足でアスファルトを抉り、白煙を上げるもスピードは減速しない。子猫を避けるため、歩道へ横っ飛びする。しかし、その先にあるのは横付けしている紫のバン。

クソが、ここ駐車禁止だぞ。

 

 

 

 四月一七日、午前一一時四分、銀丞。

 

 春の晴れ晴れとした青空。春風の心地良い日に――――――――とてもシュールな光景が視界に入っている。

戸崎晶は、顎が外れるくらいに口をあんぐりと開けていた。

普通の高校一年生で、この春に高校生になったばかりの一般市民。そんな彼女は何故か良く、とんでもない光景や、ろくでもないものを目の辺りにするのが多い。

 『人が空を飛ぶ瞬間』、『子供にパイルドライバーをするエプロン姿の女性』、『肩の骨、圧縮寸前』など、シュールな光景を目の当りにしているためか、大抵のことに動じない彼女が――――窓の外の光景を見て目を丸くしていた。彼女の驚愕光景ランキングに四位は確実に食い込んだ。

 白と黒の物体が、歩道に横付けしたバンの下を高速で通り過ぎる。いや、むしろ貫通と言うべき勢いが無ければならないだろう。

そうでなければ、バンが高々と宙を舞う訳が無い。

 バンの下、轟音を高らかに響かせた物体がゴロゴロと転がる。

 アキラが心の中で「パンダ模様の人食いグリズリー」と、呼んでいる先輩が、滑稽に思えるほど路地を転がっていく。

 空中でバンパーが地面へ向く頃、白黒の物体が消火栓に頭をぶつけてようやく止まる。消火栓は折れ曲がり、噴水のアーチを描く中、頭を抱えて痛そうに地面にのた打ち回る。

 そして、バンは八秒間もの空中浮揚を終える。アスファルトにキスするバンバーの轟音。

垂直立ちするバンというとんでもない光景に、不良二人とアキラは開いた口が塞がらなかった。

 ヘアバンドの少女は感心したように頷き、銀丞のマスターはグラスをライトに照らして、埃がついていないかチェックしている。この二人だけはまったく動じた素振りすらみせない。

 ボロボロのロングTシャツを埃だらけにして、頭を抱えながらも立ち上がる人物は真神誠。

五年前に『ある』暴力事件を起こした張本人。その人物が辺りを見渡し、銀丞の窓に眼を向けると、自分が滑稽に転んだことを恥じりながら頭をペコペコさげている。

 車を『轢き弾いた』人物は、銀丞のドアベルを鳴らして入ってくる。

 温厚さと間抜けさの空気だった――――それが、アキラの手を掴んでいる不良を眼にした瞬間、豹変する。大魔神の激怒と形容できる豹変ぶりだ。

 

「誠さん! 待っ――――!」

 

 もうその瞬間に、アキラの頬を通り過ぎる拳。そこから生まれた突風でセリフが途切れてしまう。

 骨が確実に砕ける音色がアキラの背後で響く。殴られたスキンヘッドは腰を支点に高速回転し、逆さになって壁へと激突する。

明治初期の建築物が、地震でもあったかのように震え、天井から微細な埃が落ちてくる。

 

「てめぇ!」

 

 ピアスだらけの男が懐からバタフライナイフを閃かせ、殴ったままの体勢でいる誠の腹を刺そうと間合いを詰める。しかし、もう一人を不良は忘れていた。王侯の如き少女を。彼女はすぐさま足で払う。ピアスの男は前のめりに倒れた。それで彼はジ・エンド。弓なりになっていた誠が、その戒めを解き放つ。

タイミングとしてもまったくピッタリ。地面スレスレをホップするアッパーカットが、ピアスの男に叩き込まれる。うつ伏せになっている状態の男が、そのままバク宙三回転半。床に後頭部をぶつける時の音に、アキラは悲鳴をあげた。

 

「大丈夫? アキラちゃん?」

 

「だいじょうぶ・・・・・・・・・ですけど・・・・・・・・・」

 

「怖かったんだね?」

 

「はい、まことさんが――――」言い切る前に「テメエ! 何、怖がらせてるんだ!」激怒のまま吼え、仰向けになったピアスの男を蹴り、また回転させてうつ伏せに直すという暴挙をみせつける。

 

「だから、まことさんがこわいんですよ? きいていますか?」

 

 幼児の泣き声みたいな反論。しかし、誠は絶妙なタイミングで聞き流し、ピアス不良の足を払ったヘアバンドの少女へ視線を向ける。

 

「ありがとう。いいタイミングだ――――」

 

「あなたも理想的なアッパーカットだ――――」

 

 二人は眼を数回瞬いて、互いの顔を凝視する。アキラは半べそながらも、二人を見る。そして次には破顔一笑で見詰め合った。

 

「昨日の晩はごめんなさい。勝手に話し掛けておいて先に帰ってしまって……」王侯の如く佇んでいた少女はここで、その美貌に相応しい微笑を浮かべる。

 

「そんな事ないよ? 体調が悪かったんだろう? おれも気を(くば)らなくてごめん」暴力の権化。恐怖の化身と形容できる少年は、すまなそうに謝っていた。

 

「えっ? 知り合いですか?」どこまでも置いていかれている一般少女は、二人の顔を交互に見る。

 

その一言に、名前を名乗っていないことに気が付いた。誠は、呆けた顔でアキラへ視線を向ける。

 

「あっ・・・・・・・・・」間抜けな声を漏らして、ますますバツの悪い顔で頭を掻く。

 

「おれは真神。真神誠・・・・・・・・・昨日は名乗らなくてごめん。そして、こっちの女の子は戸崎晶ちゃん。妹の友達だよ」

 

 誠の自己紹介を聞き、何故か少女は小さくガッツポーズを取ったのは目の錯覚かと、アキラは眼を瞬かせた。

 

「そう、よろしく。わたしも自己紹介がまだだったよね? わたしは九鬼。九鬼蒔恵(まきえ)よ。それより・・・・・・・・・」言葉を区切り、まじまじと誠の上から下を見上げる蒔恵と名乗った少女は、怪訝と眉を寄せて言う。

 

「マガミって……『(しん)成る神』って書いて真神?それと戸崎ってドアの戸って書いたトザキ?」

 

 そうだよと、誠は先ほどの暴力行為をした人物とは思えない笑顔で頷く。

 

「そう。あの真神と・・・・・・・・・戸崎・・・・・・・・・」

 

(りめんばー・ふぁいぶ・いやーず・あごー!)

 

五年前を思い出せ!

アキラは小学六年生の誠が実行した恐ろしい暴力事件を、思い出してしまう!

二度と思い出したくない光景が広がり、当時のアキラも絡んだ、忘れたい過去。

中学校まで押し入って、美殊のイジメに参加していた中学生の永久歯を、全壊したあの事件を。

 

「わたしのことは蒔恵でいいわ。その代わり、わたしも誠って呼んでいいかしら?」

 

「もちろん。それより………えっと〜本当に蒔恵でいいの?」

 

「ええ。もちろんよ、誠」

 

 蒔恵はクスクス笑い、誠は擽ったそうな笑みを浮かべている。互いの自己紹介に微笑み合う。その姿は、確かに微笑ましい。ただし、窓の外に垂直立ちするバンや、足元が見えない位置ならきっといい絵になったであろう。

蒔恵の足は、立ち上がろうとするピアスの不良を蹴り続ける。的確に顔面や肩などを嬲るように蹴り続ける。

逆に誠は唸り声や、痛みに苦悶する声すら聞きたくないのか、顔面を中心に蹴り続けた。幾分、まだ口が動かせるスキンヘッドはもう蹴らないでくれと、懇願する始末。

 世間話や、この店の紅茶とパフェの美味さを話し合う傾向になりそうな所を、アキラは体育会系の根性を燃やして間に入る。

これ以上倒れた不良を蹴り続けながらの会話は、聞くに堪えない。スキンヘッドはもう泣きが入っている。どちらが悪者なのか解らなくなる境目に、立たされていた。

 

「それより、美殊!」

 

アキラの絶叫が届いたのか、ハッと視線をピアスの男へ向ける。温和と無害から、怒り狂う形相へと変わる。

 

「おい? 少し前に女の子がお前らの仲間と付いていっただろ? どこに行ったか教えろ。言わないと・・・・・・・・・『デコピン』するぞ、コラ?」

 

「・・・・・・・・・はぁぁあ?」

 

喫茶店のテーブル真下で蹴られていた不良は、気の抜けた声を漏らした。

 

「バカかてめぇ? 今時、デコピン程度でゲロする奴――――」と、床で倒れていたスキンヘッドのセリフは、ガラスが砕ける音で遮られた。

 

何故なら、誠はテーブル上に置いてあったカップ――――アキラの呑み残したカップをデコピンで砕いたからだ。テーブルを濡らしその下のピアスの不良は呆然としたまま、濡れる髪も拭う素振りも見せずに、誠を見上げた。その顔には、信じられないと書かれている。

 

「デフォルトでこの威力」

 

デコピンの素振りを何度か見せる。

空気を裂きつつ、ピタリと不良の額に狙いを定めた。「そして・・・・・・・・・」力を込める。解放を今か今かと待ち望む中指、楔の如く抑える親指。その二本の指に血管が浮き彫りになる。

 

「これが一〇〇%中の一〇〇%だ」

 

野太い声音で言いつつも、誠は空いた手で顔面に何かが当たるのを、防ぐように翳していた。

蒔恵は蒔恵で、先ほどの乱闘で転がったテーブルでバリケードを拵え、アキラに手招きしていた。

 

「他の方法を考えましょう、誠さん!」

 

どんな物が飛び散るのかなど、想像したくない。

 誠はちょっと残念な顔をしてデコピンの手をおろし、蒔恵も舌打ちしながらテーブルバリケードから出てきた。

 

「そうだな。デコピンじゃ後始末が大変だ。やっぱりここは『しっぺ』にしよう」うんうんと、頷く誠。「しっぺ?」アキラの間抜けな声音を尻目に、誠はさっさと不良の袖を捲り上げ、ピンと張った二本指を振り落とす。ハンマーで殴るような鈍く重い音。それに重なる枯れ枝が折れるような、渇いた音が響いた。

 

「っぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っぁぁぁぁぁぁぁっぁあ〜?」雑巾の絞り粕みたいにか細く、真っ青な顔で悲痛に苦悶するピアスの不良。激痛の性で絶叫すらあげられない。

 

「キャァァァァァァァァア!」

 

衣を裂くような叫び。ホラー映画のワンシーンを連想するアキラとスキンヘッドの悲鳴をあげた。

 

「わぁーすごい。力持ち」

 

不良の腕を一瞥し、感心したように感想を呟く蒔恵。

 不良の腕は折れていた。ただ単純に折れているわけではない。しっぺのされた個所から皮膚を破って、赤と白の骨が顔を出している。動脈を小さく切ったのか、傷口から小さな血の噴水を作っている。

 

「居場所を言う?」

 

「ハゥッハァッハァッハァッ・・・・・・・・・ヒッヒッ・・・・・・・・・」

 

涙目で呼吸を整える。血の噴水は呼吸のたびに強弱のリズムを刻む。己の腕を凝視している不良を一瞥した誠は、微笑みながら首を傾げた。小さく溜息を吐きながら、もう一度手をあげた。

 

「解った。もう一回な?」

 

「言います! この先にある裏路地から入ってすぐの廃ビルがアジトです!」

 

 一気に捲くし立てる不良からアキラへ視線を移した誠は、軽くガッツポーズをする。

 

「さすがアキラちゃんは頭がいいな。一発で吐いちゃったよ?」

 

「アタシが提案したみたいに言わないでください!」

 

 涙目で拒絶するアキラの背後で、蒔恵はニッコリと笑う。

 

「そうねぇ。普通は一人くらい『見せしめ』にして、残り一人に吐いてもらうのが定石なのに。さすがに真似できないわね」

 

(待って。何でアタシがこの残酷な現場を考えたように言うのよ)

 

「ビュ、ビョ、ビュ、病院! 救急車! 医者!」

 

 単語の羅列しか言えない不良を見下ろす誠。その眼は未だ憤怒が去った訳ではない。

 

「それよりさ〜お前達はアキラちゃんに何をしようとしていたんだ?」

 

 ここまで痛め付けておいて、振り出しに戻した暴力者。

 

「確か、アジトに連れて行って『いたぶってやる』とか、言っていたかしら?」

 

 蒔恵も蒔恵で、誠の疑問に応える。彼女も許してなどいない。「これで終わると思っていたの?」と、きょとんとした顔で、背後に倒れているスキンヘッドに言う始末だ。

 

「本当ー」呟きながら、ピアス男の頭を鷲掴みする。「どうしてこんな不良がいるのかな?」尋常ではない握力は、朝から証明されている。人体でもっとも強度を誇る頭蓋骨すら問題なく、骨をギシギシと軋ませる。不良は涙を流し、屠殺場の子羊のように首を横に振る。

 

「本当・・・・・・・・・やっていいことと、悪いことくらい解らないのかしらね?」

 

「あんた等が今、圧倒的に悪いわ!」

 

アキラの勇気を振り絞った突っ込みも二人はスルー。

何の前振りもなく誠が腕を振り上げ、そのまま風を切るほどのアンダースロー。倒れていたスキンヘッドの頭、スレスレを越えてそのままトイレのドアをぶち破った。水洗便所が砕けて煙が舞う。そこから床にゆっくりと水溜りが広がる。ピンク色の水溜りだ。

スキンヘッドは呆然と、血と混じった水溜りから晴れた煙の中、便座を頭に打ち付けて、血を流している相方に眼が離せないでいた。

 

「便器くらい全壊できると思ったのに」

 

「ドンマイ。二球目でスペアを取りましょう」

 

舌打ちする誠を励ます蒔恵。

 

「人間でボウリングをするなよ!」

マジ泣きになりそうなアキラ。異様過ぎるほどの光景にガタガタと震え始めるスキンヘッド。我が身を守るため、震える膝に力を注ぐ。

 

「ヒィィィイ!」

 

女のような甲高い悲鳴をあげ、立ち上がったスキンヘッドは喫茶店の裏口を目指す。テーブルもガラスの破片も無視して逃げようとする。だが、アキラの横へ音もなく移動を完了した二人が、見過ごす訳が無い。

 高速の前蹴り。ショートブーツの爪先がスキンヘッドの腹に叩き込まれ、胃の中にあるもの全てを盛大に吐く。九の字になったスキンヘッドの頬に迫るのはスニーカーの踵。馬の後ろ足で蹴られたかの派手な打撃音と共に、宙を飛ぶ不良。

銀丞の窓ガラスを砕き、歩いていた中学生の頭上を越え、きらきらと輝く破片が春の太陽光を反射する。

不良は弧を描き、歩道、中央線、隣の歩道、そして向かいにあるコンビニの、燃えるゴミと書かれたゴミ箱へ頭から突っ込んだ。

満足のいく結果なのか、誠はガッツポーズをした。

 

「すごい」

 

 破願する蒔恵の拍手に誠は照れくさそうに頭を掻いた。向かいのゴミ箱に頭から突っ込んだスキンヘッドを、唖然と見ているアキラに視線を向ける。

 

「何点くらいかな?」

 

「いや・・・・・・ルールが解りませんし・・・・・・・・・そんな無邪気な笑顔で聞かないでください」

 

 言いつつ、銀丞の店内を見渡した。

床は水浸し、便器に頭を突っ込んでいる人間一人。外は外で、コンビニの燃えるゴミに頭を突っ込んだ人間。あちらはもうコンビニのバイトや、野次馬が二人ほど集まってきている。

 

「それじゃ、アキラちゃん。おれはこれから妹を迎えに行ってくるよ」と、散歩でもしそうな口調で銀丞のドアから出て行こうとする。

 

「あの! 警察は呼ばないんですか?」

 

 アキラの発言に誠はドアに身体を預けて肩をがっくりと落す。蒔恵も小さな溜息をついた。

 

「アキラちゃん? 日本の警察って未成年に甘いと思わない?」

 

「わたしも同意見」

 

誠は遠い眼で空を見上げ、蒔恵は気の抜けた口調でカウンター席に座った。

これだけでもう解った。むしろ、警察は邪魔としか思っていない。

 

「じゃあ、せめて『ここ』は呼んでもいいでしょ?」

 

 床下を指差すジェスチャーを見て、誠は首を傾げる。「何でおれに聞くの?」と言うような表情。

 

「いいんじゃない?」

 

「良いと思うわよ?」

 

 異口同音の疑問形で言う二人。アキラは心労に倒れまいと両足に鞭打ち、携帯電話を取り出した。

その時にはもう誠は、弾丸のよう銀丞のドアを離れ、路地裏に姿を消した後である。

 

 

 

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