HAPPY HAVOC PROJECT 2
03

大佐の定例会議終了予想時刻に合わせて、部隊訓練を切り上げてきたのに。――今更。そう、それは今更過ぎた。扉を開けた先、ここ、東方司令部の司令室で、中央勤務のその人が、我が物顔で東方司令部司令官の席に座っている姿を見ることは。だから、別に何か言うでもなかった。――ただちょっとがっくり来ただけで。
その人は周りの迷惑を考えることなど毛頭なく、当たり前にオレを呼びつけて言った。コーヒー、執務室にもってこい。3つな。ホークアイとロイとオレの分。あ、なんなら自分のも入れてくれば? このイラッとする感じすら今更だった。
司令室にいる同僚たちの同情を一身に集めていることを自覚しながら、敢えて口ごたえしないで給湯室に向かった。その人を自分の視界に入れておくのはできる限り最小限にしたかったし、ここで何らかのリアクションをしたら、相手を喜ばすだけだということをオレは今までの長い経験からようやく学んだのだ。



できるだけ時間を使ってコーヒーを入れて、執務室にもって行けば、3人が三者三様にソファに座って寛いでいた。前屈みになって賑やかに、とにかくしゃべりまくってるヒューズ中佐と、それを静かに、でも興味深そうに聞いているホークアイ中尉、適当な相槌を打ちながらソファに懐いてる、定例会議を終えたばかりの、オレに真っ先に気が付いてくれた大佐。はい、コーヒーです。つまんない会議、お疲れさまでした。――そう、心を込めて言おうとした瞬間、それを言わせはしないとばかりに耳障りな笑い声が上がった。
「わははははっ! こいつをなめるなよ。こいつはなぁ、戦場の山ん中で、足のマメ一つ潰して痛くて歩けないから背負ってって大泣きしたんだぜっ!」
大泣きしちゃった。迂闊にもその言葉が気になって、身体がぴたっと止まる。
今、顔を上げたら絶対中佐がにやにや笑ってるに違いない…。また、イラッと感が湧き上がってきた。でも、今度は絶妙のタイミングで、白い手が自分の隣をポンポンと叩いた。
「ハボ」
大佐が座れと言うなら、しがない少尉の身で逆らうことはできないのだ。にっこり。中佐が甘やかしすぎなんじゃねえのとかなんとかぶつぶつ呟いていてもオレには関係ない。大佐も、中佐の呟きなんて関係ないとばかりにきれいさっぽり無視して、オレににっこりと笑みを返してくれた。
「そんなことを言った覚えはない。それはお前の妄想に過ぎない。人聞きの悪いことを言うな」
なあ、ハボック。そう思うだろ?
もちろん、そう思います、大佐。
オレたちは非常に仲良く頷き合った。
「何をぬかす。オイ、俺の話を聞け。――あれがなんの作戦だったかは定かじゃねえけど、山の中だった。作戦終了後の帰還中に濃い霧が急に立ち込めてきて、ただでさえ疲れ果ててのろのろの歩みだった俺たちは隊とはぐれちまったわけよ。二人してな。しばらく視界が確保できるまでじっとしてて、さあ下山するぞってなってな。数分もしない内に、こいつ、真っ青な顔で脂汗浮かべて、しかも息まで切らして歩いてんのよ。一体何事かって思うだろ? おい、どうした? って聞いても、こいつは何も言わないで、僅かに顔を顰めて首を振るだけだった。これで何ともないなんて思える奴は人間じゃねえ。しかも、俺が前を向いて奴の前を歩いているとな、足を引きずるんだよ。音が聞こえんのよ。それも気付くか気付かないかって絶妙に小さな程度の。信じられるか? これが陰湿と言わずして何と言うんだ。もう絶対、強烈に具合が悪いか、足の骨でも折ってるかって思うだろ? 思わないなんてありえねえ。しかもっ! 問い詰めるとこいつは目に涙を溜めて、私を置いて先に行けなんて言いやがる。そのせいで、俺はお前を置いていけるかって真顔で言うことになったんだ。うわあ、恥ずかしい!」
「笑いを堪えるのに苦労した」
「笑いを堪えていたから、全身を震わせていたのか?」
「熱でも出たかと思ったか? だから、強引に私を背負って山を駆け下りたというわけか? あははははははっ!」
「くっそう。容赦ねえな。人の善意を弄びやがって」
「ほら、私が背負ってくれと言ったわけじゃないだろう?」
全くもってその通りです、大佐。
頷いたオレに、大佐がにっこりと笑った。ついでに、机のおやつ、持ってこいと無駄なく命じる。

「自分が楽をするためなら、親友をボロ雑巾のように扱える奴だよ、お前は。士官学校のころからそうだった!」
「それはお互い様だ」
騙し騙される関係って親友って言うのか。そんなどうでもいいことを考えながら、執務机の一番大きい引き出しを開け、その中にぎっしりと入ってるお菓子の中から、一番上のピンクの箱を取り出した。蓋を開けると、12個入りのマドレーヌが2個欠けた状態で入っている。正に食べかけのおやつ。これこそが大佐の言う机のおやつに違いない。
「あー! やっぱりだましたんだな!」
「それでヒューズ中佐は、『私を置いて先に行け』と言った、足のマメが一つ潰れただけの大佐を背負って下山したわけですね」
「――そう。マメ一つ潰れている以外どこにも怪我なんてなかったんだ…」
さすがの俺も愕然としたぜ。
「私は一言も足が痛いとは言ってない。私はただ酷く疲れていたんだ」
大佐、はいどうぞ。お望みのものですよ。
うん。ハボック。お前にも1個やろう。
いえいえ、オレの分は大佐が食べて下さい。その気持ちだけでオレは胸がいっぱいですよ。
そうか、そこまで言うなら仕方ないな。お前の分は私が美味しく食べてやろう。
ありがとうございます。あ、オレの分のコーヒーもどうぞ。
ハボック…。
大佐。
これ以上ないほどの理想的で模範的な上司と部下のやり取りを邪魔したのは、いつもの今更な男だった。
「ハボック、いいか、こいつはな、疲れているとどんな卑怯な手も躊躇なく使うんだ。肝に銘じとけ。俺はこいつのせいで足に直径10センチのマメを作ることになった。痛かった…」
「私の知ったことではない」
「そおっスよね。大佐が卑怯な手を使うのはいつものことだし、中佐が足にでっかいマメを作ったのは中佐が軟弱だからで、大佐の知ったことじゃないっスよね」
「そうだとも!」
それでこそ、アンタです。
黒い瞳がオレを映して、目元を和らげる。釣られるように、オレの顔も緩んだ。
「あっ、何よ。そんなこと言っちゃっていいと思ってるわけ? ロイ君ったら。こいつねえ、俺の背中で大泣きしたんだよ。どうよ? マメ一つ潰して泣いてんのよ! 俺の方のでっかいマメを見ろってんだっ!」
「お前の背中の乗り心地が余りに悪かったから酔ったんだ。吐くのを我慢していたんだ。お前の頭に吐いたら、絶対に私にも掛かるだろう。それは避けたい」
「乗り心地最低だとっ!? お前ね、一時間以上背負われててそれはねえだろ?」
それでこそオレの大佐だ。この人をボロ雑巾のように扱うなんて。
大佐は自分のコーヒーを飲み干し、オレの分のコーヒーカップに手を伸ばした。そう時間を置かずして、お代わりと言われるだろう。それを見通してか、ホークアイ中尉もコーヒーを飲み干した。今度は大佐の金で買った、高い高いコーヒーを入れよう。

「大佐は始めから背負われる気があったんですか?」
「そう! それだよ、中尉」
「作為的か、そうじゃなかったのかってことが重要だよな!」
「始めから背負われようと?」
「さあ」
「さあって、何よ!? ちょっとロイ君!!」
「実は、あまりに疲れていたのでその辺りの記憶が曖昧だ。はっきりと覚えていない」
「でも、お前はあの時、疲れているなんて一言も言わなかった。本当に疲れてたのかよ」
「覚えていない。記憶にない」
「どっかの政治家の答弁か」
「事実だ」
「おいおい、それじゃあなんだあ? 気が付いたら山の麓に着いてて足にマメが一つできてたってわけかい」
「乗り心地の悪いものに揺られたことはおぼろげだが覚えている、気がする…」
「おいおい。じゃあ、いつまで記憶がある?」
大佐は、一気飲みして空になったコーヒーカップをオレに渡して、そのまま背もたれに深く沈んだ。うーん。眉を顰めた大佐に、もう一杯、入れてきますかと尋ねると、間髪いれず返事が返ってきた。もちろん、と。
視界の端の端で髭と眼鏡の男が慌ててコーヒーを飲み干していた。
「作戦を終えたことは覚えている」
「酸欠でラリってた?」
「酸欠でラリることはない。むしろ逆の理由でラリることはあるがな」
「あー、なんだあ、真相が分かるとつまんねえの!」
持ってきたお盆に空のコーヒーカップ3つを乗せて、席を立つ。
大佐が大泣きした理由は予想に反して随分まともなものだった。大型練成して記憶が曖昧になるほど疲れていたから、涙が出ちゃった。――もっと大佐らしい理由かと思った…。

「――よし、お前はマメ一つのために親友に背負わせて山を降りたことにしろ。その方が実にお前らしいエピソードだ」
「人聞きが悪い」
「真相が何であれ、あの時、お前がマメ疑惑を否定しなかったせいで、俺が何度お前を背負うことになったと思っているんだ。お前はあれに味を占めたことは間違いない。二度目からも同じだとは言わせねえ。――ハボック、今後、似たようなことはあるなら、背負うのはお前の役目だ」
それでいいのか? 眼鏡越しにそう緑色の目が訴える。でも、それってこの今の平時の日常とそんなに大差ないんじゃないのか。なら、むしろ戦時下の方が幾分マシな気もする。
「問題ないっスよ。日頃から鍛えてるんで」
そう気概なく言うと、その目に俄かに見開かれ、敬意が浮かんだように感じた。
「お前…」
ホークアイ中尉が破鍋に綴蓋ですからと、木枯らしのような一言。でも、それを全力で否定することはできないのも事実で。なら、そそくさと退出するのが、一番無難な選択だった。あ、コーヒー入れてきます、と…。中尉にことわりを告げた瞬間、ヒューズ中佐がすっと立ち上がり、オレに右手を差し出た。
「ハボック、ロイを任せられるのはお前しかいない。これからもよろしく頼む」
もちろんその右手は、極自然に空になったカップをまず、お盆に置いたが…。
「はあ、んじゃ、大船に乗ったつもりでどうぞ…」
それを無視する適当な理由が思いつかなくて、一応、堅い握手を交わしておいた。



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Q:ハボックさんの幸せって何でしょう?
A:やっぱりヒューズに認められることじゃないでしょうか? ロイがいくらとっくに信頼してると言ってもやはりヒューズにロイのことまかせられる奴だと認められることがハボックは嬉しいんじゃないかな 二人が恋愛関係には無いと知っていてもハボックにとってヒューズは大きな壁であることは間違いないでしょうから 「死人には勝てない」とよくいいますが彼が死ぬ前にちゃんと認めてくれてたらいいなと思います。そしたらハボックも救われるなと。ハボックよ!死ぬまで努力!死ぬまで前進!おまえにはドサまわりが似合うよ! 
  2007/08/27
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アンケートにご協力下さいましてありがとうございました! 一年越しで申し訳ありません。まだこのサイトを見ていてくださると願いますが…。すみませんです。えー、シリアスでハードボイルド的に迫ろうか、極ありふれた日常の中でと迷いました。当初は前者で考えていたんですが、アドレナリン出まくりの吊橋効果的なヒューズの一言でない方がハッピーハボックっぽいかなと。う〜ん。日常のハボックのデフォルト的行動を目の当たりにしたヒューズからの、純粋な敬意。でも、面と向かって言うほど素直な人じゃないのでちゃかした風味で。――病室に一人でいて思い出すなら、こういう場面かなと思いました。そして、奮起してほしい。努力も、前進も、ドサまわりも、それがロイに関わることなら、飄々とこなしてしまう小憎らしい男、ハボック!!
2008/09/30