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 雪

「お前は窓から入って来たような奴だ」

 修道院長はそう言ってしばしば僕を叱る。勿論言葉通りの意味ではない。そう思う。言うまでもなくこの国の慣用句としての「礼儀作法を知らない者。だらしない者」の意味として修道院長は言っているのだろう。確かに僕は礼儀作法を知らないし、だらしない。朝起きたくなければいつまでも寝ている。聖典講義の時間にはしょっちゅう遅刻する。作法に従ったお辞儀の仕方がいまだに出来ない。部屋の掃除はしない。

 その日もいきなり修道院長のビンタが飛んできた。

「どうしてですか」

 僕は抗議した。

「食事の時には喋ってはいけない。お前が喋るから他の者も迷惑する」

「納得できません。確かに遅刻したり掃除をしなかったりしたら他の人に迷惑がかかりますけど、食事の時に喋るのは人を楽しくさせることです。実際にみんなも僕の話を聞いて楽しんで笑っていたではないですか」

 僕は周りを見回した。さっきまで僕の話を聞いて笑っていた同期の見習い修道士達は、そそくさと目をそらす。

「食事の時に喋ってはいけない。それは聖なる作法書に書かれてあることであり、またそれがこの修道院の作法だ。お前が作法を破るから、他にも作法を破る者が出てくるのだ。お前の行為は他の者の迷惑になっている。何か言いたいことはあるか」

 修道院長を睨みつけている僕の耳には、ただただ規則正しく動くナイフとフォークの音だけが聞こえてくる。悲しくなって泣いた。

 そうなのだ。いつだって僕は一人ぼっちだった。僕の味方をしてくれる人はここには居ないのだ。僕を面白がる人はいても、助けてくれる人はいないのだ。

「お前は窓から入ってきたような奴だ」

 教務部長もそう言って僕を叱る。ただ、教務部長の場合はもう少し別の意味が混じっているような気がする。教務部長はそう言う人だ。古い言葉を良く知っているのだ。だから教務部長の言う「窓から入ってきたような奴」には、この慣用句の持つ古い意味が混じっているような気がする。つまり、「たまたま本家に一緒に住むことになった非嫡出子」という意味が。

 教務部長がそう言うのもある意味当然かも知れない。何しろ僕は、聖典講義の時間の最初にこう言ったのだから。

「でも、どうして人は神を崇拝しなければいけないのですか」

 僕のこの言葉に教室は凍り付いたが、教務部長は怒らなかった。怒る代わりに笑った。その笑い顔を僕が忘れることは生涯有り得ないだろう。威圧するような笑顔。教務部長は知っているのだ。神を否定する言葉にどのようなものがあるのかを。そしてそれらの言葉にどのように反論すればよいのかを。教務部長は全て知っているのだ。だから僕が何を言おうが教務部長は怒らない。ただ嘲るだけだった。

「なぜ神を崇拝しなければならないかと言うとだね」教務部長はゆっくりと言葉を紡ぎ出す。「それが人として自然なことだからだ。

考えてみなさい。人以外のものが神を崇拝することがあるかね?犬や猫や牛や馬や鳥や魚が神を崇拝しているのを見たことがあるかね?神を崇拝することが出来るのは人だけだ。人間だけに与えられた特権なのだよ。鳥や獣のレベルまで落ちたければ、神を崇拝するのをやめなさい」

 僕は反論できなかった。でも納得もできなかったし、いまだに納得できない。だから僕は「窓から入ってきた奴」なのだ。聖典講義の時間のこの事件があったせいかどうか、それとも本来僕が「窓から入ってきた者」であるからなのか、或いはただ単に僕の僻みだけなのか、僕はこの修道院の中で居辛い思いをしていた。例えば聖典講義の教室では僕の席は一番後だった。僕の背のこの低さにもかかわらず一番後であり、このことはもう何年も変わっていなかった。寝室は一番北側で、冬の寒さと夏の湿気は耐え難かった。食堂で食事を受け取るときも僕が一番最後だった。しかも、食器も僕だけ違っていた。他の見習い修道士達は、綺麗な金線で飾られた銀のお皿と銀のお椀なのに、僕だけは汚い紐のついた木のお皿が二つあるだけだった。しかも真っ平らのお皿なので、食べ物を盛ってもすぐ零れるし、勿論汁物をよそうなんてことは不可能だった。このことで僕は一度、食堂のおばちゃんに抗議したことがある。

「そう言われてもねえ」おばちゃんは困った顔を見せて言った。「修道士さん達の食器は、みんな、ここに入るときに自分で持ってこられた物だからね。あんただって、その木のお皿を自分で持ってきたんだよ」

 ショックだった。そんなこと全然記憶に残っていなかったのだから。この時に至って僕は初めて自分の記憶を辿る必要を感じた。僕は何故こんな木のお皿を持ってここに入ったのだ?どうしてお椀も持ってこなかったのだ?いや、そんなことより何より、どうして僕はこの修道院に入ったのだ。どういう理由とどういう経緯でこの修道院に入ったのだ。全然思い出せない。私物の中に何か手がかりがないかと探してみたが見あたらない。当然かも知れない。僕はだらしない人間なのだ。日記なんか付けていないし、掃除もしないから物もすぐになくしてしまう。見つからないが故に一層知りたくなる。僕はどうしてこの修道院に入ったのだ?そして僕は一つの仮説を立てた。

「僕は窓から入った奴なのだ」

 もちろん一つには「正当な方法で入らなかった者」という意味で。どう考えても神の言葉を知り神に仕えたいが為に僕がこの修道院に入ったということはありえない。だから何か他の目的で入ったのだ。その目的が分かれば、僕が修道院に入った経緯も分かるだろう。目的を思い出そう。

「僕は窓から入った奴なのだ」

 そしてもう一つは文字通りの意味で。というのは、玄関に僕の靴がないからだ。

 この修道院の玄関には僕を除く全員の靴がきちんと揃えられている。修道院の指導者や修道士達は時々その靴を履いて、托鉢や買い物や、またある時はカラオケやボーリングに行ったりするのだが、靴のない僕にはそれが出来ない。この修道院に入ってからというもの、一度として外の世界に出たことがない。だから僕は思うのだ。僕はどこかの窓からこの修道院に入ったのだと。玄関から入ることを断られた僕は、こっそりとどこかの窓からこの修道院に入った。そして僕の靴は未だにその入った窓の下に置かれているのだと。入ってきた窓を探さねばならない。その窓の下にあるはずの僕の靴を探さねばならない。そうしないと僕は一生この修道院から出られないのだ。一生あの修道院長と教務部長の顔を見ながら生活しなければならないのだ。耐えられない!何としても探し出さなければならなかった。

 他の修道士達が托鉢に出ているときは大きなチャンスだった。托鉢の前の晩に僕は必死で記憶を辿り、その結果に基づいて、托鉢で人が居ないときに修道院の中を探す。ある時は最上階の部屋を探してみた。というのは、非常階段を伝って中に入ったのではないかという気がしたからだ。非常階段を上って最上階まで行き、そこから中に入ったという記憶が無いでもない気がしたからだ。最上階の部屋に寝泊まりしている修道士達が托鉢に行っている間に、その部屋を探してみた。しかし見つからなかった。ある時は、厨房を探してみた。というのは、食堂のおばちゃんの買い物籠に隠れて修道院に入ったようにも思われたからだ。そこでおばちゃんが買い物に出ている隙に厨房を探してみた。しかしそこにも僕の靴はなかった。そうやって幾度か靴を探してみたが、そうやっている内に決定的なことに気づいた。僕は自分の靴がどんな靴だったか覚えていない!それがどんな色だったのか。短靴だったのか長靴だったのか。それすらも覚えていない。

 僕は靴を探すのをあきらめた。

 僕は覚悟した。もうこの修道院から出ることは出来ないのだ。そうであるなら、せめてここでの生活を快適なものにしよう。みんなを楽しませることによって、自分も楽しむようにしよう。そう覚悟を決めた矢先のことだった。

 修道院長は僕にビンタを飛ばした。

「食事中に喋ってはいけない」修道院長は、口から泡を飛ばしながら説教する。「食事は静かに摂らなければならない。食事というのは本来体を養う為だけに存在するのだ。食事が快楽であってはならない。凡人は食事を快楽とする。しかし食事の快楽とは所詮肉体的快楽に過ぎない。肉体的快楽は所詮レベルの低い快楽だ。我々はそれより高次の快楽、つまり精神的な快楽をめざさねばならない。お前一人が肉体的な快楽のレベルに堕落するのは勝手だが、他のものまで道連れにするのは迷惑だ」

「納得できません」僕はあくまで食い下がった。「人を楽しませることがどうして堕落なのですか」

「そのような快楽は肉体的な快楽だからだ」

「納得できません。人の話を聞いて楽しむのは精神的な活動なのではないですか」

 もう一度修道院長のビンタが飛びかけたが、教務部長がそれを止めた。

「まあまあ、そう居丈高に言っても彼には理解できないでしょう。ここは私に任せて下さい」

 教務部長はそう言って僕に向き直った。その顔には優しい笑みが浮かんでいる。そう、あの、人を威圧するような優しい優しい微笑みが。

「どうして食事中に喋ってはいけないかだって?それは神が人間をそのようにお造りになられたからだよ。考えても見なさい。食事を摂るのも口。喋るのも口。ということは、人間は食事を摂りながら喋ることはできないように造られているのだよ。神は、食事を摂りながら喋ることが悪だと思われたからこそ、食事を摂りながら喋ることが出来ないような体の構造に、人間をお造りになられたのだ。もし神が、食事を摂りながら喋ることを善とされたなら、そのような体の構造に人間を造られたことだろう。例えば、口で喋るのではなくて、屁を使ってお尻で喋るようにするとか。さて、何か質問はあるかね」

 周りにいた見習い修道士達が一斉にくすくすと口の中で笑い出す声が聞こえた。彼らは何に笑っているのだろう。教務部長の話に笑っているのだろうか。それとも、教務部長に言い込められてたじたじになっている僕を嘲っているのだろうか。悔しくなって僕は泣き出した。涙が落ちる。僕が自分で持ってきたと言われている木のお皿の上に落ちる。周囲の見習い修道士達の嘲りの声が一段と増してくる。後から後から幾粒もの涙が木のお皿の上に落ちる。落ちて、涙はお皿の上に残っていたソースを流していった。そしてその様子を見るとも無しに見ていた僕は、突然思い出した。

 そう、全てを思い出したのだ。ここに来た経緯も、どこから入ってきたのかも。そう、思い出したのだ。この修道院に入った目的も。僕は確かに神の言葉を聞くためにここに来たのだ。ただ、求めている物がここに無かったと言うだけに過ぎない。僕は顔を上げて教務部長の目を見た。

「どうして食事中に喋るのが善であるかと言えばですね」一語一語噛みしめながら言う。「それが人間として自然なことだからです」

 僕はそこで一回息継ぎをした。教務部長の目の瞳孔が開いていくのがはっきりと見て取れた。

 言葉を続ける。

「考えても見て下さい。人以外のものが食べているときに喋ることがありますか。例えば小鳥は美しい声を使って、お互いに仲間どうして愛の言葉を交わしあいます。しかしその小鳥でさえ、餌を摂っている時に囀ることはありません。食べているときは、あたかも周りに自分の仲間がいるのを忘れているかのようにただ黙々と餌を食べます。例えば狼は、その吠え声を利用して意志疎通を取り合い、チームを組んで自分より大きな鹿を仕留めます。しかし仕留めた後でその鹿を食べるときは、あたかもお互いが仇同士であるかのような態度をとります。人間だけが食事をしながら喋るのです。人間だけが、食事を摂ることの出来る幸福感をお互いで分かち合うために、食事中に喋ることが出来るのです。食べながら喋ることの出来ない体の造りになっているのは人間ではありません。動物なのです。人間とは、たとえ体の構造上食べる器官と喋る器官が同じであっても、食べながら喋ろうと努力を続けてきた存在なのです。食べながら喋るのは人間だけに許された特権なのです。小鳥や狼のレベルまで落ちたければ、食事中に黙っていることです」

 修道院長も教務部長も他の修道士達も何も言い返してこないので、僕はもう一言付け加えた。

「神は、人間によって崇拝されるために存在するのではありません。食事中に人間とお喋りをするために存在するのです」

 それだけ言えば、もうここに長居する理由はなかった。僕は二つの木のお皿の上に残った料理をまず平らげた。(なにしろ捨ててしまうのはもったいないから。)それから木のお皿をナプキンで丁寧に拭いた。すっかりお皿の上がきれいになると、お皿についている紐を引っ張ってみて切れないか確認した。大丈夫だった。お皿にはそれぞれ二本ずつ紐がついている。ちょうど「ヘ」の字形に取り付けられているその頂点の部分を、僕は自分の足の親指と人差し指の間に挟んだ。そう、僕ははっきり思い出したのだ。僕は間違いなくこの修道院に正面玄関から入ってきたのだ。木のサンダルを履いて。

 修道院にいる間に僕の足が成長したのか、サンダルは少し窮屈だったが、歩くのには支障はないようだった。僕は歩き出した。食堂のドアを抜けて、正面玄関を抜けて、久しぶりに修道院の外の土を踏んだ。そこから正門をめざして歩いて行く。

 夕暮れ近い空から雪が降り始めていた。

               終わり