★キューバの旅★
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---Baseball--- Feb 22 - Mar 3, 2001

首都キューバのラテンアメリカ・スタジアム

キューバで野球観戦
今日は、午後から約束があった。
この旅の楽しみの1つ、世界有数の野球王国キューバでの野球観戦。
たまたま、宿泊先のカサの子供が大の野球好きで、おじさん共々「観戦に行かないか?」と、昨晩のうちに誘われていた。



コラム
ューバ野球界
キューバは言わずと知れたスポーツ国。カリブ特有のバネのある体は、類い稀な運動能力を発揮しているが、中でも野球は国技であり、「国民最大の娯楽」とまで位置付けられている。
しかし、社会主義国ゆえのプロとしての立場が認められない現状から、長くアマチュア野球界の不動の王者として、世界に君臨してきた。
革命前には多くの優秀なメジャーリーガーも輩出してきたキューバだが、アメリカとの国交が回復しない今、キューバのプレイヤーが夢見るプロとしてのメジャーリーガーへの道は、「亡命」しかない。
これまでにもリバン(現エクスポス)、オーランド(現エクスポス)のヘルナンデス兄弟、コントレラス(ヤンキース)など、相次ぐ有望選手の亡命者を生む結果となってきた。
なかでも、長くナショナル・チームのエースとして活躍してきたヘルナンデス兄弟の兄、オーランド・ヘルナンデスは弟のWシリーズMVPの快投に刺激を受け、98年2月、イカダに乗って亡命。約2日間の漂流の末、メキシコ沖に流れ着き、多額の契約金を注ぎ込んだヤンキースと契約。その後の彼の活躍は言うまでもない。
逆に、長くキューバ代表チームの主軸として君臨してきたリナレス、キンデランなどは、国家のスーパースターたる地位ゆえに、スポーツ大臣としての地位を与えられ、富より栄誉をいただいた格好で、今なおアマチュアとしてのプレイを続けている(2003年現在、リナレスは中日でプレイするも、日本野球の技術等の取得が主目的で球団がキューバ政府に給与を支払う特別措置。キンデランも社会人野球のシダックスに在籍)。

プエル・トリコ、ドミニカ、ベネズエラといった他の中南米のラテン諸国出身の選手が大活躍し、ついにはメジャーリーガー全体の4分の1を占めるようになった今、もっとも選手の宝庫と言えるのが、未だ自国の選手のプロ化が開放されないキューバ(前述のように、リナレスの中日入団は特別措置)。
近年はオリンピックなどの国際大会のプロ参加、木製バットの使用など、キューバの野球界を取り囲む情勢は、かつての王者としての地位を揺さぶるものとして圧し掛かっているが、新たな世紀を迎えた今、1日も早く、国際的にも孤立した立場から脱却し、有望なプレイヤーがアメリカのみならず、日本でもプロとして、野球ファンを楽しませる日が来ることを望んで止まない。
コラム
ナレス中日入団
2002年7月、長く閉ざされていたドアがこじ開けられた。オマール・リナレス選手の日本プロ野球、中日ドラゴンズへの入団決定。
オリンピックをはじめとする数々の国際舞台で活躍してきたリナレス選手は言わずと知れたキューバの至宝。
その実績ゆえに過去にもいわゆる野球ブローカーらからの亡命を前提とした大リーグ勧誘の話がいくつもあったとされる。
しかし、そんな勧誘もすべて国家のために拒否。一環してアマ野球の王座としてのキューバ野球に貢献をしてきた。
そんなリナレス選手も選手としての晩年を過ぎ、代表を退く代わりに舞い込んだのは、キューバ野球連盟を通じての日本プロ野球への武者修行的な派遣。
国際大会出場へのプロ化が進み、かつてほどの圧倒的な力を発揮することが難しくなった昨今の現状に、長く自国選手の海外へのプロ流出を拒絶していたキューバ側が譲歩した形でのプロ入団(派遣)だった。
そのため、球団が本人に支払う年棒も球団がキューバ政府を通じて支払う異例の措置が置かれ、その月給もわずか30万円弱と他の選手とは比較にならない低さ。一説によるとこれは、キューバでの収入に見合った額にすることで、高収入が得られるプロへの魅力を断ち切るためのキューバ側の求めた措置でもあったと言う。
いずれにしても、ついに開かれたプロへのドアだが、リナレス選手の場合は異例中の異例の特別措置。
若い有望な選手が富と栄誉を求めプロを目指すには、まだまだ政治的な難題が山積みされているのがキューバ野球の現状でもある。

情報
ューバのリーグは?
キューバでは毎年、10月か11月頃にシーズン開幕(国際大会優先のため、スケジュールは一定していない)、国内15都市の計16チーム(首都ハバナだけ2チーム)によるリーグ戦により、国内リーグを行っている。
現地の人の話だと、もっとも強いのはナショナル・チームの主砲、キンデラン(現シダックス在籍)も在籍するサンチアゴらしい。
首都ハバナのスタジアムは、革命広場に近い場所にある

体験談
ューバ野球観戦記
約束の午後1時、カサの玄関前に迎えのタクシーが来て、おじさんと息子(なのかな?それにしては年齢が離れ過ぎだし、その子の年齢も13歳と聞いたけれど、とてもそんな年には見えないし。キューバの場合、生涯平均4回結婚するとかで家庭は複雑かも?)共ども球場へ。
球場近辺には、満足な用具がないために、ただ“投げて打つ”野球少年たちの姿もあった。そんなハングリーな光景がいかにもキューバ、そして中米らしい。
入場料は、おじさんが「いいよ」と言って出してくれたが、以前は無料、現在でも現地のペソ払いならばかなりの安価みたいだ。
スタジアムに入ると、試合はすでに始まっていた。

この日の対戦は、首都ハバナのIndustriales/インダストリアルズに、Villa Gara/ビラ・ガラというチームの対戦。
正直、キューバ野球で知っているのは、リナレス、キンデランくらいだ。
そもそもの目的は、キューバ野球の実力をこの目で確かめることと、キューバの選手がどんな環境で、どんな雰囲気の中、プレイしているか、生で見たかったことが興味の主旨であった。

客席は、この上なくボロい。記憶の中で残るボロさ1、昔のナゴヤ球場の外野席をはるかに上回るボロさだ。
それでも、日曜の午後ということもあってか、お客さんの入りはよく、開放されている内野席(外野席は閉鎖)は外野よりを除いて、ほぼ満席だった。
スタンドはボロいが、グランドはアメリカのボールパーク同様、天然芝が内野にも敷き詰められ、内野席とグランドを隔てる金網もない。
内野席がほぼ屋根で覆われているのは、暑い国だからこそ、日差しをさえぎるためもあるだろう。

両翼は99.6m、センターは121.92m。規格的にはアメリカや現在の日本の球場と変わらない広さだ。
そのライト・スタンドに打球が突き刺さった。インダストリアルズの4番、エスクール選手のホームランだ。
当然のごとく沸くスタンド。
この日のスタンドは、鳴り物もなく(キューバでは太鼓のリズムでサルサをファンが踊り始めると聞いていたが?)、雰囲気的にはプレイに一喜一憂し、歓声が鳴響くアメリカのボールパーク式。

マウンド上の投手は共にややヒジを下げたスリークウォーター気味の投球をしている。
時折、ヒジを上げてオーバースロー気味に放る時もある。
ヤンキースのオーランド・ヘルナンデス(キューバ出身、現エクスポス)もそうだが、こちらの投手は型にはまった感じがなく、状況に応じて、腕の出どころが変わる。
日本の教え方では考えられないことだが、おそらく、ヒジの柔らかさと、上体の強さ、腕の長さを活かした利点がなせる技だろう。


8回裏、リードしているインダストリアルズが2死1,2塁から5番バッターの打席で重盗をしかけてきた。
3塁へのランナーが、間一髪アウトになり、そのまま攻撃が終わったが、審判の判定に不満の観客はブーイング。さらには回が変わってからも3塁塁審には立ちあがって拳を振り上げ抗議するものもいたりする。

ほぼ満員に埋まったスタンド
観客の眼差しも真剣だ
観客のプレイへの熱さに改めて、キューバの野球熱の高さを知った感じがした。

試合は6対4で地元インダストリアルズの勝利。
小刻みな継投があったり、メジャー同様、肩の強さを見せつける内野手のプレイがあったり、キューバ野球は想像通り、質の高い野球であったことを生で感じた次第。
試合中は、日本同様、売り子が来るのだが、売っているのはオチョコ程度の一口カクテルだったり、直径にして2cmほどの紙を丸めた三角の筒に入った落花生だったりと、こちらもキューバ風。

試合後は、カサの息子に連れられてスタンド最前列で選手と握手。選手のグラブなど使っていた野球用品は日本のミズノ製。
この時、握手したエスクール選手は、2001年台湾で開催された野球のWカップでもキューバ代表として出場。
ちょっとだけ、キューバの野球に近づいた1日になった。

コラム

フリーマーケットでも売られていたデューケの油絵
番人気はデューケ?
キューバへ来るまでは正直、「反米感情」、「反アメリカ野球感情」があるのではないかと気がかりだったが、それは意外なほどの杞憂に終わった。
生活レベルにもよると思うが、キューバではアメリカの衛星放送も受信出来るため、ことベースボールに関してはキューバ亡命選手の活躍や、他のメジャーリーガーの活躍もご存知な人も多いよう。
この翌日からトリニダーへの現地ツアーで添乗してくれたアライアンというガイドさんは、「Baseball is my life」などと熱く語ってくれたし、「ほらほら、あのボストンの若い投手?」と、当時レッドソックスの日本人投手、大家(現エクスポス)まで知っていたのには驚き。
街でもMLB関連Tシャツを着た人や、帽子を被った人も多く見かけたし、「野球が好きなんだ」と言って、ヤンキースのオーランド・ヘルナンデスの足をクイっと高くまげて上げるフォームの真似をすると喜ばれたり。
そのヘルナンデス。ニックネームはデューケで、これはスペイン語で「公爵」の意味。
おそらく、クイっと足を上げる投球のしぐさが、公爵の動きに似ていることからそう呼ばれているのだろう。
キューバでは、どこへ行っても「デューケ、デューケ」と言えば、野球を愛する意思が通じた。
当時はヤンキース在籍(現エクスポス)で、毎年のようにWシリーズでも活躍のデューケだったから、キューバ出身亡命選手の中では、抜群の露出度で人気が高かったのだろう。

ハバナ旧市街に関しては、こちらのMAPを参照に!
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詳細MAPはCUBAWEBを参照に !
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