過去のちょいから (`▽´) ショート日記


もくじ 最新の日記


 <2007〜8冬> 12・1・2月
2007
12月 「作文は、徐々に上達するもの」

 今年の5月の日記で、最後に「今月は算数の話にかたよったので、来月は、作文の話をいたしましょう。」と書きつつ、6月には「いちごシルツブレ」の話をした。そして、そのまま作文の話はオアズケになっていたので、そろそろ、作文の話をしようと思う。あれから半年たったんだなあ。

 さて、作文を上手に書くのは、本当に難しい。作文には、いろんな要素がつまっており、それを一度にこなすのは、大変だからだ。いろんな要素とは・・・
★主語と述語のかみあった、正しい文を書く。★句読点を正しくうつ。★常体か敬体(「だ・である調」か「です・ます調」)で文末をそろえる。★内容豊かに書く。表現をくふうする。★文の構成を考える。★すじみちが通った文章にする。★誤字・脱字に気をつける。漢字・かなづかい・おくりがなを間違えない。★段落を適切に分ける。★内容が課題にそっている。★決められた字数内で、適切な量を書く。★ある程度限られた時間内で書く。
などなど、たくさんある。これら全てが、最初からカンペキに出来ることは、まずない。
 プリゼミの小学国語クラスでは、授業時間内に作文を書くのだが、保護者の方は、お子さまの作文をご覧になったことがありますでしょうか。書きあがった作文を見て、「ここは、おかしい」、「ここは、こうすべきだ」、「塾で書いたのに」というのが、あるでしょう。でもそれは、上に連ねた「要素」の一部だと思っていただきたいのです。作文を見ると、おかしな部分や悪い部分に目がいきがちですが、それは、たくさんある要素の一部であって、他の、クリアできている要素にも目を向けて、ほめてあげるべきところも見つけてあげてほしいのです。また、書かれた作文にケチをつけるのは簡単なことです。もし、同じ課題で、親が見本の作文を書いてみせよ、と言われれば、その難しさを実感できるのではないでしょうか。私は、生徒たちに「見本」を書いて見せたことがあります。
 また、子どもが作文を書くのを難しがる一方で、作文を指導する側も、これまた難しい。まず大事なことは、とりあえず「どんどん書ける」ということと、「その子らしさを引き出すこと」だ。だから、子どもが作文を書くとき、あまり途中で口をはさめない。その子がどんなことを書こうとしているのか、見届けなければならないからだ。途中経過を見ていて、こちらが「ん?」と思っても、とりあえずは最後まで書かせてみたりする。書いている途中で、いちいち「それはダメ」「それはおかしい」「話がずれているよ」とツッコんでいると、子どもの作文ではなく、指導者の意図にそった作文になってしまう。型に嵌(は)まった作文を押し付けていると、子どもはいつまでたっても、「どう書いたらいいかわからない」という苦手意識から脱出できない。また、カンペキな作文に仕上げさせようと、こちらが徹底的に指導し、書くしりから口出しして訂正させまくっていたら、子どもも、書きたいことが書けず、ウンザリして余計に作文が嫌いになるだろう。
 プリゼミでは、外に添削を依頼した作文を、その添削内容にそって書き直すという作業もおこなっているが、やはり、そこでもカンペキに直すことは重視していない。カンペキを強いることより、子どもの意欲が殺(そ)がれないことを優先し、まだ直っていないところがあっても「良し」とするようにしている。いっぺんに直しきろうとしては、いけない。保護者の方は、お子さまの「お直し作文」を見て、まだちょっとおかしいんじゃないか、と思われるかもしれないが、作文指導に「いっぺんに」は禁物だということを理解していただき、おうちでは、お子さまの作文をほめていただき、指導はプリゼミに任せていただけたら、と思います。
 まずは、ゆったりとした目線で、お子さまの作文を見てあげてください。最初は、「上手な作文を仕上げる」よりも、「とりあえず意欲的に書くこと」のほうが大事なのです。また、上手に作文が書けるようになるにはも必要で、それは、ある程度の時間をかけねば身につきません。毎週、作文に挑みながら書くことをくり返しているうちに、少しずつ修正されながら、うまくなっていけば良いのです。


2007
12月 「人の悪口をテーマに、作文を書いた子」

 さて、作文のテーマ選びだが、プリゼミの作文指導では、既製の教材「作文シート」を使用したり、日本作文協会の作文添削を取り入れたりしているので、あらかじめ決められた課題が与えられる。と言っても、「最近楽しかったこと」や、「身の回りで、きれいだなあと思うもの」、「困っていること」という課題ならば、その中で自分の好きなテーマを決めることができる(たとえば、「きれいなもの」という課題なら、「花」「夜空」「整頓された机」「働く母の姿」「親切な心」など、テーマは何でもいい)ので、「自由課題」に近いだろう。こうなると、かえって「何を書けばいいかわからない」という子が生じるが、私は基本的に、作文のテーマに「ダメなもの」はないと思うので、自分が「これなら書けそう」と思う題材なら、何でもいいと思う。たとえそれが、人の悪口でも。
 ある時、「困っていること」という課題が与えられた作文で、学校のクラスメートのことを書いた子が結構いた。「困ったクラスメートがいる」、という内容だ。誤解のないよう書き添えると、私がそそのかしたわけではないですよ。中には、「自分のこういうところが直らなくて困っている」という内容のものを書く子もいたが、だいたいは「困ったこと」といえば、何か外に向かって不満を持っていることを書く場合が多く、その対象が「物事」ではなく「他人」に向かう子もいるのは、当然な話だと思う。また、「悪口」というのはスラスラ言えてしまうというのも、人間の性(さが)として、否(いな)めないところである。だから、他人へのクレームを題材にする子が複数発生するのも、自然な話かなあと思う。
 ただ、「だれだれ君がどうした」、「だれだれさんはこんなことをする」、だけを書き連ねれば、本当にただの「悪口だけ」になってしまい、それは作文ではなくなる。「そんなクラスメートを見て、自分はどう思うのか」を書いてみる。「その子はどうしてそんなことをするのか」と分析してみる。「その子を理解できる部分はあるのか」と考えてみる。「自分はどうすべきか」と策を練ってみる。そうすれば、いい作文になる。大事なのは、「どんなテーマを選んだか」ではなく、「どんな内容にするか」なのだ。「困ったクラスメート」について書こうとする子たちに、私は、その点だけ注意するようにアドバイスした。
 さて、その中のひとりの子のお母さまは、出来上がった作文を提出する前に、読んで顔をしかめ、「こんな不満めいたことを書いたらだめでしょ。作文は、読んでいる人が楽しくなるようなことを書かなきゃだめよ。」と、いさめた。たしかに、子どもらしく朗らかな印象を与える作文は、好感がもたれ、良い作文の見本になりそうな気がする。このお母さまの気持ちは、よくわかる。でも、ちょっと暗い話題や、しんみりした内容でも、書きようによっては、読んでいる人をひきこむ魅力的な作文になる。さわやかな感動を与えたり、イキイキと元気を与える作文が書ける力も必要だし、心をえぐったり、物事の矛盾をするどく追及する作文が書ける力も必要だと思う。私は、その子の作文は良く書けていると思ったので、ほめて、そのまま添削に提出した。そして、A評価(←素晴らしい評価)で返ってきた。
 きっと、このお母さまと同じように思っていらっしゃる方は、たくさんいらっしゃると思います。しかし、ちょっと視点を変えて、「基本的に作文は好きなことを書いたらいい」という幅広い気持ちで、お子さまの作文をとらえていただけたらな、と思います。あれはだめ、こうじゃなきゃだめ、と制約するより、まずは「何でもあり」の精神で自由にさせたほうが、作文の力はついてきます。

次回は、作文コンテストに入選した作文を、話題に取り上げます♪(協会から、年内に賞状と記念品が届けば、の話ですが。。。)


2007
12月 「火星が地球に接近中」

作文の話題の合間に、今日はちょっと星の話題を。
 みなさま、今年の冬は、東の空に赤い星が見えるのをごぞんじですか。
その星は、いま地球に接近中の火星です。12/19には、地球に最接近します。

 さて、これは、プリゼミの教室を出た時に見える真正面の風景(プリゼミを背にして見える風景)です。
プリゼミの入り口は、プリゼミのたてものの東側にあります。

最近、生徒が帰る時間帯の空は、こんなふうになっています。

道路の向こうは駐車場になっており、冬の大三角形が、そこにうまいこと、すっぽりと嵌(は)まって見えます。スバラシイ。

みなさん、プリゼミが終わったら、教室を出たときに、正面の空を見上げて、火星を見つけてみましょう。すぐにわかりますよ☆
 
日記のもくじへもどる
2008
1月 「コンテスト入選作文の話」

 さて、年が明けたので去年の話になったが、作文コンテストの話題を。プリゼミは「日本作文協会」の作文添削を導入しているが、年に一度、8月に「作文コンテスト」がおこなわれる。そして今回、プリゼミ生から2名の入選者が出た。
 (→入選作文は、こちらでごらんになれます。)

 ところで、プリゼミでの作文指導についてだが、先月の日記で、子どもが作文を書いている時に、「先生は途中であまり口を挟めない」と書いたが、それは、「子どもが書いている間、先生は何もせず、ただ待っている」ということではない。「ああ書け、こう書け」と言いまくらない、ということであって、子どもから引き出す努力はしているのである。また、子どもは、作文には「書いていいこと」と「書いてはいけないこと」があると思いこんでいることが多く、それを打破する手助けもしている。
 作文指導において、親や先生に、よく「作文は、思っていることをそのまま書けばいいのよ」とアドバイスされる。しかし、子どもにとって、「思っていることをそのまま書く」ということ自体が、もひとつピンとこないのだ。思ったことを書こうとしても、作文用紙を前にすると、「ボクが思っていることって、つまり何だろう?」と畏(かしこ)まってしまい、結局「どう書けばいいのか、よくワカンナイ。」となってしまう。
 だが、作文を前にすると無口になる彼らも、ふだんの何気ない会話では、おしゃべりだったりする。

 ここで、今回入選した2人の作文のうち、Mちゃん(小3)の「すきな遊び」という作文について、これを書いた時のエピソードを、ちょっとご紹介したい。
 Mちゃんは、この作文を書くとき、少し困っていた。大好きな一輪車についての作文なのだが、彼女は「作文」となると畏(かしこ)まってしまい、「どう書いたらいいの?」と悩んでいた。それでもMちゃんは、以前よりぐんと成長し、このごろ作文には、素直な自分のことばがたくさん出せるようになってきていた。今回も、“この夏、一輪車の練習をがんばっていること”を書きたいらしく、もともと、「汗だらけになっても練習している」という表現は、彼女自身が自力で書き出した素晴らしい表現なのだが、それ以上は、ことばが見つからないという感じで、筆がとまってしまい、う〜ん、う〜んと、うなりだした。私が「どんなふうにがんばっているの?」とたずねても、「う〜ん・・・。」と、ことばが出てこない。そこで私は「じゃあ、とりあえず、私に一輪車のこと教えてくれる?私、一輪車に乗ったことないねん。乗る要領は、やっぱり普通の自転車とちがうんか?」と聞いてみると、「えー!!ぜんぜんちがう〜!ハンドルないもん!」と、嬉しそうに反応してくれた。「じゃあ、ハンドルないのに、どうやって曲がるん?」「えー、わからへん。勝手に曲がるでー。」
 Mちゃんから話を引き出す作戦、開始である。コツは、こちらの思い通りに話を進めるのではなく、なるべくMちゃんに自由に話をさせてあげるよう、コントロールすることである。
 つづく。


2008
1月 「入選作文を書いた時のエピソード」

上の話のつづき。
 そこから、どんどん、会話が進む。「いっぱい転ぶで。」「えー、そうなんや。イヤにならへん?」「ううん、ぜんぜん。」「うわー、Mちゃん、がんばりやさんやなー。」「うまくなりたいもん。」「そうかあ。でも、そもそも、なんで一輪車の練習なんかしてんの?」「うん?なかなかうまくなれへんし。」「ん、なんで一輪車うまくなりたいの?」「学校でな、友だちも乗るん。」「ああ、なるほど、学校で、はやってるんや。」「うーん、まあまあ。」「みんな上手に乗らはんのん?」「んー…。」「上手とか下手とかないか。こぐだけやもんな。」「ちゃうちゃう、いろいろワザがあんねんで。」「へー、どんなワザ?」「いっしゅん止めたりとか、うしろ向くとか。でも、まだ、あんまり知らん。乗れるようになったばっかりやもん。」「そっかー。ふつうに乗るのも大変やねんな。」「そやで。すごく練習したで。」「学校でか?お昼休みとかにか?」「ちゃうちゃう。今な、夏休みやしな、家で練習してる。毎日ケイコしてんねん。」「毎日?すごいなー。」「うん、朝からやで。」「ああ、朝のすずしいうちに練習してんのやな。」「ちゃうちゃう、夜までずーっと。お母さんがな、ごはんやでーって呼ぶまで。」「って書けばええねん。」「え?」「今、ず〜っと私に話してくれたことを書いたらええねん。」「え、そんなんでええのん?」「ええどころか、すばらしいよ。今、いいこと、いっぱい話してくれたやん。一輪車への情熱がようわかったわ。」「そんなんでええんや。なんやー。」「そうやー。」
…こうして、あの作文は、出来上がりました。Mちゃんは、私の「そのまま」というアドバイスを上手にとらえてくれました。とても自然な感じで書けています。お母さんやお父さんとの会話文を入れるなども、私が指導したのではありません。Mちゃんが、自然と、そうしました。Mちゃんは最初、特に「コンテスト」ということで、何か特別な“すごいこと”を書かなければ、と構(かま)えてしまい、行き詰まっていましたが、「思ったことを書けばいい、その“思ったこと”とは、今、先生に普通に話したような内容でいいのだ」と理解したことで、のびのびと筆をすすめ、そうやって書いた素直な作文が入選という形で返ってきたことは、Mちゃんにとっても、私にとっても、大きな収穫となりました。

 たいがいのお子さんは、会話だと、次から次へと、めいっぱい話してくれます。こちらの思い通りに話を進めて無理矢理に聞きだすのではなく、子どもが嬉しそうに「聞いて聞いて!」という具合に、自然に子ども自(みずか)らが話す事柄というのは、そのまま作文にすると、魅力的な内容が多いです。しかし、どうしても「作文」となると、子どもは構(かま)えてしまいます。相手が生身の人間だと気楽に語れますが、相手が紙だと、なんだか緊張してしまいます。また、会話と作文とは、同じようで、違うところもあります。口にしてしゃべるのはスッと流れていく感じですが、文字にして書くとなると、ひとことずつ積み重ねていく感じで、記録していくような感覚から、ひとつひとつの文に重みが出ます。また、正確な言葉づかいや文法が求められたり、字数制限などの制約もあり、それらを考えながら書かねばならない不自由さもあります。そこらへんが、作文を難しく感じさせるところでしょう。

 ただ、やはり「会話」と「作文」とは、とても関係していると感じます。豊かな表現力、作文力、国語力というのは、「会話力」から生まれるんじゃないかと思います。本を読んだり、文を書く訓練をするだけではなく、人と人とのていねいなコミュニケーションが一番大切ではないでしょうか。深く問答をくり返す中で、人に伝えるという力が培われ、表現力はもちろん、考える力もついてゆくと思います。それは、全ての教科にも影響してきますし、日々の生活での頭の使い方や考え方、問題の処理の仕方などにも関わってくるでしょう。
 子どもの話に耳をかたむけ、ゆっくり、じっくり、深く会話するという時間。どのお子さんにおいても、ご家庭でも、学校でも、親子で、先生と生徒で、そんな時間をたっぷりとってあげられたら、と思います。できれば、聞き上手となって、子どもから、どんどん話を引き出してあげられると、いいでしょう。


2008
1月 「教育とビジネス…テレビCM編」

★ビジネス…個人的な感情をまじえない、金もうけの手段としての仕事(by大辞林)

 そもそも「教育」や「医療」というものは、商売に利用してもうけようとする分野ではないと思う。しかし、私は「教育」というものをあつかう仕事で生計を立てている。
 私は自分の仕事を“ビジネス”という視点で見たことはなく、やりたいことをして幸せだ、天職だ、と思っている。だから私は、自分が生きることに不自由しないのなら、無料奉仕でもこの仕事をしたいくらいなのだが、残念なことにそういう身分でもないので、これを私の「職」とし、みなさまにお月謝をいただくことで、生きる手段としている。
 ただ、この仕事で必要以上にもうけようという欲望はない。やりたい仕事が出来、しかも、それで生きていくのに足りる収入があれば、もう充分幸せという思いがあるからだ。それに、「何でも欲を出すとつぶれる」という世の中の摂理も理解しているつもりなので、つまらないもうけ心を出したがために、プリゼミがつぶれた!ってなことには、絶対になりたくはない。
 きっと、プリゼミに通ってくださっている方々は、「プリゼミって商売気(しょうばいぎ)がない塾ね。」って、わかってくださっていると思う。
 ただし、先行きの不安もないわけではない。でも私は、地道に、正直に歩いていれば、大丈夫と信じたい。

  人は、生計を維持するためには、何かしら職を持たなければならない。そして、「講師」や「医者」なども、職のひとつだ。しかし、世の中には実に様々な職種があれど、「教育」や「医療」だけは、“ビジネス”にすべき職種ではないと思う。特に、組織ぐるみでのビジネスとしては成り立ちにくく、もし成り立つとすれば、そこに本来の意義は求められず、あるべき姿からかけ離れた物になっている場合が多いだろう。
 資本主義の社会では利益優先で、会社や人々は「もうけ」を第一に考えながら動く。それは大事なことであり、必要なことだと思う。なぜなら、それが企業間の自由競争につながり、技術の躍進や経済の発展につながり、そして社会全体が向上することにつながってゆくからだ。
 しかし、「教育」や「医療」に関しては、商品を扱うのではなく、人間を扱う仕事だ。“ビジネス”にしてはいけない。金もうけを第一と考える人の仕事には、これらは決してなり得ない。もし、もうけるなら、それをさらなる教育の充実や医療の向上という形で、生徒や患者に還元してくれることが目的であってほしい。己の私利私欲を満たすことが目的であれば、本来の「教育」や「医療」の意義から、かけ離れていくだろう。むしろ、対極の物になることもあり得る。利益優先の教育が生み出すものは「考えられない子」や「退化していく子」、「精神的に病んだ子」であり、命よりお金を優先する医療が生み出すものは「病状の悪化」や「医療ミス」、「死」である。「時給がいい」とか「お金になる」とかが第一理由の人間がほどこす教育や治療には、ろくなものがない。

 ところが、悲しいかな、「子ども=お金」と見ている教育業者は、この社会にたくさん存在する。もちろん、もうかるためには内容の充実が不可欠で、それが教育の質の高さにつながっていくと考える業者もある。しかし現実を見ると、違う方向へ走っている業者も非常に多い。
 たとえば、生徒獲得方法。折り込みチラシやテレビCMを見ていると、本当に「教育」というものを重視している塾なのか、もうけに利用している塾なのか、疑問に思うことがある。
 見ていて残念だなあと思うテレビCMは、奇をてらっただけの、ウケねらいのCM。その塾の想いが伝わってこず、なんだか無意味で、売名だけが目的な感じがする。その塾に皆さんが払っている高い授業料が、こんな中身のないCMに反映されていると考えると、とてもじゃないが、その塾で生徒第一に考えた教育がなされているとは思えない。
 また、芸能人を起用しているCMも、ただの売名行為だなあと思う。見る人達に「ぜひここで学びたい」という気持ちを呼び起こさせる手段が、「塾の信念や教育方針」ではなく、「芸能人だ」というところが、なんか根本的に違うんじゃないかなあ。しかも、旬の芸能人を起用するあまり、「なんだかその芸能人が、イメージに合っていないぞ」という、ちぐはぐな印象を受けるCMもある。
 そもそも、塾にテレビCMなんて必要なの?どうしてもCMをやりたいなら、塾長自らが出演して熱く語るなどして、芸能人への高い出演料の分を塾生に還元するなどの方法を、なぜとらないの?塾のイメージよりも、芸能人の人気度に重きを置いたCMは、ただの人気取りに走っており、教育という意図を完全に無視してはいないか?アピールしたいのは、塾なのか芸能人なのか。子どもたちに、芸能人に釣られて入ってこられてもいいの?塾の良さを知って入ってきてもらいたい、と思えない塾は、どんな教育をほどこすの?
つづく。
日記のもくじへもどる
2008
2月 「教育とビジネス…ちらし広告編」

上のつづき。

 また、チラシにも、たくみな言葉を並べ、表面的な誘惑いっぱいで紙面を埋めている塾も多い。その塾のあり方を伝えることよりも、保護者の心をつかむことを目的としたチラシ。
(`へ´)●講師たちがみな高学歴であることを謳(うた)っている。
(`へ´)●合格実績としての有名校の列挙。
(`へ´)●「○○日まで」と期間限定の、高額割引キャンペーン。
(`へ´)●どこかのそれらしい教授を呼んで開催される講演会の予告。
(`へ´)●塾の年間スケジュールに、やたらと塾内テストや模試の回数が多い。
(`へ´)●大きく赤い字で「少人数」と書いてありながら、よく見ると、実は定員30人ほどのクラスで、それで少人数だという、サギっぽい表現(どこが少人数なんだ)。ブチブチブチ……。
 これらの言葉に、「子ども重視」の姿勢は感じられますか?保護者に表面的な安心感を与え、説得しているだけだと思いませんか?授業内容は伝わってきますか?生徒や保護者が本当に知りたい情報とは、先生の教え方や具体的な授業の内容であるべきです。だから、塾のチラシというものは、
(^∀^)◎先生の人柄や能力、具体的な講師像が伝わってくる。
(^∀^)◎塾の方針として、授業では何を心がけているかが具体的に記されている。
(^∀^)◎その塾が培(つちか)ってきた独自のノウハウが感じられる。
(^∀^)◎教育の問題点は何であると考え、塾ではどのような解決策をとっているかを具体的に述べている。
(^∀^)◎子どもたちと関わるようすが具体的につづられ、実感できる内容である。
など、具体的で、実際の指導法などの、塾の内面部分が伝わってくるものでなければ、信用できないと思いませんか。
 「あっという間に痩せる!」というダイエット広告と同じノリの、表面的な塾広告を、よく目にします。安易な言葉が並べられています。「たった1ヶ月の受講で、40点アップ!」などという言葉は、その塾を信用する決め手とはなりません。点数アップという結果だけではなく、どのようにして、それだけ点をアップしてくれるのかという、指導のほうに注目することが大事です。
 塾を選ぶポイントは、カリキュラムでもなく、先生の学歴でもなく、他にどんな子が通っているのかでもなく(つまり、他の子の合格実績や点数アップの報告〈それが、どんな子でも、というのなら良いが、一部の子の特別な話だと感じる場合〉でもなく)、使用している教材の有名度でもないはずです。大事なのは、どんな先生が、どんな指導で、どんなふうに「うちの子」をみてくれて、どれだけ「うちの子」を伸ばしてくれるのか、なのです。

「友達を誘えば、○○をプレゼント!」
と謳(うた)う塾も、よくある。さらに、そのプレゼントがおもちゃやゲーム機の類だったりする塾もある。子ども相手の戦略として、非常に卑怯(ひきょう)な手段だと思う(こんなん、ほとんど子ども相手のマルチ商法やんか!)。プレゼントで誘惑するような塾が、本気で子どものことを考えてくれるだろうか。

 「子ども」を「お金」としか見ていない塾は、入会したら、あとはホッタラカシで、責任をもってみてくれなかったりする。一番多い問題は、どんな先生にあたるかわからないということだろう。中には、熱心で良い先生もいる。その先生にあたればラッキーだが、でも、ヒドイ先生にあたれば、不幸だ。良い先生とヒドイ先生がごちゃまぜに在籍している塾の場合、どの先生にあたるかは運次第?担当になった先生が、ちゃんと実のある授業を本当にしてくれるのか、また、塾としてのフォローもあるのか不安だ。
 または、表面的に成績をアップさせるという、塾にとって一番手軽で、子どもにとっては害になる、最もいけない指導を受ける可能性も高い(それなら、ホッタラカシにされて成績があがらない状態のほうがまだマシです。あとで救ってあげやすいからです)。そう、この問題については、以前にも書いことがあるが、子どもの考える力が退化していってしまうという、毒になる教育であり、これが最も私のハラワタが煮えくり返るところ。

 「教育をビジネスと捉える塾」を支える業者もいろいろと存在する。プリゼミにも、それらの業者から案内が送られてくるが、生徒を増やすノウハウに関するものが多い。えぐいな〜と思う内容が多く、私もびっくりです。みなさん、どんな内容かお知りになりたいですか。しかし、誰もが閲覧できるこのホームページという場で、あまり暴露しすぎると、それがいつ災いとなって自分に返ってくるかわからないコワさもありますので、具体的なことは伏せさせていただきます。。。
 プリゼミを開き、自分で塾を運営する身となって、塾業界の裏世界をいろいろ知ることとなりましたが、こんなにも「教育」を「ビジネス」と捉え、子どもに害になることをしてまでも、子どもを金もうけに利用している業者が多い現実を見て、そんな世の中に、ちょっと辟易(へきえき)すると共に、大きな危険を感じている今日このごろであります。
 みなさまも、「世間には、利益一番で誠意がなかったり、子どもにとって有害な塾や教育業界がけっこう存在する」ということをぜひ知っていただいて、そういうところの表面的な広告にはのせられないよう、ご注意ください。見分ける方法は、簡単です。そのチラシから「誠意を感じる」か「感じない」か、です。


2008
2月 「旧プリチラ小学生版は、へんてこりんな内容?」

 プリチラとは、プリゼミのチラシ(パンフ)のこと。
前回の日記では、塾のチラシ広告について思うことを書いた。では、それだけ言うのなら、プリゼミのチラシは、さぞかし素晴らしいのだろう。。。と、みなさまに思われるに違いない。
 ところが、自分でいうのもアレだが、うちのチラシは、なんだかイマイチなのだ。日記にああ書いて自分のチラシを振り返ると、もひとつわかりやすくないなあと反省。
 チラシといっても、新聞折り込みの広告ではなく、通りすがる人たちに「自由にお取りください」と示して、教室の外に設置している、いわゆる「パンフレット」のこと。パンフといっても大層なものではなく、パソコンで作ったものを白黒コピーしただけの、プリントみたいなもの。5種類あり、
●総合パンフ ●小学生クラス詳細 ●中学生クラス詳細
という、通年パンフが3種類と、
●新中1募集要項 ●秋スタート小6英語要項
という、季節限定の臨時パンフが2種類。
 この中で、「小学生クラス詳細」のパンフが良くない。どこがイマイチなのかというと、「結局よくわからない」という点だ。これって、パンフレットとしてはありえない、致命的な欠点である。なぜこんなことになったかというと、「熱すぎた」からだ。
 プリゼミが開校したころは、「総合パンフ」しかなかった。自画自賛だが、このB4サイズ(大学ノートをひらいた大きさ)のパンフは、この当時から、とてもシンプルでわかりやすい作りになっている。コースの簡単な紹介、料金、時間割、私の指導方針(私の似顔絵イラスト付き)、入会の手順やプリゼミの連絡先、地図が、1枚の紙に、コンパクトにまとめられている。
 しかし、シンプルすぎるゆえ、授業内容が伝わらないので、もう少し詳しい内容をと思い、1年後に追加パンフを2つ製作した。それが「小クラス詳細パンフ」と「中クラス詳細パンフ」だ。小中それぞれのクラスでの具体的な授業の内容と進み方を、追加パンフで紹介したいと思った。
 中クラスのほうは、わりかしうまく仕上がった。なぜなら、カリキュラムにそって進むクラスなので、その内容を整理して示しやすかった。
 ところが、小クラスにはカリキュラムがない。授業内容は一貫しておらず、子どもの数だけ指導法があるような感じだ。しかし、それこそがプリゼミの小クラスの特徴であり、いちばん伝えたいところでもある。それを表現したい、、、。
 その思いが強すぎて、出来上がったものは、私の熱い気持ちが語られただけのものになり、「授業内容の紹介」とはなっていなかった
 そうわかっていながらも、ずっとそのパンフのまま、3年が過ぎた。直しようがなかったのだ。伝えたい内容を最低限の量で書き記してあるが、それでも紙面の限界ギリギリで、いくら見直しても削りたい文が見当たらず、これ以上内容を増やせず、手の出しようがなかったのだ。
 紙のサイズを大きくすればいい。ふと、そう思いついたのは、こないだの日記を書いた時だった。今まで、「B5(大学ノートの大きさ)」というサイズにこだわっていた。これまで私は、「大きくするのは簡単だ。でも、それでたくさんゴチャゴチャ書いても自己満足なだけだろう。見る人の立場になれば、小さいほうが親切だろう。」と思い込み、このサイズにこだわってきた。
 しかし、前回の日記を書いて、このプリゼミ小クラスのパンフをいまいちど見つめなおしてみると、とても「ひとりよがり」なパンフであると気づいた。私の伝えたい思いばかりがつづられ、見る人が知りたい情報がのっていない。
 これじゃ親切とはいえない。パンフといえない。

  ということで、もうすぐ春だということもあり、チラシを新年度用に更新するついでに、この際、思い切って「小学生クラス詳細」と「中学生クラス詳細」の2つのパンフの全面改訂をこころみた。
 これまでB5サイズでぺら1枚だった形を、今回は面積が2倍のB4サイズで、2ツ折りという形に変更した。表紙らしいデザインをつけ、ちょっとした冊子っぽい風貌は、いかにもパンフレットらしい(白黒コピーだけれどね)。

 それでは、生まれ変わったプリゼミパンフの全貌を、ご覧ください。

ここで一旦CM


2008
2月 「新プリチラ小学生版は、へんてこりんな6ッ折り」

上のつづき。頭の中でビフォーアフター風のBGMを流しながらお読み下さい。
♪♪♪
 小学クラス、中学クラス、それぞれのパンフを手にとると、表紙には美しいデザインがほどこされ、ちょっとした冊子のような風貌。
 中学クラスの表紙には、1年間のカリキュラムがリング状に並んで描かれ、その中心にある丸い矢印をたどると、その先に感じる未来に、思わず胸がときめきます。
 小学クラスの表紙には、愛らしいプリゼミエンピツの姿が。不思議なことに、白黒コピーのはずが、そこには虹色を感じ、まるでこのパンフに彩(いろど)りをそえているかのようです。
 それぞれの裏表紙には、新たに「クラス概要」の欄を設置。総合パンフでは伝え切れなかった詳しい授業形態も、これからは一目瞭然です。また、料金の説明箇所については、装いも新たにその面積を広げ、一層わかりやすく生まれ変わりました。
 中学クラスパンフの表紙をめくると、その内側は、以前のパンフレットを再利用した授業内容のページ。かつての面影を残すそのページには、新たに「指導ポイントのコーナー」も加わり、読む人の心に刻まれます。
 一方、小学クラスパンフの表紙をめくると、なんということでしょう!パンフレット内側の右側と下側には、まだ開くことのできる追加スペースが、小さく折りたたまれているではありませんか。通常なら広げるとB4サイズになるところが、この不思議なスペースを引っ張ることで、もうひとまわり大きいA3サイズに早変わり!折った時にB5になるという限られた範囲に、出来るだけたくさんの情報をスッキリまとめたいという願いが、匠の知恵と工夫によって実現したのです。プリゼミのクラスの中で、あとから新しく誕生した為に、長い間、パンフの中に、その身を置く場所のなかった小6英語講座。これまで、秋の臨時パンフで1年に1度しか紹介されなかったこの英語講座も、この不思議な追加スペースにぴったり収まることにより、これからは、国語や算数と共に、年中、皆でそろって紙面を飾ってくれることでしょう。
♪♪♪
 ということで、さて、上のビフォーアフター風の説明にもあるように、小学クラスの詳細パンフには、へんてこりんな仕掛けが出来てしまった。以前のパンフはB5サイズだったが、新しいパンフは、ちょうど2倍のB4サイズにするつもりだった。それを2つに折れば、以前と同じ大きさのB5サイズになるからだ。しかし、出来上がって印刷してみると、中学クラスは丁度よい感じなのだが、小学クラスは文字が小さすぎた。中学クラスに比べ、性質上、小学クラスのほうが内容が多く、その分、字が小さくなってしまうのだ。といって、ひとまわり大きいA3サイズにすれば、二つ折りにしても、教室の外の「パンフケース」に入らない。どうしたらいいものか。
 そこで、考えたあげくたどりついた結論が、「A3の、不思議6ツ折りパンフ」という形態である。少々へんてこりんで、開いたときに「なんじゃこりゃ」と思える折り方ではあるが、まあ、これも「個性的」ということで、いいんじゃないかな。
 とりあえず、内容的には、前の日記に自分で書いた「チラシの基準」を充分に満たしているものが作れたと思います。みなさまも、ご興味のある方は実物を手にとって、「なんやこれ、ヘンな折り方のパンフやなー。」と、ご覧になってみてください。


もくじ 最新の日記



教室へもどる    トップへもどる    こうばんへ行く