5月15日 Black Monday
神話になるような恋をしないか?
こんにちは、KENです。
なんか書きたい日なので書きます。
念を押して言いますが、他にすることがないわけじゃないからねっ!
唐突な話だけど、”楽しい”っていうのは人それぞれなんだと思う。
どうしてこんな事を書こうと思ったか、そこから書き綴ろうか。
あれは・・・そう、10分ぐらい前の出来事。
インターネットという名の銀河にも匹敵する広大な電子の海を、僅かな勇気と不安よりも大きな好奇心を胸に泳いでいると、
(ネットサーフィンしていると)
「日々の楽しい事を書いてるから見てねっ☆」
とか何とかそんな感じの紹介文が書かれたホームページを見つけた。
この場合、管理人と言うべきなのだろうか、その人には申し訳ないが楽しいとは感じられなかった。
別に、その人の人生を否定している訳ではない。
逆の立場なら、同じ事を言われるのは目に見えている。
自分にとっては”楽しい”と思えたことが、必ずしも他人にとって”楽しい”と感じることはないからだ。
それは、当然の事であり何も不思議なことではない。
その日に起こったの全てを細かく書く事などできない(中にはいるかもしれないが)から、選ばざるを得ない。
日記なんていうものは、在りえる日常の記録であり、ただの自己満足な文章でしかない。
それなら、
”楽シイ"ッテ何?
大切な人と一緒にいる時?
友達と遊んでいる時?
趣味に没頭している時?
何かが充実した時?
臭い台詞ではあるが、その答えは人の数だけあるのだろう。
僕の”楽しい”と、これを見ているアナタの”楽しい”は、似ている処があっても違う。
自分は自分でしかなく、アナタはアナタだからだ。
僕の場合、
惰性で過ごしてきた20年間に楽しいと感じた事は、ほんの僅かな時間しかない。
青春という名の一時の輝きも無ければ、友と夜通しで語り明かせるほどの夢も無い。
やりたい事も、命を賭けて守るべき人も無い。
もしかしたら、最初から何も無いのかもしれない。
だが、そのような日々を、このような自分を今を、呪った事も無ければ嫌になった事も無い。
それがアタリマエだったから。
アタリマエに満足している自分もいれば、変わりたいと思う自分もいる。
切欠を待っているだけの人生にどれだけの”楽しみ”があるのだろうか。
それを知るのは、終わりの時なんだろう。
話を少し変えて、
何故、人は楽しい話や面白い話を書くのだろうか。
答えは簡単で、きっと、
暗い話なんて書いていて(見ていて)つまらないからだ。
他の人はどうか解らないが、少なくても僕はそうだ。
書かないのは、辛い現実から逃げているだけのかもしれない。
誰かの同情が欲しいわけじゃない。
そもそも、可哀想と思われるのは嫌いだ。
最初に伝えるべきは、助けになってくれる人達だから。
幸いにも、僕には友と呼べる人たちも、家族もいる。
手順というのは適切な言い方ではないかもしれないが、伝えなければならない事があれば、書く必要があるだろう。
そういう話を書かないのは、こういう理由があるからなのかもしれない。
さて、ここまで書いて自分の話に矛盾が起きているような気がしてきた。
この話は、”楽しい”とは言えないな。
この話どころか、大抵の日は・・・まあ・・・、うん、ね?
曖昧と矛盾が支配するこの世界で、僕は思う。
”楽しい”事を共有できるのは良い事で、少しでもこの繋がりが広がれば、良いんじゃないかなぁ。
というお話でした。
因みに、最近の楽しみは、
フィギュアを斜め45度から覗き見る事ですっ☆(最低