| 過去のちょいから (`▽´) ショート日記 |
| <2005〜6冬> 12・1・2月 |
| 2005 12月 「80円のノート4冊で84円」 たとえば、「転んでケガをするから、走ってはいけませんよ。」と言われるより、実際に走って転んでケガをしたほうが、走ってはいけない理由を心底理解できる。 または、こう言われた時、以前に実際にケガをした経験がある子には、このセリフが染み入るだろうが、ケガをしたことがない子には、いまいち現実味のないセリフである。 算数の話でいうと、たとえば、「80円のノートを4冊買うと、いくら?」という問題を 式)80+4=84 答え.84円 としてしまう子。たいがい「この子、意味がわかっていないのね。」と解釈し、絵をかいて教えてみたり、「80円が4つあるということはね・・・。」と説明するだろう。しかし、それだけでは解決しない。この子の場合、計算方法がどうのこうのという問題だけではない。もっと根本的なことが抜けている。というのは、仮に、まちがって一旦80+4=84と書いてしまっても、その時点で「あれ、何かへんだな」と違和感を覚えられればいいのだが、この子のように、何も感じず、そのまま答えの欄に84円と書きうつして、次の問題へいってしまうこと自体がおかしい。それは、紙の上で架空の買い物をしているだけだから、起こってしまう現象。 算数には、いろんな数字が登場する。長さや重さ、量、時間、値段などなど。それをただの数字でしか見ていない子どものなんと多いことか。架空の買い物、架空のジュースの量、架空の積み木の高さ。その前には実体験が必要なのに、最近の子は、実体験がないまま、いきなり架空の話上で計算させられるのだから、そもそもそれが大間違い。死んだ数字をおしつけられているだけ。実体験あっての想像力やないか。 おはじきだけでは足りない。まず初期の段階で、日常の体験と照らし合えなければ、数字は生きてこない。現実感のない、死んだ数字で足し算やかけ算などを練習したって、計算はできるようになっても、その計算のしくみを根本的に理解することは出来ない。 実生活の中で、簡単な買い物や、お金の計算、何かの計画、実際の物事で合計を考えたり、ちがいを考えることなど、どんどん実行してほしい。ちょっとしたことでいい。時計を見て、「ドラえもんが始まるまで、あと何分や?」と考えさせてみるなど、家族のちょっとした声かけが、実は最高の生きた教育だったりする。 2005 12月 「先生とマジシャン」 先生は、いろんなワザを持っていなければならない。生徒をその気にさせたり、コンプレックスを克服させたり、考え方やクセを変えさせたいときなど、先生の力量がモノをいう。 そんな時、私はたいがい心理作戦を使う。生徒の性格を見極めながら、それはある意味、マジックだと思っている。私は、毎日こまめにマジックをかけまくっている。授業自体がマジックの連続。生徒とのかけひきとも言える。 マジシャンの動きには、必ずひとつひとつ意味がある。生徒が「え?何で先生、いきなりそんなことするん?」とか、「先生、それって、今は関係ないやん」と言うことには、たいがい私の意図が隠されている。もちろん、マジックはタネがばれたらパァだから、タネあかしをしない。しかも、私の場合、それ自体がマジックだとも言わない。なので、みごとマジックが成功して、私がしめしめと思っていても、生徒は何も気づいていない。嵌(は)められたことも、マジックをかけられていたこと自体も知らない。つづく。 2005 12月 「タネ明かしをできないマジシャン」 上のつづき。 ただ、問題点は、「それは、ねらいがあってしているマジックなのだ」ということ自体を、生徒にはナイショにしていること。ナイショにすることは、マジックを成功させるために必要なのだが、それがゆえ、誤解も受けやすい。 たとえば、授業中の雑談や、不意に私がとる行動。一見、ただのムダ話や軽い行動に見えることほど、実は作戦が隠されている。それらによって、私は授業の流れや生徒のモチベーションをたくみにコントロールしている。しかし、生徒自身、ねらいがあることは知らないままだ。そして、困るのは、生徒からちょい聞きした保護者が、「なんて軽率な先生なの?」と勘違いしてしまうことだ。前後関係を聞かずに、一部分だけを切り取り伝え聞き、「先生は遊び半分?」「一体、何を考えているんだ?」と誤解されることが・・・。 どちらにしろ、タネ明かしをしようとしたところで、説明できないニュアンスがある。「空気を読む」ということが理屈で出来ることではないのと同じで、私のマジックは、勘とタイミングとその時の生徒との微妙なバランスの上で成り立っているもので、それは人に理解できるように説明できるものではない。なかなか第三者には難しい、とてもデリケートなマジックなのです。 ・・・といいつつ、ひとつだけ、タネ明かしを説明しやすいマジックがあるので、ご披露しましょう。授業中のマジックではないけれど。それは、次の日記に・・・。 |
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| 2006年 1月 「鬼講師マジック」 プリゼミの教室に生徒がはいれるのは、「授業が始まる15分前から」と決めている。しかし、それより早く来る小学生が結構いる。そんな子は、15分前になるまで外で待たせるなりしなければならない。「遅れるより早く来るにこしたことはない、いれてあげればいいのに」と思えるが、15分前より(=はいれる時刻より)さらに20分や30分前、それ以上前に来たりする子もいて、キリがない。そもそも、そんな子は何も考えずに来るからこうなるわけで、それを安易に教室にいれてあげると、何も育たない。 早く来すぎて、教室があくまで何十分も教室の外で待つ羽目に陥っている子。そんな姿をそっと見ると、ちょっとかわいそうになって、いれてあげたくなる。が、いれてあげたとして、いいのはその時だけ。その子は何も学ばないだろう。 というか、本当のことを言えば、実際に最初は入れてあげたことがあった。しかし案の上、 「今度からは、もっとゆっくりおいでね。」 と注意しても、いれてもらえることに甘んじて、次も早く来てしまった(それも40分前)。たぶん、こちらが入れてあげる限りは、いくら注意しても、その子はそれをずっとくり返すだろう。入れてあげて、良いのはその時だけで、長い目で見れば、その子のためにはならない。 プリゼミでは、何事も、同じ失敗は2回まで許すことにしている。「次の3回目からは、15分前よりも早く来たら、絶対に入れないからね。」と警告しておく。つづく。 2006 1月 「続・鬼講師マジック」 上のつづき。 3回目からは、警告どおり、絶対にいれない。 「そんなこと言っときながら、やっぱりかわいそうだから入れてあげる」 ってのは、禁物!そんなことしたら、逆効果になる。子どもに対して「絶対」と言ったのなら、「絶対」を通さねば、逆効果になるのだ。本当にその子のことを想うなら、たとえ泣かれようが、「絶対」をつらぬき、教室に入れてあげないこと。そのほうが、その子は待つ時間の長さを体で感じ、たいくつさや、コンクリートに座るおしりの痛さ、外気などの苦痛から、次回からは時間を調節しようとする知恵がはたらくだろう。スケジュール観念(計画性)が育つ一歩にもなるだろう。 そこまで見通して、私は絶対に入れてあげないのです。実はそれは、私にとってもつらいこと。本当は、入れてあげるほうがラクなのです。張り切って早く来てくれるなんて、なんてかわいいんだろう、と思う。かわいい生徒が入り口の向こう側にいるのを知っていて無視するのは、かなり心を鬼にしなければ出来ないのです。しかも、これはマジックだから、ネタはバラせない。なぜなら、私が言って聞かせるのではなく、子ども自身に考えさせたいから。 早くに来て、玄関のベルを連打したり、ドアをドンドンたたいたり、「せんせ〜っっ」と絶叫する子に、私はあえて「やかましわ!」と注意するのみ。ヘンなおっさんに声をかけられないかだけは注意して、そっと見守りながら放っておく。説明もアドバイスもしないのは、子どもがおのずと気づけるようにもっていきたいから。言われたことしか出来ない子には、なってほしくないから。知恵をつけさせたいため、こちらから「ああしろ」「こうしろ」とは言わない。それが、マジックのコツ。つづく。 2006 1月 「続続・鬼講師マジック」 上のつづき。 そして、成果は確実に出てきた。まず、早く来ても、入り口があくまで何十分でも教室の前で、時には自転車置き場に寝転びながらウダウダ待つだけだった子たちは、「せんせ〜」と呼んで、「あと何分?」と聞くようになった。そのうち、いったん家に帰ってまた出直すようになった。そうすると、だんだん時間を逆算できるようになって、ちょうど15分前に来れる子が増えてきた。 何ヶ月もかかったが、こうして、早く来すぎる子は、だいぶ減ってきた。教室に入ると、まず時計を見て時刻を確めるくせがついた。さらに、時間を見て、授業が始まるまでに何が出来るかを考え、おりがみか、あやとりか、天然木パズルをするか、本を見るかを選ぶようになってきた。 今まで成り行きまかせで時間を過ごしてきた子たちに、時間の感覚が身につき、時間を逆算して計画をたてる意識が芽生えた。思った以上にマジックは大成功。だけど、生徒自身はそんな自分の変化に気づかず、彼らからは単に、「時間より早く着いたら教室にいれてくれない、ケチな先生」としか思われていないんやろうなあ。 この話は、ほんの一例。他でも、これと似たようなことはたくさんある。子どもが失敗しそうだと、思わず手を出したくなるが、あえて何もせず失敗するのを見守る。失敗したら、自力で立ち直るのを見守る。間違った式をたてても、じっと見守る。そのまま、延々と間違ったままで計算をしていても、とりあえず生徒なりの答えが出るまでは、口を出さない。子どもが自転車をひっくり返しても、助けずに見守る。私は、生徒が自分で自転車を起こすのを、ケガをしないかだけ注意を払いつつ、横でじっと見るだけ。傍目(はため)には、私はめちゃ冷たい鬼のような人間か、またはボケーっとしている無頓着(むとんちゃく)な人間に見えるだろうが、その裏には、本当は先を見越した計算があるのです。愛情をもっているからこそ、その子の先のことを想うからこそ、心を鬼にできるのです。 |
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| 2006 2月 「武勇伝・その1」 ♪Aくん答えを言ったげて♪おぅ聞きたいかオレの珍解答♪そのすごい珍解答をゆったげて♪オレの伝説ベストテン!♪レッツゴー。 中学クラスより、英語の授業にて。生徒Aくんの場合。 問題≫あなたの将来の夢について、英文で語りなさい。 Aくんの解答≫I want to be a box.Look for me on TV.(ボクは箱になりたいです。テレビでボクをさがしてね。) は、は、はこ?君は将来、箱になりたいのか?? 何かロマンチックな意味があるととるべきか、何かの間違いととるべきか・・・。 武勇伝、武勇伝♪ ぶゆうでんでんででんでん To be continued. (※Aくんに、このエピソードをここに載せることは、了承済み。) 2006 2月 「字幕スーパー」 あるお笑い番組について。 そこで仕入れたギャグなどを、授業中に使ったりする。たとえば、違うページを開けている生徒に「どこ見てんのよっっ!」(←青木さやか風)と言うと、大ウケする。お笑いブームの中、流行のギャグやフレーズをうまく授業に取り入れると、スパイスが効いて、より魅力的な授業となる。タイミングよく使うことで、授業の流れや生徒のモチベーションをコントロールできる(いわゆる、マジック)。でも、ひとつ気になることが。 それは、その番組では芸人のセリフに、全て字幕スーパーが出ること。ある日、別のバラエティーでお笑い番組を見たとき、そこでは字幕スーパーはなかった(てか、それが普通)。すると、芸人のセリフがあまりよく聞きとれなかった。早口すぎたり、力が入りすぎたりして、聞きづらい。最近の若手芸人のほとんどが、スーパーなしでは何を言っているのか、ようわからん。そう感じるのは、私だけ・・・。(←だいたひかる風) 漫才とは、基本は「しゃべり」で笑わせるものなのに、聞き取りにくいとは、なんとまあ本末転倒なんだろう。でも、彼らが今、ブームになっているのが現状。字幕スーパーを頼りに楽しむ漫才。これが今の日本の漫才であり、若者に支持されている漫才なのである。って、おおげさ? お笑いに限らず、今の世の中の風潮は、基本が抜けていても、表面的に形がなっていれば、受け入れられてしまう傾向にある。 患者の体に触れもせず、機械の数値だけで判断する、総合病院の医者。 あいそもへったくれもない人でもツトまる、コンビニや飲食店のアルバイト。 歌が下手でも、売れる歌手。 パチンコ感覚の株売買。 何をしゃべっているのかわからず、字幕スーパー付きで笑わせる、お笑い芸人。 もはや世の中、基本のないもののほうが主流になってきているように思う。それは、子どもの教育にも影響しているのではないか。基本が抜けていてもどうにかなるのが現実ならば、その中で基本が大事と教えても、説得力がない。自分の身に基本をたたきこむ努力をしない人や、がんばりぬく姿勢のない人や、気力のない人に育つ要因が、世の中の風潮に垣間(かいま)見える。 2006 2月 「武勇伝・その2」 ♪Bちゃん答えを言ったげて♪おぅ聞きたいかうちの珍解答♪そのすごい珍解答をゆったげて♪うちの伝説ベストテン!♪レッツゴー。 中学クラスより、英語の授業にて。生徒Bさんの場合。 問題≫こいのぼり・琴・うちわ、の中からひとつ選び、それを題材にトムと絵美の対話を完成させなさい。セリフは1文ずつで、トムのセリフには、what以外の疑問詞を入れること。 Bさんの解答≫(選んだもの :うちわ) トム:How do you use it?(それはどうやって使うの?) 絵美:I don't know.(わかりません。) んんん、これは・・・。文法は間違っていないし、英文としては合っているのだが、果たしてマルしてやるべきか?? 「こんな会話、ありえへんやろ。」と言うと、Bさんは「なんで??」と、キョトンとしている。「おバカな2人の会話か?」と聞いても、「へ?何が?」だと。 トムは、どんなけおバカなんだ。うちわを見て、「どうやって使うの?」って、そんなヤツおらんやろう。そんな疑問文を作るなら、こいのぼりか琴を選んだらよかったんちゃうの。でも、100歩ゆずって、トムは本当に無知な外国人で、日本のウチワを見て、どう使うのか全くわからなかったとしよう。しかし、それに対する絵美の答えが、「わかりません。」だとは!そんな日本人、おらんやろう。どんな会話やねん。そもそも、こんなんでよけりゃ、題材がなんだっていけるやろ。うちわを選んだ意味ぜんぜんないし。 だから、日本の英語教育は、ダメなんだ。「英語とはコミュニケーション手段なのだ」ということを念頭においた教育に、まだまだなっていないのでは。どうも、まだまだ勉強という枠に閉じ込めている感じ。英語を書きゃあいいとしか気が回らない子を作り、まだまだ自由のきかない、とらわれの英語。Bさんは、学校の英語の成績は、そこそこ良いほう。なのに、こんなカチコチな発想しか生まれないとは。使えない英語力を、ここに見た。 武勇伝、武勇伝♪ ぶゆうでんでんででんでん To be continued. (※Bさんに、このエピソードをここに載せることは、了承済み。) |