オレの疲れとストレスを考えてくれたのでしょうか、実家が近かったろうとマスタング中佐が休みをくれました。
田舎つながりで、近いとお考えなのでしょうが、オレは田舎をなめんなと言いたかったです。この辺の汽車の連絡では、たった1日では行って帰って来るだけです。しかし、くれると言うものをもらわないではいられませんでした。では、お言葉に甘えまして、そう言えば、中佐は、うんと言って笑います。
その幼さの残る笑みに何となく立ち去り難いものを感じちゃう自分は確かに休みを必要にしていると思いました。
今日の宿に戻ってきました。たった1時間も実家にはいられませんでしたが、大分、気分がリフレッシュしたように思います。
仕事は仕事です。例え、おさんどんでも。上司との仲を円滑にするには、自分から歩み寄ることも大切です。アウトローとか硬派だとか陰口をたたかれることの多いオレですが、上司との仲なんてどうでもいいと思っているわけではありません。人並みに、人間関係に悩んだりもします。
今晩はおふくろ直伝のカレーにしようと思います。特別配合のスパイスを分けてもらってきました。軍隊に入隊したはずの息子が何故、カレースパイスをもらっていくのか、おふくろは困惑を隠しきれないようでしたが、訳を聞かないでくれました。ありがたかったです。カレーは長時間煮込みます。まだ日の出ているうちに戻って来たかったのですが、これが交通機関の限界でした。遠くに見える借りている家には、まだ、明かりが付いていません。嫌な予感がしてきました。
わずかな風に乗って、遠くからでも、血液特有の、鉄臭さが鼻につきました。
何かあったのか、緊張感が走ります。
民家の庭の低木の影に、特製のカレー粉の入った荷物を置き、懐から銃を取り出しました。明かりの消えた家の中には、人のいる気配はありません。しかし、あの2人に対してどうこうする事ができるほどのヤツなら、完璧に気配を消して暗闇に潜んでいるなんてお手のものだろうと思います。
玄関前に、夥しい量の血痕が広がっていました。
しかし、それはすでに凝固し乾いてます。一瞬、オレは間に合わなかったか、と思いました。
血痕は、玄関前だけに留まらず、庭の方にも続いています。できるだけ、現場を荒らさないように、静かに玄関のドアに手を掛けました。――――もちろん、鍵がかかっていて開きません。オレは、表に周ることにしました。
大量の血痕に、白いものが混ざってきました。どんどん大量になっていきます。家の表に出れば、その白いものが一面に広がっていて血痕を隠してます。オレはしゃがみ込み、その白い、大量の鳥の羽をかき分けてみました。やはり、そこには大量の血痕が見て取れました。当然です。このむしられた鳥の羽の量から考えれば、2、3羽というよりその倍はいたはずです。これは、嫌がらせなのでしょうか。
ここは、イシュバールから離れた土地ですが、ここから東部内乱に参加した人間がいて、あの上司たちに恨みをもっていてもおかしくないです。この程度の嫌がらせに、毛ほども動揺する人たちではないと思っても、俄かに心配になってきました。
室内に侵入します。
カーテンが引かれていなかったので、室内がなんとか伺えました。人はやはり居そうにありません。倒れている人間もいる様子ではないのですが、派手に荒らされた形跡があります。立て付けの悪い窓から室内に入ります。
室内には、たんぱく質が燃える特有の臭いが微かに残っていました。――――オレの、上司は焔の錬金術師です。東部内乱で人間も何もかも燃やして燃やして、燃やし尽くして、今の階級に成り上がった人です。この臭いは、ここであの人が戦闘をした証です。
よく見れば、壁や床に銃痕が無数にあり、床に薬莢が散らばっていました。ホークアイ中尉でしょう。あの美人な副官は、ああ見えてばりばりの武官あがりの人です。
なのに、どうして護衛官を兼任してる現役武官のオレが、必要なときに、必要な場所にいなかったのか。休みをくれるなんて言われて、どうして言われるがままに休みをもらっちまたんだろう。後悔に目が眩み、足元に転がる消し炭を踏み砕いてしまっていました。
後悔は後でいくらでもできます。今は、あの人たちのことが先です。あの人たちは何処へ行ってしまったのでしょうか。
手がかりを探すために、他の部屋に向かったときでした。突然、玄関のドアが開き、室内の明かりが付きました。
「あー!もう、帰って来てる!!」
廊下の奥に潜んでいたオレを、マスタング中佐は目敏く見つけました。
その手には、鴨が3羽。
後ろにいるホークアイ中尉がさりげなく、オレに向かってライフルを構えていました。
「ハボック少尉。何があったのですか」
鋭い口調で問われて、オレも手に銃を構え、目の前の2人に銃口を向けていることに気が付いて、あわてて下ろしました。それから、ホークアイ中尉もライフルを下ろしてくれました。胸を撫で下ろしたい気分です。
「あの、家の中がひどく荒らされた形跡があるんですが‥‥‥‥」
オレの一言に、2人は顔を見合わせました。――――私たち、軍人の泊まっている宿だと知っての狼藉かね!と、マスタング中佐は、持っていた見事な鴨3羽をオレに手渡し、胸を張って足音高く家の奥に入っていきます。その後ろを中尉が無表情に続きます。オレはさらに、その後をついて行きました。
「ええっと、ハボック少尉?どこにその痕跡があるのかい?」
リビングの明かりを付け、中央に仁王立ちし、マスタング中佐はオレを振り返り、首を傾げました。その顔は真面目で、冗談を言っているようには思えませんでした。
「私たちがこの家を空けた時と、たいした差は見受けられませんが?」
オレは言葉に詰まりました。何て言っていいのか、正直、わかりません。少尉、とさらに問われれば、もう、思ったことを言うしか道は残されていませんでした。
「玄関前から、表にかけて大量の血痕と、鳥の羽が‥‥‥」
「それが、どうかしましたか?」
「ちゃんと、貰った鳥を絞めて血抜きをして、熱湯をかけてから羽を毟ったよ?」
確かに、それは、正しいです。間違っていません、が。
「え、えっと、部屋のなかにけ、消し炭とか、薬莢とか‥‥‥」
ホークアイ中尉は大きなため息をつかれました。
「中佐が錬金術の加減を間違われて‥‥‥」
「ち、ちいさな羽は直火で炙って取るって言ったじゃないか!」
「6羽全部を一息に、錬金術の焔で処理しようとしたことがそもそも間違いだったのです。あなたは、いつも、ちっさな手間を惜しんで失敗する」
「人は常に挑戦し続けなければ、その能力を後退させてしまうものなんだよ。ホークアイ」
なんだか、このまま、話が反れてしまいそうだったので口を挿みました。上官にする行為ではありませんが、この人たちはそんなこと歯牙にもかけません。そして、何となく、状況が飲み込めてきましたが、まだ、釈然としませんでした。
「あ、あの、このリビングの消し炭は分かりましたが、その、この薬莢は‥‥?」
「私は、止めようとしたわ。今日の夕飯のメインだもの。せめて、少尉の分の1羽だけでもと思ったのだけれど、気が付いたときには、もう、手遅れだったのよ」
どうやら、ホークアイ中尉は、マスタング中佐の、暴挙を止めようとして、発砲した、ら、しい。
「わ、私は、速く、鳥の下ごしらえを終わらせて、君の手伝いをしようとっ!」
ピンと来ました。キッチンに置かれていたテーブルの上だけに留まらず、床の上にもところ狭しと作られている偏執的なまでの、大量の野菜くずの山は、ホークアイ中尉の手によるものに違いありません。いままでの経緯から考えて、中尉は野菜の下ごしらえをしていたようです。
「―――そして、鳥の下ごしらえも失敗し、結局、山に食材を獲りに行くハメになったと?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
ホークアイ中尉の言葉に、マスタング中佐は何も言えなくなってしまいました。きゅっと、口元を固く噤み、俯いてしまいます。幼い子供が泣くのを堪えるような仕草でした。思わず、この沈黙をどうにかしたくて、口を開きかけた途端、中佐が頭を上げ、オレをじっと見ます。その目には薄っすらと涙が浮かんでいるような気さえしてしまいました。どきっ、っとしてしまったのは一生の不覚です。
「おなか減った。二山越えて、その鴨を獲って来たんだ。いつも、美味しいご飯を作ってくれるハボック少尉に、お礼を込めて、せめて、一食でも、と思ったのに」
ハボック少尉は、マスタング中佐ご自慢の童顔を、これでもかっ、と利用した、見事な手口にまんまと引っかかり、本日も美味しい夕食を作ってくれました。
鴨の入った、スパイシーなカレーでした。
いい同僚を得て、中佐も私も非常に満足しています。