事の発端は不審者を見かけたという善良なる市民からの通報だった。
もちろん、市民と良い関係を築いて行きたい東方司令部はどんな些細な通報であっても無視しない。誰かが、主にオレかオレの部下か司令室の偶々手が空いていた奴が、誰かの、主に大佐の、命令で現場に行って初動調査をする。
この地道な行為こそが東方のテロ検挙率を国内一位にしていると信じたい。
今回の通報もちゃんと手を抜かずに調査した。――した結果、長くマークしていたテログループの動向を掴むことができて、一斉検挙と金一封の期待にオレたちは大いに盛り上がった。久しぶりの派手な捕り物になるだろうと…。でも、そうなると大佐が堂々と出てきてそれまでちゃんと立ててきた作戦を台無しにする可能性か過去の経験から容易く考えられた。オレたちは期待と不安で苛まれていた。そして、先手を打つべくその事態に備える。オレは大佐に報告する前にブレダに相談した。その結果、大佐のことはホークアイ中尉に報告することが最善であろうと結論に達する。いつもの結論だったが、これが最大にして唯一の結論であった。
そのテログループの根城の向いには小さいが雰囲気の良い教会がある。オレたちの、主にブレダが、立てた大まかな作戦はこの教会で行われる結婚式に軍人を潜り込ませて、一斉にその根城を押さえるという人海戦術だった。結婚式ならたくさんの人間を配置してもそう不自然に見えない。だが、ホークアイ中尉は、どうせなら軍人が結婚式を挙げたら良いと言った。
確かにそうすれば、民間人を危険にさらすことはなく、教会に軍人が軍服で集まっていても自然で尚且つ相手を油断させ、経費削減もできる。
だが、そうなると人選が問題になるだろう…。軍に女性は少ない。その結婚式に主役として立たざる得なくなるのは目の前の人が有力だと思われた。中尉はそんなオレたちの想像に笑顔を浮かべて、作戦の決行と人選の一任を請け負ってくれた。大佐のことは任せておいてと頼もしい一言を添えて。
その後はその作戦を知ったヤツらは一体誰が花嫁役をやるのかで盛り上がった。軍内に女性は少ない。仮初でもいい。結婚式の真似事をしてみたいと密かに夢見るヤツらは多かったが、ホークアイ中尉に直接立候補しなきゃならないと知るとただただ白羽の矢が自分の頭上に降ってくることをただ星に願っていた…。
あれやこれやと作戦当日、作戦に参加する者は全員礼装で教会に集結した。
ホークアイ中尉も礼装で、その腕には純白の衣装が抱えられていた。野郎どもの視線を釘付けにしながらそれをいつものように冷ややかに無視して、中尉はオレを連れて教会の奥、新婦の控え室に向かった。
廊下を歩きながら、ホークアイ中尉は振り返らずに言った。
「ハボック少尉。ウエストの10センチや20センチぐらい、何とでもなるのよ」
よく見るとホークアイ中尉の持っている衣装の中に拷問器具のようなコルセットがあった。嫌な予感がした…。今日はまだ朝から一回も大佐を見ていなかった。
「あー…、中尉、大佐をどうやって司令室に閉じ込めてきたんスか?」
オレは普通にここに大佐が来てないと思っていた。オレがあの人の護衛だからというより、あの人は目立つから。雑踏の中にあってもあの人がそこにいるなら知らず目が追ってしまうし、気がつけばあの人を中心に群れが出来上がっている。だから、どんなにサボって、変なとこで寝ていても、簡単に見つけられる。つまりは、ここに姿が見えないなら、ここにいないという認識があったのだ。大概にして、今までは…。――今は、期待を込めてここにいないと言われたい。
「――ハボック少尉」
肩越しの冷ややかな眼差しが淡い期待を裏切っていた。
アレが大人しく司令室にいるようなタマだったら、今までの苦労は一体何なのか、そんな眼差し…。
「誰よりも早く来てもらったわ」
それはどこにですか、中尉…。
「こそこそ隠すから、どうしても邪魔したくなるのよ。本当に邪魔されたくないなら……」
「ないなら…?」
廊下が終わった。もう前には一枚の使い古されたドアしかない。ホークアイ中尉が新婦の控え室のドアをノックした。中から、女性にしては低い声でどうぞと返事がする。ああ、聞き慣れている声に似ている。――その声の持ち主は男だけど…。
中尉はドアを開いた。
窓から明るい日差しが差し込む新婦の控え室には牧師とにこやかに歓談する普通の軍服のの大佐がいた。恐ろしいことが迫ってきている予感に体が震え、どうにもその部屋に入りたがらないオレの足。
中尉はさっさと新婦の部屋に入っていった。
「ハボック少尉。本当に邪魔されたくないなら、目立つ役割を与えて、邪魔するヒマを与えなければいいのよ」
そう小さく呟いて。
偽装といえども、大佐と中尉の結婚式なんてリアルすぎてヤバい。何がどうヤバいかいまいちわからないけど…。今夜はブレダのヤケ酒に付き合うことになりそうだった。
今日は軍に協力していただけて感謝しています。
いえ、マスタング大佐、それは市民の義務ですよ。
それに何か特別なことをする訳ではありませんし。今日もいつものように祝詞を上げさせていただきます。
よろしくお願いします。
…………、そう言えば、私もあの家は何かあると思っていたんですよ…。
牧師と大佐が世間話に花を咲かせている間、中尉は白いドレスをソファに広げ、更にいろいろなものを並べていく。とにかく白い布が大量に…。そう言えば、かつて出席した軍人同士の結婚式は男女共に礼装だった。
じゃあ、これは誰がきることになるんだろう…。頭が現実逃避気味に考えることを早々に放棄していた。
「――マスタング大佐、そちらの彼は?」
話が突然無邪気に振られて、部屋の中の3人の目が部屋の外に突っ立ってたオレに向いた。
「ハボック、どうした?変な顔をしているぞ。まあ、いつものことだと言えばいつものことだが。犬の糞でも踏んだか?ならば、そこにいるのは正しいがね」
今、オレがここにいることに気が付いた大佐に、……。
「――彼が今日の主役の一人です。なので、新郎が着替えの終わっていない新婦の控え室に入らないのは正しいことです」
寝耳に耳な話を当然のようにする中尉。
しかし、中尉の言葉にひげ面の牧師が目をむいて驚いて、激しく咳き込んだ。
「ホ、ホ、ホークアイ中尉はどうなさるのですか…」
「私は、もちろん、新婦側の次席に座ります!」
変な沈黙が部屋に流れた。
「―――ならば、誰が新婦役をするのかね?ハボックか?」
そんなわけあるか…。
「さあ、もう準備を始めなければ間に合いません。出て行ってください。牧師さまも、ハボック少尉も」
「わ、わ、私はっ?」
「ここにいてくださって結構ですよ?」
大佐は困惑に言葉を詰まらせた。その間に牧師が3回瞬きをしてからぎこちない足取りで部屋を出て、扉を閉ざした。
再び薄暗さに包まれた廊下に安堵を感じて、胸を撫で下ろしたオレに、牧師が安全性を第一に考えた配置なのでしょう。さすが、マスタング大佐としきりに感心して足早にそこから立ち去って行った。
+++
新婦の控え室が閉ざされて10分もしない内に、締め切られた部屋から大佐の悲鳴と呻き声が辺りを憚らず響いていた。オレはその部屋の前で1人、額に汗を浮かべながら突っ立って、ただそれを聞いていた。
きっと、作戦に参加したいといつものように駄々を捏ねるだろう大佐に先手を打って、作戦に重要な役で参加して欲しいと言ったんだろう。大佐はとにかく深く考えず頷いて、そして、今教会の一室で、コルセットに呻き声を上げている。
時々、肋骨が折れる…!とか、息ができない…!とか涙混じりに許しを請う声に、ホークアイ中尉の叱咤する声が混ざった。
しばらく経って部屋からは何も音がしなくなった。
ここで入っていったら、中尉にぶん殴られるかもしれないと思うとドアノブを掴んだ手が回らない。
その姿勢で固まっていたら、ブレダがオレを呼びに来た。配置は全部終了した、と。
そうだった。
今日はオレと大佐の結婚式じゃなくて、テログループを一斉検挙する日だったっけ…。
「後は、お前が位置に付いたら始まりだってさ」
重い足で向かった聖堂は緊張感に満ちていた。中央のバージンロードを挟んで並べられた祭壇下から後ろまで続く長椅子には、礼装の軍人が背筋を正して隙間なく座っている。
――お前は祭壇の前の階段の前で立ってろ。その後、あの人がヒューズ中佐にエスコートされて来るから、そしたら、一緒に階段に上がって、祭壇の前で牧師の話を聞く。聞き終わったら、バージンロード歩いて、退場だ。ブレダから聞いた簡単な説明を反芻して、聖堂に足を踏み入れた。そこには偽装だなんて雰囲気は微塵もなく、会場全体に漂う緊張感に否がおうにも煽られる…。衆人の視線を一身に受け、息苦しと目眩を感じ、列席者の最前列、バージンロード脇、一人分を空けて、座るホークアイ中尉を見つけた。
いつの間に、あの部屋から抜け出てきたんだろう…。
オルガンが演奏され、後方のドアが開いた。そこから、何故か、ヒューズ中佐が、純白のベールに覆われた花嫁と一緒にバージンロードを歩いてきた。花嫁役の、――おそらく大佐が、ブーケを片手に少し俯き加減にゆっくり歩いてくる。その姿はまるで本当の女性のようだった。ウエストの締まっていない、床を引きずるほど長い白いドレス。それでもウエストの細さを伺わせるほど美しいドレープが一歩一歩歩くたびに姿を変えた。ベールに透ける黒髪がその人を辛うじて大佐だと証明している、のかもしれない。
静粛な会場がその美しい花嫁の姿にざわめいていた。
祭壇下の、オレの前でヒューズ中佐にエスコートされた大佐を譲り受けた。幸せにしろよ。泣かせんなよ。馬車馬のように働けよ。口ではなんて言おうとも、ヒューズ中佐の目は真剣で、その言葉にオレも負けないぐらい真剣に頷いた。ひもじい思いなんて絶対させません。幸せにします。オレに任せてください。中佐の目が涙できらりと光った。
今度はオレが祭壇へ続く道をエスコートする。
そっと腕に添えられた、白い手袋で覆われた手は微かに震えていて、オレが頑張らなきゃならないんだという気持ちが問答無用に高まる。
祭壇前に2人で並んで立って手を握った。祭壇にはさっきの牧師が粛々と佇み、簡単な祝辞を口にして、聖書の1フレーズを朗読する。古い言い回しのそれはよく分からなかったけど、その最後に、〜誠実に尽くすことを誓いますか?と愛の誓いを問いかけられた。
I willと答えると、隣で、大佐もよどみなくI willと答える。握っていた手に力を込めれば、ぎゅっと握り返してくれる。
そして、愛の誓いを。
大佐と向かい合い、オレはそっと顔を覆うベールを捲った。うっすらと涙を称えた黒い瞳がもの言いたげにオレをじっと見つめ、口元が薄く開き、戦慄いていた。ああ、大佐だ。ロイ・マスタングだ。オレが好きで好きで堪らない人だ…。きらきら光る黒い瞳から目を離せず、じっと大佐と見詰め合って、牧師の言葉を繰り返した。
良きときも、
悪しきときも、
富めるときも、
貧しきときも、
病めるときも、
健やかなるときも、
例え、どのような事が起ころうとも、
命のある限り、
あなただけを、
愛することを誓います。
重なる声は聖堂を満たした。
感動した。オレは猛烈に感動した。
ああ、この人と結婚するんだ。オヤジ、オフクロ、弟妹たち…。こんな急な式だったから呼べなくてゴメン。田舎にこの人を連れて帰ったら、もう一度式を挙げるから。一度と言わず、何回だってしてもいい。
結婚指輪の交換をして、結婚宣言を牧師から高らかに告げられ、キスを。この人と衆人の中でキスができる日がくるとは夢にも思わなかった。
でも、これからはそれが許される…。
そっと触れたピンクの唇は小さく戦慄いていて、吐息が甘かった。感極まったまま、ぎゅっと抱きしめるとオレの耳元で大佐が喘ぐように小さな声で言った。
「ハボック、苦しいんだっ……!」
その極まった嗚咽交じりの声に驚いて、胸を離すと、宝石のように煌く瞳からポロリと涙が零れた。
オレもこの幸せに胸が押し潰されそうで、苦しさすら感じます…。
「胸が苦しいんですね。大丈夫です。オレがいます。ずっとずっと、オレがいますから!」
「ハボックっ…!」
ぐっとまたその体を抱き締めると、白いドレスに包まれた体がふっと、後ろに傾いた。
もうアンタ一人の体じゃない。その体を優しく支えて、祭壇前から降り、バージンロードを歩いた。祭壇に背を向けバージンロードを眼下に収めれば、大きなドアの上に大きなステンドグラスが飾られていて、薄暗い聖堂内を幻想的な色とりどりの光で彩っていた。
列席してくれたヤツら、全員に礼を言いたい。そう思って全体を見渡すと、最前列の椅子にヒューズ中佐とホークアイ中尉が並んで座って、2人とも白いハンカチを手に涙を拭っていた。ヒューズ中佐が号泣し始めて、ブビーっと勢いよく鼻をかんだが、それすらなんだか微笑ましかった。
誰も彼もオレたち二人を祝福して見えた。
バージンロードを踏み越えて、外に続くドアを開いた。
明るい日差しが大量に差し込み、その眩しさに目を顰めた。――その瞬間、地を揺るがすほど大きな祝福の声に、勢いよく青い空に舞う軍帽。そして、花びらも、ライスも、めでたいものはなんでも飛び、教会の中の式に参列できなかったヤツらも外でオレたちの結婚を祝ってくれた。美しい花嫁に誰もがオレを幸せものと手荒く肩や頭を叩く。
「マスタング大佐、ブーケトスを!」
ホークアイ中尉の叫びに、大佐が中尉に手渡すようにブーケを渡してしまって笑いを誘った。それじゃブーケトスになってませんよ、と口々に上る。
美しく、愛らしいオレの花嫁を近くで見ようと、ごっつい男どもが人をかき分けるように迫ってきて、オレは大佐を抱きかかえた。長いドレスの裾が踏まれたらもったいないし(オレの田舎でもう一回来てもらう予定だし)、誰にも触られなくなかったから。
ヒューズ中佐は、エリシアは絶対嫁になんかやんないと言って泣いていた。
青い空に翻る白いベールに、オレは永遠の愛をもう一度誓った。
軍人たちの興奮に多くの人が足を止め、オレの美しい花嫁に祝福の言葉を投げかけた。オレは満面の笑顔で礼を言う。教会前の広場はとにかくものすごい人で溢れかえっていた。
+++
後でブレダに聞いた話によると、このとにかく予想外の大騒ぎに、マークしていたテログループも興味を引かれたらしく、全員揃って噂の花嫁を一目見にその根城から出てきたらしい。そこをさりげなく近づいて一斉検挙、というあまりにあっけない終わりだったという。
それから、後で分かったことがもう一つ。何にも知らずにドレスを着ることになった大佐の肋骨にはヒビが入っていた。捕り物が無事終わったと知らせを受けると大佐は倒れ、病院に運ばれて判明した。ホークアイ中尉に装着されたコルセットがきつ過ぎたせいらしい…。肺をも圧迫したコルセットは息も満足にさせず、歩くことすら苦痛を生んでいたために、ああも大人しかった、らしい。軍病院で意識を取り戻した大佐はしばらく誰とも口を利かなかった…。