FABULOUS!
春の気配を感じるようになってきた天気の良い日の午後、街の巡回は好ましい部類に入る仕事だ。

公園の片隅、噴水近くのベンチから華やかな空気が漂っていて、思わず目を奪われた。
双子の可愛らしい少女2人が手をつないで立っている。その少女たちの目の前の、噴水近くのベンチには、男とそれはそれは一際目を引く大きなバラの花束があった。その花束はきれいな包装などされてなく、花束と言うにはあまりに無造作で飾り気がなかった。男はその中から、数本のバラを手折りトゲを落として小さなブーケを2つ作る。双子の少女たちは正確なシンメトリーさながらに顔を寄せて、男の手元を覗き込んだ。きっとその目を期待に輝かせているだろう。少女たちはじっと動かない。人形になってしまったかのように、男の手で形作られてゆく花束を見つめていた。
男はふと思いついたようにズボンのポケットから、誰かへのプレゼントなのだろう小さな包みを取り出し、僅かな躊躇いもなくそのリボンを解いた。そして、そのリボンで自分の作ったブーケを飾る。少女の手には少し大きめなブーケが1つ完成だ。しかし、花束はもう1つあった。
男が首を傾げる。すると、少女たちもつられるように首を傾げた。

その3人の前に巻き毛のグラマラスな美女が立った。男と待ち合わせだったのかもしれない。男はその美女と一言二言となにやら言葉を交わすが、美女は首を横に振るだけだった。男は困惑し、公園内を見回した。



「ハボック少尉、あれってマスタング大佐ですよね?」
そう。アレは本日休みの我らがマスタング大佐だ。
興奮を滲ませた声色に、共に巡回をしていたまだ若い新人にちらりと視線を投げると、大佐にまだ夢を見ているのだろう、顔を紅潮させていた。
「ああ、そうだな」
そこだけ、世界が鮮やかに見える。そういう人だ。軍服を脱いでもそういう雰囲気は変わらない。
「――なんかドラマチックな人ですね」
そう言われても否定できないけど、オレはなんだか積極的に肯定したくなくて、言葉に詰まっていたら、―――あっと、思ったときにはもう遅かった。大佐は公園の隅にいたオレを目聡く見つけて、にこやかに手招きする。いつもの、飼い犬に対するような気安さで…。
「ハボック少尉?」
そこだけ別世界のように鮮やかな空間にいたたまれなさを感じつつも、オレは足を踏み入れた。まだ、顔の赤い新人をそこに残して。

肩を指差され、何を要求されているのかわかって、ため息混じりにそれを渡してやった。それは肩から外してしまえばただの黄色い紐だ。
大佐は地面に円を描き、その真ん中にそれを置いて手を付く。光があふれた後に残ったものは、ただの黄色いリボンだった。それを見て、少女たちが大きな歓声を上げた。
大佐はそのリボンでもう1つのブーケを飾り、少女たちに1つずつ手渡す。
少女たちは、それを受け取るとうれしそうに同じ顔を見合わせてから走って行った。途中で何回も何回も振り返りながら。

「ハボック、ちょうど良い。送って行け。薔薇が枯れてしまいそうだ」
その言葉に巻き毛の美女が勢いよく大佐を振り返った。私より、そんな花を優先するの?!と今にも聞こえてきそうな形相だった。
「では、また。マダム」
大佐はさっさと別れの挨拶をすると両手いっぱいのバラをオレに持たせて歩き出した。

「いいんスか?」
背中にまだ睨みつけている美女の視線を感じて。
「別に。ナンパされただけさ。――それに、こんなに天気が好いんだ。たまにはお前と散歩するのも悪くないだろう?」
「オレは仕事中なんスけど…」
ぶつぶつ言いながらも、オレは大人しく大佐の後ろを付いていった。
腕に抱えた、大量の春の日差しを集めたようなバラが歩く度に優しく香る。麗らかな時間に、一歩前を歩く大佐が大きな伸びをした。
長閑な裏道を3人縦に並んで歩く。置いて行かれまいとばかりに、さらにオレの後ろを付いてくる新人の存在だけがいつもと違っていた。



「ハボック」
「はい?」
振り返らずに歩みを止めてオレを呼ぶ人。オレは半歩だけ歩みを進め、背を丸め、大佐の笑みの浮かんだ口元に耳を寄せた。
「――あれを見たまえ。どういう状況だと推測するかね?」

視線の先には古い教会の門扉の前でキョロキョロと右を見て左を見て、また右を見るタキシードの若い男。右手にハンカチを、左手に白い手袋を握っていた。
可哀想に。それがオレの第一印象だった。
「はあ、えーっと、花嫁がまだ式場に着いてない新郎っスか?――同情します」
大いに同情する。男として。奴にはもう麗らかな春は来ないだろう…。
大佐はふうんと言ってオレを一瞥してから、後ろを振り返った。
新人が顔を赤くして一歩後ずさる。するとよせばいいのに大佐が二歩距離を縮めた。
「オレム准尉。君はどう思うかい?」
教会の前にいるタキシードの男のことだよ。彼は何をしていると思うかい?
そう大佐が繰り返すまで新人は口を開けてじっと大佐の顔を見ていた。近くで見る機会がないから、もの珍しいのは分かるが、オイ。
「―――は…? はい? 私でありますか? えっ…、その…、よく分かりません…。何か待っているようにも思いますが…」

大佐はその返事にしたり顔で大きく頷いて、また、タキシードの若い男に視線を戻した。
「うむ。では、国軍大佐であり、国家錬金術師であるこの私の推測を聞かせてやろう」
「何、もったいぶってんスか…」
うるさいと一言前置きして、大佐は朗々と語りだした。
「男は遠目で見ても発汗量が多い。そして、通りの左右を忙しなく見ては汗をハンカチで拭っている。しかし、そのハンカチは胸のハンカチーフではない、2枚目のハンカチだ。そう、男は胸のハンカチーフを汚せないと考えがあるのだ。これは式が執り行われることを想定してる」
はあ?
大佐はちらりをオレを見ると大きなため息を付いた。
どうやらオレは大佐の言わんとしていることがまるっきり分かっていないらしい。
「もしもハボック少尉が言うように花嫁が失踪してしまったなら、門扉で右往左往しているのは花嫁の親族の方ではないかな。まあ、つまりはもっと慌しい事態になってる。男は汗だけに留まらず、顔面は蒼白になり、膝が震えて立っていられないだろう。――花嫁は中にちゃんと用意をしているはずだ」
「アンタは何を言いたいんスかね」
だからなんだと少し尖った声が出たら、すぐさま後ろから、ハボック少尉とかなり尖った声を聞いた。
あー、はいはい。大佐様にこういう態度は良くないんだろ。よく分かってるって! でも、この人はこれがいいって言うんだからほっとけ!

あー、ほら。2人ともにらみ合ってないで私の話を聞きたまえよ。
にらみ合っていたら、投げやりな仲裁が入った。
無視されてることにようやく気が付いたらしい。
「――いいか、花だ。花。今夜、オペラ座に世界的に有名なオペラ歌手が立つんだ。しかも突発的に決まったたった一日だけの公演で、チケットがプラチナチケットになっている。街中の花は今頃全部オペラ座に集められているだろう」
「それが一体、あの男と何の関係があるんスか?」
「ハボック少尉、結婚式に花はつきものだろう? しかし、今日この日に、ただ道行く人に花を売る店はない。それでもあの男は花を届けてくれる店を待っているのだろう」
「来ますか?」
花のない結婚式。男はまだしも女は許さないだろう。花を手に入れるまで中に入ってこないでとか平気で言いそうだ。ああ、結婚する前から尻に敷かれているなんて…。
「来ない。来ないだろう。それでも来ると信じてあそこにいるんだ。ハボック」
でも、そう、ここに男の求める花がある。
しきりに汗を拭って、キョロキョロしている男の目に留まるように大佐の横に並んだ。ちらりと大佐を見下ろすとその口元には笑みが浮かんでいて、今度はちゃんと大佐の意図を読み取れたことが分かった。

程なくして、遠目にオレが抱えていた花束に気が付いた男は勢いよく走り寄って来た。矢継ぎ早に、街中の花屋が店を閉めてしまって花嫁のブーケすら手に入らないんですと言って、花を譲ってほしいと頭を下げた。きれいに撫で付けた髪を乱して。
「ハボック」
「はい?」
どれくらい渡したらいいんスか? そう思って、花束を包んだ新聞紙を解こうとしたオレの手を大佐は止めた。
「いいよ。いいんだ」
オレは腕に抱えた全てのバラを若い新郎に渡した。
「この薔薇は『ファビュラス!』と言うのです。こういう日のためにある薔薇でしょう? 今日と言う素晴らしい日を迎えられるあなたに」
「ありがとうございます! なんとお礼をしたらいいか!」
「――では、一本、いただけますか?」
大佐はきょとんとした男の手から、一本のバラを抜き取った。



教会を後にして、また裏道を3人縦に並んで歩く。大佐の手にはたった一本になってしまったバラが握られていた。それでも、その優しい香りは変わらない。
「そのバラ、どうしたんスか? 花屋で買った訳じゃないんでしょ?」
「知人の家の庭に咲いたんだ。オペラ座へ行くから分けてもらった」
「はあ?」
「リクエストさ。この薔薇を持って来いとな」
小さく肩を竦めた物言いから、顔を見なくても少し困ったように笑っていることが分かる。オペラ座にリクエストされてバラを持って行く。ならば、そのリクエストした相手は、その世界的に有名なオペラ歌手なのだろう。相変わらず顔が広い。
「―――顔すら見てない誰かの花嫁にほとんどのバラを渡しちまって、その世界的なオペラ歌手にはたった一本なんスか?」
滅多に会えない遠くの女より、困っている身近な女にこそ優しく。それこそオレが知るロイ・マスタングのスタンスだ。
「彼女は今日、街中の花を独り占めしているんだ」
だから、いいだろう?
肩越しに向けられた視線には、思った通りの苦笑が浮かんでいた。
「でも、たった一本?」
アンタらしい。そう思って言ったオレの言葉に、大佐は残ったたった一本のバラに視線を落とした。花屋が営業してなくたって、この人が望めばどんな花屋だって花を抱えてやって来るだろう。でも、この人は花屋の売る花より、庭に咲いた花を選んだ。たった一本になっても、そのバラが特別なバラであることに変わりはない。―――しかし、大佐にはそうではなかったようだ。大佐はじっとバラを見てから、にっこり笑って、おもむろにオレに差し出した。ならば、この最後の薔薇はお前にやろう。断ることを許さない迫力のある笑顔だった…。



道沿いに続いた階段を上ると、そこからイーストシティを一望できる高台に出る。高楼を備えたランドマーク的存在である教会やその広場、メインストリートはいつものように賑わいを見せていた。
オペラ座はそんな世間とは無関係な場所にある。街全体を見下ろすように建てられた上流階級の社交場。街の大半の人間にはここに縁などなく一生を終えることになるだろう。
でも、今日ばかりはいつもとは違った。キャンセル待ちで列を作る人たちや、贈り物を手にした人たち、人目でもその歌手を見よう集まってきた人たちと、たくさんの警備員が賑わいを見せていた。
そんな中、大佐は笑顔一つでオペラ座の門を開かせて、入って行く。
そこはむせ返るほどの花という花で埋め尽くされていた。赤い絨毯も金色の手すりも天井のシャンデリアすら、花束でその存在感を奪われていた。
ホールの分厚いドアを開けば、歌声が聞こえてくる。リハーサル最中だった。

「ロイ!」
突然、歌うのを止めた今日の主役は歌姫と称するにはちょっと年を重ねすぎていて、ちょっと横に広がりすぎだった。それでも、客席の一番後ろから入ってきたオレにすら分かるほど、彼女は体中で嬉しいと笑った。大輪の花が咲くと言うより、太陽がスパークすると言った方が的を得ているかもしれない。
オーケストラが演奏を止めると、大佐が、振り返ったボックスの中の指揮者に失礼を詫びるように軽く頭を下げた。
歌姫は、堂々と悪びれることなく舞台の上で両腕を広げて大佐を待っている。

「お久しぶりです。マダム、相変わらずお元気そうでなによりです」
「今夜は来れるの?」
「――無理でしょうね。上役たちが行きたがっているそうなので、今夜は司令部へ呼び出されてお留守番を申し渡されるでしょう」
「今夜の舞台、東方司令部に場所を変えようかしら」
「マダム…」
大佐は歌姫の待つ舞台へと上り、彼女が求める抱擁と親愛の情が篭ったキスを贈る。

「―――ロイ。薔薇はどうしたの?」
ギクッとした。
その歌姫の一言に、オレは周囲からから隠すように後ろ手に持ったバラを震わせた。
付いて来いと言われて、素直に物珍しさが勝ってこんなとこまで付いて来たことを後悔してもすでに遅い。どうしてオレはちっとも学習しないんだろう。毎度毎度これでえらい目に合ってるのに。冷や汗が背中を伝った。
「イーストシティの花という花が今ここに運ばれています。この街の花は私の花と言っても過言ではないでしょう。どうぞお受け取り下さい」
「まあ! あなたが自らその手で贈ってくれた薔薇を胸に飾って歌おうと思っていたのに。今夜は、顔も知らない人から贈られた薔薇を胸に飾って歌わなくてはならないのね!―――でも、私の歌を聴けない可哀想なあなたを思えば、それも仕方ないわね」
あまり残念な風もなく、朗々と笑う歌姫。人工のライトの下で、まるでそれは劇の一幕のようだった。大佐はポケットからリボンの解かれた小さな包みを取り出した。バラの代わりに用意したものですが、と言いながら。



「少尉………」
先に司令部に戻るタイミングを掴めず、結局ここまで付いてきた新人がそれはもう居たたまれなさそうに声を震わせた。その視線はオレが持っている、歌姫に贈られるはずだったバラに注がれている。
気持ちは分かる。オレだって許されるなら煙草が吸いたいし、そもそもここから走り去りたい。つうか、このバラは一体どうしたらいいんだろう…?
「FABULOUS!」は白い、花心が少しクリーム色な、丸弁の四季咲き中輪の薔薇です。
2007/06/27