第十一話:KEEP OUT

 

 

 

 四月一七日、午前一一時六分、銀丞。

 

 ハーレーのタンデム。ハンドルを握る巳堂霊児と、その後ろに座るマジョ子はすれ違ったレッカー車に首を傾げる。どんな事故があったのか、バンパーがまっ平らになっていた。

そして次に視線を移すと、タンカで運ばれる人間である。

便座を首に引っ掛けたピアスの不良少年に、コンビニのゴミ箱を被ったままの人物が、救急車に運ばれていき、サイレンを鳴らしながら去っていく。

 

「おいおい」

 

 霊児は救急車を見送り、げんなりして肩を落とした。たかが二分の間に何が起こったのかを、想像するだけで溜息が連発する。そんな――――視界の片隅に、見覚えのあるレザージャケットが眼に入った。

 

蒔恵(まきえ)?」

 

 顔を上げたが、もう人影は路地裏に消えたのか、野次馬の中に消えたのか見当が付かなくなる。

 

「どうしました?」

 

 背後のマジョ子が首を傾げて問うが、霊児は何も言わずに首を振る。見間違いであろうと、気分を切り替えて事故現場に眼を向けた。

銀丞の店先はKEEP OUTのテープが張られ、その周りに野次馬。事件か事故が起きたのは解る。しかし、巳堂はヘルメットを取って首を傾げた。

 

「バンが事故って、乗っていた人間は便所とゴミ箱にぶっ飛んだとか?」

 

 それらの関連性というのか、便座を首に掛けた人物や、ゴミ箱に頭を突っ込んだ人間がいるのはこれで片付けられる。いいパロディームービーだ。

 

「そんな偶然ってありますか?」と、マジョ子は突っ込んだ。

 

「てか、あのバカ女の兄貴が関連している可能性があります」

 

 マジョ子、そんな現実的なことを言うな。

 

「いや・・・・・・・・・その可能性を必死になって避けていたんだけどな」

 

 溜息混じりにバイクから降りた霊児の後に続くマジョ子。

マジョ子は黄色いテープの周りに群がる野次馬の一人である、中学生に声を掛けた。

 

「おい?」

 

「はい?」振り向いた中学生は、頭にクエッションを浮かべつつ左右を確認する。

 

「下だ」

 

マジョ子の身長は一四五センチ。悲しい事に。こめかみに血管を浮かべつつも、何とかセリフを紡ぐ。

 

「えっ・・・・・・・・・と? 何?」何故(なにゆえ)小学生?と書かれた表情。

 

「ここで何が起きたか教えろ」その表情を読んで、睨むマジョ子。舐めてんのか? クソガキ? あぁ? 喧嘩は買うぞという表情をする、とんでもなく偉そうなフランス人形。しかし、その彼女から発するオーラに気圧(けお)されるのは、中学生の男子である。どんな人間をも下手にする、圧迫感を発していた。

 

碧眼に睨まれた中学生は「あの、えっと・・・・・・・・・」だけしか、繰り返せない。

 

「あぁ? チャッチャと喋れや。その口は飾りか?」

 

口篭もりながら言う中学生に、眼光一閃の可愛らしいフランス人形。しかし、その碧眼に宿る鋭さはギャングスター。切った貼ったの仁侠者。

 

「ぁっあの・・・・・・・・・」

 

「なあ?」

 

畏縮して怯え始める中学生を見窺う霊児は、頬を掻きながら口を挟む。

 

「何があった? 本当に? バンは半壊、便座を首にさげている不良、ゴミ箱に頭を突っ込んだ人間。こんだけシュールなモンに関連あるの? 想像つかないぜ?」

 

 レザージャケットを素肌の上から着ている男性の、十年来の知人であるかのような笑顔に釣られ、視線を霊児に向けた。

 

「いえ、さっきまで車が垂直立ちになっていたのですよ? それに、僕がここ通っている最中、銀丞の店から人が飛んでって、向かいにあるコンビニのゴミ箱に入る瞬間、見たんですよ? 僕の頭を超えてコンビニのゴミ箱にダイブしたんです!」

 

 一気に捲くし立てる中学生の証言に、ぎょっとする凸凹コンビ。

 

「マジ? シュール過ぎだぜ? 反対の歩道までぶっ飛ぶって光景は?」

 

「ここは映画のセットじゃねぇぞ小僧? 目を開けたまま寝ぼけていたのか?」

 

 異口同音。霊児は親しみ。マジョ子は脅迫的な口調。

とくに中学生はマジョ子に怯えていた。

何故自分は小学生に敬語を使うのだろうか? そして何故自分は初対面のレザージャケットを危険に着こなしている男性に、こんなにもフレンドリーに話をしているのか?

メチャクチャ怖いフランス人形と、メチャクチャいい人風不良青年に挟まれた中学生は、何とか戸惑いつつも自分が見たことを言葉にする。

 

「でも本当なんです。その後、白のロンティーに黒のジィーンズ着た人がですね? 何か、弾丸みたいに裏路地へすっ飛んでいったんですよ?」

 

「なるほどねぇ〜まっ、起こったことはしゃーねぇ」

 

溜息と共に、隣に居る魔女へ視線を向け、黄色いテープへ歩を進める。

 

「へっ? あの、そっちは警官いますよ?」

 

 中学生の言葉に、霊児は背を向けたまま手を振りつつテープを超えた。

 

「オイ、君? ここは立入禁止だ。さぁ、向こうに行け」

 

 巳堂の前に立ち、手を振って追い出そうとする警官に霊児は肩を竦める。

 

「そんじゃ、マジョ子。証拠隠滅といきますか?」

 

言いつつ喉を抑えながら、発声練習する霊児。

 

「イエッサー、部長」

 

 唇を吊り上げ、右手を高々とあげるマジョ子。

野次馬から警察官、さきほどの中学生がマジョ子の手へ視線を集めた。

 

 

 

バチィン!

 

 

 

指を鳴らした。路地に清々しいほど渇いた音色を響かせたと同時に、視線を向けていた全員――――停止する。思考も動作も――――立つだけの機能を残された人形と化した。

 

「アァ――――テス、テスと・・・・・・・・・」

第五の輪。梵語(サンスクリット)でヴィシュダ・チャクラは、咽喉部にある(チャクラ)を意味する。

コミュニケーション能力を司り、自己表現とクリエイティブ能力が発現する。

マジョ子の催眠術が付加すると、応用として強力な記憶操作も霊児は可能としている。

 

 

「【ここには何も無い】」

 

 

冷静で抑揚の無い声音が、野次馬から警察官まで波紋のように広がる。そして、徐々に一人一人が動きを取り戻していく。このテープの先にいるべき人種は自分のような修羅か、黒ミサの悪魔を従わせる魔女のみである。故にこの先は何も無い。自分達だけである。

ざわざわと何をしていたのか? と、狐に騙されたような表情でKEEP OUTのテープから離れていく。警察官もテープの向こうに行き、中学生も何のために集まっていたのかと、頭を掻きながら踵を返して去った。

 ただ一人――――残ったのは少女だった。

 戸崎晶は去っていく警察官や、野次馬に目を剥いて驚いていた。まったく違った驚愕の表情で、マジョ子は眼を瞬かせて霊児を見上げる。

 

「どうします? 五円玉ならありますよ?」

 

 妙に拘っているな〜と、心中で呟きながら霊児は戸崎晶の額に一瞬、淡く光った幾何学模様の護符(タリスマン)を一瞥し、首を振って歩き始める。それに三歩離れて続くマジョ子。 

 

「無駄だろう。不死身鳥(ガルーダ)護符(タリスマン)で守られている。自動的に魔術を感知して障壁を張るタイプだな。目立たないように魔除け(アムレット)のお守りまであるみたいだ」

 

神殺し(スレイヤー)》の名を出されたマジョ子は、荒々しい舌打ちをする。

 

「じゃ・・・・・・・・・戸崎って・・・・・・? 如月アヤメの関係者?」

 

「じゃないの――――って、睨むなって?」

 

 ギランと刺すように睨むマジョ子に怯えるアキラの姿を見て、霊児は苦笑しながら注意する。

 

「いや・・・・・・その・・・・・・素ですよ?」ほんの少し傷付きつつも、すぐ頭を振る。

 

「って、そうじゃなくて?」

 

 皆まで言わさず、霊児は肩を竦める。

 

「しゃあーないだろ? ここは鬼門街だ。二人揃って真神に騙されているし。そんな真神と肩を並べる不死身鳥(ガルーダ)だ。それに見ただろ? 障壁は魔術を感知した段階で、発動するタイプだ。気付き難いったらありゃしねぇ〜」

 

 騙されていても仕方がないと、肩を竦めていう。だが、魔女のプライドはいたく傷付くものである。

素ではなく、本気で睨み始めるマジョ子に震え始めるアキラ。男勝りの陸上部員はどこにいったのかと思うほどの、怯えようだった。

 

「えぇ〜と? 初めましてだな? オレは巳堂霊児。で、こっちがマジョ子だ。よろしく」と、手を出して握手を求める不良青年に、瞬きしながらおずおずと手を握る。

 

「初めまして・・・・・・・・・戸崎、晶です」

 

「で、アキちゃん? マコっちゃんか、ミコっちゃんがどこにいったか知らない? あぁ〜別々でもいいぜ? どうせ、一緒だと思うしね・・・・・・・・・」

 

「はい。裏路地・・・・・・・・・って?」

 

あれ? アタシ? 初めてあった人に、安着なあだ名で言われている?

 

「裏路地のどこ?」

 

「その先にある裏路地から入ってすぐの廃ビルがアジトだ、そうです。でも・・・・・・・・・」

 

 アタシのあだ名ですかそれ? 簡単すぎじゃないですか?

 

「裏路地の廃ビルって、駅前アーケードの近くかな? アキちゃん?」

 

「いいえ、そこまで詳しくは・・・・・・・・・」

 

 初対面ですよ? そんないきなり、あだ名つけるって? ある意味失礼だと思いますが?

 

「駅前アーケードの近くで間違いないと思います。鬼門を直接操るには位階八か七の魔術師を、一〇人揃える必要があります。霊脈の一本で満足する三下魔術師と見て、ほぼ間違いは無いでしょうね」

 

 アキラが疑問を挟む余地も無く、マジョ子の推測に視線を向けて頷く霊児。

 

「まぁ〜それが妥当だろうな」

 

 言いながらも溜息を吐いて、裏路地へ視線を向けた。

 

「でぇ、マコっちゃんもミコっちゃんもあの奥と・・・・・・・・・」

 

布に包んだ刀を抱えなおす霊児は、晶に背を向けて歩き始める。

 

「チャっチャと終わらせますか」

 

 ポケットに手を突っ込んで拳銃のグリップを確かめたマジョ子も、霊児の後に続く。

 

「あのアタシは?」

 

 振り返った二人はしばしの間、思案して顔を向ける。

 

「アキちゃんは帰った方がいい。何、ミコっちゃん達ならオレらが向かいにいくから」

 

安心出来る確かな微笑みの霊児。その微笑だけであだ名で呼ばれる違和感が消えてしまう。

 

「アタシらに全部任せろ」

 

 惚れ惚れするほど不敵な笑み。精巧に作られたフランス人形と、印象を抱いていたアキラだったが、信頼に値する眼差しにアキラは、胸がときめきそうになった。

 アキラの人生で、こんなに不安で胸が締め付けられそうな時、励ます言葉を掛けられたのは、自分の異母姉とその旦那さん、親友の養母以外に初めてのことといえた。

その感動の気持ちに浸りそう――――――――だったが、そこで、頭を振って気を取り直した。そう、居るだけで圧倒的な存在感の持ち主なら、アキラは別段脅威と思わない。むしろ、尊敬するし、敬意する。だが、そんな人種とまったくの反対に位置する人を思い出してしまう。恐怖と暴力で人心を掌握する人物を。

 

「いいえ・・・・・・・・・違うんです。誠さんを止めてくれますか? 絶対に?」

 

「はぁ?」

 

 絶妙に綺麗なハモりを見せた凸凹コンビの、怪訝とした表情。

 

「だから、誠さんです。あの人、五年前も似たようなことがあってですね、アタシの同級生から六年生の上級生、中学生の男子生徒から、はては教師まで入院させたんですよ」

 

 恐怖のためか歯を鳴らしながら、必死に言うアキラの姿に霊児とマジョ子は、互いの顔を見合わせた。

 

同時刻。廃ビル。

 

「最初からオレがやればすぐ済むことだったが・・・・・・・・・そんなにオレが動くのはまずいのか?」

 

美殊の襟首を掴んで引き摺る浅生は、後ろに続く魔術師の黒岩に声を掛ける。

 

「ええ。あなたは『魔王の魂』と同調している。『悪魔憑き』や『神降ろし』と違い、『獣化現象』の性質を最初からお持ちだ。魂を用い、その『もの』と成る降魔術は、何の魔術知識も無く出来るものではないもの。もっとも、知識や訓練を積もうと『獣化現象』や『邪眼』などは生来。誰もが扱えるものではありません」

 

「回りくどいぞ? つまり何だって言うんだ?」

 

「聖堂異端審問官という、魔術犯罪専門の警察機構が動きます。それに睨まれると、さすがに動きが制限される。何の後ろ盾も無いオレのような魔術師は特に」

 

 なるほどと呟き、浅生は廃ビルの一室。ソファーのみの部屋へ入る前に振り返る。

 

「じゃあ、後でな」

 

「ごゆっくり、お楽しみを」

 

 部屋に入る浅生に、一礼した黒岩は踵を返す。廊下を進み、四階の階段をのぼりながら、唾を吐き棄てた。先ほどの態度を豹変させて歯軋りする。

 

「チィ、ゴマすりも楽じゃないな」

 

 首を回して溜息を吐いた。あんなクソガキに使われている理由は、ここの霊脈を陣地にしている自分の身を守るため。

 

「しかし、この調子なら・・・・・・・・・」

 

 笑いを堪えつつ思案する。霊脈一本だけとは言え、ガートス家や退魔家に関連の無い魔術師なら誰もが飛び付く。

特に暴力世界にいる住人たる序列二位だが、一位の『クラブ』を引き摺り下ろそうと狙っている『トライブ』は、この霊脈の提供に必ず噛み付く。何と言っても、太古に眠る神々と呼ばれた力の流れである。

奴隷時代の吸血鬼達を恨み、その次に退魔家を憎む連中である。たった一つの霊脈とは言え、それを利用して、この地に拠点を築くことが出来れば、邪魔な退魔家を排除した(のち)に、ゆっくりと『クラブ』を片付け、安住の地として鬼門街を使うことも出来る。その組織をスポンサーとする自分は、研究に没頭すればいいだけの話である。取引としても、今後の保証としても申し分は無い。

己の立てた完璧なプランに笑みつつ、階段の最後に踵を下ろした。潰れた会社のフロアを改造した自室のドアを開ける。

部屋は本棚に占拠されていた。廃ビルのワンフロア全てを本棚で埋め尽くし、中央の通路の先に机と椅子がある。

蛍光灯に照らされている黒岩の書斎。しかし、その椅子に我が物顔で占領している人影が視界に入る。

 

「誰だ――――」

 

 長い髪にヘアバンド。黒のレザージャケットを羽織る少女の後ろ姿。しかし、そんなことはどうでもいい。

建物一帯の結界はおろか、この扉は自分以外開けられないように、魔術を施してある。その『開かずの間』に見覚えの無い少女が、ハードカバーの本を積み上げ、次から次へと目を通している。手に入れるのに苦労した魔術書を乱暴な扱いで捲っては放って、次へと目を通していく。

 

「貴様?」

 

 自分の所持品である魔術書を、パラパラと捲っては次の本に目を通す少女に声を掛けるが、少女はまったく耳に入れていない。本を見ながら独り言を呟いていた。

 

「信じられないわ・・・・・・・・・この程度の魔術知識だけで鬼門街に来るなんて」

 

 後ろ姿のまま少女は溜息を吐き、背後に立つ黒岩の存在を無視して本を次々と手に取る。

 

「しかも、全部写本。『黒い雌鳥』って? 漫画の影響? 今時言わないわよ。エロイム、エッサイムなんて・・・・・・・・・うん? 

 

『ヘプタメロン』の、日本語表記って・・・・・・・・・訳した魔術師がマサキ・マガミ? これは欲しいかも――――約一パーセント程度の誤差しかない出さずに訳せる魔術師なんてこの人以外いないし・・・・・・・・・でも、魔術書の訳は自分でやるのが基本で訓練なのに。何度も繰り返し、魔力や呪文の誤差を埋めて、自分の力量を測るものを情けない・・・・・・・・・あっ? 『エノクの書』だわ・・・・・・・・・懐かしいわね・・・・・・・・・」

 

 少女は独り言を呟き、椅子の背もたれに寄りかかって、それらの魔術書を開いて読み耽る。完全に黒岩を無視していた。額に険しい縦皺を刻む。

 

「貴様は誰だと聞いている」

 

舌打ちをして幾分、殺気を込めた声音にようやっと気付いた少女は『ゲマトリア解読手引き書』に伸ばそうとした手を止めて、ゆっくりと回転椅子を回して振り返る。傲慢な態度で、肩に掛かる後ろ髪を払った。

 

「誰? というなら、わたしのセリフよ。あなたは何者?」

 

 机に積まれた本を指差し、鼻で笑う。

 

「鬼門街に住もうとする魔術師なら、ここにある魔術書は写本していて当然よ? 少なくともわたしは小学生で、この『書』はジャポニカに書き写したわよ?」

 

言いながら『エノクの書』とタイトルされた本を持って、ヒラヒラと挑発するように振る。

 

「はぁ? 何の冗談だ?」

 

ありえない。魔術師は様々なタイプが存在するが、唯一の共通性は隠匿である。『魔術書』を書き残すということは、『秘術』の保存。その『秘術』を後継者以外に読ませないためにも、色々と細工も施される。その細工を解呪するために魔術知識もそうだが、魔術師としての位階も高くなければならない。

 

「ここにある本の――――ほとんどを?」

 

己の本棚を見渡しながら呟く。

『魔術書』事態が本の所持者を選ぶ。魔術書は読むのも所持するのも、高い位階を意味する。そのため、黒岩が仕入れてきた魔術書の大半は他の魔術師が訳した書。つまり、位階が低くても読めるように手が施されている写本。その写本を少女が出来るといっているのだ。

 

「写本しただと? 笑えない冗談だ」鼻を鳴らして肩を竦める。黒岩の薄ら笑いに、少女は舌打ちする。出来の悪い生徒を見下す教師の態度と、同じだ。

 

「まったく。浅生を裏で操る小物らしいわね? お約束すぎて笑えない冗談よ」

 

 少女は頭を抱えながら呟き、目を細めた。

絶対零度の瞳の中にある『何』か。それとモロに目を合わせてしまった黒岩の身体が、恐怖に震えた。内側にいる堕天使クロセルすら戦慄し、並々ならない警告を発する。

 

「巳堂の牽制用に『植え付けた』けど、とんだ邪魔をしてくれたわね?」

 

 何を言っている? この娘は?

 

「相性のいい性根と属性を持つ浅生は、ちょうど良かったわ。『噛ませ犬』として」

 

黒岩の脳裡に、浅生とのやり取りが蘇る。

 

――――お前は本当に魔術師か?

 

――――あの女魔術師の話ですか?

 

目の前でゆっくりと立ち上がる十代の娘。たしかに女だ。だが、『少女』とは念頭になかった。

二度対峙したあの真神の退魔師は、位階としても自分よりも上だったが、駆け引きのモロさがあった。容易く逆上し、付け入る隙もある。だが、この目の前にしている少女は、そんな駆け引きが通じる相手ではない。浅生の言う通りなら、自分とはもう舞台(ステージ)が違う。『魔王の魂』を従わせるなど、(ティフェレト)の実力は確実にある。

 

「あなたのような小物が飼うには、高価過ぎる犬よ。精々雑種にしておけばよかったのに。まぁ異端審問官対策としてなら、いい番犬になるわね」

 

 ――――達人(アデプト)にオレは出会った事がありません。居るとしても、末端たるオレと比べないで欲しい。

 

「無駄に知恵が回る小物ほど、目障りなものは無いわ。とりあえず消えて・・・・・・・・・もらうけど? どうしたの? 抵抗する時間くらいは、あげるけど?」

 

 緊張しているの? と、聞いてくる少女。完全に見下し切った態度である。

 

「【貴様!】」

 

およそ、人の喉から発せられない怒声。それと共に今まで一度も成功したことの無い氷の剣を現顕(げんけい)し、少女の脳天目掛けて振り落とす。が、少女の頭に触れた瞬間、決して解けないはずの剣が蒸発して消え去った。

 

「何・・・・・・・・・それってギャグかしら?」

 

黒岩の背で灰色の翼を広げる銀髪を、冷厳な瞳で窺う。

 

「魔術師なのに使役や契約でもなく、操られている? 低レベル過ぎよ」

 

乱れた髪を手櫛で整え、睥睨する。

そして、その瞳に宿る『何か』に、クロセルは気付いた。一二枚の翼を誇らしげに広げた、創造主に告ぐ力を持つ存在を。

 

「【わぁぁぁあ!】」

 

 悲鳴と同時に、本棚だらけの部屋が一変する。上下全てが白に塗り潰されるホワイトアウト。肌を切り刻むようなブリザードの中、少女は感心したように頷いた。

 

「幻覚としては・・・・・・・・・まあまあね」

 

呟きと同時、真っ白な雪原に一歩踏み入れた。彼女が踏み入れた足を中心に、『現実』が浸食する。音も無く雪原から薄暗い本棚の部屋へと、ビデオの巻戻しよりも味気なく消え去った。

 

「もう抵抗は終わり?」

 

天井にいまだ吹雪模様の空を残しつつも、少女は歩を進める。部屋の出入り口で、体当たりや開けてくれと連呼して、ドアノブを懸命に回している黒岩の背へ、ゆっくりと。ことさら踵を鳴らして。

 

「無駄よ。ここの術式はわたしが書き換えたわ。わたし以外に開けられない」

 

 銀髪の堕天使が、翼を広げて幾万という氷の短剣を現顕し、音速の速度で投擲するが、瞬間に少女の背に居る者の翼が払う。それも一振りで。

 

「安心して、殺さないわ」

 

 美しい顔に相応しい笑顔と声音に、黒岩は恐慌しながらも振り返る。そして、黒岩の精神はレッドゾーンを振り切ってしまう。

 少女の背に居る者を見た。

一筋の雷と共に、地獄に叩き落された魔王。かつては神の右側にいた熾天使だった。

十二の翼は、折れた先が悪魔的なフォルムを持つ雷が放電し、眩しさすらある巨人の美貌。だが睥睨し、価値の無き者と見下す眼には容赦が無い。悲鳴すらも、許してはいない。

 

「ただ、その堕天使をあなたから引き剥がすわ。ほら、これならあなたは死なないわ」

 

 手を叩く少女の動作と同時に、クロセルと黒岩の頭を掴む魔王。

 

「まぁ、死ななくても廃人だけどね」

 

 瞬間、聞くに堪えない絶叫だった。その断末魔に顔を顰め、耳を塞ぎながら引き剥がす作業を続行する少女。クロセルの下半身が黒岩の身体からでてきた頃には失禁していた。そこから悲鳴が無くなり、渇いた笑みが響き始める。

ロボトミー手術のように思考能力は低下の意図を辿る。それはいい事だと頷き、一気に引き剥がした。

 大柄な身体が尻餅をついてドアへ背を預けた。灰色の堕天使は、絶望的な表情を最後に魔王の手の中で握り潰される。一仕事を終えた満足げな笑みを零す

 

「さて、帰ろうかな」

 

指を鳴らして術式を解くと、ドアへもたれた黒岩の体重で開いた。倒れた黒岩の横を通って階段を降りる際、踊り場の窓から白と黒の弾丸が視界に入った。黒岩の術式が全て解呪されたおかげで、結界の効力が消えたのだ。自分と同じく『何か』を宿した存在が、今まで迷っていた時間を取り戻すかのように突っ込んでいった。

それを見て、知らずに笑みが零れる。湖のような双眸に隠された『モノ』。その正体が垣間見られるかもしれない。

 

「ほんの少しは面白そうね」

 

 悪戯好き少女は、年相応に目を輝かせ、ステップしながら階段をおりていった。

 

 

 

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