HAPPY HAVOC PROJECT 2
07

別に便秘という訳じゃない。あくまでも休憩だ。だが、なんで休憩にこんな便所を選ぶのか。そう我に返ると物悲しさが拭えなかった…。

うちの部署には自分以外が休憩していると恨みがましい視線をじっと向けてしまいには自分も休憩したいと駄々を捏ねる人がいた。そのため、仕事の進行にこれ以上支障をきたさないようにと、休憩はおのおのその人の視界に入らない適切な場所で取らなくてはならなかった。しかも、その人はいつ何時となくふらりと席を立つ。油断は禁物だった。
例えば、一日の中で最も混雑する昼を過ぎての閑散とした食堂。休憩所と命名されてはないが、休憩所を代表する休憩所と言える。そこで何か甘いものでも食べながら、なんていうのは危険極まりなかった。
「ブレダ少尉、休憩かね?」
ついさっきまで司令室にいて真面目に書類に向き合っていた人が、音もなく背後に現れたことは一度や二度ではない。そして、俺が食い物を譲るまで決して俺の前から動かなくなるのだ。買ってきたらいいじゃないですかと何度言っても、基地内で金銭は持ち歩かない主義だと決まって返ってくる。じとっとした視線に耐えつつ全部食っちまった時は3時間以上行方を眩ませられた。その後、司令室を出て行った時と同様にふらりと戻ってきたその人は、ブレダ少尉におやつを分けてもらえなくてあまりにひもじくて悲しくなったと声高々に告げた。――もちろん司令室は全員残業を強いられることになる…。
俺たちにとって休憩所とは休憩所と命名されているような一般的な場所ではなかった。そんなところにいては、いつあの人がやってくるかと気持ちが休まらない。だから、こんな司令部外れの、その存在すら忘れ去られたと言っても過言ではない便所に来たのに。――ただ不幸中の幸いといえたのは不精せずに個室のドアをきっちりと閉めていたことだった。

軽やかな足音が入ってきた。こういう足音は訓練を終えて間もないどんな新兵も出さない。かと言って、年季の入った軍人が立てることもなかった。しかし、ここは東方司令部。廊下をスキップして渡っていく人間が生息していた。その足音は便所の個室に入ることなく止まった。次いで聞こえる鼻歌に、キュっと金属が擦れる音。蛇口を捻る音だろう。水場に用があったらしい。――不意にご機嫌な鼻歌が止まった。金属音がキュキュキューっと無理なことはやめろとばかりに悲鳴を上げる。そして、一向に聞こえてこない水音。蛇口を逆方向に回してしまったと推測する。次いで、間髪入れず、ドカッと。しかもテンポよく繰り返される打撃音。
つまり、逆に回してしまって水が出なくなってしまった蛇口を、蹴って緩めようと試みている訳か…。蛇口に八つ当たりよろしく蹴りつけていた人の、鼻歌がまた聞こえてくる。そして、キュ、キュ、キュ。蛇口を捻る音。キュ、キュ、キュ、キュ、キュ、と軽快に。
「――うん?」
その声はやっぱり残念ながら聞き覚えがあった。予想通りの声とも言える…。
それに重なるようにして、カラン。便所の床に何かが落ちた。その瞬間、爆発的な水音が便所を満たした。ドドドッ、ドドドッ! その中にカラン、カランと堅いものが立て続けに落ちる甲高い音が混ざる。瞬時に、床を滑って俺の足元まで流れてくる水。刻一刻と勢いと厚みを増して。
薄っぺらなドア一枚隔てた向こうで、蛇口を蹴って蛇口そのものを破壊してしまった人がいる…。
この向こうにいるのは間違いなく東方方面軍司令官ロイ・マスタング大佐だった。つまり、直属の上司ということになる。俺は何も見てない。聞いていただけだ。このままいない振りだ。――決して長くない逡巡の間にも水嵩は容赦なく増してくる。道徳的側面に環境的側面、社会的側面から無視してはならないことは分かっていた。アンビヴァレンス…。
しかし、諦めの境地に到達する前に、またなんかの金属部品が飛んで、今度は窓を割った。パッリーン、ガシャン、ガシャン…。その事態の大型化に思わず反射的にドアノブに手を掛けた時だった。その人は溢れる水の爆音に負けないほど大きな声で叫んだ。
「ハーボーックッ! ハーボーックッ!!」
ここは人の来ないトイレで。しかも、その存在すら忘れ去られているような場所だ。なのに、なんでこの人は迷いもなくその名前を呼ぶのか…。

しかも、その呼び声に応えるかのように、瞬時に水音に負けないドカッドカッとでかい足音が近づいてくる。こういう足音もどんな新兵も出さない。もちろん年季の入った軍人は言うに及ばす。そして、こんな足音を立てている本人もまた普段はこういう足音は立てない。こいつが足音を立てるのは大抵自分の存在を相手に知らしめるときぐらいだ。今回は大佐に自分が来たことを教えるためか。
「何してんスかっ!」
「ハボック! 水が溢れてきた!」
大佐の声があからさまにほっとした色を帯びた。――しかし、その一言はあたかも蛇口が壊れていたかのように、暗に事故を示すものだった。溢れるようなことをしたから、水は溢れた。普通に蛇口を捻るくらいじゃ蛇口は壊れたりはしない。そして、ハボックはそれを熟知していた。
「勝手に溢れてくるわけないでしょ! 離れて!」
「離れたら水が!」
「アンタが離れても離れなくても水は溢れるから速く! んで、アンタは着替えに行って司令室に戻る!」
「ハボック!」
「いいから速く! ここにいたってアンタは役に立たないでしょ!」
正論だ。だが、正論過ぎて大佐の耳には痛かろう。
「…………」
「速く!」
何度目かのハボックの怒鳴り声に混ざって、ポチャ、ポチャと沈うつな水を踏む音を聞いた。ギィ…。軋むドアの蝶番。まるで大佐の気持ちを代弁するかように恨みがましい音を立てて、その人は出て行った。無言で。

「くそっ! 止まらねえ! 何で窓まで割れてんだよ!」
その吐き出された悪態とは裏腹に、しばらくもせずに水音は小さくなっていった。力任せに壊れた部分を押さえ込んだのだろう。ならば、そこから先は一人で直すことは難しい。部品は方々に飛び散っていた。
俺は水が掛からないですむことを十分予測してから、床の水を漕いで、ドアを開けた。
鏡越しに目が合う。頭からびしょ濡れになった奴が、その垂れ目を僅かに見開いた。
「――よかったじゃん」
「…………」
「頼られて甘えられて」
途端に奴の肩ががくりと落ち込んだ。



(ハッピーハボック計画2の06に続きます)
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Q:ハボックさんの幸せって何でしょう?
A:やっぱり、ロイ、いえ大佐の絶対の信頼でしょう!! な〜んちゃってv 100%頼って、甘えてくれるのが幸せじゃないでしょうか? byかんな 
  2007/08/28
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アンケートにご協力下さいましてありがとうございました! 一年半越しで申し訳ありません。全部終わるまで2年掛かりそうな今日この頃です。えー、まだこのサイトを見ていてくださるといいのですが…。本当にすみませんです。えー、大佐がハボックさんを100%頼る状況について、アレコレ妄想した結果、このように。任務上のことでとも考えたんですが、それだと妙にハボックさんが格好良すぎてしまって。――アレ? もしかして、ハッピーハボックだから良かったのかも? あわわわ!あわわわわわ! ええっと、はい。ブレダさん辺りから見れば、大佐はいつも大抵ハボックさんを100%頼って甘えているように見えるんじゃないかなと思っています!
2009/04/12