Spring Fever
明らかに日差しの温かさが変わってきた。細い枝の先の新芽は膨らみを増してきて、いよいよそれを広げようとしている。冬の寒さが漸く終わるのだ。そう思うと、確かにたったそれだけのこととはいえ浮き足立つような気分がした。まあ、だからと言って、実際に浮き足立ち、司令室から脱走して行った人に同情の余地はないのだけれど。

      春の陽気に誘われました。ちょっと散歩してきます。
               東方方面軍司令官 ロイ・マスタング

そんな阿呆な書き置きを自分の机の上で発見してしまったときのあの脱力感と言ったらない…。誰かに何か言われる前に、ひっそりと司令室を抜け出た。春の陽気に誘われてどっかでふらふらしてるらしい東方司令官を探すために。



あの人なら、こんな陽気だったら外で昼寝っていうパターンが大方だろう。でもそれは去年までの話だ。あの人は去年それをして、穴から出てきたところのでっかいカエルにあの顔を横断された。冬眠明けで、のっそりとした動きしか取れないカエルなんぞに顔を踏まれるほど眠りこけるなんて…。軍人とかいう前に、まず人間としてありえないんじゃないのか。泥に汚れた白い顔と、その脇に佇むでっかいカエルを見たときのあの衝撃をオレは未だに忘れられない。そして、その事実はあの人にとっても何かしらのショックを与えたと信じたい。あの人は同じ過ちを繰り返さないため、こんないかにもカエルが穴から出てきそうな陽気の日に外で昼寝はしてないはずだ。きっと…。
でもこんな陽気なのだ。あの人のことだから、日差しが入り込む屋内で昼寝ってのは真冬となんら代わらないとか考えて、カエルと出会わなくてすみそうな準屋外的な場所で昼寝とか考えるんじゃなかろうか。

いくつかの条件を踏まえて、あの人が好みそうなサボリ場所をいくつか頭に浮かべながら、人気が少ない場所を選んで足早に通る。
オレが司令部内をきょろきょろして歩いているってことは、東方司令官ロイ・マスタングがサボりの真っ只中であることを言って回るも同じで。それはなんだかオレたちを酷く疲れさせるから、いつからか人目を忍ぶようになってしまっていた。

「――ハボック少尉!」
司令部の最外郭にある倉庫棟まで来たときだった。その脇にある運動場から声が掛かる。
知ってる顔だった。階級は曹長に軍曹。命令系統が異なる部隊に所属する。あまり言葉を交わしたことはなかった。行き会ったときに会釈する程度。紹介されたようなこともない。だけど、オレたちはお互いにお互いのことを十分知っていた。あの人の東部内乱でのかつての部下と、今現在の部下として。
珍しく物言いたげな顔色を向けられて近寄ると、案の定、曹長が倉庫の一つを顎でしゃくる。
「マスタング大佐なら第4倉庫に入って行ったぞ」
「ありがとうございます…」
オレにとってこの人たちは階級以前の先輩だった。しかも、ヒューズ中佐とはまた毛色の違った、大佐の保護者的な。いつもならオレが大佐を探していて右往左往してても、ちらりと視線を投げるだけで何を教えてはくれない。この人たちは大佐を遠巻きにしていても、非常に堅固な大佐の味方なのだった。例えそれが大佐のいつものサボリであろうとなかろうと無関係に、それによって生じる損害なんかきれいさっぱり無視して、大佐を擁護してみせる。
この人たちにあの人の居所を教えて貰うなんてことは、かつてないことだった。なんでまた。その自然に湧き上がった疑問に答えるように、今度が軍曹が言う。
「咳き込んでたぞ。風邪じゃないのか?」
医務室に連れてけよ。と、続けられた…。
だったらあの人が倉庫の中に入って行く前に捕まえて医務室に行くように言ってくれればいいのに。きっとあの人だってアンタたちに言われた方が素直に言うこと聞くよ。――なんてことはこのオレが言えるはずもなく。
「はい…」
「ほら、速く行け」
「はあ」
「走れよ、ハボック少尉」
追い立てられるまま、その第4倉庫に走る。あの人のお守り役なんだろ、ちゃんと仕事しろよ。背中に突き刺さった一言が妙に痛かった。

自分があの人に対して過保護気味であることは自覚している。でも、この人たちのこれはなんていうのだろう。とか思っても、自分だって周囲の目にはこの人たちのこれと大差ないように映っている気がして、思わず足がもつれた…。
2009/04/03 WEB拍手お礼SSより移動