内乱の爪跡が今だ残る東部。しかし、ここ数年でその痕跡もそう目立ったものではなくなってきている。著しい復興と人々のバイタリティが相乗効果となり、かつての賑わいを取り戻しつつあった。
―――外の仕事は嫌いじゃない。いや、むしろ好きな部類だ。
東方方面軍に所属する軍人の大半は、外回りの仕事について聞いたならばこう答えるはずだ。特にイーストシティは、軍人に対して比較的好意的なこともあって、協力的に仕事を進め易い。一日の大半を同じところで座って過ごすより、汗を流して瓦礫と悪戦苦闘している方が建設的な気もする。―――あー、本音はもっと単純だ。イーストシティで最も軍人に好意的なのは10代から20・30・40代しいてはそれ以上かつそれ以下の女性だった。平たく言えば、女全部だ。それが何の原因で、なんて考える余地もないのだが、街の看板娘たちのところへ足繁く通うチャンスは正直、魅力的である。軍服1つで、ただのパンの会計のときに、笑顔と共にお疲れ様ですの一言が付いてくるのだ。むさくるしい野郎社会の中で生きてて、天使のような女性たちの笑顔と気遣いは心に浸みた。
若い子の笑顔、例え、看板娘が不在な店でもおばさんのおまけがある‥‥‥
女性は皆、年齢に関係なく素晴らしい。夜も遅くなれば、売れ残りのパンやお菓子が差し入れされることも少なくない。日頃、汗臭いだの、ウドの大木だの、野蛮で無骨で気が利かなくて、ダサいと罵られることの多い野郎共にとって、幸せな時間がここにはあった。
決して、あそこの看板娘と他に抜きん出て仲良くなりたいなどと大それた事を思っている訳ではない。ほんの少ししか思っていない。自分に見合った慎ましやかな幸せを日々反芻していられれば十分なのだ。今日も一日、あの子のかわいい笑顔ではじめることができるのなら、力仕事にも勢が出る。
土木工事、いいじゃないか!上司がストレス発散のようにテロリストたちの拠点であった廃屋を崩した後片付けであっても‥‥‥、そう考えて、今日も朝早くから仕事場に立つ。
「向こうの公園側のカフェの子、知ってるか?」
「―――知ってる。めがねの、パーマにカチューシャの子だろ。かわいいよなあ」
「ミス・ジュリアだ。昨日、大佐あての手紙を言付かった」
「―――あっ!じゃあ、そのナナメ向かいのパン屋の子は?」
「有名だろ。童顔のボインの子だ」
「ブレダ少尉の副隊長が通ってる子だろ?」
「ミス・シェリーだ。月に一回は大佐に手紙を渡してる」
「んじゃあ、隠し玉なんですけど‥‥」
「いいから、もったいぶらずに言え!」
「ここから、3ブロック先の肉屋の‥‥」
「肉屋!マニアックだな、お前‥‥‥」
「隠し玉にならなかったな。ミス・アンシーだ」
「―――ハッボク隊長‥‥‥」
「オイ、隊長!オレたちには夢を見る権利もないのかっ?!何で、街のかわい子ちゃんたちの名前はすでに割れてんだよ!」
「オレに言うな。オレに。この世の不条理を一番味わってんのは、間違いなくオレだ!」
「―――隊長、東方一のあて馬はつらいっスね」
「あて馬、言うな‥‥‥」
外勤の2、3週間、現場近くの店に通い続けて、その店のかわい子ちゃんに顔を覚えてもらう。そんなささいな望みを抱く奴らにとって現実は厳しくて容赦なかった。
自分たちの切る軍服の向こうに、彼女たちは一様に同じ人物を見ているからこそ、にこやかな笑顔を向けてくれるのだ。もしかしたら、その人が現場にくる日時を教えてくれるかもしれない、―――そんな下心さえ感じる時すらある。恋に落ちる瞬間と、恋が終わる瞬間が同時に訪れるのが東部の流儀だった。
しかし、それでも、ほとんど0に近い可能性に見切りをつけ、手堅く次点候補者の軍人で我慢しようと思ってくれる現実的なお嬢さんたちが少なくないからこそ、まだ、涙を拭いて立ち上がれもする。黒髪の軍人から売れていく現状に忸怩たるものがあっても。
あの人がいつ現場に現れてもいいようにと、いつもよりちょっと上等な服を着て、いつもより丁寧に化粧をして、少しそわそわしている彼女たちは実にカワイらしい。
東部には美人が多い。そう言って、帰っていく東部視察に訪れた高級軍人たちは多い。
―――東方勤務の者は幸せだ。
そんなことを言う奴らに、大佐のお言葉を聞かせてやりたい。
女性に美しくありたいと思わせるくらいの甲斐性を男は持たねばならん。女性の美は一日にして成らず。だからこそ尊いのだ。
そう、マジに思ってる所が、俺たちとの違いなのかもしれない。だが、階級差の前に、そんな違いなどあまりに小さ過ぎると思うのだが‥‥‥
デスクワークがあまり好きではないその人は、いつも何らかの理由を持って、持たなくても、現場にフラリと現れる。まるで抜き打ちのように。街のカワイ子ちゃんたちがちらちら伺っている現場で、ちょっとばかり、かっこつけたいオレたちは、いつだって真面目だ。抜き打ちなど、恐れるに足らず。
それに、街中での作業は、緊急時以外は深夜までは行えない。人々が活動をし始める朝8時くらいから、夜8時程度までしかできない。夜は片づけを入れて、夜8時までにはあがらないといけないから、内勤のビミョーで突発的な残業がない分気持ち的に楽でもあった。
その人は一日の後片付け中にフラリとやって来た。あんまり気合の入ってない敬礼を、テキトーに流しながら、あらかた片付き始めた建物が見える場所に立つ。
「相変わらず、手際がいいな。もう、2、3日もあれば片付くじゃないか」
大佐の純粋な驚きに、誰彼ともなく軽口が上り、笑いを誘った。
じゃあ、ご褒美くださいよ〜
金一封!
一日の仕事を終えた大佐も俺たちも幾分テンションが高い。
ご褒美ねえ、などと言う大佐に、口々に勝手な声が飛んだ。
大佐が現場に現れて、10分と経たない内に、人の気配が近づいてくる。時々、テロリストたちよりも、彼女たちの情報収集能力の方が恐ろしいと感じるときがある。すでに、閉店された店から、差し入れを持って、夜も遅くにカワイ子ちゃんたちがやってくる。
ます、カフェの看板娘、ミス・ジュリアが挽きたてののコーヒーを携えてやってきた。大型のポットを4つに、紙コップや砂糖、ミルクをちゃんと用意して。
そして、すぐにパン屋のマドンナ、ミス・シェリーが残り物のパンではない、明日の朝に店頭に並ぶはずであるだろう焼き立ての香ばしい香りのするパンを大量に持って追いかけてきた。別方向からは、おそらく肉屋の看板娘、ミス・アンシーがゆだれがこぼれそうになる匂いの揚げ立ての揚げ物を、山のような量を持って駆けてきた。
どの子も必死な形相だ。しかし、大声を出して、大佐を引きとめようとする子はいない。皆、大佐がこういう場所に出てくるのは、あくまでも非公式なものであることを知っていた。大声など出して、テロリストたちなどに、大佐の居場所をわざわざ教え、こんな時のささやかな時間すら奪われることになったら面白くないと思っているだろうことは、彼女たちの顔から考えるのは容易い。彼女たちはテロリストたちを憎んでいた。
「―――お疲れ様です。差し入れなのですが‥‥」
一番端にいた野郎に、走ってきたために少し乱れてしまった髪を直しながら、慎ましやかに声を掛けてくる。もちろん、ここのヤツらは、彼女が走ってまで持ってきた入れたてのコーヒーが誰のためであるかなどは、痛いほど分かっているから、涙を堪えて、せめてかっこいいところを見せようと足掻き、その手に抱えんばかりに持っている差し入れを持ってあげて、中央にいる人の下へ案内する。
少し、緊張しながらも、期待に頬を赤く染める彼女はとてもかわいらしい。
「―――ちょうど、マスタング大佐が顔を出されてまして」
彼女は、その言葉に、さらに頬を赤らめた。
―――ちきしょう!何てカワイイんだっ!!
恋する女性は美しかった。
夜8時、街のカワイ子ちゃんたちとにこやかに談笑する大佐を囲んで、挽きたてのウマイコーヒーと、焼きたての香ばしいパン、揚げ立てのメンチカツのご相伴に預かった。
どれもウマイが、すこし塩辛かった。おそらく、涙の味だろう。
手が届きそうで届かないからこそ、東方の華は美しいのかもしれない。