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タイムマシン売り

 

夫を会社に送り出し、この春小学校に入ったばかりの娘を学校まで送っていき、帰って、庭で鳴く春鶫の声と早咲薔薇の香を楽しみながら掃除と洗濯をしているとタイムマシン売りがやって来た。

 学生時代に世界旅行をしている途中でこのアルリラ国に寄り、その自然の美しさに感動して以来ずっとここに居着き、結婚もして子供も出来た。それでもまだこの国の風俗慣習には驚かされることがあるのだが、それに付け加えるべきものがもう一つ出来た。タイムマシン売りですって?!

 タイムマシン売りは自分の商品を鞄から出して見せた。タイムマシンと言うから、どんなメカニカルなものが出てくるかと思っていたら、ただの布の大きな筒だった。その片方の口から筒の中に入り、反対側の口から出ると、好きな時代に時間旅行できるのだそうだ。タイムマシン売りは、このあからさまにインチキな商品に対して、法外な値段を示した。確かに細かい刺繍が施してあるので、それなりに値の張るものであることは分かるが、それにしても法外な値段だ。第一、実用性が全くないではないか。

 タイムマシン売りはしたり顔で言う。

「奥様は外国の方なのでお分かりにならないかも知れませんが、これはお買い得ですよ」

 しまった、顔形もアルリラ語の発音も明らかに外国人なので、舐められてしまったのかも知れない。こんな手合いにはピシャっと言ってやるべきだろう。が、条件反射のように日本人的な反応をしてしまった。

「でも、こんな高価な物、夫とも相談してみませんと」

 その時タイミング良くと言うべきかタイミング悪くと言うべきか、夫が忘れ物を取りに帰ってきた。

「大事な書類を忘れちゃって」とまず私に言って、それから頭を巡らせて、タイムマシン売りを見た。「おや、タイムマシン売りじゃないか。丁度良かった。我が家にもそろそろ一台あってもいいなと思っていたんだ」

 はあ?

「ほら、僕の実家にも一台あっただろ。君も見たことが有るじゃないか」

 言われてみれば、夫の実家の客間の調度品棚に、似たような布袋があったような気もする。

 それから夫は、タイムマシン売りに向かって言った。

「ちょっと広げて見せてくれないかな」

 アルリラは時間にルーズな国だ。夫の会社は一応十時始まりになっているが、それでも電話一本なしに午後から出勤しても誰も何も言わない。だから夫はこの機会にタイムマシンを見ようと言う気になったらしい。

 タイムマシン売りは、我が家の庭にそれを広げた。最初見せられたとき私はそれを、一つの布の筒だと思っていたのだが、広げられたものを見てそれが間違いであることを知った。「入口」と「出口」を持った布の筒の丁度中間当たりに枝分かれが二つある。一つは大きな筒、もう一つは小さな筒に枝分かれしていて、だから全体としてみれば、「巨人のタートルネックセーター」と言った感じだ。その左袖から入って右袖に抜ければ時間旅行が出来るという。ただ、首に当たる穴と、胴に当たる穴が何の為にあるのかは、皆目見当も付かなかった。

 夫は「タイムマシン」を丁寧に調べだした。自分のスーツを選ぶ時でさえ見せたことのない真剣慎重な眼差しで「タイムマシン」調べていく。やがて納得したらしく、タイムマシン売りと、今度は金額の交渉に入った。タイムマシン売りの提示した値段に対して夫は、「縫製にほつれのある箇所がある」だの「縞模様にボケがある」だの「家紋が違う」だの文句を言って値切りにかかる。タイムマシン売りはそのたびに値段を下げていったが、遂に折り合いはつかなかったようだ。タイムマシン売りはタイムマシンを鞄に仕舞った。

 残念そうな顔をして帰ろうとするタイムマシン売りを夫は呼び止めた。

「君君、折角来たんだから、これで帰りにビールでも飲みたまえ」

 夫は財布からかなりの額を取り出して、タイムマシン売りに渡した。タイムマシン売りは喜んでそれを受け取った。

「有り難う御座います。皆様の身の上に喜び事がますます降り注ぎますように」

 夫は上機嫌になって、書斎に置き忘れてあった書類を鞄に入れ、ついでに、学校から帰ってきた娘と一緒に上機嫌で昼食を摂って、再び会社に向かった。この上機嫌は会社から帰ってからも続いた。私には新しいストール、娘にはケーキを買ってきてくれたほどに。

 その後私は今に至るまでタイムマシン売りに会っていない。商店街やバザールを通るときは気を付けてみているのだが、タイムマシン売りの店は一軒もなかった。聞く所によると、タイムマシンは行商でしか売っていないとのこと。そんなことならあの時、私のへそくりをはたいてでも買っておけば良かったかな、とこの頃は思うのだ。

         終わり