「――よっ! ブレダ少尉!」
日差しが温かくなってきたというより、むしろ最近は暑さすら感じる。そんな気候に変わりつつあった。故に、ここでは大抵眉間に皴を寄せている少年も、明るい笑顔にならざるえなかったのだろう。少年らしい高い声で元気に挨拶をくれた。
「面倒なことをとっとと終わらせに来たんだ」
少年がこの明るい笑顔のまま、旅立てるように協力は惜しまない。
そんな気持ちにさせるほど、今日は天気が抜群に良かった。
「今ならまだあの人、執務室で真面目に仕事してるぜ」
後一時間もしたら、この天気に誘われるようにして行方を眩ませてしまうだろうが。そう言えば、少年も言わんとすることを察して、笑い声を上げた。
扉の向こう側から響くその声は途切れなく続いていた。
――容易に想像が付いた。別にいつものちょっとした会話に触発されたファルマンが言わずにいられなかった薀蓄を披露して、それに興味をもった大佐がじゃあそれを行ってみようとか言い、そして、それがその場に居合わせたホークアイ中尉の琴線に触れ、ハボックは長いものに巻かれた。そして、事態がそうあるべく迷走して行ったということを。
幸か不幸かこの東方司令部において、それはいつものことだった。だが、隣で固まっている、久々に東部に帰ってきたエドにとってそれは全く免疫のできていない未知なるウィルスとの遭遇にも似ていた。執務室の扉の前に立ち尽くすその少年の姿を見れば、その衝撃たるや計り知れない…。
「大佐! もう少しです! がんばってください! はー! はー! ふー! はー! はー! ふー! ハボック少尉、休まずに扇いで!」
「中、中尉っ…! はー! はー! ふー…」
「大佐、ここにいます。水を飲みますか? 何か欲しいものはありますか?」
「はあ、はあ…! んっ…! い、いたいっ!」
「大佐!」
「少尉、大佐の腰をさすって! 大佐、はー! はー! ふー! はー! はー! ふー!」
「中尉…、はー…、はあ、ふうー…。く、苦しい…!」
「大佐! はー! はー! ふー! はー! はー! ふー!」
「ハボック…、はー、はー…、ふー……。んっ! ハボ、腰じゃ、な、くて…、手を、握って、て、くれ…」
「大佐っ!! はー! はー! ふー! がんばってください!!」
「大佐、力を抜いて下さい」
「んっ…! はー…、はー…」
「大佐! はー! はー! ふー!」
「痛みの感覚が狭まってきましたね。もうすぐです」
「大佐! はー! はー! ふー! もうすぐですよ!」
「はー、はー…、んっ、ふー……。ハ、ハボックっ!!!」
「大佐!」
「大佐!!」
「――子宮口開大です。生まれます!」
「あ、あ、あ、あっーー!!!」
怖いもの知らずの少年にも理性の限界は訪れる。止めるまもなく、少年はこの事態の収束を向かえるために、果敢にもその異次元へ続く扉を開けた。
そこにはソファにでろんと寝そべった大佐と、その大佐の手を握ったハボック、足元にはファルマンとホークアイ中尉が並んで屈んでいた。そして、4対の目は意外なほど冷静な目で無許可で扉を開けた珍入者を見返す。
「あら、エドワード君。こんにちは。東部に帰っていたのね。ブレダ少尉、何かありましたか?」
「…………」
少年は再び固まった。そのダメージを慮って、きっとエドが今一番言いたいであろうことを口に出してみる。
「えーっと、何をしてるんですか?」
「足つぼマッサージよ。ファルマン准尉が疲れが取れるというものだから、大佐にしてもらっていたの」
淀みない返答。ああほらやっぱりいつものこの人たちの遊びだ。そう思えるようになったのは、何回も似たような事態に晒されて免疫を獲得したからだ。その内、この未だ事態を飲み込めていない少年もきっとこれに慣れてしまうだろう将来を思い、途端にしょっぱい思いがこみ上げてくる。
「――ドアの外まで、子宮口開大って聞こえましたが…」
「ああ、それは大佐が足つぼマッサージをことのほか痛がるから、ラマーズ法で疼痛緩和を図っていたのよ」
「…………」
少年の身体がふらりとよろめいた。それはあまりに同情の余地がある常識的反応だった。
窓から差し込む眩しいほどの日差し。それがこの事態をより一層滑稽にしていた。