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どうでも良い話 

           

1.死者の書

 ゾヒマの遺跡から所謂「死者の書」が発掘され、考古学会は俄然勢いづいた。なにしろこの書を解読すれば、今は既に滅亡してしまっている古代ヒノモト族の生死観や宗教観が分かるのだから。

 まず先陣を切って解読に成功したのは、ケンブリッジ大学のポール・ワッツ教授だった。教授は豊富な古代ヒノモト語の知識を駆使して、「この書は古代ヒノモト人が守るべき倫理規則を記述したものである」と結論づけた。教授に拠れば、古代ヒノモト族には守るべき倫理規則が十項目あったという。そして、その内の五つ以上を守ることが出来れば、人は死後天国に生まれ変わることが出来、四つ以下しか守らなかった場合には、死後に地獄に堕ちるのだということを、この書は記しているのだそうだ。教授はこの結論からさらに一歩推論を進める。上のような倫理規定から考えて、この書は本来「四捨の書」と呼ばれていたのが、音の類似から「死者の書」と間違って伝えられたのではないかと。

 教授の理論は、古代ヒノモト族の基本的な発想法である「四捨五入」をベースにしており、学会ではかなりの支持を集めていた。

 この考えに真っ向から反対したのがフランクフルト大学のヴォルフガング・ロッテンハイマー博士である。博士は、この書は古代ヒノモト語で書かれたものではなく、古代ヒノモト語と使用圏はかなり共通しているが別系統に属する古代セキニシ語であるとして解読を進めた。その結果この書は、倫理規則などではなく、薬品の処方箋であると結論づけた。そして、その薬品を服用することによって精神を安定させたり、或いは逆にトランス状態に陥ることによって霊界と交信できるような、そんな薬の処方箋であると結論づけた。博士は実際にその処方箋に沿って薬草を調剤し、実験してみた。その結果、その薬品は腹部の自律神経を安定させるのに際立った効果があることが判明した。古代ヒノモトでは、人の魂は腹に宿ると考えられていたので、博士の言う「処方箋説」は実に説得力があった。博士はこう言う。「この薬は特に下痢止めに著しい効果がある。従って発掘されたこの書は『止瀉の書』と本来呼ぶべきである。」

 この二人と全く違ったアプローチを採ったのが、京都大学の菜野ヒロシ氏であった。菜野氏の情報理論の基本テーゼは明確である。それは「ハードウェアそれ自体が良質のソフトウェアである」というものである。例えばここに一台のコンピューターがあったとしよう。このコンピューターのソフトウェアといえば、ハードディスクに記録されたデータのことであると、普通は思うだろう。しかし氏は言う。例えばそのコンピューターがデスクトップかノートブックか、またどんな周辺機器が用意されているかなどを見れば、持ち主がどんな目的でそのコンピューターを所持しているかが、だいたい推測できる。そしてコンピューターに保存されたデータも、その所持目的に添って解釈しなければ、とんでもない誤解に至ることがある。それが氏の言う「ハードウェアは良質のソフトウェアである」というテーゼの意味である。

 そこで氏は、この『死者の書』の書かれている紙について徹底して調べた。その結果驚くべきことに、この紙は実はライオンの皮を鞣してできたものだった。そこで氏は、古代ヒノモトにおいてはライオンを専門に商う職業があったのではないかという大胆な仮説を立てられた。その仮説に基づいて氏は、この書は『獅子屋の書』であると結論した。そしてこれが今のところ通説である。

 

2.落下傘部隊

 この兵士は空軍第一落下傘部隊の出身だと思われていたが、実は違うのではないかという疑惑が最近持ち上がった。発端は、彼が水泳が得意であるという事実であった。彼は極めて水泳が、特に潜水泳法が得意であった。空軍では水泳の訓練は無いはずだ。又、この兵士はお腹の上に貝を載せて石で割ることが得意であった。再調査の結果、この兵士は「落下傘部隊」ではなく、「ラッコさん部隊」の出身であることが判明した。

 

3.大量破壊兵器

 A国が遂に大量破壊兵器を開発し、世界は安全保障上の深刻な危機に直面することとなった。ところで、A国の開発した大量破壊兵器とは、核兵器でも毒ガスでもない。それは豚を改造して作られた一種の生物兵器であって、敵国に投入されるや、たちまち当該地域の食糧を食い尽くしてしまい、その国を深刻な食糧難に陥れてしまうという恐るべき兵器であった。なお、この兵器の正式名称は「大量(猪)八戒兵器」と言う。

 

4.武士道

 佐藤仁左右衛門は信念を曲げない性格で、戦国時代の人物としては稀な存在だった。彼には、どんなに他者から忠告され、圧力を加えられても決して変えなかったことが一つあった。それは幼少期の友人との約束だとかで、お正月には決してチョン髷を結わずにザンバラ髪のままで過ごしたのであった。佐藤仁左右衛門は新年を髷無い人で、戦国時代の人物として稀な存在だった。

 

5.天文学者

 私が彼の職業を天文学者だと誤解したのは、彼の職業を聞いた時はまだ私がこの国に来て間もない頃で、この国の言葉がよく分からなかったからだ。確かに彼が宗教的に厳格な思想の持ち主だということは知っていたが、まあそんな天文学者もいるだろうと思っていた。また彼が法学部の出身だとも知っていたが、大学で学んだことと違う職業に就く人もまあ居るだろうと思っていた。しかしさすがに、彼が毎日出勤している先が天文台ではなく検察庁であると聞いたとき、自分が誤解していたことを知った。もう一度彼に職業を聞いたところ、彼の仕事は、痴漢や下着泥棒、児童ポルノなどを取り締まることだった。

 彼が自分の職業を言ったとき、私は「天体観測」であると聞いたのだ。が、実際には彼の仕事は「変態観測」だった。

 

6.六月の魔物

 日本には「六月の魔物」がいる。六月の日本には魔物がいて、水辺を徘徊している。そういう誤解を私が抱いたのは、私が初めて日本に来たのが二月だったからだ。日本に来た直後、各地の宗教施設で所謂「節分」の行事を見た、その記憶があまりにも強烈だったので、その数ヶ月後の六月に、テレビニュースのアナウンサーが言った言葉を誤解してしまったのだ。それほどまでに「節分」の行事は私にとってはインパクトの強い体験だった。

 牛の角と虎の皮膚そして人間の姿をもった魔物を、宗教の力で退治する。それは私にとっては、生まれて初めてみるスペクタクルだった。映画や芝居ではなく、実際の宗教施設でそのようなことが行われているのは、私にとっては大きなカルチャーショックだった。その時私を案内してくれた日本人の友人はこう解説してくれた。

「太陽暦での二月は、日本の古来の暦によれば新年にあたる。つまり、この月を以て暦は巻き戻されるわけで、その時空の歪みを利用して異世界から魔物がやってくると、古代日本人は信じていた。そこで『節分』という行事を行って魔物を封じようと、古代日本人は考えたのだ」

 その理論性にも私は感銘を受けた。だから六月末から七月初めに掛けて、テレビニュースのアナウンサーが季節の話題を口にするときしばしば口にする言葉を、私は誤解してしまったのだ。

 アナウンサーの言葉を耳にした私は、六月の日本では、二本の角と割れた蹄を持った魔物が川や池の水の中から少し顔を出して辺りを窺い、その傍に人が一人で近づいてくると、そのすぐ後にすーと泳ぎ寄ってきて、人間が油断した隙を見すまして、雄叫びをあげながらガバッと水の中から飛び上がり、牙の生えた大きな口で人間を銜えて水の中に引き込む、そういうことがあるのだと、思ってしまったのだ。勿論私も科学の時代の人間だから、そんなことが実際にあるとはとても思っていなかったが、要するに、日本人の宗教感覚としてそのようなことがあるのだと、思っていたのだ。

 また六月というのは、そのような魔物を想定するのにぴったりな季節だというのも、私の誤解に寄与した。日本の六月は雨期だ。天文学的には昼間の時間が最も長い季節なのだが、雨のために日照時間は極端に短くなっている。その暗さが魔物を容易に想像させてしまった。また雨期であるために水害のニュースも頻繁に耳にする。だからこそ私は、アナウンサーが季節の話題を口にする際のあの決まり文句を、牛と河馬を合わせたような魔物に言及しているのだろうと、何の疑問も持たずに信じたのだ。

 私は信じていたのだ。アナウンサーたちは「孤と死も、モーな河馬、隣、真下」と言っているものと。それが実は、「今年ももう半ばと成りました」と言っているのだと、日本人の友人から教えて貰ったのはつい最近のことだ。

 

7.秋の終わりの老女

 アメリカでは、秋の終わりにお話好きの老女が町々を回って子供達に昔話をして聞かせる。そんな想像を私がしたのは、当時私はアメリカに留学に来て間もない頃だったので、日本が恋しかったからだ。当然のことながら周りは皆英語ばかりで、日本語が聞かれないことが、たまらなく寂しかったからだ。だから、ラジオのニュースを聞いたとき、こんなところで日本語が話されるはずはないと分かっていながら、それを日本語として聞いてしまったのだ。

 アメリカでは十一月になるとお話好きの老女が子供達を集めて昔話をする。そんな誤解を私がしたのは、ラジオニュースのアナウンサーが日付を言うときのあの言葉を「能弁婆」と聞き間違えたからで、それは無理からぬことだと私は思う。