MY SWEET ONE
「―――ハボック将軍。その呼称も随分長い間違和感が拭えなかった。いや、ただ1つを除いた全ての呼称に、オレは違和感を覚えていただろう。それはあの人も同じだったようで、呼称で呼ばれる機会は少尉を過ぎてからは格段に減ったと思う。やっと、あの人がこの国のトップに立ったとき、特別待遇の少尉に戻らないかなどとふざけて言われたことがあった。オレはそれが本当にできるのなら別に少尉でも構わないと思ったよ。あの人が大佐であったとき。オレが少尉であったとき。いろんなことがあった。本当にいろんなことがあった」
言葉を詰まらせた将軍はそっと目を伏せた。勇猛果敢な武功に事欠かない彼にはそぐわない感傷的な仕草に思えた。



アメストリスは半世紀も前に、自らを『進化した人間』と語ったホムンクルスという人造人間たちの実験場となり果て、血で血を洗う凄惨な悲劇が立て続けに起こった。軍上層部はそのホムンクルスたちの巨大な力に屈し、もしくは自ら諂い、民衆をホムンクルスたちへ実験体として差し出すことを由とした。そのために国は内乱に次ぐ内乱を向かえ、いくつかの民族が滅び、他国間との緊張を高めた。戦争は時間の問題だった。―――極最悪の事態を未然に防いだのは何ものにも屈しなかった強い信念と力あるものたち。軍事独裁政権だったアメストリスは、彼らの力によって共和制へと代わり、この今の平和がある。
記念すべきあの日からもうすでに半世紀が過ぎていた。誰もが渇望した平和は、今、退屈なものと同義になりつつある。だからこそ私はあのときの回顧録を新聞に連載したいと考えた。忘れてはならぬこととして。ホムンクルスなんて言葉を知らない若者たちにも何の上にこの平和があるのか知らないでいて欲しくないと思った。しかし、本音を問われれば、自分自身のどうしようもない興味が先立つのかもしれない。この国を共和制へと導いた人たちはそれぞれに人間味に溢れ非常に魅力的だった。その内の大半の人たちはすでに他界していたが、まだ彼らを良く知る人たちは存命である。私は彼らが生きている内にどうしても当時のエピソードをできるだけ多く知りたいと思っていた。そう。彼らの話はまるで映画のように私を魅了してやまなかったのだ。

編集長は私の企画をあっけなく了承した。快くでもなく、渋るでもなく。社会的使命を掲げていて、その実は単なる自分の好奇心に端を発しているこの企画を半ば咎められると予想していただけにそれは思いがけないことだった。この企画は過去たくさんの先輩たちが私よりももっとずっと崇高な理由を掲げ、なし得なかったものだった。死して尚、強烈に影響力を持つ人たち。彼らを取り上げることはある意味タブーでもあった。―――特に、揺れていた時代には。
「あの方たちの功績が忘れ去られることは、私も残念に思います。―――あの方たちはそれを気になさるような方々ではありませんが」
編集長はそう言って数人の人物を紹介してくれた。編集長は軍法会議所上がりの軍人であり、最も功績のある人物の一人の部下として働いた経歴を持つ。自分の知らぬところで彼らのことを嗅ぎ回られるぐらいなら、自分の下で、という考えがあったのかもしれない。

紹介された人物のほとんどは私が最も興味を抱いていたロイ・マスタングの関係者だった。その中には彼の側近として長年側にいた人物も含まれていた。ジャン・ハボック将軍。彼の功績はホムンクルスたちを過去の国家錬金術師たちが倒した後、他国との国境付近で乱発した戦いの中で華々しく語られる。ロイ・マスタングの死後も軍界の重鎮としてその存在感を示していた。
実際に、セントラルの軍司令部の彼の執務室で対面が叶った彼は自分の父と年齢がたいして変わらないにも関わらず、見上げるほど背が高く、その身体は軍服の上からでも分かるほど無駄な肉を感じさせなかった。しかし、その青い瞳は茫洋として掴みどころがない。いや、むしろこの人物にあれだけの武功が築けたのか、不思議に思うほど緊張感を誘わなかった。フォッカーさんから、聞いています。そう言って、びっくりするほど気さくに右手を差し出す彼。その手に自分の手を合わせて、その硬さを知り、漸く緊張感が溢れ出した。その手は紛れもなく長い間戦渦を切り開いてきた人間のものだった。



「あの人の遊びは錬金術だった。それはたぶん本当に近しい人にしか見せないような、プライベートな部分で。公には、あの人の錬金術は焔以外はあまり汎用性もレベルも十分ではないと認識されていたような気がする。でも、それはもしかしたらあながちウソでもないのかもしれないとオレは思ってたよ。遊びの範疇であの人が行う練成は、実に役に立たない下らないものとか、一体それは何なのかと聞きたくなってしまうようなものがほとんどで、オレの目にはとってもふざけたものにしか見えなかったんだ。イタズラを考えるように練成式を考え、自分のイメージをそのまま再現する遊び。それを見ているとあの人が生み出した何万もの人を一瞬で殺せる焔の練成を連想させることは何1つない。何もないのに、それがあまりに無邪気すぎて、あの焔もあの人の遊びの一端から生じたものだと思わせた。だから、あの人は決して人目につくところで錬金術で遊ぶようなことをしなかったんだろう」
ハボック将軍は不躾かと思うような質問にも快く応えてくれた。時に過去を反芻するように遠い目をしながらも。彼にとってもロイ・マスタングと共に過ごした日々は忘れられないものなのだろう。
「あなたにとってロイ・マスタングはどんな意味をもっていたのですか?」
「―――さあ。そんなこと考えたこともないな」
「時代を変えている。そんな自覚はありましたか?」
「ちっとも。あの頃は生きることに必死だった。あの人はその自覚があったかもしれないけど、オレは毎日あの人を叩き起こしてメシを食わせて一緒に戦ってメシ食わせて寝らせることしか考えてなかった。それで時代が変わるなんて思うか、フツー? オレはずっとあの人の護衛だったんだ。46時中一緒にいることなんてざらだった。だから、オレはアンタに話せることはあの人のアホなことしかない。残念ながら」
「……………………」
その言葉に驚き言葉が出ない私に将軍は場を取り成すように言葉を重ねた。
「―――あー、なんて言うか、あの人といるとそれはもう楽しかった。ムカつくことも多かったけど、楽しかったんだ。それに尽きると思う」
ちっとも楽しくなくなった。あの人がいなくなったから寂しくて悲しくてつまらない…。
にやりと笑って言われた言葉は、何故かそう言っているように感じた。





結局、たくさんインタビューを行うことができたのも関わらず、記事は期日を迎えてもまとまる気配すらなく、自分が立てた企画は計画倒れに終わった。
項垂れ退職も辞さじと息込んでいた私に編集長は笑顔で語った。あの人たちに話しを聞きに行ったものたちでまだ記事をまとめられたものは一人もいないと。編集長はこの手の企画を持ち出したものに対して、否と言ったことは一度もないと言う。その社会的必要性の高さを強く認識しているのは編集長自身なのかもしれない。しかし、誰もが特にロイ・マスタングに関しては公私のギャップが大きすぎてどこまで書いて良いものか頭を悩ませると言う。
「編集長もロイ・マスタングに実際にお会いしたことがあるんですよね」
「―――私は彼の親友の、部下だった。お目にかかる機会は多くあったよ」
「どんな方でしたか?」
苦笑する。それは彼を知る人たち全員に共通する楽しそうな困り顔だった。それは私にはロイ・マスタングという人物が言葉にするには難解なほど、いかに魅力的であったかを証明しているように思えてならないのだった。
2008/03/06