01
「意外でした」
「何がだい?」
「大佐が、ハボック少尉に体を許されるとは」
「ぶはっ!!」
「うわっ、汚ねえ!!」
マスタングが噴き出した酒は、思いきりヒューズにかかった。
イーストシティ。ある酒屋の個室でそれは繰り広げられていた。その中央に鎮座しているテーブルには高級酒が空瓶も含め数多く立ち並んでいた。
「あー、ちょっと席を外す」
咳き込みながらも、マスタングは席を立った。
「立場が弱くなると、逃げ出すのやめろって。いい加減、ロイ?」
うるさいな、と言いながらも動揺を隠し切れていないマスタングは、一度体制を整えんとばかりに個室から出て行った。
「ホークアイ、意外か?」
「はい。大佐がハボック少尉の即物的な欲求に応じるとは思いませんでした」
「―――あー、確かに、ロイは一緒にいれば、組み伏してぎゃふんって言わせたくなるタイプだ」
「はい」
「‥‥‥‥‥うん。そうだよね。中尉」
「はい。そうですね。中佐」
ホークアイはどんなに飲んでも顔にでるタイプではなかった。しかし、その言質からは酔っ払っていることはわかる。
ヒューズは深く考える事をやめた。
「あー、うん。あんな奴でも、生意気に好みのタイプってのがあんだわ」
去るもの追わず、来るもの拒まず。マスタングのスタンスは周知の事実だった。
「ハボック少尉が、そうだと?」
「うーん、ストライクとは言いがたいけど。かなりイイ線だろうなあ。アイツ、田舎モノが好きなんだよ」
ヒューズの言葉に、思い当たる節があったのかホークアイの口元が柔らかく笑った。
「全く無縁なものに興味を抱くというわけでしょうか」
「洗練された、頭の良いタイプしか受け付けないと思われがちだがな。―――高級料理とか、高級ワインとか、オペラハウスとか‥‥‥」
「実態は、今だにレーション食べて、2L300センズのワイン飲んで、くもの巣の張った寒々しい家で、本と紙に囲まれてますけれど」
「どのみち、健全な田舎モノが好き好んで近寄ってくるタイプじゃねえからさ、つい、くらっと来ちまったんじゃねえのかな」
「ハボック少尉に誘われて?」
「そう、だから、うれしさのあまり職場でもちょっかいを出す」
マスタングがようやく戻ってきたが、まだ、話題が変わっていない事を察知して出て行こうとした。しかし、すぐさま、ホークアイの銃が向けられ、席に着くよう指示される。
マスタングは大人しく従った。
無言のやり取りにヒューズが腹を抱え、ソファに沈み込んで笑う。
「大佐、職場恋愛について、どう思われますか?」
「オフィス・ラブ!いい響きだねえ。深夜の残業で2人切り。一目を忍んで倉庫で密会。うーん、男のロマンだ」
「執務室でコトに及ぶのは、やめて欲しいですね」
「今日は、セクハラ大会なのか?ホークアイ?」
「あら、大佐は私たち女性仕官たちのセクハラしたい上司NO.1ですよ」
「‥‥‥ヒューズ、これは喜ぶべきことなのか?」
「‥‥‥オレに聞くなよ」
夜はまだまだこれからだった。
02
「よし、田舎モノを呼び出せ!」
「イエッサー!]
ホークアイは立ち上がり、酔いを微塵も感じさせずに敬礼をして、その個室を飛び出していった。
「もう、帰りたい‥‥‥」
マスタングの呟きは誰の耳にも届かなかった。
至急来るように、と上官から言われ、ハボックは可能な限り早くやって来た。しかし、呼び出された店に見慣れた顔がなくて内心焦る。――――店の名前、聞き間違えたか、と。しかし、その考えは杞憂に終わった。すぐに店員が近寄ってきて、店の奥の個室に案内された。
個室には、ヒューズとホークアイ。そして、テーブルの上にも飽き足らずに、床の上に転がる空瓶の数々‥‥‥。
「あら、速かったわね」
「―――至急、って言われたの中尉っスよ?大佐は?便所っスか?」
「便所だ。奴は自分の都合が悪くなるといっつも腹を下す便利な体質をしてんだ。まあ、すぐ戻ってくるからよ、先に好きなもの頼め。何なら高い順に頼んでいってもいいぞ」
上官たちの気安い物言いにハボックは自分から下座に座り、メニューを広げた。
「―――太っ腹っスね」
「大佐がスポンサーなのよ」
ホークアイがテーブルの中央に置かれたサイフを指差した。
「中、カラってことはないんスかね?」
メニューを真剣に見ているハボックの呟きに、ヒューズが勢いよくサイフに飛びつき、中身を確認して、胸を撫で下ろした。
「長年の親友をハメるような奴じゃねえ」
「全然、説得力ないっスから」
「あー、何の用スか?オレ、残業の途中なんスけど」
迷惑そうな様子を隠しもしないハボックだったが、そんな様子などお構いなしの人間たちの前では無意味なことだった。
「お祝いだよ。お・い・わ・い。ロイが戻って来る前に乾杯と行こう。音頭は中尉に任せる」
「責任重大ですね」
「―――誰のお祝いなんスか?」
「お前だ」
幸か不幸かタイミングよく注文された酒がやって来た。
ハボックは、あばよくば、飲み残しはキープボトルにしようと、いつもは手がでない高級酒を頼んでいた。しかし、それをヒューズに先に奪われ、空いていたグラスに注がれ、渡される。
これで、受け取らない軍人はいない。
不穏なものを感じつつも、ハボックは目の前に置かれた、自分のものになるであろうボトルを前に、恐る恐る受け取った。
「では、―――マスタング大佐とハボック少尉の婚約を祝して、カンパーイ!」
「カンパーイ!!」
「ぶっはっ!!!」
ハボックは勢いよく噴き出した。
「内々で済ませてしまって悪いわね」
「事が事だからな。許せよ」
「大佐を幸せにしてあげてね。わがままで浮気性な人だけど」
「愛があればなんとかなるもんだ。ハボック、ようは気合だよ。気合」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「何だよ、その目は。婚前交渉したんだろ?責任とれ。男だろ?ハボック少尉」
「結婚前にキズものにされた娘を嫁に出すって、こんな気持ちなのかしら」
「―――いや、オレ以前にキズものでしょう?」
「ハボックっ!!!」
「ハボック少尉っ!!!」
酔っ払いと言えども、めったにないほどの迫力で詰め寄られハボックは言葉に詰まった。
「お前、結婚まで貞操を守るような奴がよかったのか」
「大佐とは単なる遊びだったのね、ヒドイわ」
「―――アンタら、そうとう酔ってるでしょ。部下をここまでからかって楽しいんスか?」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「楽しいんスね」
最低だ、とか、信じられねえとかいうハボックのボヤキなど、ヒューズもホークアイも始めから耳に入っていない。ハボックはちびちびと舐めるように酒を飲み始めた。
「残念だわ、ハボック少尉。せっかく職場にも慣れてきたのに退職なんて。‥‥‥‥でも、同僚が寿退職なんて素直に喜べないわ」
ふう、とホークアイが手にしていたグラスを置いて、遠くを見てため息をついた。
「おっ、中尉でも焦るのか?」
「私は仕事に生きると決めていますが、全く焦らないと言えば、うそのようです」
「そうか、今日は好きなだけ飲め」
「はい。そうします」
ホークアイはグラスを一回り大きいものに変えて、手酌で飲み始めた。
ハボックは、この店の酒が今日ここで消費されてしまうことを思い、せめて、自分のこのボトルだけは死守しようと思った。
「ご両親にご挨拶はしたの?」
「――――はあ?」
「中佐。ハボック少尉は真剣に大佐との付き合いを考えて事を運んだわけではないようです」
「遊ばれて、捨てられるのか。奴は‥‥‥」
「なんて不憫なんでしょう」
「これも、日頃の行いが悪いからなんだろうが‥‥‥‥」
ヒューズは眼鏡をはずし出てもいない涙を拭った。
「遊ばれて、捨てられんのは、オレの方でしょ‥‥‥」
ハボックは遠くない将来を思うと冷静でいられなくて、思わずこぼした。
音もなく、ナイフがハボックが座るソファに深々と突き刺さった。
股間すれすれに。
「ハボック少尉、私の娘がそんな誰にでも足を開くアバズレとでも?」
じゃあ、なんでオレとなんかヤるんだよ、と思いながらもハボックは反論の機会など持っていなかった。
「――――し、失言でした。申し訳ありません」
「わかればいいのよ。手塩にかけてしつけたんだから」
ホークアイの堂々と言い放たれた言葉に大笑い始めたヒューズに、つられるようにハボックも引きつった笑いをもらした。
夜はまだまだ明ける気配を見せなかった。
03
やっと、やっと大佐が戻ってきてくれた。
「何だ、速かったな。ハボック」
ドアを開けて入ってきたマスタングは片手に、フルーツののった大きな皿を持っていた。―――私のファンだという方にいただいた、とにこやかに言って。
「‥‥‥うス。ゴチになってます」
「ヒューズ、いつから私が奢ることになったんだ?」
「そんなこと決まってる。飲みに誘った時からだっ!」
マスタングは、いつものこととは言え、大きなため息をついた。
戻ってきたマスタングに、ヒューズが席を立って上座をマスタングに譲る。
「大佐、ハボック少尉は大佐と既成事実を作っておきながら責任を取る気はないようです。納得いきません」
「ホークアイ、私のために怒ってくれてありがとう。だが、私は、この通り清い体でもなく、家事も何もできない、ただの高給取りの顔と体の具合のいいだけの人間だからな。人並みの結婚なんて分不相応だとあきらめているよ」
「大佐っ!簡単にあきらめてしまうなんて、大佐らしくありませんっ!!」
ホークアイは勢いよく手に持っていたグラスを、ダンッとテーブルに置いた。
あまりに勢いがよかったために、がばっとこぼれた酒がハボックにかかった。さりげなくマスタングが自分の手元に置かれていたおしぼりをハボックに投げ渡す。
「結婚なんぞできなくても、私には仕事がある。それでいいんだ。ホークアイ。ヒューズ、すまないな。お前と一緒にバージンロードを歩く約束はどうやら果たせそうもなくなった」
「ロイっ!!まだできちゃった婚があるだろっ!?」
ヒューズも手にしていたグラスを乱暴にテーブルの上に置いた。もちろんこぼれた酒は申し合わせたようにハボックにかかった。
ハボックは黙って、正確に顔面にかかった酒を静かに拭った。
「そうです。大佐!まだ、チャンスはあります」
「ハイハイ、頑張ります。努力します。あきらめません。これでいいか?ヒューズ。ホークアイ」
「最後が気にいらない」
「気持ちがこもってませんでしたね。大佐」
「‥‥‥まだ、続ける気か?全く、少し席を外した間に職場恋愛から、職場結婚まで話がとんでる。―――ハボックが固まってるだろ?ハボック、このノリに慣れないと今後が辛いぞ」
ハボックは、不意に、このふざけた酔っ払いたちの会話がどこまでただの悪ふざけなのか猛烈に気になりはじめていた。
「―――大佐。結婚する気あるんスか?」
「ない」
「あー、いや、オレとじゃなくってですね」
「ヒューズ、ホークアイ。ハボックがお前たちに毒されている!ハボック、一応、確認しておくがな、この国では同性では結婚できないんだぞ。知っているか?」
「知ってますよっ!当たり前でしょ!」
「ロイが、どこぞの女とでも結婚するかもって思ったら、固まっちまったか?」
ひひひっ、とヒューズは笑い、手元のほとんどカラになってしまっているグラスに酒を注いだ。もはや、その酒の注ぎ方はシングルとかダブルとかいうものではなくなってきている。ソフトドリンクのように注がれた高級酒が瞬く間に空瓶に変わっていった。
「純朴な、田舎の、好青年ですね」
「――――ホークアイ」
「何でしょう?」
「‥‥‥‥‥‥‥いや、なんでもないよ」
酔っ払いの中、それでも、ハボックの視線は今だ真剣にマスタングへ向けられていた。マスタングはそれから逃れるように、足を組み替えわずかに体の向きを変えた。
「結婚はしない」
この酒臭い場に沈黙が起きた。ヒューズは微かに眉を顰め、ホークアイは静かに視線を落とす。
「―――例え、お前にプロポーズされても。わかったか?私にプロポーズするなよ?」
しかし、その沈黙は一瞬だけだった。もう、マスタングの顔にはいつもの人の悪い笑みが浮かんでいる。からかわれたと言わんばかりに、ハボックが声を荒げた。そこには、本人にも自覚のない安堵が滲んでいた。
「しませんよっ!」
「あら、大佐のどこに不満があるのかしら?ハボック少尉」
「ホークアイ、ありがとう。私は、この内縁関係のままで十分幸せなんだよ」
「‥‥‥‥‥‥」
「さて、もう気がすんだろう?」
「あー、まだ少し遊び足りない気がするんだけど?」
「ヒューズ‥‥‥‥」
「自分が肴になると、とたんにノリが悪くなるからヤダねえ」
「当たり前だ!」
「続きは後日にしましょう。中佐」
「――――まだ、このネタは続くのか?」
「後日か。じゃあ、仕込みが十分できるな」
「――――わかった。わかった。ウェディングドレスでも何でももってこい。今はそれで我慢しておけ」
「私がっ!私が、ドレスを用意させていただきますっ!」
「領収書貰ってきなさいね。ホークアイ。経費で落とすから」
「お任せください。ご期待に応えられるものを作らせます」
「楽しみにしてるよ。うん」
「ロイ、いい部下をもったな」
「あー、そーだな。ハボック、酒、もらってこい」
ハボックは言われるがままに席を立った。
朝はまだ訪れる気配を見せなかった。
04
個室中に置かれていく空き瓶の量が著しく目立ってきた。
ハボックは自分のものになる予定の酒瓶には手を付けることを止め、そのボトルをさりげなく上司たちの死角になるような場所に置き、誰かが注文したボトルに手を付けようとした。しかし、不運にも、そのボトルはヒューズが注文していた希少な異国の酒だった。すぐさま、鋭い視線が飛ぶ。ハボックは命の危険を感じ、ぎこちなくその酒瓶に伸びた手を引っ込め、さらに注意を分散させるために口を開いた。
「ええっと、ずっと、聞きたかったことがあるんスけどっ!」
ヒューズはハボックに懐疑的な目を向けながら、自分が特別に注文した酒を手元に引き寄せた。
「何だよ?言ってみろ」
本当に、その聞きたいことってヤツがあんならなと、言わんばかりにヒューズは、馬鹿にしきった意地の悪い笑みを浮かべた。ハボックの口元が引き攣る。
ヒューズの隣に座るマスタングが、大人気ないヒューズを嗜めるように組んでいた足で蹴っても、気が付きもしない。マスタングは肩を落とし、自分の手元の酒瓶をハボックに渡してやろうとした。
ヒューズとハボックは以前、にらみ合ったままだ。ハボックに至っては、目を逸らしたら殺られるとでも思っているかのような有様だ。マスタングは、酒場で酒瓶1つに、対岸に熊でもいるかのような目をする部下が憐れに思えたための行動だったが、掴んだボトルが1ミリたりともビクともしない。怪訝そうにボトルに目をやって、マスタングは自分が手にしたボトルにホークアイの手が掛かっていることに気が付いた。マスタングは大きくため息をつき、手を離した。
「ハボ、後で、お前の名前でキープボトルを入れといてやるから、今は、後ろに隠したその酒を飲んでおけ」
マスタングの言葉に、ハボックはヒューズから目を逸らさないまま、絶対ですよと言って背後に隠しておいたボトルを再び、テーブルの上に戻した。
ヒューズが、コレだから減俸続きの薄給軍人と飲むのはイヤなんだ、と零した。すぐさま、ハボックの額に青筋が浮かんだ。しかし、ハボックはその怒りを腹に収めるかのように大きく何回も深呼吸をしてから、笑顔を浮かべた。青筋は浮かんだままだったが。
「えっとお、中佐は大佐のこと『親友』って言うじゃないっスか。でも、大佐は中佐のこと『友人』って言いますよね。この差って何なんスか?」
ヒューズとマスタングのお互いに対する温度差の違いを、ハボックは皮肉ったつもりだったが、その目論見は半分だけ成功した。
ヒューズはハボックの言葉に虚を突かれ、グラスを手にしたまま、マスタングを振り返った。
「ロイ‥‥‥?」
ヒューズの声には涙が滲んでいた。煩わしそうにマスタングはヒューズから顔を背け、ハボックを睨む。その時、手酌で、勢いよく空き瓶を作っていたホークアイが口を開いた。
「あら、言われてみれば、そうだわ。―――でも、私的な、憶測を述べさせていただくならば、大佐の場合、友人がヒューズ中佐しかいないからなのでは?反面、ヒューズ中佐は、友人が多くいらっしゃるので、他の友人とは一線を引くために大佐のことを『親友』と言い、大佐は、1人しかいない友人に『親友』も何もないですから、『友人』と言うしかない」
マスタングの手から、グラスが滑り落ちた。
無言のまま固まってしまったマスタングを、慰めんばかりにヒューズがぎゅうっと抱きしめた。
「ロイっ!ロイはこれでいいんだよ!!オレがいれば百人力だろ!」
その顔が明らかにうれしそうなのを、ハボックも、ホークアイも見てしまった。挙げ句の上に、そうかあ、ロイは俺しか友達いないんだあ〜、と呟くのまで聞こえてしまった。その声には隠しきれていない、うれしさが滲んでいた。
ホークアイとハボックは、目の前の光景を横目に、何となく釈然としないまま、手元の酒を注いだ。
マスタングは今だ、固まったままだった。
「お酒が足りないわね」
ホークアイの言葉に、ハボックが酒を注文しに席を立った。
05
ヒューズは前々から思っていたんだがな、と前置きをしてから厳かに言った。
「ロイ、お前、臭いぞ。――ハボック臭い」
ホークアイが、動きが止まったマスタングの手の中のグラスに、勢いよく片手でドボドボと酒を注いだ。グラスの縁までなみなみに注がれたその酒を零さないように、マスタングは慌てて手に意識を集中させる。
「あれれ?否定しないの?」
「――自覚がないとは、言わない」
マスタングはグラスを凝視したまま、ゆっくりと、ゆっくりと口元にグラスを持って行った。
「マーキング、許してんだ!何か、いやらしー!」
さっきヒューズがマスタングを抱きしめたとき、その黒髪から、ハボックのタバコの臭いが立ち昇っていた。
ハボックが器用にも両手で酒を抱えながらも、ドアを開け個室に戻ってきた。
テーブルの上に並べられた酒は、軒並み店秘蔵の年代ものばかりで、店の酒がなくなりつつあることを示していた。しばし4人は、こんな良い酒隠してやがってと口々に罵りながら、更に杯を重ねていった。
「男同士でも子供は作れるのではないでしょうか?」
あまりに唐突なホークアイの言葉に、男3人がぴたりと動きを止めた。その瞬間、ホークアイはテーブルの上の、最も高くて希少な、残りわずかとなった酒瓶に手を伸ばし、自分のグラスに全部注いだ。それは折りしも、4人誰もがその残りの酒をどうするか、さりげなくお互いを牽制し合っていたタイミングに発せられたものだった。
「――錬金術で卵子を練成できれば、可能かもな。となると問題は着床か?」
話題があくまで人事なヒューズの立ち直りが一番速かった。
「最近は直腸にも着床できるらしいですね」
「あー、うーん、それはないな、中尉。ロイに産休取ってるヒマ、ない」
「では、ハボック少尉ですか‥‥」
ヒューズとホークアイの視線が、ハボックに合わせられた。
想像するのも恐ろしいと言わんばかりにハボックが顔を歪ませる。
「ハボックなら産休で2年でも3年でも平気だろうがなあ。ハボックの尻の穴から出てきたと知ったときの、子供の心的ダメージを考えると、それはさすがに‥‥」
「―――オイ、そんな状況で出産できるわけないだろ。帝王切開だ」
マスタングの案外、冷静な言葉に、ハボックは言葉を失った。
「ロイの遺伝子を持った女の子と、オレの遺伝子を持った男の子を結婚させるんだ。そうしたら、オレとロイの遺伝子を持った子が生まれることになる。どんなに控えめに言っても、天才だな。かなり頭が良くて、かなり容姿端麗で、かなり運動神経も良くて、挙げ句の上に器用だ!」
「生まれながらにして、この国のトップを約束されたも同然の存在ですね」
――その最後の、器用と言うのが癇に障るがな。マスタングはそう言いながらも興味深そうに、そう、どんなに控えめに言っても天才には違いないと言葉を重ねた。
その様子に、1人焦ったハボックが立ち上がってテーブルを叩いた。
「絶対、結婚なんて許しません。絶対、ダメっ!」
「恋愛結婚だぞ。ハボック、お前の良いも悪いもないんだ」
ハボックを軽く往なしたヒューズは、ありえない未来の想像に頬を緩ませた。
「――恋愛結婚なんて、絶対、ない」
ハボックの呟きは、誰の耳にも届いていながら、軽く無視された。
「――そう言えば、お前には黙っていたがな」
会話に付いていけなくて、1人ちびちびと舐めるように酒を飲んでたハボックに、ヒューズが脈絡もなく話を振った。
「は?」
「――実は、ロイの奴はな、元は金髪だったんだぞ?」
「‥‥‥‥‥」
何を言ってるんだ、このヒゲメガネ!これ以上、オレをバカにすんなよ!――そう、ハボックの目が言って、ヒューズを睨んだ。
「信じてないな。全て、――イシュバールが原因なんだ‥‥‥。な、ホークアイ中尉」
「ええ、そうです」
ホークアイが、真剣な目で、力強く頷いた。
「‥‥‥‥‥」
まさか、とハボックの目が驚きに彩られ、マスタングを凝視した。
「ロイ、ハボックの奴は、本っ当に頭が悪いぞ。それでも、マジであんなんでいいのか?」
「――酒だっ!この店にある酒全部持って来いっ!」
憤懣やるせなくマスタングは叫んだが、ヒューズの言葉に否定はしなかった。
06
さらに大量の酒瓶が店員の手によって、この個室に運び込まれた。もちろん、彼らは空手で出て行くようなことはしない。部屋中に溢れる空瓶を両手に抱えられるだけ抱えて、出て行った。――その中の1人が会計係のマスタングに、これで本当に全部ですと耳打ちをして。この店、最後の酒は市場に出回っている普通の安酒だった。
4人はすでに酒なら何でもよいぐらいに酔っ払っていたため、快くそれを自分の空いたグラスに手酌で注ぎ始めた。
「ロイがハボックを好きな理由は頭が弱いからだな。ロイはかわいいもの好きだから、こうまで頭が悪いとかわいく感じるのかもしれん」
「まあ、そうだから、日頃、小難しいことを少尉に言っては、頭を悩ませている姿を悦に入って見ていたという訳ですか」
「――君にそう思われていたとは全く思わなかったよ。ホークアイ」
マスタングは、一際、大きな溜息を付いてハウスワインのピッチャーに手を伸ばして、一気に飲み干した。そして、そのままソファに撃沈する。もう、これ以上遊ばれるのは耐えられないと言わんばかりの行動だった。
3人は手付かずの酒を前にして、マスタングの戦線離脱を許容した。金を払う人間への彼らなりの思いやりと言えよう。
「で、ハボック、お前は?お前がロイを好きなのは何でだ?」
「えー、あー、そんな行き成り聞かれて、オレが答えられるとでも思ってんスか?」
「――全くもってそうだな。質問を変えよう。お前の持ってる、ロイのイメージはなんだ?」
「抽象論は少尉には高度だと思われますが。ヒューズ中佐」
「ああ!俺としたことがっ!すまないな。ハボック」
「――いいえ‥‥」
ハボックは思わず、まだたっぷり入ったハウスワインのピッチャーへ視線が動いた。自分もそれを一気飲みして気絶してしまいたいと言うように。しかし、ハボックがそれに手を伸ばすよりも早く、ホークアイが自分のテリトリーに引き寄せた。そこに置かれれば、ハボックが手が出せる可能性は限りなくゼロに近い。この会話に付き合うことを余儀なくされたハボックは人知れず項垂れた。
「うーん、じゃあ、ロイを花に例えるとするなら何だ?」
「はあ‥‥、花っスか?」
ヒューズとホークアイがお互いに思い付く限りの食虫植物をあげていく中、ハボックは1人、ソファに懐いて眠っているマスタングをじっと見ていた。こんなことを考えるのは始めてかもしれないと思いながら、いつもの飲みなれた安酒に口を付けた。
「あー、あれっスかね。中尉、今、受付に置かれてる鉢の、異常に茎の太い花‥‥」
花なんて言われても、花屋に行って買うのは『花束』だと思っているハボックには、なかなか思いつくものがなかった。だが、日常で印象に残った花を、ふと思い出す。
「アマリリス?」
「アマリリスって言うんスか?えっと、んじゃあ、それです。白いアマリリス」
「――何で?」
「風が吹いても揺れないとこ?」
その花を見て、ハボックは変な花だと思ったことを思い出した。それは、奇しくもマスタングに対する第一印象と同じだった。
「ぶはっ‥、ハボック!お前!傑作だっ!案外、よく、ロイのこと知ってる!」
ヒューズもホークアイも笑いを堪えるなんてマネはしなかった。
「どれぐらい一緒にいると思ってんスか。それに、もう夢見る年頃じゃないっスよ‥‥」
ハボックは改めて、自分がどうしててマスタングを好きか考えると、悲しくなってきてしまった。思わず涙腺が緩んで、グスと鼻を啜った。更に2人が笑い声を大きくした。
「あー、苦しい。――苦労してんだな。ハボック」
「――いえ、ホークアイ中尉の前で、苦労してるなんて言えません」
「あら、少尉がいてくれるおかげで、随分助かっているわよ」
「ベビーシッターが2人になったか?ホークアイ」
「そうですね。確かに私はベビーシッターのような気がしますが、ハボック少尉はベビーシッターというより、どちらかといえばガラガラですね。大佐に宛がっておけば、一先ず、静かになるので助かってます」
「――あの、ガラガラってなんスか?」
「赤ん坊をあやすための玩具だ」
「へ、へ、へえ‥‥」
ハボックはますます悲しくなって、酒に手を伸ばした。
辛いときに酒に逃げなくて、何時、酒を飲むと言うんだろう‥‥
この後も会話は弾み、酒が減ってくるに連れてハボックの呂律がだんだん回らなくなってきた頃、突然、ホークアイがソファに倒れこんだ。酔いが回ったのだろう。気が付いたら、彼女は気持ち良さそうに眠っていた。
それから直ぐハボックが真っ青になって、吐くと呻いてしゃがみ込む。ヒューズが慌てて、立っては足元がおぼつかないハボックを引きずってトイレに駆け込んだ。一通り嘔吐したらトイレで撃沈してしまったハボックを、ヒューズが口汚く罵りながら再び個室まで引きずって戻り、床に転がした。
ホークアイもハボックも完全に夢の中だった。
「――ロイ、いい加減、狸寝入りは止めろ。自分の犬の面倒を人に任すなんて、飼い主失格だろうが‥‥」
そのヒューズの一言に、マスタングがにやにや笑い、悪びれた様子もなく起きだして、あまった酒を自分のグラスに注いだ。
マスタングはこの部屋の惨状を見渡して、クスリと笑う。無数の空き瓶と酔いつぶれて無防備に眠る自分の副官たち。今までとは正反対な静かな時間が流れた。
マスタングとヒューズはしばらく無言で酒を酌み交わした。
「―――お前は、これでもまだ、私が幸せに思えないのか?」
「‥‥‥‥‥」
「ホークアイも、ハボックも、ブレダもみんな、私と一緒にいてくれる。どんなに文句を言っても、ちゃんと私と一緒にいてくれる」
「‥‥‥‥‥」
「次に戦場に立つときも、きっと一緒だ。あの頃とは違う」
「‥‥‥‥‥」
「これでも、私が幸せに見えないのか」
「‥‥‥‥‥」
「私はなかなか幸せものだと思うのだが。ヒューズ?」
「‥‥‥‥‥こんな親身な親友もいるし?」
「ふふ。そういうことにしといてやってもいいが?」
「言っとけ。―――ちゃんとさ、誰の目にも明らかな幸せってヤツを掴んで離すんじゃねえぞ。お前がどんなに幸せだって言ったところで、周りのヤツがそれを理解できなきゃ、幸せっじゃねえんだ。――幸せみたいなさ、誰もが持ってる人間の根源的な感覚を共感し合えなきゃ、根本的な部分で誰にも理解されねえよ。特に、お前みたいなでっかい力を持ってるヤツは。バケモノって呼ばれる隙を作るな。すっげえ、ムカつくから」
マスタングはヒューズの言葉に肩をすくめた。
「ロイ、愛してるよ」
「知ってる」
「違うだろ!なんで、お前はいっつもそう言うんだよ!『私も、愛してる』って言えよ!」
「何で髭面の自分より階級の低いものに、そんなリップサービスをしなくてはならない」
「うわぁ、なにそれ!最低!最悪っ!!」
「はははははっ!はははははっ!はははははっ!!!」
夜明けは近いのかもしれない。