大佐のお供でやってきた国立図書館の特別書庫に大佐と2人閉じ込められた。
計らずしも焔の錬金術師を閉じ込めてしまった警備員には、悪意も落ち度もなかったに違いない。ここが単に立ち入りを厳重に制限された書庫だったから、書庫の奥の更に奥まで確認せずに鍵を閉めただけだ。それに、もしここが特別な書庫でなかったとしても、かくれんぼをしてる訳じゃないんだから、ダンボールの中まで人がいるか確認することはないだろう。
そして、特別書庫にいる間、禁煙を言い渡されたオレが寝ることしか思い浮かばなかったのは当然のことであり、オレに落ち度はない。全くない。寝ることしか考え付かなかったオレが書庫の隅っこの重なり合ったダンボールの上で寝てたことは当たり前のことなのだ。―――そう。大佐がでかいダンボール箱の中で眠りこけてしまわなければ、こんなことにはならなかった。
国立図書館の最下層にある特別書庫。そこは中に入っている本も特別だったが、それを囲む壁も扉も鍵も特別製だった。国家錬金術師たちが、許可なく無断で中に出入りできないように幾重にも錬金術のトラップを掛けていた。そして、そのトラップを仕掛けた一人である大佐はそれを抜けてここから出ることを早々に放棄していた。再び掛け直すのが実に面倒なのだと言って。―――んじゃあ、どうしたら出れるんスかねと繰り返し聞いても、朝まで待てと実に素っ気無い答えが返って来るだけだった。
だけど、朝になっても昼になっても誰もこの書庫に近づいてくる気配はない。特別な申請書がなくては入れない場所だった。近づく人すらほとんどないに違いない。―――もしかして、ここから出るのはそう簡単じゃないんじゃないか? そう焦りを感じてきたのは閉じ込められて有に15時間以上経った昼を過ぎてからだった。何か、面倒くさいとか言ってる場合じゃないんじゃないのかと、オレは漸く事態の深刻さに気が付き始めていた。
禁煙なんか12時間前に止めていて、手持ちのタバコは既になくて。大佐はそんなオレと視線を合わせることなく、ただただ本を読み続けている。
こういうとき、本当に日頃の行いの大切さを思い知る。東方司令部の人間なら、15時間ぐらい大佐と連絡が取れなくなっても、さぼり癖のある人だからほっとけと言って取り合わない。つまり、東方からの助けは期待するだけ無駄だった。
じゃあ、どうしたらここからでることができるんだ? その答えは目の前にある。―――こんなアホなことをしてくれたロイ・マスタング大佐がどうにかするしかないのだ…。
それでも、大佐をどうすることもできなく時間は空腹を酷くして過ぎて行った。
一際大きな、オレの腹の虫が書庫に響く。
すると、大佐が無言でポケットから一枚の大判のクッキーを取り出した。顔見知りのカフェの女の子に三日前にもらった手作りのクッキー。大佐はそれを無造作に二つに割り、一方をオレに差し出した。この際、食えればカビてても何でもいいオレはそれを受け取って、―――受け取って思わず、自分の手の中にあるものと大佐の手の中にあるものを何回も、見比べた。自分の手の中にあるクッキーと、大佐の手の中にあるクッキー。明らかに大佐の持ってる方が大きかった…。
「ちょっと、それってどうなんスかね?」
尖った声は禁煙を余儀なくされているからだ。いわば、女の生理にも似たイライラ。オレはそれを取り繕うことはしなかった。
「――どうって、等分だろう?」
大佐はいけしゃあしゃあと言った。
「等分? 本当に等分なんスか? それに、そもそも、等分って何っスかね?」
大佐がもらったクッキーを分けてもらえるだけマシと頭のどこからか聞こえてきた気もしたが、口を閉ざすことは出来なかった。
「ハボック?」
「これはおかしいでしょ?」
「はあ?」
「ちゃんと半分じゃねえし。そもそも、オレと大佐で分量的に半分って、ありえねえ気がするんスけど…」
オレを見る大佐の目が鋭く光った。それでも、こんなことになった責任は大佐にあるんだからここはどうしても一歩も譲りたくなかった。
「………………」
「ひ、必要なカロリー量って体格にひひひひひひひれいするでしょ?」
でも、その黒い瞳の無言の圧力に声が裏返る。
「………………………」
「し、消費カロリーも運動強度にひひひひっひひひれいして、大きくなってくし…」
きっと大佐も自分が悪いと思っているから、敢えて自分がもらったクッキーを一人占めせずにオレにも分け与えようと思ったのかもしれない。謝りはしないが、食い物でこの事態の責任の所在をうやむやにしようとする気なのだ。
オレはここで口を噤むわけにもいかないような気がした。
「………………………………」
「そ、そういうのって考慮しないんスか、いや、フツーするっしょ!」
激しい目の前からのプレッシャーに嫌な汗が背中を伝って落ちていった。
「………………………………………」
「と、等分ってこうでしょ」
できるだけ大佐の顔を見ないようにして、大佐が手にしている半分に割られたクッキーを更に半分を割った。大佐の手には1/4になったクッキーが残る。
「………………………………………………」
そして、オレのクッキーは3/4になった。思わず頬が緩んだ。
「―――本当にそう思うのか? 思っているのか?」
「は?」
「熱量の約20%は脳が消費する」
「はあ?」
「人間の脳は摂取カロリーの約20%を消費する。人体の中で脳は1キロ、2キロの器官に過ぎないが最も多くのエネルギーを必要としている」
「………………」
「だが、これは一般化した場合だ。お前は、お前と私の脳が必要とするエネルギーの割合が同じだと本当に思うか?」
「………………………」
「お前はどんなに好意的に考えても10%未満だろう。ならば、生命を維持するために必要な総カロリー量も少ないということだ」
「………………………………」
「だが、私は? この類稀なる優秀な頭脳を持った、この私は? ―――そうだとも。どれほど控えめに言っても人の倍は必要としているだろう。つまり、私が生命を維持するために必要な総カロリー量は体格と運動強度から判断する以上に多い」
「………………………………………」
「真に等分と言うならば、こうだな」
大佐はもっている1/4のクッキーを更に半分に割り、その半分をオレに差し出した。思わず受け取ろうとして出してしまった手の上にはオレの3/4のクッキーが乗っていた。大佐は流れるような動作でオレのクッキーを奪い取り、代わりに1/8になったクッキーを置く……。
大佐はほとんど一枚になったクッキーを食べるでもなく床に置いて、また本を読み始めた。
「あ、あの…」
「………………………………」
「本気じゃ、ないっスよね…」
「………………………………」
「本気なんスか?」
「………………………………」
「あの、…………………」
無言の返答は空腹を煽り、視界を水っぽいものが覆った。
なんでこんなことになっちゃったんだろう…。
オレ、何かしたかな…。
これってオレのせいなのかな…。
グスっと鼻を啜ったオレに大佐がぼそっと言った。
この窮地をお前の体力でもって解決を図ろうとするなら、私はお前が主張する等分で構わない、と。
体力でここから出れるなら15時間前に既にやってる。
そう思っても、腹が減りすぎてぐうの音の一つも出なかった。オレは酷い敗北感のまま項垂れ、頷き、大量のクッキーに手を伸ばした。
全部がオレの胃袋に入ると、大佐が本を閉じて立ち上がり、嫌な笑みを浮かべてオレを見下ろした。ああ、悪寒がしてきた………。