過去のちょいから (`▽´) ショート日記


もくじ 最新の日記


 <2008〜9冬> 12・1・2月
2008年
12月 「カッコイイ(゜∀゜)!高橋智隆氏」

 12月2日に、ロボットクリエイターの高橋智隆氏のお話を聞いてきた。
 高橋智隆さん(おんとし33歳)は、ロボット業界の最先端をゆく、世界でも絶賛される、すごい人なのだ。

 あまり、こういう紹介の仕方は好きじゃないけれど、『いま、ユニクロのCMに出ている人』といえば、彼の有名度がうかがい知れるかな?

 彼のロボットの話をば。彼は、ロボットをひとりで作り上げる。つまり、何人かでの専門分野ごとの分担作業ではなく、構想・技術開発・製作・デザイン・設計・部品作成・組み立て・プログラミングを、全部ひとりで手がけ、完全オリジナルロボットを生み出す。なんてステキ!
 こだわり抜かれて作られたロボットは、めちゃめちゃ魅力的。講演では、2つのロボットを実際に動かして見せてくださった。2つのロボットとは『クロイノ』『FT』という、彼の代表作(だと思う)で、彼の名を世界に知らしめた、すごいロボット。従来の、「ひざが曲がったまま歩く」という姿勢ではなく、「ヒザをのばしたまま自然な姿勢で歩く」という新技術(←これがまたスゴイことなのだ)を実証したロボットで、米『TIME』誌でも、「2004年のもっともクールな発明」として紹介された、超有名ロボット♪
 流線形のまるっこく、かつスマートなフォルムと、印象的な瞳(とにかく目がカワイイ。よく見ると、目に奥行きがあって、うっすら瞳孔が透けて見え、こっちを見つめているみたい)、それと、くねくねとした動き。すっかり私は、『クロイノ』の虜(とりこ)♪
 ん?みわこ先生、クロイノだけですか?本当は『高橋氏』の虜(とりこ)じゃないんですか?
 というツッコミが聞こえてきそう。なぜなら、高橋氏は、クールなのはその才能やロボットだけでなく、ご自身のお姿もめちゃめちゃカッコイイからです。背が高くてスラッとして、イケメン☆(そら、ユニクロのCMモデルもこなすぐらいですから、ちょっとやそっとではないカッコよさ)
 「才色兼備」な人って、この世に実在するのね、ほ〜っ。と、ためいきが出ちゃう。

 さてさて、私が高橋氏の講演を聞くのは、実は2回目♪9月に1度、彼の講演を聞きーの、クロイノ&FTを見ーの、トツギーノしていた私は、12月2日に再び高橋氏に会えるということで、準備万端で会場に向かった。早めに会場に着き、準備中の高橋氏に会え、きさくな会話など交わしてしまった
 会話のごく一部
  ↓↓↓↓↓
 「いろんな講演にクロイノ連れてって、うっかり落としちゃったことは?」
 「会場ではないけど、車でケースごとバーンて落としたことが^^;」
 「え〜っっ!」
て感じで。スゴイでしょ?
 さらに、スゴイのはそれだけでなく、講演後、一緒に写真を撮ってもらいーの、握手してもらいーの、本にサインしてもらいーの、名刺交換してもらいーの、トツギーノ。

 サインは、私のワガママをきいてもらい、レアなサインをしていただいた。また、ツーショットの写真撮影では、またもやワガママを言って、高橋氏にポーズを強要!(あつかましいにも、ほどがある。)

 すごい写真が出来上がったので、ここでご披露したいが、今は出来ないのが残念。ご披露できない理由は2つ。
1.超有名人の高橋氏の画像を、無断で載っけていいのか、わからない
2.そもそも、今、私のこのパソコンが、画像編集しにくい状態に陥っている

てことで、もしこの2つが解決できたら、ぜひ画像をご披露しようと思うので、お楽しみに〜。それまでしばし、ご歓談を〜。

 ロボットや高橋氏を教育ネタとして取り上げるべきが、こんなミーハー(←死語?)な記事になってしまって、ごめんなさい。
 でも、たまにはこういうのも、いいでしょう?
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感謝
 あのような時間を持てたこと、みなさまに感謝いたします。
 もちろん、高橋さんご自身に激感謝!
 そして、それが実現したのは、私ひとりでは無理な話でした。

M1さん:そもそもこういう講演に参加できる機会が得られたのは、Mさんと知り合えたおかげです。また、高橋氏に私を売り込んで(?)くださって、印象バッチリ?(だといいナ。)ありがとうございました。

M2さん:高橋氏の前でハイテンションだった私は、M2さんに、「ハイ」っつって、普通にデジカメを渡してしまいました(どんなけ失礼やねん)。なのに、お気を悪くされず撮影してくださって、ありがとうございました。

Tさん:立派なカメラで撮影してくださって、しかも、めちゃめちゃすごいシャッターチャンスを逃さず、楽しい写真を撮ってくださいました。プロカメラマン的腕前に感謝。ありがとうございました。

hのスタッフのみなさま:超あつかましくてすみませんでしたっっ!

みなさまに感謝いたします。(´人`)ナムナム。


2008年
12月 「ガッキガキのパソコン」

 パソコンの調子がすこぶる悪い。この前のインターネットが出来なくなった事態とは別に、画像編集ができにくくなったのと、エクセルがうまく作動しない状態が夏から続いている。というか、だんだんヒドくなってきている。

 画像編集の件については、おおよそ、その理由は見当がついている。たぶん、8月ごろにデジカメが壊れ、新しいデジカメを買ったことが、大きく影響していると思う。新しいゆえ、パソコンのメモリーを食いまくっているのだと思う。このデジカメを購入して間もなく、パソコンの動きが「おっそ〜!」と思ってデフラグ(ハードの自動整理機能)を試みたら、ハードの残メモリーが足りなくて、デフラグさえ出来ない状態であることが発覚!

 そして、デジカメのデータを、パソコンに転送できなくなった。ケータイ画像は、ケータイの方でサイズダウンの処理をしてからパソコンに転送できるのだが、その時、かなりのサイズダウンをしておかないと、パソコンで扱えない。
 そのせいで、8月半ばごろからホームページの画像の更新がとまってしまっている。特に、秋におこなったプリゼミのイベント「芋掘り大会」のようすも、このホームページで報告したいのだが、デジカメの画像を転送できないせいで、そのページを作れずにいる。みんな、楽しみに待っているのにごめんね。
 あと、気がかりなのは、アサガオのページ(隠れページ)も、8月の半ばでとまってしまっていること。

それから、エクセルがうまく作動しない件。
 これで一番困るのは、毎月の「お月謝計算書」づくり。計算書のベースはワードだが、ワードの文章にエクセルの表を挿入しているので、編集するのに動かないわ、動かないわ。文字を入力するのも、衛星中継のごとく、キーをたたいてしばらく待たないと、画面上に文字が表示されない。も・じ・が、あ・と・か・ら、と・う・じょ・う・す・る・よ。…いや、もっと遅い。打ってから10秒ほど待たねば出てこない。いっこく堂より遅い。

 最近のパソコン作業は、イライラを通り越して激怒するほどの遅さで、「サクサク」の正反対状態。「サクサク」の対義語ってなんだろう?「ガッキガキ」?


2008年
12月 「パソコン緊急事態発生」

 新しいパソコンを買うことを検討している。今のパソコンは4年くらい使っているが、もともと、カスタマイズパソコンなので使いにくく(なんか、一部マニアックな仕様になっていたりする)、ずっとガマンして使っていた(メーカーものではないゆえ、サポートも受けられず)こともあり、エクセルの絶不調を機に、この際、買いかえようかと。

 ただ、そこでひっかかることが1つ。今買うとwindowsのバージョンはVista(ヴィスタ)。父のパソコンがVistaなのだが、ちょっと体験させてもらうと、使いにくいのなんの!ふだんXPを使っている私には、戸惑うことばかり。コマンドやボタンの位置がXPと大幅に違うので、「何がどこにあるねん!」「うわぁ、もう、わけわからん!」と混乱し、心が折れてしまう
 まあね、慣れれば大丈夫なんだろうけれど。「覚えなおす」という根性が必要なだけだ(それが問題なのよ)。でもエクセルが動かないんじゃそうも言ってられんので、仕方ない、買うとしますか。だが、Vistaには慣れるまでに少し時間が要るだろうから、買うのは落ち着いた4月にしよう、それまで、なんとか今のパソコンをもたせるのだ、と考えていたら、とうとう…。

 調子の悪かったエクセルが、今回は最強に動かず、お月謝計算書作りが大ピンチに!動きが遅くて遅くて。遅いといっても、尋常じゃない遅さ。想像を絶する遅さ。どれほど遅いかというと、例えば、ワード原稿をスクロールするのに、1mmずつ、ジッ、ジッ、ジッ、ジッ、と動くような遅さ。ワードの文字入力なんかも、キーボードをたたいてしばらく待ち、あまりにも待たされて「凍ったのか?」とイラだったころにやっと表示される、という、あまりにも腹立たしげなペース。これにはさすがのいっこく堂もギブアップするだろう(ん?)。とにかく、過ぎ行く時間の9割が、砂時計を見つめることに費やされる。25ページまであるのに。こんなことしていたら、余裕で日が暮れる、ついでにそのまま夜も明けるやろ、という遅さ。
 挿入されているエクセルの表(ひょう)部分の編集なんか、まるで逆ロシアンルーレット(1つだけアタリで、あと全部ハズレ)。6回に1回ほどの割合でしか表(ひょう)部分が開かない。あとの5回ほどは、ずいぶん待たされたあげく、エラーが出るか、キャンセルを余儀なくさせられるか、応答すらしないか、パソコン自体がお凍りになるか。
 あげくの果てに、そのお月謝計算書のワードファイル自体までもがうまく開かなくなってしまったり。
 てことで、12月のお月謝計算書はこのパソコンで8ページ分しか編集できず、こりゃヤバイと、急きょ、知り合いのところへ行ってパソコンを借りたのでありました(ありがとう)。そのパソコンは仕様がうちのと違ったので、みなさんにお渡しした計算書、いつもと少し違いましたでしょう?

 とにかく、こうして今月の月謝計算書は何とか無事に皆様にお渡しできたのだが、次にせまっている問題は年賀状作り。みなさんの住所録はエクセルで管理してあるし、イラスト作成(=画像編集)は年賀状作りに必至の作業だし、Wピンチ!

 そこで、500GB以上ある外付けハードディスクとやらを買ってみようかと検討している。とりあえず、残メモリ不足をすぐに解決できそうなのはもちろん、新しいパソコンを購入した時に活躍しそうだし、その後も必要になってきそうだと思う。私のこの考え、どうかな?
(パソコン戦隊メンバーのみなさま、よろしければアドバイスを。ちなみに、パソコン戦隊はあれから新メンバーがお2人。このうちお1人は、保護者の方!ありがとうございます。てことで、現在8名です。ブルー(←隊長)ゴールドレッド(←これだけ怪しい)グリーンピンクブラック(←副隊長)、グレーブラウン。)

 でも、外付けHDDで、今メモリ不足は解消できても、エクセルは直らないかもしれない。そうなると、春まで待たず、今年中にパソコンを買わなければならないかも。
…ただ、このくそ忙しい時期にVistaと格闘するのかと思うと、不安だなあ。

 ふだん、「私はアナログ人間だ」とかいいながら、実はデジタルにどっぷり漬かり、文明の利器に頼りまくった生活をしているんだなあ、と、こういう時に実感したりする。

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2008年
12月 「中3とカレー」

 中3の今年の通常授業が今日で終わった。これからは冬期講習に入る。ここから入試までは、あっという間。…今日の授業でそう話していると、ひとりの子(Yくん)が「早くカレー食べに行きたいナ」と言った。
 カレーというのは、9号線沿いにある、インド人が経営する本格カレーの店で、高校合格祝いにプリゼミで食べに行こうという約束のことだ。
 Yくん、まだ冬期講習が始まる前から気が早いなあ。カレーを食べに行くには、その前に、希望の高校に合格しないとね♪
 そもそもはYくんに教えてもらったお店なのだが、先月、私が友人と食べに行ってきたことを報告し「おいしいお店を教えてくれてありがとう」とYくんにお礼を言ったら、いつの間にか『みんなが志望校に合格したら、お祝いに連れてってな!』という約束になっていたのだ。

 冬講が始まる前から「早くカレーを食べに行きたい」と口走るYくんだが、私も私で「高校に行っても、みんながんばるんやで」みたいな話を、早くも今日、していた。もう別れるんかい。
 いや、しかし、どこの高校を志望し、どこの高校へ行こうが、いちばん大事なのは「どの高校へ行ったか」より、「高校でどれだけがんばるか」だと思う。だから、「ここの高校さえ行ければいい」という先につながらない考えではなく、自分がその高校でがんばれるかどうか、という尺度で自分を測りながら、この冬を過ごしてほしいなあと思い、そう告げたのだ。

 さて、そんな区切りを感じる今日ということで、なんだか、しみじみとこれまでを振り返ってみた。
 この中3クラスで、別の生徒のひとりSくんは、プリゼミが開校した時から通ってくれていて(つまりプリゼミ1期生)、私とはもうすぐまる5年の付き合いになる。Sくんにとって、人生で換算したら親戚より私に会っている時間のほうが長いんちゃうか。Sくんが初めてプリゼミに来た時は、かわいらしい小学生だったのに、今ではガッシリして私より背も高く、私の頭の上から「先生〜」と低い声で話しかけてくるので、ときどきギョッとする。今日、私がぜんぜん届かない教室の天井に、Sくんたちが「ほら」と言いながら背伸びをして両手の指先を付けてみせるもんだから、私は「こんなに大きくなって!こないだまでこんな小さかったのに!」と、久しぶりに孫に会ったおじいちゃんのような心境になったというか、すごい時の流れを感じてしまった。
 ああ、あと2ヶ月半で、彼らともお別れだなあ。早いなあ。

 カレーのYくんは中1の時にプリゼミへ入会してくれたのだが、とても性格のいい子で、それが今でも変わらない。中学生が帰るとき、私はいつもみんなの姿が見えなくなるまで外で見送るのだが、Yくんは最後に角(かど)を曲がるとき、いつも必ずこっちをふり返って手を振ってくれる。それを、1年生の時からずっと、今でも続けてくれている。Yくんも、この3年間でいつのまにか私の身長を追い越してしまい、精神的にもぐんと成長し、学校でも生徒会長を務めるなどみんなに慕われる存在で、なかなか頼もしくなり、1年生の頃からはずいぶん変わった。でも、持ち前の透き通ったような素直さはずっと変わらず、中3になった今もこうして手を振り続けてくれる純粋さは、私にはとても嬉しい。私も、いつも大喜びで手を振り返す。
 ああ、これも、あと2ヶ月半なんだな〜。

 さみしい気持ちもあるけれど、みんなが、プリゼミで私と一緒に学んだことを糧(かて)に未来へ羽ばたいて行ってくれることを想像すると、楽しみな気持ちでもあります 将来、社会の一員として、あなたたちはどういう役割を担っていくんだろう

 …みんな、カレー食べに行こうね!私も心待ちにしています♪


2008年
12月 「高橋智隆氏と京大」

 さて、こないだロボットクリエイターの高橋氏の話を書いたが、あれでは書きたらないので、もうちょっと書かせてもらおうと思う(どんなけ好きやねん)。

 高橋氏の講演は2回聞かせてもらった♪。9月と12月。私は9月に初めて実物の高橋氏に会い(会ったというか、見た)、彼のお話のほぼ全てに共感し、あのクロイノの、あ、長くなるので、感動話は省略しよう(語り出すと、きっと止まらずキリがないと思うから)。
 今「全て」とではなく「ほぼ全て」と表現したのは、実は、彼のお話の中でひとつだけひっかかったことがあったから。
 それは、高橋さんが、拝聴者である私たちの「先生」という立場を考慮して
語ってくださった、教育を意識した内容の中に。

 高橋さんは京都大学出身だが、そのことについて、「京大というブランドは強み。やはり高学歴は大事。」という感じのことをおっしゃった。私はショックを受けた。
 これのひとつ前の日記にも書いたが、私は進学先について「どこに行くか」よりも、「そこで何をどれだけがんばるか」が大事、と思っている。また、私自身、学歴にこだわるのが嫌いだ。学歴や、ブランドの聞こえ、表面的な数値などにまどわされて、その人自身を正しく見られなくなってしまう懸念がある。学歴はひとつの目安になるのは確かなのだが、どちらかというと今の日本、本質から外(はず)れて、それの真の意味合いをなくし、学歴というものがひとり歩きしているのが現状だと、私は感じている。
 人間としての価値は人格にある。しかし、学歴と人格は比例しているとは限らない、いや、むしろ反比例だと感じさせられることが多い、このご時世。だから…。

 高橋氏は、もともと立命館大学に通っていた。しかし、就職活動の時、自分の思い描いていた通りにいかない現実を痛感し、そこで京大受験を決意したのだという。
 そして、結果的には、思い通りに事を進めるのに、京大というブランドが大いに力を発揮してきたとのこと。そして彼は、高学歴の重要さを心底悟ったらしい。

 人間は学歴じゃない…、そう思っていた私は甘いの?と、それまでの高橋氏の話をウキウキ聞いていた私は、その部分で一気に落ち込んだ。もっとそのへんを詳しく聞きたいと思ったが、時間にも限りがあり、高橋氏の講演は終わってしまった。なので、私は彼に、その件についてメールしてみた。でも、当然だがお返事はこなかった。
 あたりまえだけれど、でもちょっぴりがっくし(;_;)。う〜ん、9月の儚き夢。

 そこで、私は彼の著書を買ってみた。『ロボットの天才』という本。その中に、京大を目指すことになったいきさつが、ちょっと書かれていた。
それを読んで、いくぶんか理解できた。
 私なりの解釈でかいつまんで(めちゃめちゃかいつまみますよ)説明すると、彼が自分の本当の夢を見つけたのは、どうも、立命館大学時代の就活でピンとこない結果を招いた時らしい。(ほんまに超かいつまんだ。一文で説明しきった。)

 高橋さん曰(いわ)く、本当に自分のやりたいことが見つかった時、それを実現するために、ネームバリュー(知名度。名前の価値。)は重要になってくるらしい。今の彼があるのも、京大という箔(ハク)が付いているおかげとのこと。
 そういわれたら、確かにそうだ。たとえば、そのへんのおっさんが言えば誰も気に止めないことも、同じことを松下幸之助が言ったとなると、「ほ〜」とみんなは聞く耳を持ち、松下氏が言ったというだけで、その言葉に感心するだろう。ネームバリューとは、みんなに素早く認めてもらうための早道らくらくキップなのだ。

 高橋氏の言うことは、ある意味正しいと、私は思い直した。夢を実現するために高学歴を必要とするのは、正しいことなんだと、私は理解した。そして、高橋さんが立命館大学で“ほげほげ”と過ごしていた時間も、無駄ではなく、遠回りでもなく、自分の夢に目覚めるために必要な過程だったのだ、とも思う。

 しかし、夢が見つからず、自分が何をしたいかわからないのに、「とりあえず高学歴を」と思うのは、やはり良くないと思う。そうやって勝ち取った高学歴は、空回りするだけではなかろうか。早道のように見えて、実は遠回り、いや、一生、自分のしたいことが見つからないままになるかも。高学歴なのに、意欲がなく、つまらない日々を送っている人は、そうした過程を踏んできてしまった人じゃないかな。
 若い10代の子たちが、まだ夢を見つけられていないのは当たり前。そんな子たちに、レッテルを押しつけたくもないし、中身のない表面的な評価はまだ下してやりたくはない。その子らが、ゆうゆうと自分の夢を探せるために。根拠のない「良い学校」「良くない学校」という安易な価値観は、クダラナイ。どの学校へ行こうと、その子次第で、可能性は無限大になるのだ。
 そのうち、本当に自分がやりたいことが見つかれば、それからでも遅くはないのだから。
 意義があって勝ち取る高学歴は、素晴らしい物になると思う。夢を見つけてから狙う高学歴。遠回りしているようにみえて、それは夢を見つける近道であり、その夢を実現する近道にもなると思う。
 高橋智隆さんのように…☆

オタクと天才は紙一重?究極の自己満足も、高学歴という味方をつければ、世界に認められるスゴイ物を生み出す力に発展するのかな。ということを、高橋さんから学んだのでありました。


2009年
1月 「年賀状」

 毎年、年賀状はパソコンで作ってきた。といっても、原稿はいつも手がき。それを、スキャナーを使ってパソコンに取り込み、加工をほどこして印刷する。手間をかけているねと言われることもあるが、パソコンがなかった時代は年賀状の1枚1枚に手がきしていたのだから、それを思うと、今なんて原稿を1枚だけかけばあとはパソコンで大量生産でき、だいぶラクだと思う。おまけに、宛名や差出人もパソコンにお任せ。「こんなにデジタルでいいのか?愛はどこへ行った?」とつぶやきつつも、「臨機応変」という言葉を武器に、何くわぬ顔でプリンターにハガキの束を投じる。これでも自称「アナログ人間」。(ドコガデスカ? )
 あ、でも、前回の年賀状はイモバンだった。芋にねずみを彫って、1枚1枚にペタペタ押したなあ。でも、枚数の多さに芋が耐えられず、押すごとにねずみの目の形が変わってきて、後半の年賀状はねずみの顔がコワくなっとったなあ。大変だったなあ。アナログ感はバッチリやったけれどなあ。

 さて、今回の年賀状づくりだが、頼りのパソコンが絶不調で、画像ファイルを編集できないトラブルと、エクセルが開かないトラブルとで、ダブルパニック。
 そこで、「コピー機」を使う作戦。手がきした原稿を、普通に白黒コピーすることに。今度の干支は丑(ウシ)やから、白黒でもええやん!と納得している私に、ある人は「そんな問題か?」と苦笑い。
 ただ、いつものクセで年賀状は「インクジェット紙」を購入してしまったのでコピー機との相性が悪く、刷りあがったものを見ると、すぐに黒色がこすれて取れてしまいそう。こちらではカワイイ牛さんも、みなさんのお手元に届いた時には、こすれて黒くなって、コワイ牛さんになっているかもしれません。(またかいな。2年連続の恐怖の年賀状に、生徒が泣くで。)
 それより大問題なのは、宛名(住所・氏名)。住所の管理をエクセルでおこなっているせいで、今回、エクセルが開かないパソコンでは宛名印刷ができない事態に。オーマイガッッ!仕方がないので手書きすることに。よりによって今年は年賀状を出す人がいっぱい増えたので、ご住所とお名前はほぼ殴り書きのようになってしまった。パソコンのありがたさを痛感すると同時に、ボールペン字講座でも受けときゃよかったと後悔。

 そんなわけで、例年よりも手間がかかった年賀状、そのため、毎年恒例の「ふしぎ文字」または「クイズ」といったお楽しみを掲載することができなかった。ごめんなさい。
 そのかわりといっては何だけれど、この場でクイズをひとつ。ただし、小6以上向け。

Q.1月5日はみわこ先生の誕生日です(いちごの日)。さて、みわこ先生はいくつになるでしょう。
ヒント 年れいの十の位の数と一の位の数の積(せき…かけ算の答え)には、約数がn個あります。nにあたる数字を世界のナベアツが言うと、アホになります。

答えはひとつにしぼれないと思いますが、そこは、みわこ先生の心理を読み取れば、わかるかもしれません。
残念ですが、これの答えは言いませ〜ん。

 ※世界のナベアツがアホになる=3の倍数と、3のつく数字
☆例えば24歳で考えると、2×4を計算し、積は8となる。8の約数は、1,2,4,8の
個なので、ナベアツはアホにならず、よって24歳は不正解

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2009年
1月 「私の授業計画・ビフアフ(ビフ編)」

 「ビフアフ」とは、「ビフォー・アフター」の略。ひょっとしてみなさん、なんだか牛肉っぽい料理を想像されませんでしたか?

 さて、塾講師を始めたころ、私は授業に臨む姿勢が硬かった。(『塾講師を始めたころ』というのは、プリゼミを開校する前に私がいた塾での話。約11年前。)
 どんなふうにかというと、授業の下準備がものすごかったのだ。あの頃の私は、教室にいる時と寝る時とごはんを食べる時以外の時間を、ほとんど授業準備に費やしていた、といっても過言ではない。
 私は、性格的にめちゃくちゃアバウトなところがある反面、カンペキ主義者なところもあり(つまり両極端?)、授業準備に関してはそのカンペキ主義が作用していた。
 生徒に解かせる問題の吟味、プリント作り、資料の用意、私自身の予習、模型や小道具の制作、単元の導入案、授業のペース配分計画、生徒からの質問の想定、などなど。それらを検討することに費やす時間はとても長く、徹夜になってしまうことも多かった。単元によっては、1回分の授業の準備に、数日かかることもザラだった。
 その中でも特にひどかったのは、毎回の授業計画。気持ち悪いほど綿密に立てていた。講師ノートというものがあり、それに授業予定やタイムスケジュールを書き込むのだが、当時の私のそれは、まるでドラマの台本のようだった。予定を数分刻みで立て、極端な場合には「この導入の、ここの部分は2分」とか、「これをホワイトボードに書くのは1分で」てな部分もあったほど。今思えば病的なほどこまかく区切っていた。それでも、当時の私は「これでカンペキ!素晴らしい授業が出来そうだ。」と、毎度確信していた。
 しかし、実際の授業がそれらの計画通りにいったことは、たぶん皆無(かいむ)だったと記憶している。生徒はロボットじゃないんだから、こっちの分刻みの計画どおりに授業が進まないのは当たり前なのだ。
 だが、当時の私はと言うと、「こんなに一生懸命に計画を練ったのにうまくいかないなんて…」と落ち込み、そして「次回は計画どおりに授業が進められるよう、頑張ろう」と反省してしまっていた。もし今、この世にドラえもんがいたなら、タイムマシンに乗って、その当時の私に「おいおい、そっちじゃないやろ」とつっこみを入れてあげたい。

 計画を立てるのは大切だが、カンペキすぎてはいけない。計画というのは、想定の上で立てるものだからだ。そのため、いざ現場に立てば想定外のことが起こるのは当たり前で、狂いが生じて当然なのだ。そのことを認識し、その場で即座に対応できるよう、事前の計画にはある程度の余裕をもたせなければならない。計画がカンペキであればあるほど、その通りに運ぼうとしてしまい、一方的に押し付けて、結局は生徒に合わない授業となってしまう。どれほど計画が理想的だったとしても、これでは良い結果は生まれない。

 子育てにおいても同じだろう。我が子に対する期待や、こう成長してほしいという願いがあるために、子どもが親の思いと反する行動をとった時に、思わず親は軌道修正してしまいたくなる。でも、もしこの時、親の気持ちに余裕があれば、その衝動(しょうどう)はぐっと押さえられ、子どもにとって今一番いいのは何なのかが、新たに見えてくるだろう。
 しかし、親の理想が高ければ高いほど、親の目はその理想を実現することにばかり向いてしまい、子どものことが見えなくなる。そして、子どもの真の姿と親の理想とのズレに気づけないまま、それは親の一方的な押し付けとなって、いつか歪(ひず)みを生むだろう。
 みなさん、我が子に対して「絶対こうじゃないといけない」と思う場面が多くないか、ときどき振り返ってみましょう(^−^)。


2009年
2月 「私の保護者会・ビフアフ」

 「ビフアフ」は、「ビフォー・アフター」の略。今回は保護者会バージョンで。

 人見知りをする私にとって苦手な保護者会。講師をして11年にもなるのに、いまだに苦手なのだから、講師を始めた頃なんかは、それはそれはもう
 「私は先生なのだ」という自覚がヘンなほうに回って、「先生らしく毅然(きぜん)とした態度で、立派なことを言って、保護者に『なるほど〜』と思ってもらわねばならぬ」という気持ちで臨んでいた。若かったから余計にだろう、その思いは強かった。それゆえ、人見知りである自分に余計にプレッシャーをかけることとなり、それが「カンペキな計画作り」へと走らせていた。

 当時、私がいたその塾では、一保護者につき15分と決められていたので、その15分で何を話すか、私は事前に何週間も前から計画を練り、一家庭ごとに原稿を、いや、台本(←でたっ!)を作っていた。そして、何度かシミュレーションをして(つまり、実際に台本を声に出して読み上げて)、15分でおさまるかを確かめては、修正を繰り返していた。それを、何十家庭分もするのだから、台本を完成させるだけでも数日かかっていた。

 そんな感じで準備を整え、いざ保護者会当日。ところが(「ところが」というのか、なんというのか)、さすがカンペキに準備していただけに、全くの計画どおりに事が運んでしまった。だから、保護者会終了後、当時の私はやりきった感いっぱいだった。大成功だと思っていた。1年目も、2年目も、「やったぜ!」と思っていた。でも、本当は見えていなかっただけだった。最初の1、2年目は、こちらの気持ちはいっぱいいっぱいで、ただ必死だったから、何も見えていなかったのだ
 それが、3年目、何人目かの保護者の時に、私はようやく見えた。3年目ということで慣れてきていたのだろう、それと、その日は保護者の人数が多く、おひとりずつ終えるたびに余裕が出てきていたのかもしれない。
 その保護者を前に、最初は例によって、事前にシミュレーションした通りに台本を進めていた私は、途中でふと異変を感じたのだ。なんだか、保護者が、私の顔をじっと見つめている…。
 いつもの私なら、「熱心に聞いてくださっている」と受け取っていたかもしれない。いや、「私の顔になんかついている?!」と不安になったかな。それとも、「いや〜ん、私、そんなに美人?」と喜んでいたか。
 とにかく、その時は直感で、「この保護者は私に圧倒されている」と気づいたのだ。その保護者が、本当は何か言いたいことがあるのに、私が一方的にカッコイイ先生口調ゴリッパなセリフを並べるものだから、気後れして、口を挟めずにおられる。それを悟った。
 …それで、私は一気に自分に冷めてしまった。なんてバカなんだろうって。私は今まで、保護者のことを全く見ていなかったんだって。そんなことがわからなかったとは。今までやってきた保護者会は、大成功ではなく、大失敗だったんだ。 …そんな思いが、その保護者を目の前にしながら、走馬灯のように私の頭を一瞬でかけめぐった。時間にしてほんの1秒ほどだと思うけれど、ときどき人間は、ほんの一瞬でぐわーっと大量のことを理解できてしまうことがあるが、その時の私はまさにそうだった。
 一瞬、沈黙が流れた。今までトクトクとしゃべっていた私が急に目を大きく見開いて口をつぐんでしまったものだから、その保護者も「ん?なんだ?」という表情をした。それで我に返った私の口からスッと出た言葉は、「す、すみません、一方的にしゃべってしまいました…。」
 とたんに笑顔になられた保護者は、「いえいえ、さすが美和子先生だなあと、感心して聞いていました。」とおっしゃってくださった。私はひたすら恐縮した。私と保護者の立場が、最初に私が思い描いていたものとはすっかり逆転していた。私が保護者に支えられていた。でも、それは悪いことではない、と思った。逆に、背伸びをしようとするのは間違いだ、無理をすると空回りするだけだ、と察知した。
 革命っていうと、大げさかもしれないけれど、私の保護者会へ臨む姿勢がほぼ180°変わったのは、この瞬間から。
 今のプリゼミの保護者の方たちの中で、私との保護者会を経験されたことがある方は、これを読んで、昔と今がぜんぜん違うことをわかってくださることでしょう。今は、私が保護者を圧倒するとか、保護者にしゃべらせる隙(すき)を与えないとか、ぜんぜんないでしょう?ないですよね?ですよね?
 現在は、お渡しする資料などの準備はしていますが、保護者会の進行はアドリブです。つまり保護者の方々の反応次第です。でも、これはこれで難しく、果たしていつも保護者の方に満足して帰っていただけているのか、計り知れないところはありますが…。また、お電話かメールなどでご意見をお寄せいただけるとありがたいです♪
 みなさん、これからもよろしくお願いいたします(*^−^*


2009年
2月 「受験直前・モチベーション」

 さて、3日後に私立高校入試を控えた本日は2月7日(土)。今朝の中3の授業のあと、いろいろと考えることが…。それで今、ある受験生からの、ある電話を待つ間、この日記を書いている。(“ある電話”ってなぁに?それはヒミツ。うふふ。)

 毎年、受験が近づくと、生徒によってその反応はさまざま。意気揚々とテンションがあがる子、真剣みが増す子、不安になる子、ようやくおしりに火がついてあわてる子、逃げたい心境にかられて動けない子…

 中学時代の私自身はどうだったかというと、上のどれでもないかも。最後の赤文字に近いかな。
 私は、高校受験で、いまひとつ『がんばった』という記憶がない。というのは、志望校選びの際、自分のこだわり強い想いというのがなく、なりゆきで選んだ感があり、「ここでいいや」というゆる〜い気持ちで決めたからだ。つまり、ハナから「ここなら充分に受かるだろう」という高校を選び、それ以上の思いがなかったのだ。
 一応は、その高校を選んだそれらしき志望理由というのは、あったことにはあった。でも、今から思えば、あれは後付けの理由だったのだろう。それをあの時の私は自覚しておらず(当たり前なんだけれど…。自分の愚かさを自分で認められるくらい芯のしっかりした子だったら、そもそも志望校もしっかり選べていただろう)、それを真の志望理由だと思い込んでおり(つまり、無意識で自分に無理やり信じ込ませていたのだろう)、その立派な志望動機を大義名分として、「私はちゃんとやっている」という面子(メンツ)を立てていた。 つまりは、今だからわかるが、あの時の私は、自分から逃げていたのだ。

 今、全国の中3の子たちの中にも、似たような人がいることでしょう。この期(ご)に及んでもヤル気が出ず、勉強を頑張れない人、いるでしょう。そして、そんな我が子を見て、ハラハラされている親御さんもいらっしゃることでしょう。
 あの時の私も含め、追いつめられても意欲がわかない子たちは、結局のところ、自分から逃げているのです。そして、大半の子はそれを自分で認めていないのです。だから周囲には「ちゃんとやっているよ」と言っちゃうのです。そんな子たちの共通点は…。もちろん、ひとくくりには出来ませんが、私の感じるところでは…
 ★ひとつは、長男や長女に多いと思います(ひとりっこも含む)。
 ★ふたつめは、世間知らずな子。
 ★そして、常に周囲の大人にあてがわれたり指示されながら育ってきた子。
それらが何につながっていくかというと、「危機感のなさ」です。お兄さんやお姉さんがいる人は、上(兄や姉)の苦労を身近で見ているので、危機感をリアルに得ることができます。なので、下の子は結構、危機感を持っていて、しっかり者です。
 長男や長女は、誰の苦労を見るのかといえば、親なのですが、イマイチ、親の苦労が子どもに伝わっている場合は、少ないと思います。そしてまた、それが「世間知らず」の原因の一部になっています。ちなみに私は、ひとりっこです。
 私は、どちらかというと、恵まれた家庭で育ちました(謙遜(けんそん)せずに言いましたことをお許しください)。それゆえ、世の中の苦労というものを肌身で感じることもなく、社会人になってから「あの時、親は大変な努力をしていた」とわかったものの、子どもの時にはそれがわかりませんでした。確かに親は私に「どれだけ苦労しているか」という話はしていましたが、ピンとこないというか、自分自身が不自由していないので、親のその言葉はリアル感に欠けていました。いく度となく周囲から言われた「そんなことでは、将来苦労するよ」という忠告も、馬耳東風(他人の忠言や批評などを聞いてもまったく心に留めず、少しも反省しないこと)でした。
 また、その恵まれた環境にいながらも、それを自覚できずに、不満ばかりたくさん持ってしまっていました。今ではそのことを、自分で残念に思っているのです。
 自分が恵まれていること自体も、子どものころはわからなかったことについて、そういえば先日、知人もそんなことを言っていました。その人は、かなり裕福な子ども時代を過ごしています。今でも、高級車に乗り、いつもブランド品を身につけている、と言えば、彼の裕福度がうかがえるでしょうか?今でこそ、その人も世知辛い現実を知っているけれども、子どもの頃は、とっても大きなおうちに住んでいた自分のことを「子どもだった僕は、それが普通やと思っていた。」と、ふと言ってはりました(小学生の頃の話でしょう)。

 ともかく、子どもとはそんなもので、家庭環境=世界観みたいなところがあります。それは、恵まれた環境だけでなく、経済的に苦しいご家庭にもいえることでしょう。親が「子どもに苦労させたくない」という思いで立ち回ると、同じことになります。日常生活で子どもが苦労を感じない家庭環境が保たれてしまっていると、なかなか、子どもが危機感を持ったり、自分の人生を思い描いたり、ということは出来にくくなると思います。
 そこで、受験という人生の分かれ目が迫ってきても、「勉強イヤや〜」という気持ちの方が勝(まさ)ってしまうワケです。そんな子には、「あとで後悔するよ」とか、「将来、どうやって生きていけるの?」と脅しても、効果なしです。私がそうだったから、よくわかります。私も、何を言われても「うるさいな〜」ぐらいにしか感じませんでしたから…。
 なぜなら、「なんとかなる」と思ってしまっているからです。これまで、さほど苦労せずに育ってきていれば、この先も同じ感じで続いていくと思えるからです。また、苦労を知らない人は甘いワケで、たとえ親が「もし○○になったら、□□しないよ」と言っても、「親はそう言いつつも、なんとかしてくれる」と思っちゃうのです。たぶん、それまでにも、そういうことはあったはずです。子どもを脅しつつ、結局は助けてしまった、ということ、今までにもなかったですか?

 私は、ゆる〜い気持ちで受験に臨んだとはいえ、それで受かるような高校があったから、その時はなんとかなってしまいました。それゆえ、その時点で頭を打つことが出来なかった結果、大学卒業までゆる〜く甘〜く過ごしてしまいました。それで、社会に出て頭を打ちました。大人になってから頭を打つのはキツイです。修正するのが厳しいからです。
 だから、後悔しています。学生時代にもっと頑張ればよかったと。学生時代を甘く過ごしてきてしまった分、社会人になってそのツケが回ってきました。子どものころのツケを、大人になってから精算するのは、倍以上しんどいです。また、逃げていた昔の自分に気づき、それを認めるということも、自分のずるさというか、自分の人生の汚点を認識するようなもので、それはいついつまでも心の傷として残り、これまた、とてつもない後悔をともないます。
 でも、仕方がないです。それで私は歩いていくしかありません。この世は今のところ3次元、過去に戻ることは出来ないのです。一方向にしか時は流れないのですね〜。
 だからこそ、みんなは早目に気づいてほしい、大人になってからではしんどいから、できれば早く、甘い自分に気づけるための広い視野を持ってほしい、と願います☆
 そのために、子どもは失敗したり、苦労を味わうほうがいいのです。親がかばってしまわれませぬように…。

 ということで、この時期、塾の先生たちはみな、受験前には意欲満々な記事を書かれるというのに、私はちょっと暗めな記事を書きましたが、世の中、厳しさと闘える受験生ばかりではなく、逃げたい気持ちに支配され、闘うことすら出きず、でもそれが心の悩みとなっている受験生もいるということで、そんなご家庭へのメッセージということで、書いてみました。

 …悩んでいたら、お電話かメールなど、くださいね(*^^*)



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