燕
「あっ、コウモリだ。知っている?コウモリって、益獣なんだよ」
私が車椅子を押してあげていると、シーラが言いました。言ってからもシーラは、空中を軽やかに飛び回るそれを楽しそうに目で追っています。
(飛行パターンから判断したんだな)
私は思いました。昔からシーラはそうでした。私は子供時代の一時期、親の仕事の都合で山間の小さな村に住んでいたことがありました。その時に知り合ったのがシーラで、結果的には私の人生で一番大事なパートナーになったのですが、子供時代にはまさかそんなことは思いもせず、一緒に良く山や川に行って遊んでいました。そのころからシーラはよく言っていたのです。「あっ、今そこをカナブンが飛んでいった」とか「あっ、向こうの山のあんな所に木槿が咲いている。知らなかったよ」とか。私はシーラの目の良さに驚嘆したものでした。そして、学校の健康診断で、シーラの視力が実は私より悪かったのだと知って、もう一度驚いたものです。
「大体は分かるよ」
私が尋ねると、シーラは平然と答えたものでした。
「花の場合は、咲いている場所(平地か崖かなんか)と、木の姿、花の色、季節なんかでだいたい分かる。飛んでいる虫の場合は飛行パターンで分かる。そりゃそうだろ。いくらボクの視力が良くても、一瞬目の前をよぎった小さな虫の姿を見分けるなんて出来ないよ。ボクが飛んでいる虫を見分けるのは、飛行パターンなんだよ。フラフラ飛んでいたら蝶々。それも、日向を飛んでいるか日陰を飛んでいるか、高く飛んでいるか低く飛んでいるか、回りの植物は何かで、種類も大体分かる。そして、スーッと飛んでいったらトンボ。ワチャワチャ飛んでいったらカブトムシかクワガタ。ドッコラと飛んでいったら蝉。大体分かるよ。でもね、キミだけに言うんだけど、実はボクにも分かりにくいものがあるんだ……」
と、そこまで進んでいた私の回想は突然断ち切られました。看護婦さんが私の名前を呼んだからです。私はシーラに一声掛けてから、車椅子から手を離しました。
「いいよ、行ってきて。コウモリが飛ぶのを見ているのって楽しいもん」
シーラは気楽に言ってくれました。私は清潔に掃除された庭の石畳を小走りに、病棟のテラス窓に向かいました。そこで待っていた看護婦さんから、薬を渡されます。
「はい、おじいちゃん」まだ若い見習い看護婦は私のことをそう呼びます。そう言えば、私はもう彼女の祖父に当たる年齢なのかも知れません。私自身はもう二十年近くも時計が動いていないのですが。「はい、おじいちゃん。これがおばあちゃんの今夜の分のお薬」
私は、シーラが今夜飲むべき薬を、しっかりと握りしめます。
「でも、おじいちゃん達って仲いいんですね。あたしも年取ったらそんな風になりたいなー。おじいちゃん達って、もう結婚して長いんでしょ」
「いや、まだ去年籍を入れたところだよ」
私が言うと看護婦は目を丸くしました。
「ほら、この前の内戦とか何かでね」
私がそう説明すると、それで彼女は納得したようでした。
「ふーん、いわゆる『波瀾万丈の人生』ってやつですね。今度また聞かせてくださいね」
言って立ち去った看護婦の後ろ姿を見ながら私は思いました。恐らく彼女は今度会っても私とシーラの人生について尋ねたりはしないだろう、と。それでいいのです。こんな老人の人生を聞くよりも大切なことが彼女にはあるのですから。
彼女の年齢からして、二十数年前の革命の事は知らないでしょう。親から話を聞いているだけに違いありません。だから、彼女が毎日「おばあちゃん、おばあちゃん」と親しんで世話している女性が、稀代の旅行家にして天才詩人、そしてなによりも先の革命におけるカリスマ的存在であった、シーラ・カトゥンディヨーであるなど知りはしないでしょう。そして二十数年前に、当時の独裁者を批判する詩を多数書いたために投獄されたシーラに対する死刑執行命令書にサインしたときの法務大臣が、他ならぬこの私であることも知らないでしょう。奇しくも死刑執行の前夜に起こったクーデターのために、シーラが一命を取り留めたことも。その後、革命政権によって、独裁政権幹部として逮捕された私を、シーラが懸命に庇ってくれたことも。革命の女神としての地位から、独裁者の眷属として弾圧されてしまうかも知れないのに、必死で庇ってくれたことも。結局、囚人に対する温厚すぎる態度によって実は独裁者から煙たがられていた私が、もし革命が起きていなかったら近々粛清されていたであろうと云う文書が見つかったために、辛うじて革命政権からの死刑を免れたことも。その後、法律に関する知識を買われて、私が革命政権の法律整備に尽力したことも。その間、旧独裁政権の残党から、「裏切り者」として何度か命を狙われたことも。そのたびにシーラが、革命政権首班に掛け合い、最後には文字通り取っ組み合いの喧嘩までして、私に専属の警備員を付けさせてくれたことも。但しその後、シーラは公的な場面では常に、革命政権首班を支持する発言をしていたことも。政治力はあったが国民的人気はなかった革命政権首班と、国民的人気はあったが政治力が無かったシーラとの協力によって、この国が取り敢えず針路を一定に保つことが出来、今では平和で繁栄した国になっていることも。
二十数年前に、取り敢えずこの国の法体系の整備を終えた私は僅かな年金を得ることを見返りとして、退職しました。まだ四十歳を出たところでした。それから私は首都の裏町の小さなアパートを借りて生活していました。そのアパートの誰も、私が独裁政権の幹部であったことも、また革命政権の法律顧問であったことも知りませんでした。ただ、何も仕事をしていないのに生活できる変なおっさんとは見られていたようです。この頃の私は限りなく閑でした。家族はいませんでした。両親はとうに死んでいましたし、独裁者の娘であった妻は、革命政権によって死刑にされていました。子供はいませんでした。友達や親戚はいましたが、こんなややこしい人間とつき合おうという奇特な仁はいませんでした。私は退屈を紛らわせるために、詩を習おうとしたり、絵を習おうとしたりしましたが、芸術を習うには既に年を取りすぎていました。
そんな私の生活を変えたのは、一年前に見た、とある新聞のベタ記事でした。そこには、シーラ・カトゥンディヨーが、首都のとある病院に入院していると書かれてありました。(ベタ記事だったのは、その頃にはシーラは政治の世界からは完全に消えていましたし、詩も全然書いていなかったからです。)私は矢も楯もたまらず、その病院に駆けつけました。シーラは、幼なじみとして私を温かく迎えてくれました。私は毎日シーラを見舞いました。それで恐らく、主治医も私をシーラの親族と思ったのでしょう。本当のことを話してくれました。シーラは恐らくあと数年の命しか無いと。独裁政権時代の投獄生活が体に大きな負担を掛けたに違いない。若い頃ならまだ、それも乗り越えてこられたのだが、この年になってそれが、一気に症状に現れてきている。恐らく数年のうちに末梢部分から機能不全に陥って行き、遂には死に至るであろう、と。
それからというもの、以前にもまして私は、シーラの看護に懸命になるようになったのでした。
「ほら、シーラ、今夜飲む分の薬」
車椅子に戻った私は、薬の袋をシーラに差し出しました。シーラは右手で何度か虚空を掴んでからやっと、薬の袋を受け取りました。
「嫌だなあ、あの苦い薬があるんだろう」
「我慢して飲まなきゃ」
「キミは飲まないで良いからそんな気楽なことが言えるんだよ。あの薬の不味さといったら、そりゃあ殺人的だよ」
私が軽く笑って、そしてそれから暫く会話が途切れました。シーラは空を見ています。
「あのね」シーラが口を切りました。「実はキミにだけ言うんだけど、昔からボク、コウモリと燕の飛行パターンが見分けられないんだ。どちらも急速転回をするし、翼の使い方も似ているんだ。大きさもほとんど同じぐらいだし。だからボクは、時間帯で燕とコウモリを分けているんだ。昼間にあの飛行パターンを見たら燕、暗い夜に見たらコウモリってね。
ねえ知っている?コウモリってこの国ではイメージが悪いけど。例えば悪魔の使いとして民話に描かれたり、日和見をする奴を『コウモリ主義』って言ったりして。でもそんなふうにイメージは悪いけど、コウモリって実は益獣なんだよ。蚊や羽虫などの害虫を食べてくれる益獣なんだよ。まあ、世界の中では南米のチスイコウモリみたいな害獣もいるけど、この国では益獣なんだ」
「ねえシーラ」私は話題を変えたくなりました。「一時期僕は詩を習ってたんだ。結局巧くは成れなかったけどね。それでも鑑賞力は身に付いたよ。だから君の詩の良さは分かる。特に、ああ、なんていうタイトルの詩の一部だったかな、君の初期の時代の詩だよ。その詩の
それでも僕は生きていける
友がいるから、希望があるから
この言葉は、思い出すたびに勇気づけられるんだ」
「ハハハ。誉めてくれて有り難う。じゃあボクもキミを誉めてあげよう。キミが法務大臣だった二十五年前に作った法律。『死刑を執行するに当たっては、所轄大臣が当該死刑囚に必ず面接すること』はヒットだよ。当たり前の話として、どんな極悪人だって、ゴキブリをスリッパで叩きつぶす感覚で死刑にされてはならないんだ。でもその法律の第一号適用者がボクだったなんてね」
シーラに言われて、私は不器用に笑いました。
「何を笑っているんだい」
「初めてだよ。六十年以上生きてきて君に誉められたのは。あつ、そうだ、村に帰ろうよ。泣き虫ポンとその五人の子供に会いに行こう。もう花も過ぎて綿も飛んでいってしまっているだろうけど、畦に残っているタンポポの葉っぱを見に行こう。アララ兄さんの描いた教会の壁画を見に行こう。そして夜になれば一晩中夜鳴き蝉の声を聞こうじゃないか。君が初めて見つけたあの崖の木槿を見に行こう」
「それはいいね」シーラははち切れんばかりの笑顔で私に振り向きました。「そうだよ、村に帰ればまた詩が書けるようになるかも知れないし。二十数年ぶりに。あっ、でも旅行は君がアレンジしてくれよ。もうボクは、切符を買う申込用紙のあの小さな文字を読むのが苦手なんだ」
「いいとも」
「有り難う。じゃあそのお返しとして、もしキミが持病の腰痛を再発したら、この車椅子に座ればいい。ボクが押してあげるよ」
私達は笑い合いました。それから二人とも目を上げて、空を飛ぶあの動物を飽きもせずにずっと見ていました。新緑の眩しい五月の午後五時の空を舞っている、黒い翼と白いお腹をもったあの小さな鳥を。
/////////// 終わり
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シーラの話、これでおしまいです。『タンポポの綿飛ぶ頃』を書いていたときは、シーラは男の子だと思っていたのですが、その内段々女の子ではないかと思うようになってきて、『余寒』の時は、確実に女性だと思って書いていました。なお本編を書いた後で、以前書いたことと矛盾していないかチェックするために前作を読んだところ、『夜鳴き蝉・秋蝉』の中に「(シーラは)詩を作ったり、詩を朗読したり(するのが得意)」とあったのには我ながら驚きました。こんなこと書いたの、すっかり忘れていたものですから。