| 過去のちょいから (`▽´) ショート日記 |
| <2009〜10冬> 12・1・2月 |
| 2009 12月 「武勇伝・その9」 さて、久しぶりの武勇伝も、残すところあと2回。オリラジの武勇伝が「ベスト10」までいって完結するというシステムなので、私もこれを10まで続けるつもりで始めたのだが、始めたのはなんと2005年の2月!ほぼ5年の時を経て、もはやオリラジの武勇伝は「死語」かも(゜□゜;) さあ、ファンのみなさま、お待たせいたしました。 さっそくいってみましょう(σ`∀´)σ♪ ♪Iくん答えを言ったげて♪おぅ聞きたいかオレの珍解答♪そのすごい珍解答をゆったげて♪オレの伝説ベストテン!♪レッツゴー。 中学クラスより、英語の授業での英文テストにて。生徒Iくんの場合。 問題≫次の日本文を英文に直しなさい。 ブラウン先生はいつも僕たちに「あきらめるな」と言います。 Iくんの解答≫Mr. Brown always says to us, “Don't get up.” なぬ? ちなみに、本当の答えは Mr. Brown always says to us, “Don't give up.” 「あきらめるな」は「Don't give up」。 Iくんの「Don't get up」だと、「起きるな」になるわいな。なんでこんな間違いしたんでしょ。 このあと、クラスメートから激しいツッコミが。「それってどういうシチュエーションやねん。」「授業中に居眠りしてて、起きたら先生が『起きるな』って言うシチュエーション?」「もう寝とけ寝とけ、かまへんから寝とけってか。」「そんなん言ってもらいたいわ。」「しかも、いつもやで。」「そんな先生いたらええなぁ。」「ブラウン先生、疲れている僕らのこと気遣ってくれてんねや。」「ブラウン先生、ええ先生や〜」 と、いつの間にか、架空のブラウン先生は人気教師に。 武勇伝、武勇伝♪ ぶゆうでんでんででんでん To be continued. (※Iくんに、このエピソードをここに載せることは、了承済み。) 2009 12月 「ピーター・フランクルに会った!」 実はこれ、先月11月の話。 11月3日に、京都の某ホテルにて塾の研修大会がありました。
その1部に、かの有名な数学者ピーター・フランクル氏の『教育について語る』という内容の講演があるというので、参加したのです、イエーイ。 全国から各塾の塾長たちが集まる大きな会だけれど、ここだけの話、研修大会うんぬんよりも、私はピーターに会いたいだけの理由で行ってまいったのです(誰もが閲覧可能なこの日記に書いたら、「ここだけの話」になりまへんわな)。 ピーターは、ハンガリー出身の国際的な数学者かつ大道芸人であり、国際数学オリンピックで金メダルをとりーの、12ヶ国語を話しーの、教育に広く深い知識をもちーのと、多彩な才能の持ち主。日本に20年ほど在住していて、6〜7年ほど前にも「たけし・逸見の平成教育委員会」など、テレビによく出演していたね。 さて、講演の前にピーターとちゃっかりツーショット写真を撮ってもらったあと、彼の講演の始まり始まり〜。 ピーターは大道芸人の衣装に着替え、壇上に。そして講演の冒頭に数学・算数の問題を3問出題。シンキングタイムと言いつつ、前でピーターがジャグリングを披露するもんだから、すっかり見入ってしまい、ぜんぜん考えられへん! ジャグリングのあとは、本題へ。日本の教育の問題点を指摘。 日ごろ私が懸念を抱いていることとかぶる内容のお話で、大いに共感。私なんかが言っても誰も聞く耳を持たないだろうが、ピーターのようなすごい人が言ってくれるのは、大変嬉しい。とても感動した。 でも、このことについて詳しく書くと大変長くなるし、また、それはこの日記でずっと書いてきていることだから、今回は割愛するとして、他の話(ほぼ自慢話)をば。 <これ以降、自慢話> さて、講演の終盤では、冒頭の数学・算数の問題が解けた人が壇上へ。私を含め、数人の先生がいたけれど、この日記をお読みのみなさま、聞いてください、 3問とも解けたのは私ひとりだけだったのですよ〜〜〜っっ <( ̄^ ̄)> 全問正解したごほうびに、ピーターに握手してもらいーの、記念品をもらいーの♪ では、私の勇姿をご覧あれ。 ![]() 右下の写真は、研修会のあとの懇親会の風景。 全国の学校・塾・出版社の方々のご挨拶の後、なんとトリは、この私!! 理由はとてもシンプル、名簿順だったからです。プリズム・ゼミナールの「プ」が最後尾になってしまったのですね〜。 つづく。 2009 12月 「ひらめき」 前回のつづき。 ところで、3問とも正解した私に、他の先生方はこう言うのだ。 「みわこ先生、ピーターの講演中、ピーターの話ひとつも聞かんと問題ばっかり考えてたんちゃう?」 それが、そうでもないのだよ。逆に、ピーターの話に熱中していたほうなのだよ。 ピーターの出題した問題はどれも難しそうで、どちらかというと私は、ほとんど解く気がなかった。ただでさえややこしそうな問題なのに、目の前でジャグリングの披露があるわ(早目に行って私は最前列の席に座っていた)、教育の興味深い話があるわで、とてもじゃないけれど、そんな環境で解けないと思った。問題だけ手帳に写し、家に帰って集中して解こうと思っていた。 ところが、ジャグリングに見入っている傍ら、「あ、さっきの問題、こうすればいいんじゃないかな?!」と、頭の片すみにひらめいたりするのだ。で、ピーターの話の合間をぬって、問題に挑んでみたら、1問解けたのだ。 そうなると、他の問題にも挑戦してみたくなるのだが、問題に集中し出すと、「ああ、やっぱ無理」ってなる。 で、あきらめてピーターの話に耳を傾けていると、また突然「あ、さっきの、わかったかも!」とひらめくのだ。 そんな風にして、2問目も、3問目も、解けてしまった。 先月の日記で「フリスクのCM」のことを書いたけれど、リラックスしているほうが脳は活躍するのかな。
机に向かってえんぴつを動かしている姿はいかにも勉強しているって感じで、美徳ともされがちだけれど、果たしてどうかな。 人間にはリラックスする時間が必要だと思う。時には、大いに羽を伸ばして遊ぶことも大事だと思う。それは、無駄なことではなく、絶対に必要なことなのだと思う。遊ぶことも上手に出来なきゃ、魅力的な人間にはなれない気がする。 本当の「かしこい」って、どういうことかわかりますか。 自分に自由な時間がなかったり、遊ぶ時間がなかったりすることを、むしろ誇らしげに思っている人がいるけれど、それってどうだろう。 本当は、工夫してでも、なんとか遊ぶ時間を作るべきものじゃなかろうか。 「そんな無駄なことはしない」と言い、それが美徳だと思っている人がいるけれど、どうだろう。遊ぶ時間の確保は、努力してでもすべきじゃないかな。 遊ぶこと=勉強だと思う。遊びの種類にもよるけれど、遊びというのは、自分にいろんな刺激を与えてくれるものだと思う。 自分を、いろんな刺激の中に放り込む努力は必要だと思う。 世界は、自分が思っているより広いから、たくさんの刺激に触れて目を養わなきゃ。 自分が正しいと思っていることが、実はひとりよがりなだけかもしれない。 それに気づけるためにも、今いる世界の中だけに閉じこもらないように。 ・・・なんだか、話がとってもずれてきてしまったので、このへんでm( _ _ )m |
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| 2010 1月 「ブラックな年賀状」 それは、プリゼミ1年目の年賀状だった。つまり、プリゼミを開校して初めて出す年賀状。酉(とり)年の年賀状だった。 酉(とり)年を迎える直前の年末、このときのプリゼミは大パニックだった。これはプリゼミ1期生しか知らない、知る人ぞ知る出来事なのだが、とにかくちょっと、すさまじくパニックな出来事があったのだ。 だから、こんなこと言うのもなんだが、あの時の私は、ぶっちゃけ、年賀状どころではなかった。……今だから言えるが、あの時の年賀状作りは大変ええかげんで、ニワトリの絵も、めっちゃテキトーに描いた。約10分で描きあげたそれは、でも、そこは別に問題なく、低クオリティーながらも、ふつうに見られるレベル。ニワトリが大空を飛んでいる絵だ。飛べないニワトリが空を飛んでいるという、夢のある絵だ。そこには、「不可能を可能にしよう」という意味を込めたつもり。 しかし私は、この年賀状でひとつ、先生として、あるまじきミスを犯してしまったのだ。 ……問題は、そのニワトリにつけた吹き出しの中に書き込んだセリフ。今でも顔から火が出るほど恥ずかしい。 あの時、頭が混乱していた私は、年賀状をかいている時も心ここにあらずといった感じで、気があせりながら、意識が半分とびながら書いていた。と、ごちゃごちゃと言い訳をしておりますが、結局ニワトリのセリフに何を書いたかと言うとね、 I can fry ! と書いたのです。 うお〜ん(≧Д≦)っっ、やってしまった! 「おまえは中1か!」と自分でツッコミを入れたくなるようなミス。そう、本当は I can fly ! と書きたかったんですね〜。「ぼくは飛べるんだ!」って意味。 それが、 fly を fry と書き間違え、これじゃ「ぼくはフライ(揚げ物)になれるよ!」ってな意味に。 ニワトリさんのセリフに、これは・・・(- -;) なんとブラックな年賀状なんでしょ。 私はこのミスに気づかず、そのままその原稿をスキャナーで読み込み、年賀状に印刷し、みなさんに送ってしまったのです。 それに気づいたのは、なんとまあ、約2年後。いのしし年の年賀状を作っていたある日、過去のトリ年とイヌ年の年賀状を出してきて、何気なくニワトリのセリフを見た時、「あ゛っ」と気づいたのです。 その瞬間、サーッと血の気が引く感じがし、頭が真っ白になりました。 「私としたことが〜!!」と、ショックで頭を抱え込みました。中学生に英語を教えている立場であるこの私が、なんとまあ恥ずかしい間違いを。 すぐさま年賀状を回収したい思いに駆られながらも、時すでに遅し。ていうか、2年も経っている。ここは、誰も気づいていなかったことを祈るしかあるめぇ。 ところが、やはり生徒は気づいていたようで。 何気なく、中3クラスで「だいぶ前、年賀状でスペル間違えたんやわぁ」と言ってみたら、ひとりの生徒があっさり「うん、知ってた。」と。 この生徒いわく、年賀状を見てスペルの間違いに気づいたものの、ミスのレベルがあまりにも低すぎて、「これは指摘していいものかどうか」と私に気をつかい、言い出せなかったとのこと。 人間やはり、心に余裕がないと、いい仕事は出来ないのネ(;_;) その問題の年賀状も、5年も経った今、時効かと思い、ここに公開いたします。 ごらんになりたい方は、こちらをクリック → orz。 ついでに他の年の年賀状も見てネ。 2010 1月 「高い所から落ちる夢のメカニズム」 ひざを立てて寝ると、ほぼ確実に落ちる夢を見るのをご存知ですか。 高い所から落ちる夢は、誰もが見たことあるでしょう。落ちる瞬間、ヒューッと心臓がすくわれるような感覚も得て、リアルですよね。 今回は、高い所から落ちる夢のメカニズムについて。心理学や夢占いの話ではありません。これは、科学的なお話です。 最初はひざを立てていなくとも、寝ているうちに、無意識にひざを立てていることもあります。そんな時に、夢を見ていたとします。でも、その夢はまだ、高いところから落ちることとは無関係な内容で、普段の夢です。遅刻しそうで必死に走っていたり、楽しくドライブしていたり、恋人とレストランで食事をしていたり・・・と、様々な夢を見ていることでしょう。 ところが、そんな夢を見ている最中に、布団の中で立てていたひざが伸びたとします。その瞬間、夢のストーリーが急転回します。 立てていたひざが伸び切るまでは、ほんの数秒です。このほんの数秒の間に、落ちる夢のストーリーが完結します。 そのメカニズムは、こうです。ひざが伸びる時には、足の裏がシーツの上を滑っていきます。「シーツが足の裏をシューッと擦(す)る感覚」が、脳内で「落ちる感覚」へと変換され、落ちる夢へとつながります。つまり、どんな夢を見ていようと、足の裏がシーツを擦る感覚を得た瞬間、夢のストーリーは急変し、落ちてゆくストーリーへと仕立てられるのです。 例えば、遅刻しそうで必死に走っている夢を見ていたとすれば、シーツが足の裏を擦った瞬間、先急ぐ廊下の先に急な下り階段が現れ、そこを駆け下りる時に大きく足を踏み外し、転落する、などというストーリーとなるのです。 また、楽しくドライブしている夢を見ていたとすれば、足の裏がシーツの上を滑り始めた瞬間、急に後ろの車が銃を発砲しながら追いかけてきて、猛スピードで逃げ、崖に追い詰められ、ブレーキを踏んでもきかず、そのまま落ちてしまう、などというストーリーに変わるのです。 レストランで食事をしている夢だとしたら、足の裏がシーツを滑る感覚を得た瞬間、今まで楽しくしゃべっていた恋人となぜかケンカになり、口論から殴り合いに発展し、ついには怒った恋人に持ち上げられ、窓から放り投げられる、などというストーリーに急変するのです。 スゴイと思うのは、これが「一瞬の間に成される」ということです。足が伸び切るまでのほんの1、2秒間で、いや、足が滑っている前半の部分で、落下に向けてのつじつまの合うストーリーを経てしまい、足が滑っている後半部分は、落ちている場面に相当するのです。 そう、先ほどのドライブの例で言うと、「後ろの車が急に銃を乱射してきて、びっくりして逃げ、崖に追い詰められ、慌ててブレーキを踏んだのに、ブレーキがきかず、車ごと崖の向こうにポンっとはみ出ちゃった、わ〜、落ちる〜!!」という、これだけのストーリーを、たった1秒足らずの間にこなしているのです。もちろん、夢の中では、それが1秒ほどの間に起こっているとは感じません。夢の中では、ひとつひとつの行動をしっかり認識しながらストーリーは進んでいっているのです。不思議でしょう?すごいでしょう? 足の裏がスーッと滑る感覚を得た瞬間、夢は途端に「落ちる夢」へと方向転換し、落ちるためにつじつまが合うストーリーを経て、足が伸びきった時には落ち終わっているという、それを数秒間でやってのけてしまうという、驚くべき脳のメカニズム!! 夢以外でも、これと似たようなことで、「一瞬のうちに大量のことが考えられてしまった!」という経験も、みなさんおありかと思います。 人間の脳には驚くべき能力があって、それは日常の中でちょろちょろ出るのですね。ただ、どうでもいい場面で出ている気もしますが・・・(^^;) でも、なんにせよ、この「落ちる夢」のメカニズムひとつをとっても、人間の能力って、その可能性は計り知れないなあと思います。 2010 1月 「知的好奇心」 この日記、「ちょいから日記」というわりに、最近ね、なんだか「辛口」じゃなくなったね、と気づいている方もおられるだろう。なんか無難なことばっかり書いてへん?というツッコミもありそう。 ここ1年ちょっとの間に、環境の変化というか(←う〜ん、なんかちゃう)、私の立場とでも申しましょうか(←う〜ん、これがしっくりくるかなぁ)、ま、いろいろありましてね(←でたぁ、子どもに通じぬ「大人の言い訳」の定番?)、うんちゃらかんちゃら。 で、たまには初心に戻って、「世の人は われをなにとも ゆはばいへ(by坂本竜馬)」の精神で、今回は自分の思いを正直に書いてみようかな。 ○●○●○●○●○●○●○●○ 「教え上手な先生」って、どんな先生? よく、小学部などの講師の募集で見かける文面に、「子どもが好き、その気持ちさえあれば、誰でもOK」みたいなのがある。私はいつも、「それってどうよ(’’?)」と、疑問に思っている。 正直に言うと、私は「子ども好き」ではない。子どもとは少し距離を置いて接しているというか、子どもから「先生〜」と言ってくっついてこられる柄(がら)ではない。 それでもたんまに、私の背中に抱きついてきたり、腕にからまってきたり、手をつないでくる生徒もいるが、私はそんな時、とまどってしまう。どちらかと言うと、子どもは苦手かな。とにかく、「私は子どもが好きだ〜」と自覚したことはない。 子どもが好きなことと、勉強を上手に教えることとは、別問題だと思う。子どもへの愛情が、教え上手につながるわけではない。むしろ、一歩引いた目線のほうが、かえって子どものことを全体像で客観的に把握できて、よく見えるかもしれない。 「子どもが好きだったらダメだ」と言っているのではないですよ。子どもが好きだという条件だけで講師を募集しているのが、おかしいと思うのだ。子どもが好きなだけで出来るほど、「先生」という仕事は甘くないからだ。こういう募集の仕方をしている塾や教室って、どうなのかなあと思う。 また反対に、「講師の高学歴」を謳(うた)っているところもよくあるが、あれもどうかな、と思う。もちろん、先生自身にも、ある程度の知識や学力は必要だと思う。しかし、学歴の高さと教え方のうまさは、比例しない。なぜなら、子どもに勉強を教えるというのは、知識の伝授だけではないからだ。 先生のいちばんの役目は、子どもに力をつけてあげることだと思う。力というのは、知識だけではなく、まとめる力、理解する力、生み出す力、とことん考える力、第三者に上手に伝える力、何かに頼らなくても自力で解決できる力、集中力、知的好奇心、と、そういったところだろう。子どもにそれらの力をつけてあげる能力は、先生の学歴には比例しないんじゃないかな。 私は、これらの様々な力を、先生自身もまた、持っていなきゃいけないと思う。言うまでもなく、理解力がない先生や注意力散漫な先生、考える力がない先生は、まずあり得ないとして、忘れちゃいけないのが、知的好奇心かなあと思う。先生は、これを持っていなくちゃ、と思う。 勉強の楽しさを知っていて、いつも知的好奇心いっぱいで子どものようにキラキラしている先生は、絶対に教え上手。子どもに本当に伝えるべきことを知っているから。 義務で、または、時給がいいからだとか、仕事だと割り切って教えているような先生なら、高学歴であろうが、いい教え方は出来ないと思う。 2010 1月 「大人版『科学と学習』」 ![]() ある日、ふと携帯に、友人から「ミニエレキを作ってみた」という写メールが送られてきた。 それには、右の画像が添付されていた。 (○○さんへ・・・無断で勝手に載せてゴメンm(_ _)m) 完成したエレキと共に、とある雑誌が写っている。 その雑誌は、「大人の科学マガジン」。 この「大人の科学マガジン」は、3〜4ヶ月に1回くらいの割合で発行されていて、100ページほどの冊子に、組み立て式の科学キットが「ふろく」として付いているもの。 ちなみに、これのサブタイトルは、 “元祖ふろく付きマガジン 大人版「科学と学習」” ・・・そそられますなぁ、にんまり( ̄ー ̄) そして最新号の付録は、なんとミニエレキギター!超ミニだけれど、アンプとスピーカーが内臓されて、ちゃんと音が出るらしい。自分で組み立てるから、エレキギターのしくみも知ることができる。 この友人も先生をしているのだが、ふだんから、よく子ども向けの科学雑誌を買って自分が楽しんだり、自宅で科学の実験や工作を楽しんでいる様子。前回の日記で書いたように、子どものようにキラキラとした知的好奇心にあふれているから、きっと教え上手な先生なんだろうなあと思う。 以前に、私にこんなものをプレゼントしてくれたことがある。球体の立体ジグソーパズルだが、グラス製で、完成したら光らせることができる。 画像は、組み立てて完成したものに、ライトのスイッチをつけたところ。 うっとり( ̄- ̄*)人 球体のジグソーパズルって、前からやってみたいと思っていたのよね〜。私がこういうのを喜ぶってことがわかるのがスゴイ。同じ感性の持ち主なのかもね。 で、写メールの話に戻る。エレキの完成品に興味をひかれたのはもちろん、そのエレキの後ろに写っている雑誌の表紙には、あの布袋寅泰(ほていともやす)が! なんとまあ、カッコイイ(´∀`*)人 たぶんミニエレキギターだけを見たら、それが超ミニであるがゆえに、ひょっとしたらそれほどすごいと思わなかったかもしれないが、布袋寅泰というだけで、このミニエレキがすんごくカッコよく見えちゃうんだから、私の価値観って単純よね〜。いや、私だけではないだろう、この布袋(ほてい)効果。 ミニエレキ付きの「大人の科学マガジン」、 絶対私も買うんだ〜(´∀`*)人♪♪♪ 2010 1月 「私もミニエレキを作るぞo( ̄^ ̄)o」 で、買いました。 ![]() 左が、付録の箱と一体になったブック。表紙にご注目。超ミニのエレキも、布袋さんが持つとめっちゃカッコイイ。 右が、箱から出したエレキのパーツ。思ったよりパーツ少ない。これでちゃんと音が鳴るのかなあ。 これからヒマを見つけて作りますが、実はこれとほぼ同時に、同じ「大人の科学マガジン」のバックナンバーで、プラネタリウムが付録になっているものも買ってしまいました。 ミニエレキとプラネタリウム、どっちから先に作ろうかo(^-^)o♪ こういう、子どものようにワクワクする気持ち、大切だと思います。 まだ作る前ですが、嬉しくて箱を生徒に見せびらかしたら、けっこう生徒の食いつきも良かったです。「ボクも作りた〜い」という子も。 子どもにはちょっと難易度は高いでしょうが、興味ある子にとっては、大人が作っている過程を横で見ているだけでも楽しいもんです。 だから、私ひとりでこっそり作ろうか、それとも、授業の合間の空き時間に生徒の目の前で作ろうか、悩み中です。でも、生徒の前で作ったらドタバタしそうで、ネジいっこなくなった、とか、なりそーだからなあ。 おうちで、親が作って見せてあげるのはどうでしょう。 時には大人も童心に返って、子どもと一緒に工作の時間を共有するっていうのも、大切だと思います。親子で知的好奇心を満たすなんて、素晴らしい! また、その時に交わす親子での何気ないやり取りが大事、そう、日々交わす言葉や表情、気持ち、意見の言い合いッコなど、ちょっとずつの積み重ねが、生きた教育なのです。 で、エレキの箱を見せびらかした時に、当然出た生徒からの質問。 「みわこ先生て、ギターひけるん?」 ・・・いえ、まったく弾けまへん。 ギターの持ち方からして、なんにもわからないですorz。 |
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| 2010 2月 「至れり尽くせり」 今の日本、子どもの数が少ないせいで、いろんな所で子ども確保合戦が起きている。 と、こんな話をすると、真っ先に思い浮かぶ所というのは学校や塾だろう。学校も塾も、子どもを集めるために、あれやこれやと策を練っている今日この頃。 その中には時々、「子どもを集める工夫が本来の意義とはかけ離れ、策略化している」と感じる所もたくさんある。 ただ、それについては今のところ、あまり私の思いを書くことができない。なぜなら、そのことをせつせつと書けば、学校批判や他塾批判ととられる可能性があり、トラブルにもつながるからだ。 ということで、「教育関係でありながらも教育現場とはちょっと違う所での話」をしようと思う。 それは、受験生を対象にしたホテルや、一人暮らし学生のマンション。 大学入試シーズンになると、ホテルは受験生向けの宿泊プランを用意する。私はテレビで見たのだが、それがまあ、他ホテルとの競争、少しでも良いプランをということで、その至れり尽くせりの度合いがスゴイのなんの! 今年はインフル騒ぎがあったので、インフル対策を盛り込んだプランを売りにしているホテルが多かった。例えば、全室にウイルス対策機能の付いた空気清浄機を設置していることをアピールしているのは序の口で、のどの乾燥を防ぐためにミネラルウォーターを提供するだとか、アメニティグッズ(ホテルの部屋にある持ち帰りOKの備品)に、のどスプレーと携帯消毒液とマスクを準備し、そのマスクも、じゃばら型や立体型など複数の種類が各部屋の机に置いてあって好みのものを選べますだとか、なんというかまあ、小さなところで他と差をつけて必死でアピールしているって感じ。 インフル関連以外では、夕食は部屋で食べられるというサービスがあったり、受験当日の朝、モーニングコールで起こしてくれるのはもちろんなのだが、その後ちゃんと起きたかをホテルのスタッフが確認してくれるサービスがあったり、受験大学までチャータータクシーで送り届けてくれるサービスがあったり。 一人暮らしの学生をターゲットにしたマンションなどの売り込みもスゴイ。かっこいいデザインの玄関ホール、最先端技術を駆使したセキュリティーシステム、若い子にウケそうな部屋の内装、配色、ボタンを押せばなんかいろいろ動く仕掛け、今ならではのウリネタとして「地デジTV付き」、おされ〜な照明や設備、などなど、ホント至れり尽くせり。「学生にはぜいたくやろ」って感じがするのだが、それって私の目線がオバサンぽいのか? とにかく、各マンションは、その洗練度と設備の充実度で競い合っているって感じで、それらをテレビで見た私は時代を感じ、ホントびっくりね〜。(やっぱオバサン?) ここに挙げたホテルや学生マンションの話は一例で、他にも子どもや学生を対象にした商売は世の中にたくさんある。そして、人数を取り込むために、あれやこれやと学生のお世話を焼くのが、それらの戦法。 私が思うのは、少子化の時代に育つ子たちは、常にこうやってちやほやと大事にされる環境で生きているんだなあってこと。今の時代を冷静に見ると、子どもはいつでもどこでも、すでに用意された環境の中に放り込まれている。でも、これじゃダメなんじゃないかな。 物事を選ぶ時の視点を、意識して変える必要があるだろう。子どものための事柄を比較選択する時、たとえば、学校や塾や教室を選ぶとき、その価値を「あれがしてもらえる、これがしてもらえる」という受け身の視点で見るのではなく、「自分にいちばん必要なものは何か」という自発的な視点で見るだけで、だいぶ違ってくると思う。お膳立てされる環境、座っていれば向こうからいろいろと与えられる環境より、自分で考えられる環境、働きかけないと出てこない環境のほうが、心も頭も健康に育つと思う。 2010 2月 「範囲を把握しない生徒(実話)」 今回は、前回の日記を引きずる内容かもしれないです。 さて、2つのタイプの塾があったとします。 ●塾1●学校のテスト前、本人は試験範囲を把握していないが、塾の先生が把握していたので、試験範囲バッチリの練習プリントが配られた。学校の先生がどこが大事って言っていたか、本人は把握していないが、塾の先生の「お前の学校の○○先生は、よくここを出すんだ」という分析で、その傾向にそって教わり、結果、学校のテストでそこそこの点が取れた。 ●塾2●学校のテスト前、本人が試験範囲を把握していないので、塾の先生に「じゃあ、どこを勉強すればいいかわからんな」と言われた。学校の先生が言っていたポイントも本人が覚えていないため、塾の先生に「どうすんの?」と言われ、「じゃあ、とりあえず教科書の○ページのところを勉強してみます」と返事し、先生はその子のいう通りにしたが、結局は試験範囲とは違うところだったため、テストの結果はさんざんだった。 さて、どちらの塾がおかしいでしょう。「塾1」ですか?「塾2」ですか?それとも、両方ともおかしいですか? まず、「塾1」について、私はおかしいと思います。しかし世間では、「塾1」のような教室が頼りになる塾として評価されているのかもしれません。でも、それなら勉強ってなんだろう、教育ってなんだろう、って、私は思ってしまいます。前回に書いた「お膳立てされる環境、座っていれば向こうからいろいろと与えられる環境」というのは、この「塾1」に当てはまっていると思います。 次に、「塾2」ですが、こちらは微妙です。この塾の先生が本気でこのセリフを言っているとしたら、やはりおかしいです。試験範囲については、学校のカリキュラムや前回のテスト範囲から大体想像できますし、「テストではこういうところが問われやすい」という傾向も、塾の先生ならわかっているべきだからです。 ただ、この先生が、本当はわかっていながらも、わざとこういう態度をとったとしたら、私は大いに「アリ」だと思うのです。目の前の点取りより、その子の将来を優先したと言えますし、また、本当は点を取らせてやることが出来るのに、あえてそれをしない選択は、先生にとって勇気のいることだと言えるからです。 さて、プリゼミはどちらのタイプの教室かと言うと、「塾2」と言いたいところですが、残念ながらそうではありません。私はまだまだ弱い人間で、葛藤に負けてしまう時があるからです。本当は、目指すところというか、プリゼミの考えとしては「塾2」なのですが、実際にやっていることは裏腹で、「塾1」のようになってしまう時があるのです。これではいかんなーと思っています。 もうすぐ新学年が始まります。プリゼミに在籍している中学生たちも、今の学年での1年間が今月末で終わろうとしています。1、2年生は、ただ今、中学校の学年末テストの時期です。 プライバシーを考慮し、この日記にはこれまで、クラスを明記しての生徒のエピソードは書いたことがなかったのですが、今回は複数犯ということと、たまには正直に保護者の方に実情が伝わるっていうのもいいかなと思い、ただし、これは私の無能さをさらすことともなるのですが、言いますと、現中1が、今回のテストの前日に、範囲を把握していなかったのです。生徒5人中、4人がKG中学で、水曜日に数学のテストがあるのですが、前日の火曜日の夜、4人ともが数学のテスト範囲を把握していなかったのです。具体的に言うと、「球」が範囲に入ることを私は知っていたのですが、みんながみんな、「球は出るかどうか知らん」と言ったのです。生徒たちが中学校からもらっている出題範囲表には、ちゃんとその範囲の中に「球」と書かれています。 つづく |
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