| 過去のちょいから (`▽´) ショート日記 |
| <2010〜11冬> 12・1・2月 |
| 2010 12月 「ショートを取った。」 調子の悪かったパソコンの代わりとして頼りにしていた別ハードが、突然壊れた。 中に入っているデータが取り出せなくなった。 なんとかデータを出そうと、いろいろな業者に依頼した。しかし、どこの業者に出しても、どこからも不可能だと返ってきた。 中のデータが無事なのか消えているのかさえもわからない。 もうあきらめた。 1からまたコツコツと作っていきます、何もかも。 このホームページも、今回の復活を機会に、この日記のタイトルをちょっとだけ変えてみた。 「ちょいからショート日記」としていたのを、「ちょいから日記」と改名。 ・・・書き始めた頃は短い日記だったのが、回を増すごとに文量が増えてきて、いつのまにやら、ほぼ毎回ロング日記に。 「どこがショートやねん。」と、いつも自分でツッコミを入れつつ書きながら、なんとかもうちょっと短い文面におさめようと考えたりしていたが、やはりどうしても長くなってしまう。 書くたびに、「ショート日記」というタイトルに違和感を覚えながら、どうしたもんだかと悩んでいたが、それならばタイトルを変えたほうが早いなあと、この機会にタイトルから「ショート」という文字を取ってしまうことに。 ちょっと安易な手かなあ。 でも、これで、ココロオキナク長々と書けるなあ♪ いや、本当は、もっとコンパクトにまとめて書くべきだと、わかってはいるけれど。。。 2010 12月 「朝顔のつるの巻く向き」 季節はずれな話なのだが、朝顔の話を。 夏には、プリゼミの前で朝顔を育てている。毎年、朝顔のカーテンを作っていた。 今年はエラブユリが夏に咲いたこともあり、朝顔はプランターに植えられず、鉢植えにすることに。 鉢植えなのでカーテン仕立てには出来ず、初の「あんどん仕立て」というものに挑戦。 あんどん仕立ては、摘心をしたり、支柱のわっかにそってツルを誘導してやりながら育てていく。 ある日、摘心をし、伸びてきたツルの向きを修正していると、、、。 ふと、あることに気づいた。 上にいこうと支柱に巻きつくツルをいったんほどき、わっかのほうへと巻き直してやるのだが、その時に、「ん?どっちに巻くんだっけ?」と、方向がわからなくなった。 そこで、インターネットで調べることに(便利だなあ、インターネット)。 すると、私の見たサイトでは「朝顔のツルは反時計回りに巻く」とあった。 私は書いてあった通りに“反時計回り”に巻いた。 ところが、しばらくしてよく観察すると、実は私は逆向けに巻いてしまっていることがわかった。朝顔が自然に巻いたツルをよく見ると、“時計周り”に巻いている。 でも、インターネットで調べ直すと、やはり「反時計回りに」と書いてあるサイトが多かった。 それなのに、私の育てている朝顔は「時計回り」にツルが巻いている。 この朝顔が特殊なのかなあ?と考えたりしたが、間もなくして、わけがわかった。 「反時計回り」という表現は、朝顔を上から見たときの表現なのだと気づいた。 実は、私は下から見上げた向きで考えていたので、そうすると「時計回り」に巻いていくように見える。 というより、私の見方のほうが自然なんじゃないの?ツルの立場からすれば、ツルの伸びていくのは時計回りやん! 上から見て、ツルが人間の目線に向かって反時計回りに伸びてくる、だなんて見方、なんか文字通り「上から目線」て感じで、エラそうな気がするなあ。 こういうことが気になり出すと、いろいろ調べてしまう私。 すると、サイトによっては「時計回り」と表現しているものもあり、「どちらの表現が正しいか」というテーマのサイトまで存在していた。 余談だが、「右巻き」「左巻き」と表現しているサイトもあったが、この表現については、学術的に論争を起こしているらしい(どちらの表現が正しいかでもめているらしい)ことまでわかった。 まあ、「右巻き」「左巻き」の論争は今はおいといて、「時計回り」「反時計回り」についていえば、朝顔の「育て方」を紹介しているサイトほど、「反時計回り」と表現しているところが多いと感じた。 これは、「育て方」というコンセプト自体が、「朝顔をどうやって人間の思うとおりに上手に育てようか」といった意識につながっているからだろう。 だから自(おの)ずと、「反時計回り」という人間目線の見方になっちゃうんだろうなあ、と思った。 中3の国語の教科書の中に、中村桂子著の「生き物として生きる」という文が載っていて、その中に 生き物である野菜は「育つ」のである。ところがわたしたちは、「野菜を作る」といういい方をする。「作る」という言葉には、思いどおりになるとか、思いどおりにしたいという気持ちが入っている。 とある。そして、 近年、何事も思いどおりにしようという考え方が、人間にまで向けられるようになった。 ともある。 その一例として、 以前は「子供を授かる」といういい方が多く使われていたが、今では「子供を作る」というのが普通になってきた。 と挙げられている。 朝顔に対する「反時計回り」という表現に、なんだか人間は無意識に傲慢な時があるんだなあと感じたし、その思考回路が子どもに対しても向けられているんだろうなあ、と、朝顔のつるを巻きながら、なんだかいろいろ深く考えさせられた。 、、、とりあえず、最初ムリヤリ逆向けに巻いてしまって、朝顔くんにゴメンなさい、って気持ちです、、、。 でも、私の間違った導きに負けず、朝顔くんはたくましく育ち、青くてすがすがしい色の花を毎朝ポコポコと咲かせてくれました☆ ![]() |
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| 2011 1月 「免許証更新・ブッサイク写真」 車の免許証を更新する時期が来たので、先日5年振りに羽束師の運転免許試験場へ行ってきた。私は5年間、この時を待っていた! というのも、前回の更新時の顔写真に大いなる不満を持っていたから。ヘン顔に写っており、5年間ガマンしながらそれをもちつづけていたから。 さて、今度こそはと、前回みたいにならぬよう入念にメイクをし、大きな白い封筒も用意し、気合充分で臨んだ。 …大きな白い封筒は何のためかって?レフ板(ばん)がわりでございます。レフ板というのは、女優やモデルが写真撮影時に用いるテクニックで、光を反射させてより美しく写るようにするための白っぽい板のこと。 白い封筒やかばんなどをひざの上にのせて撮影すれば、このレフ板効果が得られて、顔が明るく美しく写るらしい。 ……。 結論からいうと、今回もブッサイクに写ってしまった。。。 レフ板の効果なし。いや、効果があってコレなのか? とにかく、まだ前のほうがマシだった。しかも優良ドライバーなので、次の更新は5年後。 これが、車が運転できることを証明するだけのものなら出番が少なくて済むのだけれど、日本の場合、運転免許証は身分証明書としての使い方もあるからねぇ。 この先5年もこれでいくのか。ああ、もう何もかもイヤな気分。心はどんより。 友人に嘆くと、 「免許の写真はブッサイクに写るようにプログラミングされている。ほとんどの人がブサイクに写ると聞くし。頑張れ!」 と励まされた。プログラミング?う〜ん、どっちにしろ元気が出ないです。。。 たしかに、そんなプログラミングがあるかもと思えるほど(いや、あるわきゃないけれど)、たいがい免許証の写真は、みんなヘン顔に写りがち。なぜなら、流れ作業のように撮影される中で、イスに座ったらひと呼吸おくヒマもなく、表情を作る間もなく撮られるんだから。 この免許の更新というもの、写真撮影に限らず、全ての作業がめちゃくちゃテキパキこなされる。我々から見ると感心するが、職員の方々にとっては毎日の作業なので、彼らにはオチャノコサイサイという感じなのだろう。 彼らの誘導に従い、@番からE番までの窓口を効率よく回される私たち。あんまりにもテキパキと、流れ作業のごとくムダのない動きで回されるもんだから、ふと自分たちはベルトコンベアにのせられて順々に成型されてゆく製品みたいだなあと錯覚するほど。 学校がこんなんだと、コワイな〜と思ったりした。まあ、どっちにしても、子どもはこんなぴっしりと統率できるもんじゃないけれどね。子どもは好奇心旺盛だからね。あっちこっちに興味が向いて、団体行動からついつい外れがちだからね。 ただ、それが少々ならいいのだけれど、身勝手さが過ぎて団体行動に支障をきたすほどの子が、年々多くなってきているなあと思う。 プリゼミでも芋ほりやいちごがり、数学イベントなどを毎年おこなっているが、団体行動の中で自分だけ今やりたいことをやりたがってガマンできず、浮いた行動をとる子が増えてきたと感じる。 つづく。 2011 1月 「団体行動の中で浮く子たち」 前回のつづき。 また、ちょっとしたガマンができず、それを暴言という形として表し、みんなのテンションを下げてしまうような発言をする子も多くなってきたのが気になる。 四角四面に統率された中で行動するのはツマラナイし、できるだけ子どもの意思を尊重し、いろんな発見やひらめきを発揮してほしいというのがプリゼミの姿勢。 だから、プリゼミのイベントの進行は子ども次第。特にいもほりやいちご狩りは子どもたちの行動を見ながら次の行動を決めている。つまりアドリブ。許容範囲の中で好きに行動させ、私が仕切らないようにしている。 ただ、その許容範囲というのが大事で、ひとりの行動が逸脱し過ぎれば、みんなに迷惑がかかる。 「団体行動である」という意識を個々に持ってもらうため、イベントの初めには、そのことを子どもたちに説明するようにしている。 イベントページの写真にもほとんど毎回あるシーン(「団体行動であることを、うんぬんかんぬん」という写真)だが、お互いみんなで気持ちよくひとつのことをするには、周りに迷惑をかけないことを優先せねばならない、それゆえ時にはガマンすることも必要、そして、周りとペースを合わせるようにも気をつけねばならない、そういった協力を忘れずに、などということを言って聞かせている。 それでも、ワガママの度がすぎて団体行動を乱してしまう子は必ず数名はいて。。。そういう子たちのその原因は、ふだんからガマンするという姿勢が身に付いていないところにあるなあと感じる。 彼らの共通点として、飽きっぽいということもあげられる。最初は歓声をあげて飛びつくけれど、すぐに飽きてしまい、今までキャッキャと喜んでいたのに、すぐに「おもしろくない」「ツマラナイ」という言葉を平気で発してしまう。結構よくいるのです。 ちなみに、こういう子たちは、机に向かってもなかなか集中できません。 生活力と学習態度は相関があるのです。 中には、大声で「あ〜あ、おもんねー」を連呼し、「もう帰りたい」と叫んだりする子も時々いる。でも、そういう子に限ってさっきまでいちばんはしゃいでおり、また、何分かして次の行動に移った時には、いちばん張り切ったりする。 「おもんねー」という言葉を軽々しく口にしてはいけない。なぜなら、それは周囲のテンションを下げる発言であり、また、誰かを傷つける発言でもあるからだ。でも、本人はそれをわかっていなくて、なんの気なしに発している。 それをその子にわかってもらうため、「おもんねー」と発言した時には、主催者でありこの言葉にいちばん傷つく立場である私が、ありのままムッとした態度を見せ、そんなことを言われてショックだと伝えるようにしている。そうすると、「いけないことを言ったな」と、察してくれるからだ。頭で理解するのでなく、心で理解してくれるからだ。 相手の気持ちを思いやる心が生まれれば、そのために自分がガマンする気持ちも生まれる。そうすれば、団体の中で周囲に合わせた行動をとれるようになる。また、自分勝手な行動が周囲に迷惑をかけることを理解することで、自分の行動を客観的に捉えられるようになる。そうすれば、何事も、総括的な目線で捉えていけるようになる。 ・・・何でもつながって、循環しているのです。 「子どもの好きにさせる」という教育方針があるけれど、それは「子どもの好奇心を大事にし、伸ばしてやる」ということ。それを履(は)き違え、本当に子どもの好き勝手にさせてしまっているケースがある。 また、「親が口出ししない」という教育方針を、本当に放ったらかしてしまう風に履き違えているケースもある。 子どもには、まずはご家庭で、人を思いやること、ガマンすること、を教えないと。 車の免許証更新の話に戻るが、平日に行ったにもかかわらず、本当にびっくりするくらい大勢の人間が来ている。まあ毎日毎日、どんなけの人間が更新しているんやと思うほど。 あれだけの人間が、ちゃっちゃか手続きの手順を滞りなく踏まされる。 もしあれで、写真撮影の際、「ちょっと待ってください」と、イスに座ってから髪を整えたりなどモタモタする人がいれば、たちまちあの大量の人間の流れは狂うのだろう。 免許更新でスムーズにテキパキと事が運ぶのは、もちろん上手に仕切る職員らの手腕にもよるのだが、それに我々が素直に従っているからこそでもあるだろう。 誰もワガママを言わず、周囲を優先して流れに沿うから、それゆえほとんどの人がブッサイク写真に。。。(なんというオチ。。。) 2011 1月 「免許証更新・ヘッドライトの話」 免許更新の話を引っ張るが、運転者講習での話を。 自動車が歩行者を撥ねてしまうという交通事故の中で多いのは、「夜に道路を横断する人に車が直前で気づいて、ブレーキが間に合わない」というケースらしい。 ところで夜間、ヘッドライトは遠目(ハイビーム)と近目(ロービーム)とでは、どちらの使用が基本? 私は「近目」が基本だと思っていた。しかし実は、夜間走行の基本は「遠目」とのこと。 住んでいる地域にもよると思うが、この地域(プリゼミのある地域)のほとんどの人が私と同じように「近目」が基本だと思っていたのでは。でも、「近目」は前に走行している車がある時や対向車とすれ違う時のためのものとのこと。 たしかに、この地域ではいつも前の走行車や対向車がいる状態なので、常に「近目」にしているのが普通。ただ、それが通常化してしまっているおかげで、対向車などがいない場合でも、ついつい「近目」のままで走ってしまっている。 もちろん、たまに遠くに出かけて夜間に山間部など走ったり、走行量の少ない暗い国道などを走るとき、私も「遠目」にする。 私は、それが特別な場合だと思っていて、「遠目」は特別なもので基本は「近目」だと思っていたから、このへんの街中や住宅地で「遠目」を使うことはほとんどなかった。 しかし、これからは基本は「遠目」なのだということを忘れずにいたいと思った。 講習で教わった話では、「近目」は40メートル先を照らすのに対し、「遠目」は100メートル先を照らせる。歩行者などを早く発見できるから、「遠目」は夜間走行用なのだ。 また、「近目」が照らすのは40メートル先だといっても、それは40メートル先の地面。立っている人間自体の高さを照らすのは、なんと10メートル手前に来てからとのこと。 特に、夜間に黒っぽい服を来ている歩行者や自転車は見えにくく、「近目」だと10メートル前でやっと発見するので、ブレーキを踏んでもぜんぜん間に合わない、だからこのケースの事故がいちばん多いのだそうだ。 この事実を知って、ぞっとした。10メートルて。 これからは、たとえ街中であっても対向車や前の車がいない場合は「遠目」に切り替え、住宅地でも必ず「遠目」で走行しようと思った。 みなさまも、必ず「遠目」が基本であることを心にとどめて夜間の運転を行いましょう。 そして、歩行者や自転車の立場からも、やはり夜間は黒っぽい服を着るのは避けるようにしましょう。黒だけでなく、青や赤なども夜には目立ちにくい色だそうです。 もし黒っぽい服を着ているのなら、反射する素材を身につけるようにしましょう。プリゼミ生にも、夜に帰る中学生はやはり黒っぽい服の子が多いので、つねづね「黒い服は気をつけて」としょっちゅう声をかけていますが、「自分は大丈夫」と思うのか、認識がまだまだ甘いようです。 しかし、この地域ではほとんどの運転手が「近目」が基本だと思っている事実、そして、自分からは向こうから来る車のライトが見えても、そのライトに自分が照らされて運転手に気づいてもらえるのは10メートル手前なのだという事実を認識し、よくよく気をつけてください。 オススメなのは、自転車につける「タイヤライト」です。プリゼミの子がこれをつけているのを見たのですが、夜間、とても目立ちます。生徒が帰るのをプリゼミの前で見送る時、その子が200メートル先まで行っても、そのタイヤライトがよく見えます。本当にこれはいいです。 スティック状のもので、自転車のタイヤの空気入れのねじのところに取り付けます。振動するとライトがピカピカ光る仕組みなので、乗っている時にだけ自動的に光るから手軽です。 前輪と後輪につけるようにと2個セットで売っているものもあるようですが、片方のタイヤにつけるだけでも充分目立ちます。(その生徒も、兄弟で1個ずつ分けて使っていましたが、1個でも視認性はバッチリです。) |
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| 2011 2月 「さかさショベルカー」 私には、ヘンな特技がある。それは、字や図などを逆さにかくということ。ひらがな、数字、漢字、英語、イラストなど、逆さでかけてしまう。講師生活の間に自然と身に付いてしまった特技だ。 まあ、先生という人ならば、たいがいの人が出来る技(ワザ)かもしれないが。 ○をつける時、長年の習慣とは恐ろしいもので、生徒が気を利かせて、「ハイ、先生」と言ってテキストを私の向きに向けてくれた時には、かえって見にくかったりする。 「ごめんナ〜、せっかくこっち向けてくれたけれど、先生、さかさのほうが見やすいねん」 と言ってテキストを生徒のほうへ向けなおすと、みんな不思議そうな顔をする。 そんな私にも、ひとつだけ苦手なものがある。それは不等号マーク。 不等号マークというのは、コレ。→ > < ≧ ≦ 何年も講師をやっており、何年も逆さに○つけをしているが、これだけは不思議と未だに、とっさに向きがわからない。といって、生徒のテキストをこっちに向けると、かえって混乱するのだ。じゃあどうするかと言えば、不等号のところでは、生徒のテキストをこっちに向けるのではなく、私の手に持っている解答冊子を逆さに持って、○つけをするのだ。 さすがにこれは生徒にとって理解しがたい姿なのか、「なんでそんなややこしいことするん!」と、不可解な表情。 「長年やっているから、これのほうが先生には見やすいねん。」と説明すると、「ほんなら、新聞や本も逆さにしたほうが読みやすいのん?」と聞かれるが、それとこれとは別なんだな。 ホワイトボードに書く字も順当な向きだし、自分が本などを読むときはもちろん順当な向きのほうが見やすい。また、回収した答案用紙の○つけは、当然だが順当な向きのほうが見やすい。 生徒と向かいあって座った時にだけ、「逆向けのほうが見やすい」というスイッチが入るんだろうな。 先日、ある小学生の子にショベルカーを図示してあげることがあった。ちょっとした紙切れに赤ペンでささっと描くという、私にとっては何気ない行動。しかし、その子には衝撃だったらしい。 「先生、すごい!逆さに絵をかくなんて、すごい!」と、えらく感動。 その子は男の子。なぜか男の子は重機にあこがれやすく、その子も例にもれず、重機を描いただけで大喜び。しかも逆さ向けに描いたから、それは尊敬のまなざし。 そこまで心をとらえるとは思わなかったから、雰囲気だけで描いた、正しいかどうかは不明のテキトーなショベルカーだったが、「うまい、かっこいい、すごい、手品みたい」と大絶賛してくれ、「この絵、ちょうだい!」と言って、「やったぁ」と言って筆箱に大切そうにしまっていた。 自分ではそんなに思っていなかったけれど、ここまで感動してくれるとは、ひょっとしてこれって、ちょっとした才能かな?みなさま、どうですか?このショベルカーの絵。男の子に大絶賛されて、自分でもすごく上手に見えてきたのですが……。 2011 2月 「最適人数・その2」 私の日記には、「このことの詳細はまたの機会に」と書いておきつつ、そのままになっている話題がこれまでにたくさんある(^_^;)。 2009年の秋ごろ、最適人数というテーマで、マンツーマンについて思うことを書いた。そして、日記の最後には「プリゼミは1クラス5人までと設定しているが、そのことについては、またの機会に。」と書いて、そのまま放置していた。今回は、それについて書こうと思う。 ひところは、どのクラスも5人満員で、新たな入会希望の問い合わせがあっても断らねばならないことが連続してあった。そんな時は、よく他の先生方や保護者や周りの人たちに、「5人と言わず、受け入れ人数を増やせばいいのに。」と言われていた。 たしかに、プリゼミを開講する前に私が所属していた塾では、10名以上のクラスを受け持っていた経験もあるので、出来ることは出来る。 ただ、そうすると、プリゼミで私が目指したいと思っていることができなくなる。前の塾では出来なかったこと。 ……それは、ひとりひとりにきっちり対応する、ということ。 日記のどこかでも書いたことがあるが、私の授業はアドリブ。事前に準備したことや計画したことを実行するのではなく、日々、子どもを目の前にして、その場、その場で思いついた指導をしている。 もちろん、頭には、長い目でみたおおよその計画はあるのですよ。ただ、日々単位では、子どもの反応を見て、その場で思いつく指導を大事にしている。特に小学生クラスでは、今やっている問題への子どもの取り組み方を見て、次にさせる問題を考えたりする。授業中にその場でコピーをとったりする。時には、即興で私が問題を作ってノートに書いてやったりする。 そんなやり方だから、人数が多いと対応しきれなくなる。私にとっては、このやり方だと5人までが限界である。 また、「ひとり増えるくらい、大して変わらないんじゃない?」とも、よく思われる。 しかし、30人が31人に増えるのとは違い、5人が6人に増えるというのは、だいぶ違ってくる。また、小学クラスは同じ学年の生徒をそろえているのではなく、副学年方式で完全個別指導だから、バラバラのことをやっている生徒たちを同時に相手にするので、1人増えるというのは大きい。 という風に書くと、じゃあ少なければ少ないほうがいい、と思われる。 ……まあ、これのタイトルがちょいから日記ということで、辛口の本音を書けば、保護者の中には、子どもが友達をプリゼミに誘おうとしているのを、「人数が少ないほうがよくみてもらえるんだから、ダメよ」と言って阻止されるという、プリゼミにとってはトホホな話もよくある。 しかし、「少なければ少ないほどいい」というのは錯覚で、ある程度の人数がいないと子どもは伸びにくい。なぜなら、人間は周囲の人間と関わることで成長するからだ。 全く自分ひとりのペースでだと、比べる対照がないから、自分の欠点に気づきにくい。「他人が待っている、自分が待たせてしまっている」「他の子がちゃっちゃと準備をしているのに、自分はまだ鉛筆も出さずボーっと座っている」「他の子はきっちり座っているのに、自分だけあっち向いたりこっち向いたりしている」「他の子はちゃんと見直しているのに、自分はすぐに『先生』『先生』と連呼している」……などなど、そんな自分に気づけるのは、周囲に何人かいてこそ。 生徒同士、お互いが鏡となり、お互いに映し合いながら、自分の欠点の改善に反映させていく、子どもはそうやって成長していくのだと思います。それは、学力面での大きな要因ともなるのです。 保護者の方にも、そのことをわかっていただきたいと思う、今日このごろです。 |