私がSMで最も大切だと考えているのはお互いの方向性や嗜好が合致するかどうか。ただそれだけです。

*SMの主従関係

主と決めた男性が行う行為なら全てに耐えて、どんな事でも悦びと感じる事が出来るというのが本当のM女性、と考えられていますが、Mではあっても自身の限界を超えた行為や、生理的に受け付けられない行為までは望まないというM女性がいらっしゃるのも事実だと思いますし、その事でM性を問われるべきでは無いと私は思います。受けた行為が羞恥心を刺激し、さらに悦びを感じられればいいのですが、受けた行為がそのまま苦痛としか感じず、苦痛が快感に変わらないのなら無意味な事だと私は思っています。主従関係での上下関係は有りますが人間としては平等であり、主が従の人格や人権まで蹂躙する権利は無いと私は考えています。

従が主に対して命令を拒否したり、要求をしたり主張もする。それを主が受け入れたり話し合っていける。その中で主従関係が築けたらと思います。

*精神的支配

勿論、この事が主従関係である、精神的な支配で主に服従している、と実感しなくなる危険も有ります。主の精神的支配が強過ぎると、M女性は元々、主に対して控え目な性格な方が多いのに、それ以上に自分の考えを伝える事に遠慮して控えるだろうし、精神的支配を弱めると主従関係自体が崩壊する危険が有るのですが、この課題と関連しているのが、主従関係と、時には主に甘えたい従の気持ちを、どう理解してあげるかです。

以前の私は厳しいだけが主だと思っていました
でも私は従に厳しい時も多いですが、時には従が主に甘えても良いと考えています。
重要な事は、調教時はお互いに会い、主従関係や精神的な支配を確認しあう事が出来ますが、調教時以外の普通の生活を、お互い過ごす方がはるかに時間が長いのですから、その時間もいかにお互いが精神的に支配し、支配されているか感じれるかが、大切と思います。

M女性をただ虐めて自分の欲望だけに終始する自称Sが多い様ですが、私は貴女が普段の生活で、職場や彼、友達にまで、自分の心を偽り、自分でも気がつかない内にストレスを溜めてしまい、その疲れた心を癒す為に、自然と心が開放を求めているのだと思います。貴女が心の奥底に閉じ込めた本能を開放したい事に貴女自身が気が付き、開放出来る様にお手伝いしたいので、私は、貴女が精神的にも肉体的にも満たされる様に調教の時も常に貴女を思いやる気持ちを心がけています。お互い、時間が許せば調教後に食事をしながら恋人気分に浸る事も現実に有ります。

*奉仕と命令

自主的に主にしてあげたいと思う奉仕と、主に命令されての奉仕では、行為は同じでも、まったく違うものです。命令される事に喜びを感じての奉仕の場合も、主を喜ばせたい奉仕の気持ちでの行為ですから、自主的な奉仕と同じ、奉仕の精神から出る行為と思います。お互いが相手を思いやる、この関係はSMの主従関係に限らず社会生活や人間関係にも言える大切な事だと思います。

SMの世界に長く身を置く者として感じるのは、SMは、SもMも100人居れば100通りの形があります。精神的に支配してしまうような深いものから、羞恥系、快感系、痛い系、露出系・汚い系、など色々有ります。SMの世界は関心の無い人達が表面だけ見れば、主が従を拘束して苦痛を与える姿は一般常識からは犯罪行為だし、その苦痛を喜びに感じる姿は異常にしか映らないでしょう。しかし自分の性癖と合う方と巡り合い、自分にあったSMを自分と同じSMの考えのパートナーと事前の同意の上でのプレイであれば、たとえどんなプレイであれお互いが幸せになれるのです。

今までは、身体は濡れても、心までは濡れる事が無かったのですが、トシさまの調教を受けてM性が開放され、初めて心まで濡れる事の意味が判りました。
この言葉は、私の調教を受けた後、しばらく抱きしめられて、意識が違う世界から現実に戻った時に、私に、ふと漏らした女性の言葉です。
貴女も、この女性の言葉が理解出来る様になりたいと思いませんか?


     サイト管理者  トシ    

トップ アイコントップへ戻る