| 過去のちょいから (`▽´) ショート日記 |
| <2008夏> 6・7・8月 |
| 6月 先生の小道具として欠かせない物といえば、赤ペン。まるをつけたり、説明したりする時の必需品。 今回は、この赤ペンについて、「まるつけ」にまつわる楽しいお話を。 さて、子どもというのは、 ところで、プリゼミの小学じっくり算数クラスでは、授業の最初の10分ほど、「頭の準備運動」という教材に取り組んでいる。頭の回転や図形の認識力を高めるために使う、小さな冊子だ。 私は、この小さな教材では、一問ごとにマルをせず、間違った問題を直して全問仕上げるまで待ってあげ、いつも全員ひとりひとりに、ひとつの大きなマルを描いてあげることにしている。 さいしょは、ふつうのマルだった。それが、ある日、いつものマルに何気なく工夫を加えて、ちょっとしたイラストにしてみたら、、、 → → ![]() (2つ目と3つ目の画像の上にマウスをおいてください。変化します。) (※ネスケやモジラなど、一部のブラウザでは、画像が変化しないかもm( _ _ )m。) 3重マルに、目をつけて、足をかいたら、たこさ〜ん。 名付けて、「たこまる」。これが子どもたちに大ウケで、これを描いてほしいがために、みんなはとても積極的にがんばるようになった。 しかし、毎回やっていると、「またタコ?」とか言われるようになってきた。そして、「今度はイカかいてよ。」とリクエストされるようになった。そこで、新たにイカもレパートリーに加えたのだが、毎回、タコとイカばかりじゃ、また飽(あ)きられるので、他にもネタを編み出した。 → → ![]() (3つ目の画像の上にマウスをおいてください。) 2重マルに、目をつけて、耳と鼻をかいたら、ぶたさ〜ん。 それから、こんなワザも。 子どもたちに、「またブタ?」と言わせておいて… → → ![]() (3つ目の画像の上にマウスをおいてください。) ブタと思ったら、くまさ〜ん。 こうやって、2重マルや3重マルを応用したイラストをかくようになってから、もう何年も経った。これまでにレパートリーは増え続け、なんだかものすごいことになってきている。エスカレートしてきている感もある。それでも子どもの欲求はとどまるところを知らなくて、常に新作を求められる。 また、生徒が無茶なリクエストをしてくることもあって、「コナンをかいて」だの、「おでんくんをかいて」だの、「ウルトラマンほにゃらら(←忘)をかいて」だの、言いたい放題だ。(わたしゃ、そんなキャラクター、よく知らんっちゅうの。) それでも、そういう時は、「じゃあ、このページが1発で3問以上合えば、おでんくんをかいてあげよう」と約束すると、「やったあ、よぅし!」と、すごい集中力で取り組んでくれるから、まあまあ、生徒のモチベーションをアップする方法として効果的だと思う。 私が、雰囲気だけを頼りに、素早く描いた一筆書きのような「おでんくんマル」を見て、生徒は「ぜんぜん似てへん!」と言いながらも、ニヤニヤ嬉しそう。 きっと、こういうことも、がんばることへの喜びや意欲につながっていくのだと思う。楽しい気持ちを味わって、次回もがんばろうって気持ちになるんだと思う。 とはいえ、だんだんネタ切れになってきて、こちらも大変。きのう、雨が降ったことに絡(から)めて、「ぴちょんくんマル」をかいてあげたら、「先月も1回それ描いたで」と、みんなに言われた。 「たこまる」も、今では3〜4ヶ月に1度しか描かないのに、それでも「またタコ〜?」と不満げに言われてしまう。 新しいマルが思いつかない私は、困る、小(コ)マル、大(おお)コマル。。。 6月 「しつこい女」 私は小学生の頃、とても小さかった。ガリガリで、か細く、身長も低かった。背の順で並ぶと、6年生までずっと2番か3番だった。ときどき、「前へならえ」で両手を腰にあてる時期もあった(つまり、背の順で1番前)。 そんな私は少食で、また、食べ物の好き嫌いも激しく、給食は恐怖の時間だった。 今の小学生は、おかずを残しても良いらしい。しかし、私たちの時代はとても厳しく、残すことは許してもらえなかった。だから、食べるのが遅い子たちは、給食時間が過ぎて掃除時間に突入しても、うしろに下げた机で食べ続けさせられた。ほうきで掃かれる床から砂ぼこりが舞う中(当時の教室は土足だった)、給食が載った机が前に運ばれながらも、食べ続けた。 それでも、5時間目の授業が始まる前までに完食できなかった場合、たいていは、残したおかずを持って給食室へ行き、給食のおばさんに「ごめんなさい」と謝って返すことになっていた。 私は、いつの学年でも、クラスで食べるのが1番遅かった。 私が何年生の時だったか忘れてしまったが、、、おそらく低学年の時、その時の担任が、この給食の食べ残しについて最強に厳しく、昼休み時間中に完食できなかった場合は、なんと5時間目の授業中にも食べ続けさせ、果ては放課後になっても居残って食べさせ、決して残すことを許してくれなかった。「早く食べろ!」と怒る先生は、低学年の私には鬼のようで、私は苦痛のあまり、涙を流しながら食べることもあった。私の頭には「給食は絶対に残してはいけないもの」という観念が強く植えつけられた。 ある日、担任が何かの事情で学校を休み、代わりに、中年の男の先生(A先生)がやって来た。その日1日、私たちの面倒をみてくれるらしい。 その日の給食は、私が当時大っきらいだった肉(ぶた肉だったかな?)のおかずだった。脂身(あぶらみ)のニオイに苦戦する私は、1ミリずつかじっては、そのたび、「うえうえ」とえずいていた。そんな調子で、昼休みが終わっても完食できなかった。 5時間目の社会の授業に現れたA先生は、給食と格闘している私を見て怪訝(けげん)な顔をした。ふつうはみんな、給食室に謝りながら返しに行くからだ。5時間目まで食べ続けさせられるのは、うちのクラスぐらいだった。しかし、視野のせまかった私はそれを認識しておらず、5時間目に突入しても完食するまで食べ続けることは、みんなが厳守するものだと思い込んでいた。 教卓に立ったA先生は、私に向かって「残したらええやん」と、いとも軽く言った。私は、その意味がわからなかった。いや、混乱した。当時の私は、ゆうずうもきかなかったのだろう、いつも担任に「決して残してはダメ」と絶対服従させられていたから、このA先生の「残したらええやん」という真逆(まぎゃく)の言葉が理解できなかった。 子ども心に「この先生は冗談を言っている」「冗談をまともに受け取って残そうとしたら、怒られるにちがいない」と解釈し、戸惑いながらも、食べ続けることを選んだ。そんな私を、A先生は、「おうおう、強情やねえ、そんなに食べたいんか?」などと、からかってきた。 クラスは社会の授業どころでなく、みんなが一斉に私のほうを向いて注目していた。私は、涙が出てきた。そして、泣きながらも、ちまちまと肉をかじり続けていた(きっと、食べないと怒られるという本能から、無意識に)。先生が「おうおう、そんな涙流しながら食べんでも、残したらエエねんで。」とからかい口調で言い、みんながドッと笑った。 私は、みんなから注目されながら泣いて食べ続ける自分のみじめさに、悲しく痛ましい気持ちになり、また、からかいムードのA先生の真意を測れなくて、今の自分の置かれている状況もよくわからず(残したらダメなのか、残してもイイのか、わけがわからない)、ついには「う゛ぇ〜ん」と号泣した。それでも普段から担任に植え付けられてきた本能とはおそろしいもので、大号泣しながらも、スプーンは口に運んでいた。 そんな私に、A先生は、、、 「残してええって言っとんのや。しつこい女やな。」 小学生の女子相手に、「しつこい女」とは。。。 この冷たい言葉を浴びた時のショックな気持ちは、今でも忘れることができません。。。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 今、私の身長は164cmあります。食事も好き嫌いはなく、ほとんど何でも食べられます♪小学生の時に苦戦した肉は、いまや大好物です。 唯一食べられないのは、わさびです(日本人なのに)。あと、食べられないことはないけれど苦手なのは、まっ黄色のタクワンです(京都人なのに)。 6月 「担任・給食のおばちゃん・保健室の先生」 前回のつづきのようになるが…。でも、今日は明るいお話。 私が小学生のころ、どの学年の時も給食に苦戦していたが、学年ごとの担任によって、そんな私に対する接し方は様々だった。 何年生だったか忘れたが、ある年の女性担任は、いろんなアイデアを提供してくれた。鼻をつまんで口に入れると味が消えるとか、自己暗示をかける(自分の好きな食べ物を想像して食べる。例えば、りんごを想像したとしたら、おかずが、りんごの味になる!)とか。また、冬のある日、どうしてもおかずが食べられない私に、「冷めるとよけいに食べにくいもんね。あたためるといいかもよ。」と言って、食器ごとストーブの上にのっけてくれたこともあった(しかし実はこれ、大失敗。アルマイト製の食器はストーブの熱でアッチッチになっており(そりゃそーだ)、触ったとたん「ギャー」という悲鳴とともに、おかずは床に散乱した)。 とにかく、いろんなアイデアを提供してくれる、非常に協力的な担任だった。だからといって、それらのアイデアで給食を克服できるところまでは至らなかったけれども、それでも、給食の時間や、延長して昼休みまで食べ続ける時間は、この先生のおかげで、苦しさが減った。そして、残さずになんとか完食できる率も多かった。 私の給食嫌いに付き合ってきた人は、担任だけではなかった。一番めいわくをかけたのは、給食のおばちゃんかもしれない。 給食時間が終わると、給食当番が食器を返しに行ってしまうが、いつもそれまでに食べ終わらない私は、あとでひとり、食器を持って「遅くなってごめんなさい」と、給食室を訪ねねばならなかった。6年間、ほとんど毎回それをしていた私は、すっかり給食のおばちゃんと顔見知り? 給食のおばちゃんには、怒られたことがなく、逆に、いつも優しく声をかけてもらっていた。時には完食できず、残したおかずが入った食器をおばちゃんに渡さねばならず、そんな時は心苦しかった。でも、そんな私の心情をきっと察してくれていたのだろう、おばちゃんは「あしたは食べられるおかずだといいね。」と、励ましてくれた。空っぽの食器を持っていった時は、遅れて持って行っているのにも関わらず、「今日は食べられたんやね!ありがとう!」と喜んでくれたりした。 特に、給食に厳しい担任にあたった年は、精神カラガラな状態(?)で食べさせられ、返しに行くときは「ちゃんと給食のおばさんにあやまりなさいよ!」と担任のコワイ声を背中に受けながら給食室に向かうので、そこで優しく迎えてくれるおばちゃんには、とても癒された。 あの給食のおばちゃんの癒しがなかったら、私は、もっともっと給食が嫌いになっていただろう。 あと、私には、苦手だった給食メニューのひとつ「ほうれん草の白あえ」が、突然大好きになったというエピソードがある。これには、保健の先生が関わっている。 それは、前回の日記に書いた話のつづき。代理の先生によって、ドン底に突き落とされた私は、その後、給食の時間が近づくと、おなかが痛くなるようになった。今だから、それが精神からくるものだったとわかるのだが、当時は子どもだった私には、そんなことがわかるわけもなく、純粋に「おなかが痛い」と困っていた。もともと、ふだんから私はおながが弱く、腹痛をおこすことはよくあったが、でも、その時の痛みは、またちがう痛みだったので、なんとなく戸惑う部分もあった。 ある日、4時間目の授業中、いつものように起こってきた腹痛に耐えられず、とうとう保健室へ行った。でも、お腹がどう痛いのか、保健の先生にうまく説明できなかった(そのとき、その痛みをあらわす「キリキリ」や「しくしく」という言葉を知らなかった)。「トイレに行っておいで」と言われても、「そういうのんじゃない」と答える私。熱もない。で、そうやってしゃべっているうちに痛みがひいてきて、結局は教室に帰ることに。 しかし、それが、次の日も、また次の日もくり返された。さすがに3日目は保健の先生も怪訝(けげん)な顔をした。でも、それが神経から来るものだと気づいた様子。「痛いのは、ここより、ここらへんじゃない?」と言い当ててきたり、「ハアっと息を吐いてごらん。」と言ったりしてきた(きっと、口臭を確かめていた?)。 そうしているうち、担任も授業を抜け出して、保健室に様子を見に来た(3日連続で、4時間目の同じタイミングに保健室へ行くのだから、担任もピンときていたのだろう)。担任は、私の姿を確認してから、保健の先生を廊下に呼び寄せ、ひそひそ話をし始めた。今から思えば、あの時たぶん「この子は給食が苦手だから、それが原因ではないか」ということを話していたのだろう。 そして、担任は、先に教室へ戻っていった。保健の先生が、何事もなかったように、私への診察(?)を再開した。そして、 「ああ、原因がわかった!心配ない、原因はね…」 さて、このセリフの続きは次回に。保健の先生のアイデアがつまった、なかなかユニークなセリフです。このあと教室へ戻った私は、その日の給食に出た大嫌いな「ほうれん草の白あえ」を、おいしく食べてしまうのです。 おたのしみに(^O^)/ |
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| 7月 「一瞬で克服できる術」 前回のつづき。 保健の先生が言ったセリフは、 「ああ、原因がわかった!心配ない、原因はね、 おなががすきすぎているんよ!」 それを聞いた私は、大納得してしまった。 なぜなら、最近の腹の痛み方は、ふだんの腹痛とはなんとなく違っていたからだ。 それゆえ、保健の先生の示すこの意外な「原因」に、「なるほどー、そうだったのかー」と、私は真剣に納得したのだ。 私:「あ、そっか!そういえば、私おなかすいてるわ!」(←まんまと暗示にかかっている) 先生:「でしょ?だって、給食前やもん。おなかすきすぎてるのを、痛いと感じるんよ。そやし、食べたらなおるよ。このタイミングで食べたら、すっごくおいしいよ。えーっと、今日の献立は、、、なになに、ほうれん草の白あえ?おお、ちょうどいいねえ。ひんやり口あたりよくて、おなかすいてるときにぴったり。いいなあ、そんなけおなかすいてたら、すごくおいしく食べれるやろなあ。」 この先生のことばを聞きながら、私は、本当におなかがすいていると感じ、ひんやりとした白あえをおいしそうに食べる自分の姿が脳裏に浮かんだ。 ちょうどその時、4時間目終了のチャイムが鳴り、保健の先生に 「あ、ほら、給食の時間!ラッキー!食べといで!」 と言われ、明るく「うん!」と答えた私は、自分はラッキーなんだと思いながら、走って教室に戻った。 白あえを目にした私は、確かにそれが自分の苦手な食べ物であると認識しながらも、「なんだか今日はおいしく食べられる気がしてならないわ」って気持ちになった。ぱくっと口に入れると・・・ おいしい!保健の先生の言ったとおりだ!! かくして、ほうれん草の白あえは、1日にして私の大好物になった。 不思議ですか? さて、これって「イメージトレーニング」かな、と思う。 私にはもうふとつほど、これと同じようなエピソードがある。ひとつは、ずっと跳べなかった跳び箱が、ある日突然とべるようになったというエピソード。このときもやはり、あることによって(←これについては、また機会があれば書くとして)「跳べる気がしてならないわ!」という気持ちになり、頭の中に自分が勢いよく跳んでいるイメージが浮かんで、実際に跳んでみたら跳べたのだ。それまで、1段の跳び箱も跳べなかった私が、この日、たった5分ほどで、4段くらいまで跳べるようになってしまった。 もうひとつは50メートル走で、同じ要領で、ある日突然、タイムを2秒も縮めたことがある。 イメージトレーニング。これは、何事にも通ずると思う。 勉強にしたって、何にしたって。 行き詰まっている子の中で、その原因が「苦手意識」から来るものである場合、いくら周囲が説得しても、なかなかうまくいかない。 ここは一工夫して、「できる自分」をイメージさせるようにもっていくのが、一番いいと思う。 苦手意識から脱出できない子どもたちに、いかにして「出来る気がしてならない」という具合に感じさせるか。 これは、私も答えをもっているわけではなく、私自身も考え続けているくらいなので、「こうしたらいいのですよ」というのはないのだが、ヒントはもっている。 ヒントは、「周りの人が出来る中で、自分は苦手なんだ」という思いの中の、「周りの人が出来る」という部分にあり。ここを、どう打破するか。 このつづきは、またいつか。 8月 「いい先生、わるい先生」 ここのコンテンツのタイトルを自分でも忘れていたが、「ちょいからショート日記」と題していたなあと、ふと我に返った。どこが「ショート」なんだと自分でツッコミを入れながら、長い文面を少し見直さなきゃなあとも考えておりますが、どうでございましょうか? さて、6月に書いた給食の話のつづき(え、まだ続くの?!)。 「しつこい女」というショッキングなタイトルと共に登場したA先生。読まれたみなさまは、どう受け止められたでしょうか。 そして、その次の日記に登場した、豊富なアイデア(鼻つまんで食べるだとか、りんごの味になるだとか、ストーブでアッチッチだとか)を提供してくれた女性担任(以下、B子先生)。 この一連の日記のネタは「給食」だけれども、勉強にも通ずる話かなと思う。子どもへの係わり方において、A男先生やB子先生の姿勢から考えさせられることとは・・・? 多分みなさんは、私の言いたいことを予測されていると思うが、まさにその通りで、単純な話で申し訳ないけれど、やはり先生として理想的なのは、B子先生だろう。「いい先生、わるい先生」という安易な分け方は浅はかだが、それを承知で言えば、B子先生は、子どもに向き合えるいい先生だなあと思う。そして、A男先生は、子どもの心を見ることができない先生なんだなあと思う。…と、やんわり書いているが、“しつこい女発言”をくらった私は「当事者」なので、私情を込めれば、「A男先生は最悪じゃ。」とぐらい、言いたい(←いや、言っている?!)。 でも、実は、全否定でもなかったりする。あの時の私は、A男先生のあの態度を受けて非常につらい気持ちを味わいつつ、同時に、「こんな人もいるんだ」ということを学んだ。うまく言えないが、給食を食べ続けていることに対し「人によってはこんな反応を示されることもあるんだ」、ということを知った。そして、給食を食べる自分のことを、それまでは「一生懸命に食べている私」という具合に主観的な目でしか見えなかったのが、実は他人から見て「ウザイ」と感じられることもあるんだ、ということを、客観的に自覚することができた。 それは、実は、とても大事なことだと思う。相手の反応を見て、自分を知るということ。だから、B男先生の“しつこい女発言”も、にがい思い出ながら、あってよかった経験だと考えている。あんな刺激も、たまには必要だと思う。 色々な人とのコミュニケーションによって、それぞれの人の様々な反応を得ながら、立体的な精神がそなわっていく。なんでも、二次元的(平面的)ではなく、三次元的に感じ、考えること、すなわち思慮深さ。それが、多方面に思考をめぐらせる能力にもつながってゆく。 優しい給食のおばさん、厳しい担任、気転の利く保健の先生、A男先生、B子先生。いろんな人間がいる。人は、周囲のいろんな人間の、いろんな態度や感情に触れることで、奥深い感覚をそなえていくのかな、と思う。 プリゼミの塾講師としての私も、子どもを育てる大勢の大人たちの中のひとり。だから、私はひとりで何もかもしょいこもうとか、私ひとりが立派な先生になって「私に任せてください」みたいになろうとか、そんな風には思わない。 子どもの周りにいる大人たちの中のひとりとして、私なりの役割があるだろう。 8月 「ある保護者について」 プリゼミ生の保護者で、私が感心しているお母さまがいらっしゃる。小学生の男の子のお母さんで、いつもとても熱心。常にお子さんと丁寧に向き合っておられる。 熱心といっても、いろいろ口出しや手出しをされるということではなく、そのお母さんは、子どもがどんなことに興味を示しているのかを一生懸命見ようという眼差しを持っておられ、子どもの興味に応える努力や、その興味を引き伸ばす努力は惜しまれない。常に「基本は子ども主体」という考えで行動しておられ、私はとても共感している。たぶん、そのお母さんも、プリゼミの指導方針に共感してくださっているだろうと思っている。 子どもの教育に対する考え方が、そのお母さんと私はよく似ていると思うのだが、私は、そのお母さんが非常にマメに子どもに付き合っておられる姿に、とても感心している。 その、私がこのお母さんに感心している部分について、いくつかエピソードはあるのだが、その中から今日はこんな具体的なエピソードを。 ある休日(だったかな?)、前泓橋(まえぶけばし…ジョイフルの向かい側にある橋)付近で、男の子と、そのお母さんの姿を見かけた。護岸に植えられた並木の端っこで、何やら採取しているようす。親子で、とても楽しそう。 声をかけると、「アゲハの幼虫のためにエサを採っている」とのこと。おうちで卵から何匹か育てていて、幼虫が好んで食べる葉っぱを集めに、時々ここへ来ているらしい。 集めているのは、濃い緑色の、肉厚で少し硬めの葉っぱ。私が「何の葉っぱかな?」と首をかしげると、お母さんが「わからないけれど、柑橘(かんきつ)系かな?なぜか、この樹の葉っぱを良く食べるんで、これを採りに、わざわざここまで来るんですよ。」と説明してくださった。そんなお母さんは、腰をかがめて子どもと同じ高さになり、親子で顔を寄せ合いながら葉っぱを観察されていた。お母さんいわく「私、どちらかというと幼虫系は苦手なんですけどねー。」とのこと、でも、みずからも子どものようなテンションを保って「わくわくムードの世界」を作り、子どもの“興味の目”に一緒に沿われている姿が印象的だった。 このアゲハチョウのエピソードひとつからでも、このお母さんの子どもに対する接し方がうかがえるでしょう。 あと、このご家庭の“サンタクロースのエピソード”もなかなかすごいのですが、そちらはまた今度、いつか機会があれば、ご紹介いたしましょう。 とにかく、ご両親で、子どもに体当たりで接しておられる感じです。 そして、常にそういった環境で育ってきたおかげでしょう、子どものほうも、常に好奇心いっぱいで、何事にも素直に興味を持ち、のめり込みがすごいです。私の話にも食いつき(?!)がよく、身を乗り出しながら聞いてくれ、「それで?それで?」とか、「なんで?なんで?」「うわー」「へー!」「ほ−!」と、いつも抜群の反応を示してくれます。話していて、私も非常に楽しいです。 また逆に、「みわこ先生、こんなん知ってる?」と、嬉しそうに知識を披露してくれることもよくあります(教えてもらって私が「へー!!」とさけぶこともあり)。 言われてする子ではなく、自分から好んで自発的に取り組む子で素晴らしいなあと、いつもみていて感じるのですが、そんな姿勢を培ったご家庭にも、敬服させられます。 |