過去のちょいから (`▽´) ショート日記


もくじ 最新の日記


 <2006春> 3・4・5月
2006
3月 「お聞きくだされ〜」(←小梅?)

 100均で、赤・青・黄・紫・水色の5色セットのボールペンを見つけた。これでマルつけしてやったら、生徒はさぞかし喜ぶだろうと思って、買った。5本で100円とは、すごく得した気分。
 ところが、帰ってさっそく試し書きすると、インクの色は黒!パッケージには「おしゃれでキュートなボールペン」「カラフルなスケルトンボディ」「お得な5本セット」と大きく書いてあって、店で見た時には「ボディ」の部分に気がとまらず、てっきりインクが5色だと思っていた。しかし実際は、ペン本体の色が5色というだけの話。そして、よく見てみると、ちゃんとパッケージの右下に、小さく「インク・黒」と書いてあった・・・。
 これじゃマルつけにも使えない。せっかく生徒を喜ばせようと思ったのに。黒ばっかり5本もいらんわい。すごく損した気分。

♪5色〜のボールペンを買ったと思ったら〜〜〜
  ただの黒ペンで〜し〜た〜〜〜
   チッキッショーーッ

と、このペンセットを手にしながら“小梅”風に歌ったら、小学生に大ウケ。違う形で、生徒を大喜びさせることができたが。ちきしょーっ。
(byみわ小梅)


2006
3月 「お聞きくだされ・リベンジ」

 上の話の後日談。別の100均で、10色セットで100円のボールペンを見つけた!!今度はちゃんと、インクの色が10色であることを確認し、購入した。先日の「5本」の倍で、「10本」。なんだか、もとを取り返し、リベンジしたような気分になった。
 さて、さっそく授業で使ってみたところ、いつもと違う色に、小学生は大喜び。中学生も「あ、新しいペンセットや!また100均?今度はちゃんとインクがカラフルなん?」と身を乗り出してきた。「10色で100円やで!」と自慢すると、「すげー」と感心され、私は鼻高々。「でも、インクちょっとしか入ってへんのちゃう?」と疑う生徒に、「見てみ、おしりまで満タンや。」と、得意げに見せる。透明ボディの中に見える芯には、たっぷりオシリまで色がある。ところが、そのうちひとりのクールな生徒が、「先生、ペンの後ろのキャップ取って、中の芯を出してみ。」と、意味深なことを言いだした。「え?」と一瞬うろたえながらも、言われたとおりに芯を出してみると・・・。
 普通、ボールペンの芯って、中のインクの量が見えるもんだが、そのペンは、なんと芯自体に色がついていた。ピンクのボールペンにはピンク色の芯、水色のペンには水色の芯。つまり、満タンに見えたのは芯の中のインクの色ではなく、芯自体につけられた色だった・・・。なので、芯の中身が外から見えず、本当のインクの量はわからないが、やたら軽い。穴からのぞくと、インクがどこまで入っているのか見づらいが、7割程度か?それよりも、芯は異様に細い。横から生徒が、「外側の筒の形が六角形みたいになってるやろ。それ、芯が太く見えるようにやねんで。」と教えてくれる。ほんとだ。特殊なカッティングをほどこされた透明ボディに入れると、細い芯も、光の屈折作用で、太く見える!!
 なんてズルがしこく、せこいペンなんだろう!!くやしがる私を尻目に、その生徒は「世の中そんなもんや。」と締めくくった。中学生ごときに、世の中を悟っているような口ぶりで言い放たれ、なんだかちょっとみじめな気分だった。
しかし、見方によっては、いろんな工夫や細工がほどこされたこのペン。案外、そこから学べることは多い。生徒にあれこれ観察させてみると、すごく良い材料になりそう?このペンには、知恵が凝縮されているかも(ちょっとずるい知恵だけれど)。つづく。


2006
3月 「クールな中3・Cくん」

上のつづき。
 この件で、もうひとつ特筆すべきは、このクールな中3生、Cくん。彼は、今まで私が担当してきた中学生の中でも、理想的な子。しっかりしている。なんでも冷静に見据えているところがある分、視野が広く、物事を大きくとらえることができる。それが、自己への責任感と、物事の判断能力につながっているようだ。その姿勢は勉強にもあらわれ、やるときはしっかりやり、気を抜くところは気を抜き、要領がよく、ポイントをおさえるのも上手。ほっといても自分で計画を立てて出来る子である。意見をしっかり言え、自分の将来についても、根拠を交えながらそこそこ語ることができ、説得力がある。大人びているところがあって少々ナマイキだが、その一方、友達と紙飛行機の飛ばしあいに夢中になったり、無邪気なイタズラをして喜んだりと、非常に子どもらしい面もある。現代社会において、与えられたことしか出来ず、あまりにも世間知らずで、なのに口だけ達者で、精神的に不健康な子が多い今、子どもはこう育ってほしいと思う、Cくんはまさに理想像
 Cくんは、他の子と何が違うのか。ひとことで言えば、Cくんには考える力があるってこと。彼はいつも、勉強にしろ予定にしろ何にしても、どうしたらいいのか人に聞かず、自分で考える。
 彼のお母さまは「うちの子、家では親の言うこと聞きませんし、ほったらかしですねん。」と、よくおっしゃいます。でも、私にCくんの様子などを、ちょこちょこたずねてこられます。気にかけながらも、あまり口出しせずに見守る=適度にほったらかすのが、自立心の強い子を育てる秘訣なのでしょう。気さくな感じの方で、お母さまの様子からは、自分の息子を信頼されているのを、いつも感じます。「ほったらかしです」と明るく言い放つことができるのは、「ほっといても、うちの子は大丈夫」と信じておられるからでしょう。彼自身も、「ぜんぜんオレ勉強してへんで。」と言います。が、してへんと言う子ほど、実はちゃんとしているのが、定番です。テスト前にすすんで学校のノートなどを持ってきてくれることも、勉強することを自覚している証拠、それから、そのノートを見れば、ちゃんと普段からきっちりしていることがわかります。いつも彼は、与えられなくても、自分で課題を見つけようとするし、問題が生じたら、自力で解決策を見つけようとします。私へは、「どうすればいい?」とではなく、「こうしたらいい?」「これじゃアカン?」とう聞き方をします。
 そんなCくんだから、ボールペンの正体を暴けたのでしょう。10色で100円だと単純に喜んでいた私は、彼に、一本とられたり
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2006
4月 「武勇伝・その3」

♪Aくん答えを言ったげて♪おぅ聞きたいかオレの珍解答♪そのすごい珍解答をゆったげて♪オレの伝説ベストテン!♪レッツゴー。
中学クラスより、社会(公民)の授業にて。生徒Aくんの場合。
問題≫企業が事業の再編成のために、人員整理などを行うことを、何というか。カタカナ4字で答えよ。
Aくんの解答≫セクハラ
答えは、リストラでございます。セクハラとは、職場で発せられる、性別に関わった言動に対して、労働者が示した反応により、その労働者が労働条件で不利益を受けることであります。セクシュアル・ハラスメントの略です。
リストラは、リストラクチャリングの略で、事業所の統合や閉鎖にともない、企業が人員整理などを行うこと。
 リストラとセクハラ、どちらの言葉も公民で習うけれど、イントネーションが似ているので、間違えてしまった気持ちはわからんでもないなあ。でも、大違いやぞ。

武勇伝、武勇伝♪ ぶゆうでんでんででんでん
To be continued.
(※Aくんに、このエピソードをここに載せることは、了承済み。)


2006
4月 「指を使って計算」

 さて、算数の話です。計算をするとき、指を使って計算する子を見たら、どう思いますか?それは、好ましいことでしょうか。それとも、あまり好ましくないことでしょうか。
 私は、両方だと思います。子ども次第です。子どもによって、それが好ましい場合もあり、好ましくない場合もあります。
 指を使わないで計算できることは、立派でしょうか?それも同じことで、子どもによりけりなのです。指を使わないで計算することは、一見理想的に思えますが、かえって悪い方へ働く場合もあるのです。全ての子にあてはまる解釈は、ありません。
 ところで、どんな場合においても、指を使わないで計算できることのメリットのひとつは、スピードでしょう。しかし、計算に限らず、スピードをあげることを考えるのは、あとだと思います。もしくは、子どもによっては、同時進行する場合もあります。しかし、順番が逆になって、スピードを最優先に考えてしまえば、中身のない卵をカラばかり丈夫にしているようなもので、あとで中身を育てようと思っても、カラがぶ厚くなっていればいるほど、それがジャマとなり、時には取り返しがつかなくなることもあります。まず、中身を育ててからか、または同時に、それを守ったり、発展させたりするカラ作りをするべきです。意味を知り、しくみを理解し、しっかりわかることが先で、スピードを上げることを考えるのは、その次だと思うのです。今の算数教育では、いたる場面で、その後先(あとさき)が逆になってしまっていることがあります。

 「指を使わないで計算できるメリット」は、スピードの他にも、いろいろあります。では反対に、「指を使って計算するメリット」とはなんでしょうか。それも、いろいろありますが、数の大きさを実感できるところが大きいでしょう。特に、幼年期に、指をおって数えたり、ものを数えたりする作業を充分にしないまま、数字での暗算練習を始めてしまうのは、いきなりぶ厚いカラで無知をとじこめてしまうことになり、とても危険です。
 何にせよ、子どもごとに、その子のその時の状態によって、指導の仕方は変わってきます。指を使うことを奨励(しょうれい)する子もいれば、使わないよう、仕向けるべき子もいます。ただ、どんな場合であれ、無理に強制するのは禁物です。まずは子どものやり方を見守り、そこから、おのずと自分で発見させるべく仕向けてやるのが、理想的です。その為には、子どもの状態をきちんと把握できていなくてはなりません。絶えずてんびんにかけながら、その子にとってのベストがどれなのか、それを探る側(先生)にも、見極める目が必要で、それが講師の腕でもあります。

ちなみに、実例を2つあげます。
 ある中学生は、たしひき計算の時、指を使います。といって、その子は数学が苦手なわけでなく、むしろ数学的センスが人よりあるほうで、把握する能力は優れており、根本からの理解もしっかりできている子です。しかしある日、その子が計算問題で指を使っていることに気づきました。それで計算が少し遅いのですが、むしろ、他の子より計算ミスがなく、やり直しが少ないので、結果的に1ページを完璧に仕上げるのは、はやかったりします。といっても、この子はあわてんぼうで、最近までは計算ミス多発だった子。なのに、学年がきりかわったら、この様子。貴重なきっかけになると思うので、ひとまずは指を使うことを尊重し、落ち着いてから、次のステップを踏ませようと思います。
 もう1例ですが、ある小学生がプリゼミに来ています。その子は、極めて小さい時期から、指を使ってはいけない教育を受けてきたようです。でも、その子は今、机の下に手をかくして、こっそり指をおって計算するようになりました。その子がそうしたいのは、やっぱり、もっと指を使って数の大きさを認識したり、増えたり減ったりすることを実感することが必要であるという、本能からくるものだと思います。だから、思う存分数えてくれればいいし、上手に数えられれば、誉めています。その作業を経て、やがては、効率のよい数え方や計算方法を、自分で見つけさせていくのです。

 ここまでの話をいいかえれば、先生は、教え込むことでなく、子どもが本能に素直に従えるようにもっていくこと、そして、そこから発展していけるようにサポートすることが仕事なのです。


2006
4月 「武勇伝・その4」

♪Dくん答えを言ったげて♪おぅ聞きたいかオレの珍解答♪そのすごい珍解答をゆったげて♪オレの伝説ベストテン!♪レッツゴー。
中学クラスより、英語の授業にて。生徒Dくんの場合。
問題≫好きな有名人の名前を、ローマ字で書きなさい。
Dくんの解答≫B&B
それは、ローマ字になってまへん。そもそも、なんでイマドキの子が、B&Bを知っているのか。そのほうが驚きだったりするが、この子がこんな答えを書いたのは、あるせこい考えから。
 たいがいの中学生が考えることっていうのは、「いかにすれば負担を減らせるか」ってこと。つまり、毎年この問題で、「自分が本当に好きな有名人」ではなく、「なるべく名前が短い」というのが、彼らの“有名人選びの基準”なのである。Dくんは、あまりにもそちらに頭が働きすぎて、答えがローマ字でなくなってしまったことに気づかなかったらしい。ほんとにもう。
 ちなみに、他生徒が「B&Bって誰?」(←もちろんの反応である)って聞くと、彼は「もみじまんじゅ〜」と、ギャグを披露してくれました。他生徒には通じませんでしたが、私はギリギリわかりましたよ。
ついでだが、他生徒も短い名前で探し、「ヒロシ」を選びましたが、残念ながら「Hirosi」と書いて、アウトでした。中学校でのヘボン式ローマ字は、小学校時代の訓令式ローマ字とは違い、「シ」は「shi」と表記します。

 日本の英語教育は、様々な問題点を指摘されていますが、この、小学校で習うローマ字が、「訓令式」というのも、私は疑問を抱いています。やっぱりこれも、英語を習得する順番を考えると、後先が逆だと思います。先に訓令式ローマ字を植えつけてしまった頭には、あとから、英語の発音やつづりが素直に入ってこないのです。いや、ヘボン式か訓令式かという以前に、ローマ字から入ること自体が、問題では。英語があってのローマ字なのに、逆をたどるのは、おかしいです。後にあるべきもの(ローマ字)が前にくると、それが既成概念として働いてしまい、本来は最初の導入部分であるはずのもの(英語)が、すんなり入らず、受け入れるのに苦労するのであります。ローマ字より、フォニックス(発音)を先に習得させれば、日本の英語教育は、うんと向上するのでは、と私は思うのです。
 ・・・少し話がずれました。B&Bから、ヒロシをへて、日本の英語教育のあり方につながっていくとは。

武勇伝、武勇伝♪ ぶゆうでんでんででんでん
To be continued.
(※Dくんに、このエピソードをここに載せることは、了承済み。)
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2006
5月 「“教えるけれど、教えないもの”って、なーんだ?」

今回はまた、算数や数学の話。
 さて、私が「これだけは学校より先に教えたい」と思う項目が、いくつかある。例えば、小学算数なら、「かけ算」や「円の公式」、中学生の数学では、「移項」など。これらは、学校で入る前に、プリゼミで教えるようにしている。
いや、「教える」と書いたが、実を言うと、本当は「教えない」のである。「は?どっちなんだ?意味不明。」と思われるでしょうか?

 いわゆる「ルールを暗記する」という項目、例えば公式などは、極端な話、それがなくても、算数や数学とは、いかなる方法でも、答えは出せるもの。ただ、その公式などは、覚えて使いこなせるようになると、ラクに答えを出せ、非常に便利。スピードアップにもつながる。だけれど、公式は、いきなりあるものではなく、なぜそんな公式になるのか、という前提の部分があり、そこから入らないといけない。

 さて、このことを、「かけ算」「円」「移項」でお話ししたい。

まずは、「かけ算」から。
 よくあるのは、学校でかけ算を習う前に、おうちで九九を覚えさせてしまうこと。これ、とっても危険なことなのです。その後の、算数が得意になるか苦手になるかの運命を、分けてしまうほど。かけ算をまだ学校で習わず、かけ算とは何なのかを理解していない子にとって、九九の暗記は、意味のわからない呪文の暗記と一緒。そのあとで学校でかけ算を習った時、この、いらぬ九九の知識がジャマをして、その計算のしくみが素直に入らなくなります。その後の算数に対する姿勢にも影響が出ます。算数とは、考える教科なのに、その子にとっては、これ以後、覚えて当てはめる教科となっていくのです。
 また、おうちで九九を覚えなくとも、学校でのカリキュラムでは、かけ算に入ったら導入の部分は短く、わりかし早い段階で九九覚えが始まってしまいます。そのため、子どもの頭には、かけ算の意味合いよりも、九九覚えが強くインプットされてしまいがちです。だから私は、かけ算は、学校より先に、プリゼミで学ばせるようにしています。プリゼミでは、九九は教えず、かけ算の意味合いだけを教えます。さて、九九を教えないのに、どうやって計算をさせるのか?
 最初は、絵をかかせまくって、数えさせます。1箱に4個入りのまんじゅうが6箱ある場合なら、箱を6つ描かせ、それぞれの中にまんじゅうを4個ずつ描かせます。そして、式を4×6と書かせます。答えは、描いたまんじゅうを数えさせ、答えに24と書かせます。これを、数字やアイテムを変えながら何問かくり返すうち、子どもは絵をかくのに疲れたり、めんどくさくなってきます。つづく。


2006
5月 「学校とプリゼミで、役割分担」

上の話の続き。
 初めはキチョウメンに絵をかいていた子も、手を抜き始めます。実は、この「手を抜きたい」という気持ちが、算数の出来る子を作るコツなのです。というのは、この「手を抜きたい」とか「もっとラクにやりたい」という気持ちから生まれるのが知恵や工夫であり、そこから発展したところに規則や公式があるからです。そのプロセスを実際に踏むことで、公式が存在する意味を知り、公式の根本理解もできます。
 手を抜きたい子どもが次にどんな絵を描くかというと、例えば、まんじゅうのない空っぽの箱。そして、描かないまんじゅうを数えるのです。また、箱を1つしか描かず、それを使って、想像で6箱分を数えたりもします。とうとう、何も描かず、指を使うだけで答えが出せるようになる子もいます。つまりは、かけ算がどういうものなのかを、この時点で理解できているのです。
 そのうち、たし算すればいいことに気づきます。式には5×3と書いても、その答えは、5+5+5で求めるのです。7×9などになると、「うわ〜、めんどくさ!」と言いながら、ひたすら7を足し続けます。でも、これをすることで、かけ算とはどんな時に使う計算なのか理解でき、また、やがては習う、九九の意味もわかります。単に呪文のように唱える「しちく63」とは違い、意味がわかって言う「しちく63」となるのです。
 今はまだ、7×9を7+7+7+・・・と計算しながら、「かけ算って、時間かかるなあ。」となげく子ども。そこで、「じゃあ、答えを覚えてしまおうか。1×1、1×2から順番に9×8、9×9まで、81とおりの答えを暗記してしまえば、いちいち計算しなくてもええやん?」と私は提案します。でも、こう言うと、たいがいの子は「そんなんできるわけないやん!」と笑います。私は「やがては、それが現実となるのだよ。へっへっへ、がんばりや。」と小2相手にほくそえみながら(?)、かけ算の指導を一旦終了します。九九は、必ず学校で教えてもらえるので、あとは学校にバトンタッチです。九九は、プリゼミでフォローはするものの、本格的には教えません。
 つまり私は、小学クラスにしろ、中学クラスにしろ、学校で習うことをそのままそっくりプリゼミでやるのではなく、学校で出来ること、プリゼミで出来ることを考え、それぞれの長所が生きるよう、学校とプリゼミとで、役割分担をしているつもりで、指導しているのです。つづく。


2006
5月 「間を大事にするのが愛だ〜」

上の話のつづき。次は、「円」の話です。
 円といえば、円周=直径×3.14、面積=半径×半径×3.14という公式。そして多いのは、この2つの公式のうち、どっちが円周で、どっちが面積だったっけ?ってパターン。ありがちですね。
 さて、これらは公式の代名詞となっていますが、では、「なんでこんな計算になるのか」ということを知っている、または考えたことがある人は、どれくらいいるでしょうか。
 という問いかけ自体が、ありきたりすぎるのですが・・・(^^;)。算数を指導する人間がよく言うセリフで、当たり前すぎて、むしろシラジラシイのですが、でも、本当にこれは大切な問いかけだと思います。
 で、私は5年生に、やっぱり学校より先に円を教えるのですが、この2つの公式は教えたことがありません。でも、これらの公式は教えているのです。ん?ややこしいですか?この意味は、きっと読んでいるうちに、わかっていただけると思います。

 円は、公式ばかりが目立ってしまいがちな項目です。また、「円周率は3.14だ」と知っていても、その意味がわかっていない子はたくさんいます。だから学校でも、「円周率とは何か」「なぜそんな公式になるのか」というしくみから入り、きちんとプロセスを経て、教えてくれます。それなのに、やっぱり結果的には、生徒の頭には「公式」ばかりが印象づき、初めの「プロセス」の部分は、頭から消えてしまう場合が多いのです。なぜでしょう?
 それは、学校では、「間にはさむべき作業」が抜けているからだと、私は思います。「プロセスの説明」から、すぐ「公式」に直結する、だから、すぐに前半のプロセス部分が頭から抜けていく。
 プリゼミでは、授業を先取りし、この「プロセス」「公式」との間にはさむべき作業を行います。それは、前半の「プロセス」を、印象づけて定着させるための作業です。どんなものかというと・・・。

↓↓↓↓↓青文字の部分が「間にはさむべき作業」です。

 まずは円周。実験から導入します。セロテープを一周分むいて切り、ノートに真っ直ぐぺたっと貼ります。そして、その長さと、丸いセロテープの直径との関係を調べます。丸いセロテープの3つ分より、少し長いことを確認させます(★)。ここまでは、これと似たようなことを、学校でもされるでしょう。しかし学校では、ここからすぐ「これは3.14倍で、だから円周は直径×3.14で求められるのですよ。」と結論づけられてしまいます。だから、プリゼミでは、★のあとに、以下の作業をはさみます。
 プリゼミでは、それから、「ほぼ3倍」ということで、直径から、円周のだいたいの長さを求める練習をします。ほとんどの子が、こちらが教えなくても、おのずと直径×3をしてくれます。
 次に、「本当は3つ分よりちょっと長い」という、この「ちょっと長い」ことにスポットをあてます。子どもが「きっちり3倍ではなく、3倍ちょい」だと理解したところで、じゃあ何倍かを考え合い、最終的には正解として「3.141592・・・倍」だと教えます。これで3.14の
14の意味がわかります。子どもは、公式としてではなく、自力で直径×3.14の計算をして円周を求めるようになります。
 この青文字の部分が、「はさむべき間の作業」なのです。この作業は、要約すると、「直径×3.14」という言葉を教えずして「直径×3.14」の計算をさせる時間をなるべく長く持つ、ということです。ほんのちょっとしたことですが、これが大事なのです。つづく。


2006
5月 「学校とプリゼミで、息ぴったり」

上の続き。(引き続き、青文字の部分が、「間の作業」の部分を表します。)
 円の面積についても同様。最初はプリゼミでも、やはりあのお馴染みの、「円をピザのように切って、平行四辺形っぽい形に並びかえる」というのをやります。そして、平行四辺形の高さにあたるのは半径、底辺にあたる部分が円周の半分、というところまで考えると、あとは、円の公式を教えなくとも、面積が出せます。
 そのせいで、最初は「直径×3.14÷2×半径」等といった感じの計算で出すことになりますが、思う存分、こんなふうな生徒なりの計算で、自由に求めさせます。
 それを充分にして、後日、この「直径×3.14÷2」の部分が「半径×3.14」とできることに気づかせます。そんなこと等を経て、「半径×半径×3.14」と計算するようになりますが、
子どもはこの言葉を知っているわけではなくて、頭の中に平行四辺形を浮かべながら、おのずとこの式を作るのです。
 これが、公式を教えずにして、公式で解かせる、という作業。ポイントは、この作業をたっぷりとはさんでおくこと。この後、学校で公式として「円周=直径×3.14」と「面積=半径×半径×3.14」という言葉を教わった時、それはただの言葉ではなく、意味がわかる言葉として頭に入ってくるのです。

 最後は、「移項」の話です。
中1の方程式では、私は移項を教えません。移項の方法はもちろん、移項という言葉すら教えません。学校にお任せです。あとから学校が移項を教えてくれるからこそ、うまくいく計画です。こちらで先に移項を教えない理由は、「左(右)辺から右(左)辺へ移動する時は符号が変わる」なんていう機械的な作業は、方程式が定着した後に学ぶほうがいいと思うからです。
 これは、数学の先生にしか通じないかもしれない話ですが、プリゼミでは、
ひたすら「等式の性質」しか使わせません。そして、最初は方程式を解く手順を、詳しく細かく全て書いていた生徒に、慣れてくれば、計算は頭の中でして、全てを書かず、はしょっていく(省いて短くする)ように仕向けます。これで、充分どんな方程式でも解けます。実はこの時点で、自然と、移項の考え方に近い解釈をしながら解けています。学校で「移項」を習うまでは、ずっとこの等式の性質から派生したようなやり方で解かせます。実際にさせてみればわかりますが、このやり方は頭を使うので、生徒はうなりながら解きます。
 それで、少しスピードは劣るのですが、この訓練を積む期間を長く持つことで、方程式への理解は、ぐっと深まります。移項を早くに教えてしまうと、方程式のしくみがあやふやになり、複雑な方程式は解けなくなったりします。

 算数や数学が苦手な子にとって、つまらなくさせてしまっている原因は、公式やルールのまる覚えだと思います。定番の問題なら自動的に答えが出せても、組み合わせたり逆算したりとなると使いこなせず、かえって混乱することも。わけもわからず使う公式は、無意味です。便利なものをうまく使いこなすには、やっぱりそれなりの知恵も必要で、その前には、思考錯誤しておく時間が必要なのです。
 今回は、「かけ算」「円」「移項」を例に挙げましたが、私の指導のポイントは、公式を教えずして、公式で解かせるってことです。その時間を充分にとり、生徒の頭に定着したころに、学校で「公式」や「ルール」として教わる。学校との呼吸を合わせることも大切です。学校がしてくれることを前提に、必要に応じてプリゼミでは省いたり、先取りしたり。または逆に、項目によっては、学校で習うのを待ち、その後から指導したほうがいい項目もあります。
 子どもが「先生!こないだプリゼミで勉強したやつ、学校でやったで!すごく便利なやり方教えてもらってん。こんな簡単な方法があるのに、なんでプリゼミでは教えてくれへんかったんや!」と不服そうに言えば、大成功。これは、子どもがプリゼミでの学習と学校での授業を充分に理解しているからこそ、出るセリフなのです。

 あくまで、子どもが勉強するメイン舞台は学校。プリゼミは裏舞台です。学校の授業が主で、プリゼミは、そのプラスアルファという立場でありたい、と考えます。学校の前に出たり、学校の後ろにさがったりして調節することにより学校との呼吸を合わせながら、プリゼミと学校との相乗効果が出るよう狙(ねら)うのも、私の指導のポイントであります。


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