過去のちょいから (`▽´) ショート日記


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 <2009夏> 6・7・8月
2009
6月 「借りたもの、返さなくていいの?」

  私は実はこう見えて(どう見えて?)、学生時代に、算数・数学に躓(つまづ)いたことが最大危機レベル(どんなレベル?)で2度ある。1度目は、早くも小2のひっさんだった。

 私は昔から、納得しないと進むことができないタイプの子だった。「そんなもんなのだ」と適当に折り合いをつけることができず、要領が悪かった。
 しかし、勉強において要領の悪い子のほうが、よく考える姿勢ゆえに、ホンモノの力(ちから)がつき、ずっと伸びてゆけるものだ(←自画自賛みたいになっちゃっているが、私が講師として子どもたちに接している上での信念であります。)

 さて、算数がおもしろくてたまらず、すいすい出来ていた小学生の私が、とたんに算数が出来なくなったアクシデント。それが、くり下がりのある、引き算のひっさんだった。
 
例)

ひっさんは1の位(くらい)から計算しますが、この場合2−8となり、引けません。そこで、十の位から、“10”をひとつ借りてくると言いますよね。それが「くり下がり」です。

 このときの、「10をひとつ借りてくる」という表現に、私の戸惑いの原因がありました。小2の純粋な私の思考回路には、「借りた10は、いつ返すの?」という思いが。。。(私にもこんなカワイイ時代があったのです。)
 答えを“14”と出せても、10を借りっぱなしで返さないままなのは、なんだか子どもゴコロにつじつまが合わない感じで、中途半端な気がし、「答えが出た」というスッキリ感が得られず、釈然としない。
 しかも、2から8が引けないからと言って、となりから10も借りてこなくっても、6つ借りてくるだけでいいやん、という気持ちもあった。だから、いったん10借りてきても、使うのはそのうちの6つだけだから、あとの4つはどこ行っちゃうの?と、小2の私は、とても疑問に思った。

 そこで、それを先生にたずねてみたが、
「そんなこと考えなくていいの。こうなるって覚えればいいの。」
てな風に、言われてしまった。それで、くり下がりのひっさんにはますます不信感がつのり、それが、「算数がわからない」という感覚へ、つながっていった。私にしてみれば「借りっぱなしでホッタラカシにされている数が、どこかに残っている」と思えるのに、「はい、これでよろしい」と強制終了を押し付けられることによって、算数というもの自体がなんなのかよくわからなくなったのだ。
 それからしばらくは、算数に苦手意識を持つようになった。

 先生は、私の疑問にうまく答えられないから、あんな発言をしたのだと思う。いや、先生自身、よくわからなかったのかもしれない。
 今の私には、あの当時の私の疑問の正体は、「借りる」という言葉のニュアンスから錯覚が起こって、自分で“数のトリック”を生み出してしまい、それに自らかかっていただけとわかるが、当時、先生は、そのことがよくわかっていなかったのかもしれない。
 みなさんは、もし、あの頃の私と同じような疑問を抱く子があらわれたとしたら、うまく答えてあげることはできますか?それとも、「そうなるもんなのだ。」と、逃げますか。

 こういう疑問に、ちゃんと向き合ってあげて、納得させてあげられる講師こそ、本当に子どもの才能を伸ばせる講師だと思う。
 子どもにしたら真剣な事柄なのに、「そんなこと、どうでもいいこと」と軽くあしらい、説明を放棄する講師は、せっかくの子どもの好奇心や、知りたい気持ち、考えたい気持ちを殺し、才能の芽をつんでしまうのだと思う。

 また、子どもというのは幼ければ幼いほど、ほんのちょっとしたことから、大人の想像を超えた思考回路へ走ってしまうもの。「借りる」というコトバのせいで、これほどまでにひっかかってしまう子もいるのだ。でも、その子の小さな世界観の中で、その子なりに精一杯考えている。
 子どもとはそういうものなのだと理解し、同じ目線に降りて一緒に悩んであげられますか。子どもならではの思考回路ゆえ、知らずのうちに自分でトリックを生み出してしまい、自らそれにひっかかってしまう子が割とたくさんいるのを、ご存知ですか。自縄自縛(じじょうじばく=自分の縄で自分を縛る)におちいっている子の混乱を知り、その縄をほどいてあげられますか。

 ・・・私は今でも、この子どもの頃の記憶のせいか、くり下がりの計算での「借りてくる」というコトバに抵抗を感じ、子どもを指導する時にもこのコトバを使えないでいる。トラウマやなぁ。
 だから、講師である今の私が子どもに使うのは、
「となりから10をひとつもらってくる
という言い方だ。
 いや、これこそが、本来の言い方であるべきじゃない?しっくりしっくり(・∀・)

 「借りる」はおかしいよ。「もらう」と言うべきよねぇ?


2009
6月 「インプット・アウトプット」

 「小学生は教えられるけれど、中学生は教えられない。」と言う大人は多いと思います。いや、『大人』と表現しましたが、厳密に言えば、このセリフを『保護者』から聞くことが多いです。今いったん『大人』という風に表現を濁してしまったのは、なんとなく保護者を責めてしまうことにつながりそうだったからです。つまり、親は子どもに教えているつもりでも、実はそれがうまくいっていないか逆効果になっている場合が多く、それを指摘するのは、なんとなく保護者を否定するようで、私としては躊躇(ちゅうちょ)するのです。
 だから、イイワケを先にしておきますと、「それは仕方がない」とフォローしておこうと思います。保護者は先生ではなく、勉強を教えるプロでもないから、「子どもの勉強をみているつもりで、実はそうなっていない」ってことに気づけないのは、仕方がないのでしょう。。。

 さて、本当は中学生より小学生をみるほうが難しいです。しかも、低学年であるほうが余計に難しいです。なぜなら、彼らは「人生経験」が少ないからです。みるほうもその人生観に合わせなきゃいけないから、それが大変なのです。

 ところで、勉強をみるということは、答えややり方を教え込むことではありません。そのことを認識していない大人の失敗として、子どもに誘導尋問してしまっているケースや、一方的な解説に走っているケース。子どもが「うん、うん、」と相槌を打っているので「わかってくれている」と感じてしまいますが、本当はその場限りの理解で、ややもすれば「右から左」状態でしょう。
 もし、心当たりがある方は、次の日に子どもに同じページをさせてみてください。たぶん、子どもは昨日と同じつまづきを繰り返すんじゃないかと思います。
 大人の解説を聞かされているだけの状態では、子どもの頭には「バラバラの知識」として入り、チンプンカンプンさが増幅されがちなのです。
 知識は、網の目のように形成していかなければなりません。

 子どもに勉強を教える上で、大人の役割は、「ああでしょ、こうでしょ、わかる?」という具合に、理屈や知識をインプットしてやることだと思われがちです。
 でも私は、子どもから知識や能力を引き出してやること、そして、そんなふうに子どもにアウトプットさせたことに対して上手に反射してあげ、新しい知識に結びつけてあげることが、指導する大人の役割だと思っています。子どもが、既知の事実と関連付けながら知識を増やしていけるように…。決して教え込むことではありません。
 先生は、その子がそれまでの人生で身につけてきた範囲での知識や感性を総動員させ、そこから解決に持っていかねばなりません。それゆえ私は、年齢が低い子ほど指導を難しく感じるのです。
 話の的が外れてしまうかもしれませんが、例えば低学年の子が「ゲージュツって何?」と聞いてきたら、みなさんはどのように答えてあげますか?
 少し国語の問題ぽく聞こえてしまったかもしれませんが、算数なら算数なりに、社会なら社会なりに、どの教科にも「その子が理解できる範囲」というものがあり、その範囲の中で説明してあげないといけません。それには、その子の土俵を知る必要があり、その土俵は低学年の子ほど小さく、その制限の中で紐解いてあげるためには、じっくりと子どものアウトプットに付き合わなければなりません。

 親はあせりがちです。それで、子どもに結論を押し付けてしまいがちです。
 でも、それは必ず空回りし、時には逆効果となって、子どもに「勉強というものへの間違った解釈」を植えつけ、「考えない姿勢」をもつけてしまいかねません。
 人生経験のある大人にとっては、その内容も原因も成り行きも把握した上での結論でも、子どもにとってはいきなりの結論で、なんのこっちゃ、という感じなのです。例えば、いくら「こうした方が便利でしょ」とテクニックを教えても、「どうしてそのほうが便利なのか」という根本的なことを伝えていなければ、それは子どもにとって価値あるテクニックとはならないのです。
 子どもは、実際にはわかっていなくても、親に説明されている最中は本人もわかっている気がして「うん、うん、」と頷(うなず)くものです。そして、そのようすを見た親も、「この子はわかってくれている」という気持ちになってしまいます。しかし、子どもにアウトプットを促してみてください。その思考回路を引き出してみれば、びっくりするような勘違いをしていたり、こちらが当然だと思っていることを理解していなかったり、奇想天外な発想をしていたり、こちらが思いつかないような思考へ走っていることに気づけるはずです。それを知らずにこちらからインプットするのみだと、不協和音が生じます。 大人が通じていると思っていることは、実際には通じていないものなのです。

 また、会得してゆくスピードも、大人レベルで考えてはいけません。子どもはその小さな世界観の、少ない知識の中で考えるわけですから、時には何倍もの時間がかかります。人生における失敗の経験数も少ないわけですから、まだ要領も悪く、回り道してしまうこともあります。
 特に、一方的なインプット教育によって、考える姿勢や根本理解がないまま進む状態が長く続いた子は、戻すのに結構な時間がかかります。数年かかることもあります。それを親が、目先の成績にヤキモキして、焦(あせ)るゆえに強制インプットを繰り返せば、戻せるものも戻せなくなります。
 大人には「待つ」という辛抱強さも、大事なのです。

 ・・・勉強とは、一体なんのためにするのでしょう?私なりの具体的な答えは、書くととても長引くのでまた今度ということにします。でも、超みじかめのヒントを申しますと・・・。
 例えば、理科で学びますが、地球は太陽の周りを回っている事実。そんなことを知らなくても生きていけるかもしれません。でも、この世界に、この時代に生まれてきた人間として、そのことを知って生きるのと、知らずに生きるのと、どう違うと思いますか?

 そんなふうなことを考えれば、子どもに対する姿勢も変わってくるかもしれません。偏差値や成績に表れる数字にとらわれるだけの狭い教育観ではなく、もっと壮大な目線を持てば、本来あるべき指導法も見えてきて、本当の意味でのかしこい子を育てることが出来るのでは、と思います。


2009
6月 「つまばなつー・前編」

 私は実はこう見えて(どう見えて?)、学生時代、算数・数学に躓(つまづ)いたことが最大危機レベル(どんなレベル?)で2度ある。1度目は、小2のひっさんだった。
 …という話を前々回に記したが、今日は第2弾として、2度目に躓いた話をば。
「つまづいた話2」、略して「つまばなつー」(なんじゃそりゃ)。

 実は私には、中学生の時、数学がとても苦手だった期間がある。中1の2学期から中2の2学期までの約1年間、数学はチンプンカンプンだった。
 中学生になって最初は数学がおもしろくてたまらず、1学期はすいすい出来ていた私が、2学期になってとたんに数学がわからなくなったアクシデント。それは方程式だった。

 方程式に入りたての頃に学ぶ「等式の性質」を、何かの事情で私は逃(のが)してしまった。記憶が定かでないので、なぜそれを逃したのかをハッキリ思い出せないのだが、自分に都合良く解釈すれば、『その時私は学校を休んでいた』のかもしれない。それとも、自分に正直になれば当時の私として最もありそうなケースとして『授業中にボーっとして聞き逃してしまった』、もしくは、その2つの間をとって無難におさめるとすれば、『その時間、体調を悪くして保健室へ行っていた』っていうのはどうだろう?(って、誰に聞いてんの?)

 ともかく、方程式の導入部分である「等式の性質」らへんを聞き逃したので、その後の数学は、方程式というもの自体なんなのかよくわからないまま、進んでいくことになってしまった。

 最初の導入を聞き逃した私には、方程式がこれまでのものと概念が違うということに気づけなかった。小学算数で6年間培ってきた感覚から、私の概念は
“イコール(=)の左側は計算式、イコールの右側にはその答(計算結果)”
というふうに定着したままだった。
 そんな頭で方程式に向かい合うのだから、何が何だかさっぱりワカラナイ。だが、『移項』というものを習ってからは、それを使えば機械的に解くことが出来るようになった。でも、移項という作業自体の意味はワカラナイ。ただ『項を移動した時には符号を変える』というルールを守りさえすれば、自分でも何をやっているのか理解できなくとも、「なんか知らんけど解が出る。」という世界だった。

 こんな調子だから、複雑な方程式になると、解けなくなった。さらに、方程式の文章題はワケが分からなかった。私の頭は左に式を書いて右に答えという構図のまんまなので、方程式の立て方が意味不明なのだ。

 その後、方程式が終了して他の単元に入っても、方程式を理解していないことが足を引っぱる場面は多々あり、数学に対しての苦手意識は大きくなっていった。
 それまでの人生、算数や数学には自信があった私だけに、「これで私も終わりや」と、喪失感は大きかった(大げさやな〜)。

さて、私はA塾に通った。
 A塾は地元でちょっとメジャーな進学塾という感じだった。白いコンクリートの壁にパイプイスという無機質な雰囲気の教室、ネクタイをしめた背広姿の男の先生。なんとなく、ここに通っていれば頭が良くなりそうな気がした。
 しかし、数学の授業では、やはり私は方程式についていけなかった。先生にいくら教わっても、先生の説明はちっとも理解できなかった
 A塾には、1年間くらい通っていたかなあ。「私はデキナイ子なんだ」という思いが余計に増幅していった。

その後、B塾に通う友達に誘われ、その塾の体験授業に行った。
 中学校で仲良くなり始めた友達のトモちゃんが通うB塾は、名前を聞いても「どこそれ?」というようなマイナーな教室だった。
 その場所も、「まあ、どこにあるんですか?」と不安になるほど住宅地の奥まった所にあり、トモちゃんなしでは迷ってたどり着けないほど複雑な道のり。そして教室に入ると、長机座布団という寺子屋スタイル。その長机は、表面が木目ガタガタで、下敷きなしではプリントに字が書けず、おまけに、たまに指にソゲが刺さるというクオリティー。
 数学の先生は、花柄のワンピースを着て、白髪が混じって、老眼鏡をかけたおばちゃん。しかも、このおばちゃんの正体は……。
 とある中学校の数学教師なのだ。おばちゃん先生は「ナイショやで」と言っていた。つまりこのおばちゃん、本業は中学校教師であり、闇で塾の先生をやっていたのである(アカンやろ)。

 と、かなりアバウトな印象のB塾で、私は体験授業からして面食らったのだが……。
 当時の私は内向的で、少ない友達と学校の教室の隅でくっつき合っているような女の子だった。それに対してトモちゃんは明るくて友達も多く、活発な女の子だった。
 なぜそんなトモちゃんと私が仲良くなれたのかは忘れてしまったが、とにかく、そんなトモちゃんと仲良くなり始めた頃で、同じ塾に誘われたこと自体がとても嬉しかったし、これからも一緒に同じ塾に通えると思うと、なんだかドキドキワクワクし、それで、B塾にはなんだかクオリティー面で怪しげな不安を感じるものの、入塾を決めたのである。

 てなことで、つまりはB塾に入った動機は「トモちゃん」だったワケだが、その頃は、2年生の後半だったと思う。
 そして、まさか1ヶ月後、この塾で私の数学に革命が起こることになろうとは。

 話の続きは、次回に。
 お楽しみに〜(^o^)♪


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2009
7月 「つまばなつー・後編」

前回のつづき。
 さて、当時は偏差値競争の世の中で、また子どもの数も多く、近隣には新しい塾がポコポコと開校される時代だった。
 たいがいの塾にはネクタイを締めた熱血先生がいて、生徒はたくさんのテキストを持たされ、学校の指導外のことをバンバン教えられ、「こういった時はこうする」というようなパターンを詰め込まれ、しょっちゅう塾内テストがおこなわれて能力が数字に置きかえられてグラフ化され……、とまあ、こんな感じだった。
 でも当時は、それが「塾」というものだと思っていた。

 それに比べて、B塾はなんてノンキなことか、と、当時の私には思えた。今まで私が経験してきた塾とはまるで正反対、固いカーペット(←たぶんコンクリに直張り)の上におざぶ(ざぶとん)をおいて、団欒(だんらん)のごとく雰囲気。テキストはなく、プリント学習。私がそれまでに持っていた「塾」というものの概念が覆(くつが)えされた。というより、ここって「塾」?と思うほどだった。
 正直にいうと、私は最初、B塾に息抜き感覚で通っていた。これまでのいくつかの塾で味わってきた没意義感や未消化感、不満感などから、責め苦を無意識に負っていたのだろう、そんな私にはB塾が小休止の場に感じられたのである。

 ところが1ヶ月後、私はそのB塾で、数学において方程式を克服し、それどころか、それまでの中学数学での履修範囲(滞っていた約1年間分)を完全に取り戻し、それ以上の応用問題や難問まで解きこなせるようになっていた。塾内テスト(B塾でも、一応テストはあった^^;)ではほとんど100点を取るようになり、いつも私の名前がトップを飾るようになった。まさに驚きの急展開。
 以降、中学校でももちろん、その後の高校でも、学年平均が30点台というクオリティーの定期テストで100点を取り続けるなど、数学が私の取り得として位置し続け、そして今現在の私の姿(塾講師)につながっている。

 その真相は、例の花柄ワンピースの闇講師おばちゃん先生にある。それは、等式の性質を1から教わったというものだった。ただそれだけだ。それはたった10分ほどの説明だった。
 でも、それで私は方程式の意味としくみを知り、「ああ、そういうことだったのか、なるほど!」と頭の中に明かりが点いた感じで(←これってアハ体験?)、そのあとは自分で勝手に、今まで理解できなかったことを続々と合点し、一気に取り戻したという感じだった。

 6月の最初の日記で紹介した「小2のひっさん」も、今回のこの「方程式」も、何でつまずいていたか今現在の私にはわかるが、当時の私にはわからなかった。「つまずく」とはそういうもので、自分がなぜワカラナイのかさえも分からないのものなのだ。
 そして、教える側の立場としても、それを発見してやるのは容易(たやす)いことではない。子どもが分からないという時、その原因がどこにあるのかを探れるかどうかは、それも講師のひとつの才能だと思う。

 私が方程式を分からないでいる時、前の塾の先生はその原因を突き止めることができず、係数を移項してしまう私に対して、移項のルールを繰り返し説明するだけだった。そんな先生の説明はチンプンカンプンだった。
 しかし、B塾の花ワン闇おば先生は、係数を移項するトンチンカンな私を見て、「移項のやり方」ではなく、「移項とは何ぞや」という説明をしてくれた。そして、それでも首をかしげる私のようすを見て、『私の思考回路には方程式の基本的捉え方である「つり合い」という意識が全くない』という異変を見抜いてくれた。

つづく


2009
7月 「歯車」

前回のつづき。
 私は、数学についていけなくなってからの1年間、自分は数学がわからない、それは、私には理解する能力がないからだ、と思い込んでいた。でも本当は、1年生の2学期に方程式に入った初っ端(しょっぱな)段階での歯車ちょっと外れてしまっていただけだった。
 そのたった1つの歯車がずっと外れたままだったので、その後たくさんの歯車を追加されても、それらは全て回らなかったのだ。
 しかし、前の塾の先生らは、私の歯車たちが回らない原因を見つけられず(つまりは根本の歯車が1つ外れていることに気づけず)、後の歯車を無理矢理に回そうと潤滑油を足してみたり、他の歯車をもう一度調整してみたり、部品を付け足してみたりと、他に原因を見出すばかりだった。だから、私の歯車たちは一向に回らなかった。先生らのすることは空回りするだけだったのね〜(←お、うまいこと言うね〜)。
 でも、花ワン先生は外れている歯車に気づいてくれ、それをきちんと嵌(は)めてくれた。するとそれだけで、後の歯車もすべて回りだした。特に私の場合、もともと数学に関してはセンスがあったから、いったん回り出せばあとは自力で複雑な歯車も追加構築し、器用にくるくる回していた。周囲の人間たちは私の急展開に驚いていたが、私はこの時、自分が1年間もつまづいていた原因がわかって納得したと同時に、「これが当然なんだな、こういう指導が本物なんだな」と気づき、「先生とは、こうじゃなきゃね!」と思った。
 あの時は、まさか自分が将来『先生』になるとは思っていなかったが、あの花ワン先生のくれた10分が、今の塾講師としての私の根底に息づいている。

 塾の価値はシステムじゃない、規模じゃない、教室のクオリティーじゃない。先生の教える能力にある。
 また、教えるというのは、ただ単に説明したり、律することではない。


 おうちの方が教えておられて、それでお子さまがなかなか向上しない場合、原因の歯車を見つけられずに他の歯車ばかりを調整していらっしゃるのだと思います。それは根本解決にならないばかりか、ジャマな部品を増やしてしまって、余計に滞っていく原因にもなります。それを蓄積すればするほど、後からそのジャマな部品を外そうとする時に錆(さび)付いていたり、複雑に絡み合っていたりして、取るのに苦労したり、時間がかかったり、最悪の場合は取ることがもう出来なかったりします。

 小学生なら自分が教えられる、だから低学年のうちから塾に通わせる必要はない、という保護者の方はたくさんいらっしゃいます。それで高学年になってお手上げになってから塾に助けを求められるパターンが多いのですが、それまでの蓄積が長い分、それではもう手遅れになっていることが多いのです。

 低学年の子で親が教えているつもりでも、「なんだかこの子、一向に理解していないのよね〜」というふうにお感じになることはありませんか?
 もし心あたりがあれば、早目にみわこ先生にお任せを(^-^)v


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2009
8月 「イケメン“次元”のお悩み」

 この日記に3回目の登場だが、ロボット・クリエイターの高橋智隆氏
彼の学生時代のニックネームは「次元」だったらしい。きっとそのクールな容姿&立ち居振る舞いから、次元大介(じげん だいすけ…ルパン三世の登場人物)が由来なのだろう。

 さて、そんな彼の現在のお悩みは、「次元が違う」ことらしい。
と、これは本人から直接聞いたわけではなく、Mさんからの又聞きで、しかもMさんは、「彼の悩みは、、、次元は次元が違うんです」などと、お得意のオヤジギャグでおっしゃったもんだから、本当のところ、高橋さんがどういう意味でそれを言ったのか、また、そんなことを高橋さんが言ったのかどうかさえ、よくわからない。

 でも私は、それを聞いて「ほほぅ」と感心したのである。(オヤジギャグに感心したのではないよ。)
 私はこのセリフを、「高橋さんは、周りの人とは次元が違う見方をしたり発想をしたりして、人に理解してもらえない場面が多く、それが悩みだってことではないだろうか」と捉えている。

 本当に、これは、「彼の悩みは、、、次元は次元が違うんです」という、Mさんのたった一言だけで、それ以外の情報はいっさいないから、そんなたった一言のオヤジギャグから全く私が勝手に想像を膨らませて語っているだけの、はっきり言ってこれは私の妄想ストーリーかもしれない。
 でも、私はさらに妄想を続け、「わかる、わかるよ〜、高橋さん!」と、ひとり頷(うなず)いている。
そして、「私と悩みが一緒なのね、高橋さん(´∀`*)人」と、ウットリしている。

 自分が人とは違う目線を持っていて、その自分の目線は「世間一般的な考え方を超えた、先を見据えたものなのだ」という自覚があるとき、上のような悩み(次元が違うという悩み)が生ずると思う。世の中を客観的に見て、多くの人が当たり前だと思っている常識が、実は違うということが自分には見えているとき。
 そんな時、多数派の意見に対する自分のポジション、それに立ち向かうパワー、ストレス、孤独感、むなしさ、、、そんなことが襲ってくる。


 私は・・・。

 私も、そんな孤独感にさいなまれているひとり。塾講師としての一般的な目線とはぜんぜん違うものを持っているから、私は口を閉ざしてしまうことが多い。
 多数派の中で自分の意見を主張するというのは、とてつもないパワーを要するし、また、主張することがいいとは限らず、かえって「意固地」だとか「へそまがり」とか「偏屈」だというレッテルを貼られ、以降、誰にも耳を貸されなくなる可能性も大きい。

 孤独ゆえ、自分に迷いが生じ、流されそうになったり、何が正しいのかわからなくなったり、フラフラと揺れたりすることもあるが、「私には先見の明があるのだ」と自分で自分に言い聞かせることによって、なんとか自分の道を保とうとしています。。。


2009
8月 「宇宙…解き明かすのはあなた」

←このロゴマークを見たことはありますか?今年は「世界天文年」です。

 今年の大きな天文現象のひとつとして、先日の「皆既日食」がありましたが、その際にこのロゴマークを目にし、記憶に残っている人も、きっと多いでしょう。

 今年は、イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイが初めて望遠鏡を夜空に向けてから400年。そんな節目である2009年を、国際連合、ユネスコ、国際天文学連合は、「世界天文年」と定めました。
 今年は、地球全体で世界天文年なのですね〜 o(^▽^)o♪

 ガリレオ自作の望遠鏡はとても小さいものでしたが、それを星空に向けることで、世界観がガラリと変わりました。今から400年前の1609年の出来事でした。それこそ、その後の彼の人生や人類の宇宙観をも変える出来事だったのです。

 ガリレオがいちばん初めに望遠鏡を向けたのはでした。そして、完全無欠の球体と考えられていた月の表面に、数々の凸凹があることを発見しました。

 そして、特に、翌年の1610年にガリレオが発見した「木星の周りを4つの小さな天体が回っている事実」は、コペルニクスの地動説(地球や他の天体が太陽の周りを回っている)を裏付けるひとつとなり、当時の天動説(地球を中心として、すべての天体が地球の周りを回っている)という世界観を揺るがしました。

 しかしそれは、キリスト教の影響が絶大だった当時のヨーロッパでは、とんでもないことだったのです。なぜなら、「神の作った地球は宇宙の中心であり、すべての天体は地球のしもべで、地球を中心に天が動いている」というのがキリスト教に合致する考え方で、1300年もの間ずっと信じられてきた絶対真理だったからです。そして、その天動説のみ、公式な宇宙観として教会に認められていました。
 つまり、地動説を主張することは、キリスト教に背くことだったのです。

 ですから、地動説を研究し続け、のちのち地動説の証拠を発表したガリレオは、異端(正統なものに反対している)であるとしてローマ教会の裁判を受けることとなりました。
 そこで火あぶりの刑になるか、地動説を捨てるかの選択を迫られ、仕方なくガリレオは地動説を捨てることを無理やり誓わされたのです。(すごい時代やなあ…。)
 裁判の後、ガリレオが「それでも地球は動いている」とつぶやいたという伝説は、あまりに有名ですね。(実話ではなく、あとから付けられた尾ひれのようですが。)
 

 さてさて、今の時期、夜空に木星が肉眼で確認できることを知っていますか。ほぼ一晩中見えます。

 8月15日には(もう過ぎちゃいましたが)をむかえます。衝とは、地球の外側を回る太陽系の天体が、地球をはさんで太陽の正反対に位置する状態です。つまり、地球から木星までの距離がいちばん近い位置関係となります。
 衝を過ぎても、9月半ばまで、木星の見ごろは続くと思いますよ♪

つづく。


2009
8月 「木星&ガリレオ衛星を見よう♪」

前回のつづき。

 木星は、太陽系でいちばん大きな惑星で、直径は地球の約11倍ほどもあります。地球とは全くタイプが違う惑星で、地球が岩石や金属でできているのに対し、木星は中心部のコア以外は水素とヘリウムのガスでできています。だから、大きさのわりには軽い天体です(質量は地球の300倍ほど)。

 写真などで見たことがあると思いますが、木星の表面には縞模様(しまもよう)が見えますね。あれは、木星がはやいスピードで自転しているからです。地球は24時間で1回転しますが、木星は10時間で1回転します。木星の半径は地球の11倍ですから、表面は猛スピードでブンブン振り回されている感じで、東からの貿易風と西からのジェット気流が交互に吹き、それであんな縞々(しましま)になるのですね。
 また、縞模様の中に、台風のような渦もたくさんあります。その中で、みなさんが良く知っているオレンジ色の大きい目玉のような渦巻きは、大赤斑(だいせきはん)と呼ばれる巨大な嵐の渦です。なんと、この大赤斑は地球3個分の大きさで、300年以上消えることなく持続しているらしいですよ。
 スケールがでかい!と驚きますね。でも、もっともっと、全宇宙規模で考えると、これくらいは「へのかっぱ」です(もっとマシな表現あらへんの?)。

 さて、とりあえず木星が肉眼で見えるのです。簡単に見つけることができますよ。今ごろの木星の明るさは−2.9等。これは、1等星の40倍ほどの明るさだそうです。
 ただし、肉眼ではその縞模様は観察できず、ただの明るい星のようにしか見えません。夜9時か10時ごろ、南東の空にピッカーッッとひときわ明るく光っているのが見えれば、それが木星です。
 赤っぽく見えそうなイメージですが、肉眼では、金色にまばゆく輝いて見えます。なお、木星を英語で言うとジュピター。その輝き具合にふさわしい、なかなかカッコイイ名前ですな。

 プリゼミで、中学生クラスが終わったころの時間帯なら、教室を出て正面の右上の空(つまり、南東の空)に確認することができます。視力のたいへん良い人なら、木星の衛星も肉眼で見えるそうですが、そうとう暗い場所から観察しないと無理でしょうね。

 木星は、たくさんの衛星を持っています。衛星とは、惑星の周りを回っている天体のことです。地球の衛星は月です。地球にある衛星は、この月ひとつだけですね(もちろん人工衛星を除く)。では、木星にはいくつの衛星があるか知っていますか?
 Wikipedia(インターネット上の百科事典)の解説によると、現在発見されているだけで、なんと63個もあるそうです!
 その中で特に大きな衛星が4つあり、これらはガリレオによって発見されました。先の日記で述べた「地動説を裏付けたガリレオの発見=木星の周りを4つの小さな天体が回っている事実」とは、このことです。イオユーロパ(エウロパ)、ガニメデカリストの4つで、まとめてガリレオ衛星と呼ばれています。ガリレオ手製の低倍率の望遠鏡でも見ることができたほど、観測しやすい大きな衛星ですよ。(イオとユーロパは地球の月ぐらい。ガニメデは太陽系最大の衛星で、直径は月の1.5倍くらい。カリストは月の1.4倍くらい。)

 みわこ先生の双眼鏡で、このガリレオ衛星らしきものが見えます(^▽^)v。と言っても、ぽっちりと見える程度です。木星自体も、この双眼鏡では縞模様までは見えません。
 ガリレオ衛星は、木星のまわりをチョコマカくるくると回っているので、木星の後ろを通過して見えなくなったり、木星の手前に重なったり、衛星どうしがかぶったりと、毎日、その位置関係をめまぐるしく変えます。

 双眼鏡にデジカメをくっつけて撮影し、その画像をここに載っけようかと試みたのですが、なかなかうまく撮影できず、お見せすることができなくて残念です。(木星自体もボヤボヤに写り、衛星どころではないクオリティー。)
 中学クラスの生徒ならば、授業後、晴れていれば、この双眼鏡で見せてあげますからね〜♪小学生でも、この日記を読んで興味があれば、中学生クラスが終わる時間頃に見においでね〜。保護者の方もどうぞ。ご遠慮なく。ほんまにポッチリとしか見えませんが。
 あと、ここまで来てこんなこと言うのもアレなんですが、双眼鏡で見えているそれらが、ほんまにガリレオ衛星かどうか、実は自信がありません。
…違う星やったりしてねorz。



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