| 過去のちょいから (`▽´) ショート日記 |
| <2011夏> 6・7・8月 |
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2011 6月 「プリあじさい」 今回、梅雨入りにふさわしく、子どもたちで合作したこの「あじさい」を、外の掲示板に飾っている。かわいいでしょう? 「あじさいを作る」と伝えた上で折り紙を選ばせても、自由奔放な色を選ぶところが、子どものいいところ。 「個性いろいろ」と謳(うた)っているプリゼミにふさわしいあじさいが出来上がった。 そう、子どもが色を選んだ時、大人は「そんな色、アジサイらしくないでしょう」と言わないように。この出来上がりを見れば、納得でしょう? 見守るというプリゼミの姿勢の成果がよく表れているアジサイです♪ 2011 6月 「親子での“交換折り”」 折り紙は、幾何学がぎゅっとつまった遊び。図形に対する能力が発達する。 私は算数・数学が大好きで、特に図形が得意だ。たいへん方向音痴で空間を把握する能力がないようにみえ、不思議なことに数学の空間図形問題なら、学生の頃からめちゃめちゃ得意だった。 この能力を培ったのは、幼少のころの折り紙遊びだと思う。 折り紙は、幾何学が子どもの遊びレベルで身に付くという、素晴らしい題材だ。 また、算数や数学の才能を高めるだけでなく、おりがみには、集中力や丁寧さ、確実に取り組む姿勢等を育む力がある。 そこで、お子さまに折り紙で遊ばせることを、強烈にオススメします。 今まで折り紙で遊ぶことがほとんどなく、上手に折れない子もいると思います。そういう子こそ折り紙を始めてみることを、強烈にオススメします(2回目)。 おうちの方への提案ですが、親子で一緒に折るという方法はいかがでしょう。親も子も1枚ずつ折り紙を持ち、同じ物を折ります。そして、ひと折りごとに交換するのです。これなら、お子さまも楽しく取り組めるでしょう。 この方法、強烈にオススメします(3回目)。折り紙の本を見ながらでもいいですし、親が知っている物でもいいです。 ただ、その時に、我が子の折り方の汚さを叱りながら折ってはいけませんよ。親子で楽しく折りましょうね。 交換しながら折るので、子どもの折り方の汚さも半分はカバーできます。最初は出来上がりのクオリティーを気にせず、折る過程を大事にしましょう。 うちの子、集中力がないわ、とか、落ち着きがないわ、とか、それが勉強にも影響しているわ、と思われるご家庭は、ぜひぜひ試してみてくださいね! ……コツコツと、長続きしないと効果はありませんよ。 オマケ画像。この小学生の女の子が手に持っているのは、私が折った立体。6枚の折り紙から出来ているユニット折り紙。 実はこれ、開いたり閉じたりできる不思議な立体。 閉じると立方体、開くとバラ、という具合に、変形するのだー。すごーい。 教室に置いてあるのだけれど、興味を示して手に取り、開いたり閉じたりしながら観察する子がけっこういる。彼女もそのひとりで、これは、開いてバラにしてご満悦なところ。(開いたり閉じたりするのはちょいちょいっと出来るのだが、それなりにコツがいる。) ご興味のある方は、インターネットで検索してくださいね。youtubeなどの動画で見るのがオススメ。 オススメ動画→マジックローズキューブ(youtube)(1分ほど。新ウインドウが開きます。注:音が出ます。) 2011 6月 「矛盾」 「能ある鷹は爪を隠す」っていうけれど、よほど人間がデキていないと、これってなかなか難しいことじゃないかなあ。 だいたい、「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を、本当に能ある人は引用しないんだろうね。能ある人が「能ある鷹は爪を隠すんだ」と主張するのは、矛盾している気がする。この言葉を引用していること自体が、何か自分をアピールしていることになっていそう。 ……。 それなら、引用(今、この日記で)してしまった私は、アウトじゃ〜ん。 ちょっと、今回の日記はこれでオシマイ。 たまにはこういうのもいいじゃない? 短いけれど、深いでしょう? |
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2011 7月 「保護者対応失敗の思い出 ケース1」 最近、プリゼミに通う小学生の子の保護者と、じっくりとお話しをすることがあった。そのことをきっかけに、ふと私が講師になって1年目のことを思い出した。今回は保護者の方と有意義に話せたが(と思っているのは私だけだったら、どうしよう。一方的な解釈だったりして。保護者の方も、そう思ってくださっているかなあ。)、あの時はまだまだ未熟で、保護者に対しても遠慮しすぎて、うまく対応できなかったなあ、、、と。 今から14年前。プリゼミの開校は8年前だが、それより前に私がいた別の塾での話。 その塾の小学生英語は「英会話」というスタイルだった。子どもに「学習」というより「遊び」と捉えさせるのがコンセプトで、「ゲームや歌を通して楽しく」という授業スタイルの、よくあるパターンの子ども英会話だった。先生である私も、英語の歌を歌ったり、DVDにあわせて一緒に踊ったりしなくてはならず、ガラにもない、おうたのおねえさん的なことをしていたなあ。 さて、プライバシーを考慮したいが、14年も経つし、前の塾のことなので書いても誰のことか全然わからないはずだから、時効かなあと思い、反省の意味も込め、その当時の2件の保護者対応失敗について、具体的に書いてみることにする。 <ケース1> ある小3の男の子はとても気が弱く、モジモジしたタイプの子だった。お母さんはそんな我が子をとても心配するがゆえ、何かと世話を焼き、手を出し、子どもがすべきことを何でもお母さんがしてしまわれていた。 例えば、塾の用意など、かばんの中に入れる作業、それから、自分で伝えられないことをお母さんが全部言ってしまわれる、など。 客観的には大変な過保護であることが見てとれた。そして、それらは子どもにとって、余計に自分で何も出来なくなってしまう悪循環な状態を作っているのも見てとれた。私は、お母さんにそれを伝えて忠告することが出来なかったことを、今でも悔やんでいる。 その子は、英語のゲームではいつもみんなに勝てなかった。たじろぐというか、なんというか、他の子が「よぅし!」と意気込み満々な中、それに身を引いてしまう感じで、モジモジしている間に負けてしまう。 私も、毎度勝つ子が同じにならないよう、ゲームの種類にバラエティーをもたせたり、じゃんけんを取り入れてみたり、いろいろ工夫しているのだが、その男の子だけはなかなかうまくいかない。私は、その子に「イケイケ〜!」と声援を送ったり、うしろから気合いを入れてあげたりするが、今度は他の子から「○○くんばっかりずるい〜」とヤキモチを焼かれるので、なかなか難しい。 そんなある日、彼のお母さんから電話がかかってきた。「うちの子も勝てるようなゲームをしてください。それとも、ゲームをやめてください。」と。。。 で、その時の私はどうしたかというと、講師1年目で未熟すぎたのだろう、「すみません。次からは気をつけますので。」と答えてしまった……。 しかし、そう答えつつ、その塾の授業方針だからゲームをやめることはできないし、と言って、その子にも勝てるようなゲームを工夫しても、そううまく勝てなかった。そしてまたお母さんから「うちの子も勝てるようなゲームをしてくださいって言いませんでしたっけ?」と電話がかかってきた。。。 それでも私は「すみません。」と、また謝ってしまった……。心の中では、そうじゃないとわかっていたのだが、保護者対応というものに慣れていなかったのと、あの時はまだ私が若かったこととで、本音を言えなかった。 でも、男の子のために、そして、お母さんのために、言うべきだったと今では後悔している。 つづく 2011 7月 「保護者対応失敗の思い出 ケース2」 前回のつづき <ケース2> ある小4の男の子。さっきの子とは対照的で、自分の意思どおりにどんどん行動する子だった。でも、自分が今やりたいことを常に優先し、周囲にお構いなく、思いついたら即行動に移してしまう子だった。 その塾の英会話クラスの性質上、歌やゲームやダンスなど、みんなでひとつになって取り組む作業が多かった。でも、その子は、気に入らないことや苦手なことには「僕やりたくない」と言って参加しなかったりと、みんなと強調せず、自由奔放だった。 お母さんに、その子の教室での普段のようすを伝える機会もあったが、「学校の先生にも言われます」と、いつも慣れていらっしゃる感じだった。そして、「でも、うちはイヤなことを無理強いさせず、自由にさせるのが教育方針ですので」とキッパリ言われると、その当時の未熟な私はいつも「わかりました」と答えてしまって、、、。 ある日、その子に教室の壁紙をめくられるという事件が発生した。その日、座っていた席が壁際で、授業中に壁紙を引っ張り、剥(は)がしてしまったのだ。 なんでこんなことになったのか、本人に詳しく聞くと。。。 窓枠の下なのだが、壁紙の継ぎ目でよくありがちな、その角(かど)がちょっとめくれているという現象。そこを引っ張るところから始まったらしい。壁紙が剥(む)けてきて、初めはちまちま引っ張って剥(は)がしていたが、だんだんエスカレートしてきて、最後はビヤーっと、一枚全部、つまり窓枠の下の部分を全部、一気にめくってしまった。 とりあえず私は、支社に連絡し、相談。壁紙を張り替える事態に。。。 「その子のお母さんに、支社からではなく私から事の次第を伝え、壁紙の張り替えにかかる代金を弁償をしてもらうように」と、当時の教育主任から指示を受けた。 それで、お母さんにご報告すると、……そう、まずはご報告という形だったのだが、お母さんはやはり責められているととられたのか、弁解を。。。「“飛び出ているもの”を引っ張りたくなるのは誰でも同じ。人間の心理として当然。なおさら子どもならやってしまうこと。仕方ないこと。目の前に“飛び出ているもの”がある状況が悪い。」という風なことを言われてしまった。 私はそう言われ、圧倒され、「はい。」と答えてしまった。お母さんの言うことは確かに一理ある。だが、「だから許される」ということではない。。。そう言うべきだった。情けなかったなあ、私。 お母さんは、謝ってしまったら最後だ、という思いなのか、決して謝罪の言葉は口にされず、ただひたすら弁解されていた。 私は、子どものために、お母さんのために、「そうではない」と勇気を出して伝えるべきだったと、今でも悔やんでいる。 今の私なら。。。 今の私ならこう対応したのになあ、というのを、ケース1とケース2の両方について、次回に書こうと思う。 2011 7月 「保護者対応 今なら ケース1」 前回のつづき ケース1の小3の男の子は、ひとりっこだった。 ひとりっこは、おっとりとした性格に育つ傾向にあると思う。たとえば「おやつやおもちゃを取り合う」など兄弟と競い合うことがないので、マイペースでいられる。そして「負ける」という経験も少ないので、根性が育ちにくい。また、親からの愛情を一身に受け、家庭内では常に最優先される。それゆえ必要以上に世話を焼かれ、自分のことを親がやってしまうことが多く、行動力や積極性が育ちにくい。 実は私自身がひとりっこなので、よくわかる。 さて、今の私なら、「うちの子が勝てるゲームを」と言われれば、お母さんに次の2つの提案をするかな。 ひとつは、「負かせておけばいい、ほっとけばいい」という提案。勝ちたければ、本人が積極的になるしかない。モジモジしているからいつも負ける。そのことは、おそらく本人も自覚しているはず。そこから脱出する手だてをお母さんやゲームサイドに頼るのではなく、自分が勇気を出すしかないんだ、という方向へもっていってほしいなと思う。でなきゃ、いつまでも「あかんたれ」のまんまだろう。 もちろん、そうしておいてもいつまでも勇気が出ず、いつまでも負けるばかり、ということもありえる。だが、それはそれでいいのだと思う。そこを親がかばってしまえば、ずっと悪循環のままで、甘い子に育つばかりだと思う。 お母さんはヤキモキするだろうが、そこをぐっとガマン。お母さんのヤキモキが結局は子どもを「あかんたれ」にしているいちばんの原因だったりする。お母さんは、いちいち目の前のことにとらわれず、もっとゆったりと大きな目で、海のように構えるべき存在なのだ。 もひとつは、お母さんが「勝たせたい」と言うのではなく、子ども自らが「勝たせてほしい」と私に頼むという提案。もちろん、もし私が生徒にそう言われたからといって、じゃあゲームの裏操作をしてあげるね、という風にはならず、勝つためのコツや方法をアドバイスするくらいだろうが、そもそも親を経由して私に伝えてくるという構図に問題があるのだから、それを断ち切るというのも大事なんじゃないかな、と思う。 親自らが先生に頼むのではなく、「じゃあ、先生に相談してごらん」という声がけで、子どもが自分で言うようにもっていくべきだと思う。それで子どもが先生に言えずじまいなら、それはそれで放っておけばいいだろう。ただ、そのことを親が先生に連絡するのはいいかな、と思う。「頼む」のではなく、「報告」という形で。。。「うちで子どもにこういう提案をしておいたのだが、言えずじまいのようだ」という情報は、先生に伝えておいてもいいかな、と思う。もちろん、それを聞いたからといって、たぶん私は子どもの前では知らないふりをするだろうけれど、お母さんからのそういう情報があれば、「そういうことがあったなら、なんとかして子どもが勇気を出して言えるように」と、日々の授業の中で心がけることができる。 とにかく、今の私なら、このお母さんに対して、以上の思いを伝えながら、「あまり庇(かば)いすぎてはいけないですよ」とハッキリと言うだろう。あの時、正直にそう言えなかったことをとても後悔しています。。。 ケース2は、次回に。 |
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| 2011 8月 「保護者対応 今なら ケース2」 前回のつづき ケース2の場合も、今の私なら「それは違いますよ、お母さん」と、ハッキリ言うだろう。それが子どものためになるからだ。お母さんには耳の痛い思いをさせてしまうが、子どものことを考えれば、やはりお母さんにきっぱりと伝えることがベストな選択だと思う。 あの時、お母さんのおっしゃった 「“飛び出ているもの”を引っ張りたくなるのは誰でも同じ。人間の心理として当然。なおさら子どもならやってしまうこと。仕方ないこと。目の前に“飛び出ているもの”がある状況が悪い。」 というのは、一理ある。 しかし、これは客観的に見れば、屁理屈かな、とも思う。それを通せば、決して子どもに良い影響を及ぼさないだろう。 たとえ“飛び出ているもの”を見て引っ張りたいという心理が働いても、そこをガマンするのが人として通常の判断であり、誘惑に負けて実際に引っ張ってしまえば、それは許されないことになってしまう。 それを子どもに自覚させることが大事だと思う。 人としての道をこつこつと子どもに教えるのは、大人の役目だ。 今の私なら、お母さんの屁理屈に対して「だから許されるということではないですよ」と正直に言うだろう。そして、それを子どもにも認識させることが、とても大事なんだということを、心をこめて伝えるだろう。 ただ、この場合、お母さんにうまく伝えるのは難しいかもしれない。今の私であっても、思いを伝えるのに失敗するかもしれない。真意がうまく伝わらず、腹を立てられ、退会なさるかもしれない。 それでも私は、「今はわかってもらえなくても、いつか今日を振り返ってわかってもらえる日がくるかもしれない」と願うことにするだろう。 2011 8月 「ルービックキューブ」 プリゼミの「頭が良くなるおもちゃコーナー」にルービックキューブが置いてある。実は私、6面そろえることができる。それで、生徒らのリクエストでちょくちょくそろえて見せることがある。 たまに、手を後ろにまわしてルービックキューブを見ずにそろえるというワザを披露することもあるが、生徒らは、神を見るような眼差しで私を見てくれる。 でも、本当のこと言うと、神業ってほどではないのよね。6面そろえるには実は「手順」というものがあるのだ。私はそれを学生時代に当時のボーイフレンドから伝授してもらったが、今ならインターネットでも調べられるかな。 てことで、手順を覚えて練習すれば、6面そろえられるようになります。と言っても、けっこう大変だけれど、、、。 「まる覚え」で出来るってもんじゃなく、理屈がわかっていないと難しいかな。でも、1面そろえられる力があるなら、可能性はありますよ。 さて、身近に6面そろえられる人間がいると生徒らの興味は大きくなるようで、私の6面そろえる姿に刺激される子も多い。 写真の男の子は、ルービックキューブにハマり出して1年程になる。プリゼミに入室すると同時に教室のルービックキューブを手にとるのが習慣となり、授業が始まるまで黙々と回す。 自分のルービックキューブも購入していつも持ち歩くほどのハマりよう。 そして先日、とうとう6面をそろえ、 「先生、記念撮影して! そんで、プリゼミのホームページにのっけて!」 と頼んできた。顔をそのまま載っける、とのこと。 てことで、載せたよ〜(^-^) みなさん、Rくんの勇姿を見たげてください♪ ルービックキューブは、「手順」を覚えたからといって、混乱することなく回せるにはそこそこの能力とセンスが必要。手順自体も複雑だしね。 子どもながらに6面完成とは、スゴイ。頭脳もイケているね〜。ホームページに顔写真を載せるという度胸もイケているね〜。将来が楽しみだね♪ ちなみに右の写真は、自称「スイレン王子」のRくん。 おもろいので、ついでに載せたげました(^皿^) これらの写真から伝わる雰囲気どおり、ハツラツとした、いい子です☆ 2011 8月 「舞鶴高専に生徒を連れて行ってきたが。(文句タラタラ。超毒舌。)」 遠くてなかなか行く機会のない舞鶴高専だが、今年のオープンカレッジは無料送迎バスが京都駅から出るということで参加しやすかったので、プリゼミの中学生2名を連れて行ってみた。 今回は、そのようすをちょっと紹介しよう。ただし、先に述べておくが、「ちょいから日記」という名にふさわしい、非常にカラクチの意見だ。 ![]() 結果からいうと、「わざわざ遠くまで行くことなかったやん」と思う内容だった。 まず、バスの出発が遅れ、あわせて渋滞に巻き込まれ、その結果、学校への到着時刻が予定を大幅に超えた。 ただ、渋滞は仕方のないことである。しかし、渋滞なんて充分予測できる問題であるわけだから、それへの対応策というのは、あらかじめ用意しといてほしいものである。 私たちを含む、京都からバスに乗ってきた参加者組は、午前中の「説明会」の前後に組まれていた自由見学の時間がほとんどなくなってしまった。 終始建物の中に缶詰状態で、これじゃあ、市内のホテルで開催されるのと、なんら変わらないじゃないか。遠路はるばる現地へ赴いた意味がない。 学校に到着すると、説明会の3階の教室まで階段をのぼらされたものの、「先に到着した参加者たちはもうすでに説明会が始まっているから、その人たちとの時間的な帳尻合わせに」と、舞鶴高専の先生たちがその場で「どーするよ、どーするよ」状態。 結局、私たち京都組は混乱の中また階段をおりさせられ、図書館へ。そこで20分間ボーッと待機させられる羽目に。 この間に、自由見学のひとつであるロボット見学とかさせてもらったほうが良かったわい。 京都組の説明会は予定時刻を大幅に超えてスタートしたにも関わらず、話をはしょることもなく、バッチリ予定通りの時間幅をとり、いや、実際にはむしろそれもオーバーし、さらなる遅れをとる一方。 それで、「自由見学」の時間が皆無に等しくなってしまった。 現地へわざわざ行ってんねんから、施設見学が肝心ちゃうの! 午前中の説明会後、あわただしくランチを食べた。ランチにはカレーが振る舞われた。 スイカがついていたが、時間的に余裕のない京都組の私たちには、かえってこのスイカがわずらわしかった。と、憎憎しげに書いて申し訳ないが、本当に遠いところを行っただけに、自由見学の時間がほとんどないのが悲愴でたまらない。 私ひとりならいいのだが、生徒を連れて行っているだけに、生徒に対して悪いなあと責任を感じてしまう。 カレー、おいしかった。 非常に毒舌だが、このオープンカレッジで誉められるところは、このカレーしかない。 自由見学の内容は、教室や実験室、学寮などの施設見学の他、ロボットの展示、クラブ関係の展示、電子回路やコンピュータ、エンジン組み立てなどのちょっとした体験、ちょっとした製作、などなど、盛りだくさんのおもしろそうな内容が用意されていたが、京都組の参加者たちは、ほとんどそれらを見ることができなかった。 私たち3人も、学寮をちょっとのぞくだけしか出来なかった。 午後からは学科別体験学習の時間だ。 うちの生徒2人は、電子制御工学科の「ロボットを制御するプログラミング」と、電気情報工学科の「ゲームプログラミング」に挑戦。 私も、生徒に混じって一緒に体験させてもらった。 結果からいうと、ハッキリ言うが、どちらも企画ミスだろう。 ひとつの体験につきそれぞれ50分という時間が設けられていたが、その時間では到底ムリな内容が押し込められていた。 1つめのロボットのプログラミングは、次々に指示されるもんだから、何がどうで、どうなって、というのを考えるには、中学生にとっては、頭がついていくスピードではなかった。それでいて、後半は時間が足りなくなったため、結局は全員、あらかじめ出来上がっているプログラムをコピーして開くだけ、というお粗末な展開に。。。 もっとヒドイのは、2つめのゲームプログラミング。あまりにも難しい内容だった。 しかも、1つめの体験が時間オーバーしていたので、2つめの体験は予定時刻より遅くスタート、実にあわただしかった。 難しい内容というのを鑑みてか、体験者ひとりにつきひとりのフォロー(高専の学生)がついての体験学習だったが、不具合が発生しやすい内容のようで、うまくいかなかった。 私のプログラムにも不具合が発生した。ゲームがうまく動かず、私のお付きの高専学生に見てもらったが、彼ですら「あれ、あれ、おかしいなあ。」と言って困っていた。 それでも、私のゲームはなんとか完成した。 かわいそうなのは、うちの生徒のTくんで、彼もまた不具合が発生し、うまくいかなかった。Tくんのお付きの高専学生も、「あれ、なんでやろう、これでいくはずやのに」というセリフを何度もくり返しながら四苦八苦していた。 そこへ、「京都からの方はバスが出ますから急いでくださ〜い!」と急かされ、Tくんのゲームは不具合が解決せず完成しないまま教室を出ることとなった。 「バスが出ます!早く!早く!」 と言われ、京都組の参加者たちは走らされた。帰りのバスの出発時刻だけ予定通りだった。 ああいうものは、何が何でも、生徒に完成させて帰らせるべきだ。そういう企画を立てるべきだ。 それとも、「完成できないようなレベルの中学生は、うちの受験はムリですよ」という意味なのだろうか。 いや、あれはどう考えても、ロボットもゲームも、時間的にも難易度的にもムリな企画だと思う。マンツーマンで付いている学生がフォローしきれない企画って、どゆこと? それに、京都組に関しては、帰りの時刻をずらすという策も立てるべきだろう。予定通りに帰りたい人と、ずらしたい人とに分け、両者に対応できる策を用意しておくべきだろう。 あんなんでは、遠い現地にわざわざ行った意味がない。 何をしにきたのかよくわからない1日だった。帰りのバスで、こんな遠くまで生徒を連れてきたのに、と、非常に消化不良な気持ちでいっぱいだった。 近年、就職のことを考えて工業高校や高専への生徒の関心が高まってきている。それで今回も、「舞鶴高専で、こんな内容のオープンカレッジがあるよ、行ってみる?」と生徒に積極的に案内して連れて行った私は、結果がこれで、生徒に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 |