久しぶりのエルリック兄弟の来訪。
それは、子供にとっても、大人にとっても休息を意味していた。
大人たちにはなかなか訪れることの出来ない場所を、フットワーク軽く旅する兄弟の話は、大人たちにとって単純に興味深かった。例え、その旅路の果てが今だ見えないものであったとしても、一日中机に縛り付けられているよりマシな気がするのは、常に、山のように書類を机の上に築き、部下たちに銃を向けられて、仕事をしている人間を見る必要がないからかもしれない。
エルリック兄弟にいつも弟分のように接する気安い東方司令部の面々は、家を捨てた彼らにとって、いつもホームを感じさせる少し気恥ずかしさの残る場所でもあった。多分に好きだが長居はし兼ねる。年頃の少年特有の感情なのかもしれないが。
軍食堂でエドワードが味付けに文句を言いながら、量だけは一流の昼食を勢いよく口にかきこんで食べるのを、アルフォンスは、行儀悪いよ、兄さんと咎めつつも駅の売店で買ってきた雑誌から顔を上げることはなかった。最近、モテたいなどと色気付いてきたアルフォンスの行動に口をはさむとヤブヘビになり兼ねないことをよく知っていたエドワードは特にそれに触れるでもなく、体の要求のまま、食べ物を補給していった。
軍食堂に子供が堂々と昼食を食べている異様な光景はもう東方司令部では馴染みなもので、特に誰も取り立てて言及することはない。年少の国家錬金術師が、東方司令官の保護を受けていることは周知である。気性の激しい少年であるが、それは東方では主にただ1人に向けられ、その1人以外に対しては、滅法、同じ年頃の少年に比べて、大人であることは誰もが知っていた。馴れ馴れしく街の子供と同じように接する気は起きないが、上司や、同僚の土産で、地方の珍しいお菓子があるとき、鋼の錬金術師殿、と声をかける勇敢なものは、東方には少なくはなかった。
そんな中、堂々と街の子供と比較的同じように接する強者たちもいる。しかし、彼らは、自分の上司さえ子供扱いすることが多々あった。そんな状況を兄弟は知っているのだろう。その辺の子供と同じ扱いをされるのを嫌がるそぶりは見せない。だからと言って、自分たちも、と思うような人間は、東方方面軍には皆無だろう。彼らは、良くも悪くも、国家錬金術師なるものを知り過ぎていた。しかし、そんな適度な距離感が兄弟たちには心地よいものになっているのだろう。
昼休みをすでに過ぎた頃合に、馴染みの少尉2人が昼飯のプレートを片手に近づいてくるのに気が付いたエドワードは、ホークを持ったまま、手を上げた。
「―――よっ!大将。アル。久しぶり。先にこっちに顔出すなんて冷てぇんじゃねーの?」
「言うな。ハボック。今日も明日も明後日も、学習能力の欠如した自分の後見人を、真っ先に見に行かなくちゃあならねえ、こいつらの気持ちをわかってやれ。味加減がビミョーなメシがのどを通らなくなったら、大問題だろう?」
「大問題だな。天下の大問題だ」
まずは、上司を天気の話題のように、貶すのが東方の流儀だと言わんばかりに司令部付きのハボックとブレダが軽口と共に兄弟の隣に座った。兄弟も慣れたもので、行儀悪く机中に広げていた皿を自分の前へと寄せる。
「遅せえ昼メシなんじゃねえの?」
「いつものことだぜ。ただ、今日は手間が2倍だったって話さ」
ブレダがやれやれといわんばかりに、肩をすくめた。
「―――2倍?」
「中央からヒューズ中佐が来てんの。ようやく会議に放り込んで、オレたちも昼飯にありつけたと言うわけだ」
「これで2時間、東方の平穏は約束された」
「あー、でも、お前らの用事は、2時間引き伸ばされたって事だな」
ひひひっと少尉2人は笑った。
「あー、先にそっち行っとけばよかった」
「腐るな、若人。久しぶりなんだ。俺たちの休憩に付き合えよ」
「―――東方司令部って、いつ来ても思うケド、ビミョーだよなぁ。忙しそうなのに、ヒマそうだ」
「なんだよ、それは?」
「ん?んー、ビミョーなんだよ。分かるだろ?」
わかったような、わかんないような顔でブレダが頷いた。ニュアンスを重んじる若者の会話に付いていけなくなりつつあるのは、問題だろうかと思いながら。
「アル、何そんなに夢中になって読んでんだよ?」
アルフォンスの隣に座ったハボックが、会話にのってこないアルフォンスを覗き込んだ。しかし、アルフォンスはその言葉に思い立ったかのように、勢いよく顔を上げた。ハボックはアルフォンスの頭にぶつかりそうになるのを、うおっと言いながら辛うじて除けた。
「無人島にたった1つ持っていけるとしたら、何を持って行きます?」
唐突な問いは、その雑誌のせいだろうと思いながらも、3人とも虚をつかれた顔を見せた。
「ボクは、さっきからずっと考えてるんですけど、どうも、迷っちゃて」
「それは、心理テストか何かなのか?」
興味を引かれたエドワードが咀嚼しながら尋ねたが、アルフォンスは、さあ、どうかなと歯切れが悪い。その答えではどうにも釈然としないといった表情のエドワードを、ブレダがぽんぽんと背中を叩く。こういうのはニュアンスが大切なんだろ、と言って。
「ハボックなら、間違いなく煙草だな」
「―――何カートン持ち込むかが勝負所だな。火は自力でなんとかするにしても」
「無人島で煙草かよ」
「そう言うなって、大将。これはオレの命なんだ。マジで、命に関わる」
「煙草で昇進潰したことがあんだぜ?こいつ。信じられるか」
「うへぇ」
エドワードの視線が物言いたげで、ハボックはエドワードが口を開く前に、話題を振った。
「大将は、何、持ってく?」
「―――オレは、無難に本だろうな。知識を選ぶ。メシも寝床も解決するだろ」
言うだけ言ったエドワードは、まだ残っている目の前のメシに手を伸ばした。
「ブレダ少尉は、何を持って行きますか?」
「うーん、米?」
「‥‥‥‥‥‥」
なんとも言いようのない沈黙にブレダが焦って、口を開いた。
「オイ!無人島に絶対ないものだろうがよっ!」
「―――あ、確かに、そうだな」
人のいない場所に稲は生えない。自生する植物ではなかった。
「で、アル。お前は?」
「―――うーん、やっぱり、イマイチ決め手に欠けるんだよね。だって、ほら、ボク、ご飯も特に必要ないし、寝るところだって選ばないでしょう?」
アルフォンスの言葉に3人とも、なるほどと頷いた。それを見てアルフォンスはまた、考え込む。そんなに考え込むようなほどのものなのかとハボックもブレダも思ったが、アルフォンスにとってはなかなか重要なことなのかもしれない。
「―――もっと、参考にいろいろ聞いてみたらいいんじゃないのか?」
子供の他愛ない疑問を邪険に扱わず、真面目に取り合ってくれるこの不良軍人たちがエドワードは好きだった。
比較的親しい人たちに声をかけていく。誰もが真剣に答えてくれたが、どうにもアルフォンスにはしっくりといかない様子だった。そうこうしている内に、2時間が過ぎていき、会議に出席していた人たちが戻ってきた。
「無人島に1つか。そうだな、俺は写真にするよ。俺特別編集のアルバムNO.1からNO.12まで」
そう言ったヒューズは、懐から数枚の写真を取り出して、いつものように周りに見せてやろうとしたが、その不穏な気配を感じていたハボックが早々に口を挿んだ。
「メシとかはどーなさるんスか?」
出鼻を挫かれたヒューズは、ふん、と鼻をならした。
「どうとでもなる。俺、お前と違って頭いいもん。こーいう場合は、自力でどうにもならないものを選ぶんだよ。一人で寂しくなっちなって、メシが慰めてくれんのか?エリシアとグレイシアの笑顔だけが、俺の殺伐とした精神を癒してくれるんだ!!」
場の雰囲気が悪くなって行きそうなことを察したアルフォンスが、最強の人に助けを求めた。
「―――ホークアイ中尉は何を持って行きますか?」
「銃ね。自分を支えてくれるものを選ぶわ」
ホークアイは、懐から銃を取り出した。それだけで場が静まる。
「自分を支えてくれるもの‥‥‥」
緊張感が高まっていく周囲とは別に、アルフォンスは、ホークアイの言葉に何かが分かりかけてきたような気がした。
「大佐は発火布っスか?」
マスタングが真打登場と言わんばかりに、声を高々と上げた。
「無人島なのだろう?そこは。なら、なにゆえにそんなものが必要なのだ。バカンスにそんなもの必要あるまい!」
お前の一言で、何もかもが台無しになった気がするぞ、とヒューズが呟いたが、マスタングは隣で呟かれたそれが、聞こえていないかのように無視をし、胸を張って、堂々と指をさした。この場にいたものすべてが、その指された先を目で追う。その先には――――――、ものすっごい嫌そうな顔をしたハボックがいた。
「バカンスに必要なもの、それは召使いだろう、諸君!ハボック一匹で、随分勝手が違う。炊事掃除洗濯は元より、狩りも行え、力仕事もできる。―――まあ、頭は弱いが、そこまで求めるのは酷だろうな。私は寛大だから、それぐらいは勘弁してやろう!」
「お前、怠けすぎだって‥‥‥」
司令室内にいた人たちが、このマスタングの発言を聞いて、それぞれ自分の持ち場へ戻っていった。持ち場のないエドワードは、その場のソファに身を沈めた。
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―――ああ、なるほど、とストンと自分の中で、何かがはまった。兄さんと一緒に行けばいいんだ。なんだ。実に簡単なことじゃないか!
そんなボクを、面白そうに見ていた大佐と目が合った。もしかして、ボクにボクの答えを教えてくれるために、ハボック少尉とあえて言ってくれたのかも知れないとふと思った。
出発の日の朝、挨拶に寄った司令部で、もう一度大佐に、本当は何を選ぶんですかと尋ねたら、苦笑と共に答えをもらった。―――では、手紙を。1人ではつまらないから、迎えに来いと皆に手紙を書くよ、と。じゃあ、たくさん必要ですね、と言ったら、君にも届くだろうから、その時は急いできたまえと言って、その人はボクたちを送りだしてくれた。