何代か前の、ウチの家系に山師がいたという。――もちろん、その結末は東部の僻地に住むことを余儀なくされた今のオレたちを思えば明らかだ。オレにばくち打ちの才能は皆無だ。なのに、オレはたった一人の男に、この先のオレの人生全てを賭けるという暴挙に打って出ていた…。
しかし、オレの一世一代の勝負はあっけなく幕引きを迎える。
上司が策を弄しすぎて、どこからか綻びが明るみになって責任問題に発展し、軍をクビになったのだ。あまりにあっけなかった。さらに、この上司に一連托生していた直属の部下であるオレたち五人もついでだと言わんばかりにクビになった。
その日の内に軍寮を追い出され、挙句の上に軍服等の配給品まで没収された。そのあまりの仕打ちにかつての部下から餞別代わりにと、ボロボロのダッフルバッグをオレは恵んでもらい、わずかな私物を乱暴に詰めて、誰よりも呆然としていた人の下へ急いだ。
きっとホークアイ元中尉やブレダやファルマン、フュリーよりも、あの人がこの現実を受け入れられずにいる。
一生を賭けた勝負には負けても、負けるが勝ちということわざがあって。
オレは出世の道が永遠に絶たれたとしても、幸せな家庭を築くという壮大な夢の勝敗がまだ付いていなくて。
だから、オレは今、ただひた走る。
アンタの人生はまだまだこれからだと言いたくて。
――荷物がほんの少しであることが不幸中の幸いだった。
ロイ・マスタング元国軍大佐は軍に差し押さえられた、今まで住んでいた自分の家を閉ざされた門扉の外から見上げていた。その黒い目には今までの力はなく、吹けば飛んで行ってしまいそうな雰囲気すらあった。
――突風が元大佐の体を揺らし、黒髪を容赦なく乱して、吹き抜けていった。
元大佐は乱れた髪を直すこともせずに、何をしたらいいのかわからないと言った様相でただ突っ立ている。その力ない姿を目にして、オレはさっきまでの意気込みが勢いよく萎んでいった。この人は途方もなく傷ついているのに、オレは何を言おうとしていたのか…。
「大佐……」
昨日までのエリート然とした姿は、瞬く間に過去の栄光となってしまったのだ。
悲しみに思わず声が漏れたら、案外しっかりした返事が返ってきた。
「――もと、大佐だ」
しかし、目線は相変わらず動かない。
オレは元大佐の後ろに立ち、自分が持ってる唯一のものになってしまったこの体で風をさえぎって乱れたままの黒髪を整えた。眼下には、星を剥ぎ取られた無位の肩章が見たくなくても目に入る。胸に深い痛みが走った。
「――行きましょう」
背後に慣れた気配が四つ。
何にせよ、今は仕切り直しが必要だ。オレたちにとっても、この人にとっても…。
とにかく、もう、ここにはいられないのだから。
肩に手を回し、ゆっくりと歩くことを促せば、従順に元大佐の足が動いた。それがほのかにうれしくもあり、悲しみを生んだ。
オレはこれが大勝負を負けることなのだと唐突に理解した。
こんなにもこの人を打ちのめすこととして…。
オレたちはホークアイ元中尉に連れられて、イーストシティ郊外の一軒家を仮宿とした。ここはかつて元大佐が軍に秘密で購入していた家だという。
元大佐は口数がめっきり減り、老成した猫のように、この家で最も日当たりの良い場所で日長一日昼寝をして過ごしていた。
元中尉も、ブレダも、もちろんオレも、元大佐になんて言っていいのかわからず、そっと、この人がしたいようにさせていた。時間だけが解決することもあると自分に言い聞かせて、元大佐がその黒い瞳にオレたちを映し出してくれるのを待った。
――最も忍耐力に欠けていたのは、予想外にもホークアイ元中尉だった。
この郊外の家に住み始めて4日目のことだった。お気に入りの、ビーズクッションとフリースのブランケットを抱えて、いつもの定位置で昼寝を始めようとした元大佐を、オレの耳がおかしくなっていなかったのであれば、ホークアイ元中尉が、―おい、無能と言って、呼び止めたのだ。
元大佐は驚いて動きを止めた。
もちろん、オレたちも十分驚いてその場に硬直した。――したために、元中尉の次の行動に何もできずに口をあけて見ていることしかできなかった。
ホークアイ元中尉は何の躊躇もなく、動きの止まった元大佐の襟首に手をかけると思いっきり反対の手で元大佐の顔面を殴った。
バキッっと部屋に響いた音は、元大佐の頬骨の砕けた音か、それとも元中尉の拳が砕けた音か…。
辺り一面に血飛沫が飛び、気を失った元大佐が床に崩れ落ちる。
「――ああ、すっきりした」
ホークアイ元中尉のその一言はあくまでも空耳だったと信じたい……。
突然のことに事態を把握できないオレたち男四人は息を潜めて、次に殺されるのは誰だろうと考えていた。しかし、断罪の鉄拳は元大佐以外には降りては来なかった。
「何をしてるの?病院に行くわよ。その無能を連れてきなさい」
元中尉がさっそうと踵を返して部屋を出たので、オレたちは慌てて元大佐を担いで後を追った。元中尉は、まだこの元大佐を殺す気はないようだった。
この時から、オレたちのボスはリザ・ホークアイ元国軍中尉となった。――いや、ずっと前からそうだった気もするんだけど。
元大佐の顔は元通りに完治するそうだった。腕のいい医者のおかげらしい。
ホークアイ元中尉の言うところによると唯一の取り柄さえもなくしたら、目も当てられないことになるから、ちょうど良かった、そうだ。
ホークアイ元中尉はさらに言った。
「私は100時間はほっとこうと思ったわ。でも、あの無能、私たちが何も言わないのをいいことに用意された食事に礼すら言わず、ただ食べては惰眠をむさぼっているんだもの。昨日なんてゆだれを垂らしながら太平楽に眠って、ホットココアが飲みたいとまで寝言で言う始末よ。今日も同じ態度を取るつもりなら、あの穀潰しを一発殴ってやろうと思ったわ」
そして、それを実行に移したというわけだ…。
病室で意識を取り戻した元大佐はその自慢の顔を大きく包帯で巻かれていたが、まるで憑き物が落ちたように清々しく笑った。
「目が覚めたよ。ホークアイ」
その元大佐の言葉に元中尉は静かに笑んで頷いた。
「あなたはぬるま湯に浸かっていると、すぐふやける」
「そうかな?」
「しっかりして下さい。人生はまだまだこれからなのですから」
元大佐はホークアイ元中尉を眩しそうに目を細めてじっと見つめてから、ゆっくりと俯き、かみ締めるように、そうかとだけ言った。
オレたちの間に流れる重い沈黙が元大佐の葛藤を思わせる。
しかし、元大佐はじきに顔を上げる。そう。すべてを振り切って。
でも、オレはそれを素直に喜べないでいた。オレが元大佐を力付けようと思って、言おうと思っていた言葉だったのに!ホークアイ元中尉に先に言われてしまうなんてっ!!
オレの気持ちをよそに、元大佐は予感通りにどんどん、どんどん調子を取り戻していった…。
「――この国を取るのに、何も内部から攻めるだけが方法ではない。今度は外張りを一つ一つ埋めていくやり方を試してみようか。と、なると先立つものは金だな……、…」
もしかしたら、オレは人生で唯一の、自分の立場を向上させる機会を失ってしまったのかもしれない…。その思いに突然、足元が覚束なくなり、しまいには床が崩れ落ちた。
オレ一人、奈落の底に落ちていく。
――焦って手を伸ばした感覚で、これが夢だったのだとわかった。
目が覚めて思ったことはいろいろあったけど、もし実際に同じチャンスを得るなら勇気を出して頑張ろう、だった。
夢の中で、自分はあまりに情けなかった…。
そして、これが初夢だったことに気が付いたのは、もう少し時間が経ち、気分が大分落ち着いてからで、オレは今年も散々な年になる気がした。
「ジャン、ファイト……」
今年最大のライバルは、リザ・ホークアイ中尉だとなんとなく思った。