大佐はつらいよ東方望郷編序
01

朝、いつものように出勤したら上司が変わっていた。
外が雨だったから、雨の日は別の人が担当になったのかと瞬時に思ってしまった俺は随分暢気だったと思う。

その日、雨の日は役に立たない人の席に、30代後半ぐらいの茶髪の大佐が座っていた。司令室に入ってくる奴らは、朝の挨拶に口を開く前に正面の席にいつもと違う顔を見てしばらく固まってから、思い出したようにぎこちない敬礼をした。そして、その東方司令官の席に座った見知らぬ大佐は、その様子を愉快そうな表情を隠しもせずに観察していた。満面に疑問をのせて、すでに自分の席に着いているホークアイ中尉やハボックに、誰もがチラリと視線を向けたが、この二人にいつもと違う様子はない。それで、いつもと同じように自分の席に着くも、いつものようには振る舞うことはできなくて、少しだけ緊張したように背筋を伸ばした。
ハボックが隣で、吸殻で山になった灰皿を見慣れない大佐から隠すようにさりげなくファイルの影に移動させた。その肩が周囲とは対照的にいつもより丸まっていて、仕事前の一服が吸えないなんて…、と言わんばかりだった。ちらちらとハボックを窺う視線が同情に満ちたもののように感じた。



その男は、アーサー・オコーネルと名乗った。
中央の軍閥出身の、茶髪を丁寧に撫で付けた優男で根っからの文官タイプだ。線が細く、ハンサムと言えなくもない容姿だったが、どことなく粘性で神経質な性格の悪さを感じさせる、そんな含みのある笑い方をする男だった。優男で文官っぽいと言う点ではウチの大佐とそう変わりはないが、笑い方が決定的に違った。
――マスタング大佐の研修中、この司令室を預かることになった、アーサー・オコーネル大佐だ。期限はマスタング大佐が研修を終えるまで、と言われている。何分、私も急なことだったため、準備もろくにできていないのだが、よろしく頼む。
準備もろくにできていないというわりに、オコーネル大佐はこの司令室の現状をよく把握していた。一時とは言え部下となるものの名前は覚えていたし、ここの定員が少ないことも知っていた。そのオコーネル大佐の東方司令部での初仕事は、その穴を埋めるために自分の中央にいる部下たちを東部へ呼び寄せることだった。
また、オコーネル大佐は自分の席となる司令室と執務室の机の上に山と積まれた書類の中から、ウチの大佐が手がけていた案件全てを段ボール箱に片付けさせた。そして、とりあえずサインすれば事足りる書類が残った席に座って、精力的にサインを書き込んでいった。東方司令官の欄に、アーサー・オコーネルと。だが、それよりも、机の上に残った書類の厚みがたった10センチ程度しかなかったことに、俺は激しく驚いた。あの人、あれだけ遊んでてちゃんと仕事していたとは…。
昼過ぎになってようやく僅かな書類を片付けたオコーネル大佐が、無駄なものがなくなった自分の机の上を満足そうに見回していたのが印象的だった。
見慣れた書類の山脈がなくなっただけで、いつもと感じが違うように思えるのはどうもいただけない。
――さて、ウチの大佐は一体どこに行ったのだろうか?
オコーネル大佐はウチの大佐が研修に行ったと言ったが、俺たちはそんなこと全く聞いていなかった。それでも、それほど動揺しないのは、不本意にもイレギュラーなことに随分と慣らされていたからだろう。その時はまだそう思っていた。

いつもとは勝手が違うことに気が付いたのはその日の夕方だった。オコーネル大佐はウチの大佐の研修先に付いて何も聞いていないとウソか本当か分からないことを、笑みを浮かべて言った。ホークアイ中尉がならばと、時間を見つけて東方司令部のトップに事情を聞きに行っても、こちらは本当に何も知らないと言う。グラマン将軍が中央に問い合わせても、その返答は、そのようですねと実に素っ気無いものだった。挙句の上、中央のヒューズ中佐が不在で連絡が取れない。
定時きっかりに席を立ったオコーネル大佐を見送ると誰ともなく眉間に皺がよった。帰り際、オコーネル大佐が浮かべたにこやかな笑顔は、ウチの大佐をいくら捜したところで見つからないと言っているかのようだった。

「――朝、隊の奴らに大佐の家に行かせたんスけど」
司令室にいつもの面子だけになって、やっとタバコを銜えることができたハボックが神妙な顔でホークアイ中尉に報告する。
「争った形跡もメモもなかったそうです。これからもう一度、オレが行ってみます。大佐の家の近辺で不審者を見かけた人も今のところ見つかっていません。えーっと、大佐の運転手のとこにも行かせたんですけど…」
言葉を濁すハボックに中尉が冷たい一瞥を投げた。いつもはハボックが公私混同して大佐の送り迎えをすることが多いのに、こういう時に限ってどうして迎えに行かなかったのかと雄弁に語る一瞥だった。
ハボックが困ったように鼻の頭をぽりぽりとかいた。
「昨夜はオレが送りました。いつものように大佐んとこで飯を食って…」
「食べただけで、帰ったのね?」
「うス…。すんません…」
中尉に信じられないとばかりに目を見開かれて言われて、ハボックが更に猫背を丸めた。深夜の男二人が飯食う以外に何をするのかは俺には良く分からない…。ただハボックは中尉の前で小さく小さくなって行く。
「――それで?」
「はははい。帰ったときは何も問題はありませんでした。もちろん周囲もっス。大佐もいつもと変わりませんでした。飯食ったら片付けてさっさと帰れって……。最近、翌日が平日だとっ!」
「泊めてくれないのね?」
「はい……」
オレ、どうしたらいいっスか?
湿っぽい声で泣きつきそうな風情のハボックに、中尉がチっと小さく舌打ちした、ような気がした…。



02

結局、あの人がどこに行ったのかは分からずじまいだった。昨夜から大佐の足取りを追っても何も出てこない。ただ、ハボックが大佐に家を追い出されてから、大佐が朝五時に運転手を勤める軍曹に迎えは要らないと電話を掛けるまでは家にいた可能性が高かった。書斎に、その日、司令室から家に帰るときに、中尉に持たされた未処理の書類ほぼ全てにサインが入って置いてあったのだ。
ハボックを家から追い出して、仕事をしていたということなのだろう。
また、軍曹はその電話に不信な点は特になかったと言った。―――電話からは汽車や車の音は聞こえませんでした。今までも迎えはいらないという連絡をもらうことはありました。マスタング大佐のこともありましたが、ハボック少尉のこともありました。しかし、この日ほど早い電話はなかったです…。
突然の不在に大佐の家には何のメッセージも残されていなかったし、不審者を見たものは出てこなかった。

こんなことは今までなかった。任務上、俺たち部下にすら行方を言えなかったと言ってしまえばそれまでなのだが、事態はあまりにキナ臭かった。
ただあの大佐がこうも跡形もなく姿を消すには、大佐の自発的な行動なくしては考えられない。なんて言ったって、あの人は腐っても焔の錬金術師なのだから。
ただ、中央がらみの揉め事に巻き込まれたのだろうと推測したところで指示を出せる人がいなければ、兵隊は動きようがなかった。

その上で、この事態を予測するなら。
一、大佐が中央がらみのキナ臭いことに余地なく巻き込まれて、俺たちに連絡することができない
二、俺たちに対する、突然上司がいなくなった状況を想定した一風変わった査定
三、大佐の手の込んだ嫌がらせ…
俺は思った。恐らく三番なのではないか、と。ホークアイ中尉もハボックもファルマンもフェリーも誰も口に出さなくても同じことを考えただろう。
嫌がらせなら、嫌がらせで返したい。大佐がいなくなったぐらいじゃ、オレたちは特に何も変わらないし、問題もないのだと見せ付けてやりたい。大佐をさっさと見つけ出して、この茶番をとっとと終わらせたい。
つまりは、これはいつもの大佐とハボックがやっている、ただ規模が大きくなったかくれんぼと言うわけで。
ならば、これは大佐から俺たちへの一種の挑戦だ。
そう俺たちは結論を下した。それに、もし二番ならこの対応は正しく、――もし一番なら、ボスを完全に奪われた時点で既にオレたちは既に負けている…。連絡の未だ取れないヒューズ中佐が大佐を追跡しているか、同行しているかに望みを託すしかない。

俺たちは俺たちが思っている以上に無力だった。できることを行う。それしかできることはないのだ。ホークアイ中尉はヒューズ中佐や中央に連絡を取ろうとすることを止めなかったし、ハボックは大佐の残した手がかりが何かないか家探しすることを止めなかった。ファルマンはオコーネル家のことを調べはじめ、フュリーは司令室に待機していた。俺は頭を使った。オコーネル大佐が公式に大佐の代わりにここにいると言った以上、オコーネル大佐がここに来ることができるだけの命令を出した奴がいる。その人物すらウチの大佐の行方に全く関与していないなどとは考えられない…。



翌日、大佐の足取りが依然掴めないまま、そんなことは何のことでもありませんよという風を装って出勤すれば、見知らぬ同僚が増えていた。だが、オコーネル大佐は自分の名前をサインすればよい仕事しかしなかったから、ウチの大佐がいるときと比べめっきりと仕事量が減った。司令室一同、何となく束の間の休暇をプレゼントされた気分を味わう。
―――ちょっとはこういうのも悪くない。
マニュアル通りのことしかしない上司もたまになら良いと思う程、日々は忙しかった。



ウチの大佐がいなくなった翌日の昼になって漸くヒューズ中佐と連絡が取れた。
ヒューズ中佐は、昨日は欠勤扱いとなっていた。
自宅の方に連絡を入れても誰も捉まらず、ヒューズ夫人の実家に電話をかけてやっと夫人を捉まえることができた。夫人は中佐に一週間前から実家へ行くように言われていたらしい。ヒューズ中佐は何かを知っている。いや、今回の顛末全てを知っていると言ってもいいのかもしれない。だが、何も語らず、大佐の居所に付いても言葉を濁した。
「えー、俺、知らなぁい〜。上司イジメが過ぎて家出しちゃったんじゃないのぉ〜?」
僅かでも、大佐とアンタの身を案じた俺のピュアな心を返してくれ…。そう思わせるほどの脱力を誘う返答に、それでも中尉が冷たく詰め寄れば、ヒューズ中佐といえども口を噤んでいられない。
「―――アレだ。アレ。鬼のいぬ間に、てやつ? たまにはいいだろ。それにロイにしたってしばらく経ったら寂しくなって帰るさ。それまでほっとけって。な?」
そして、電話は慌しく切れた。知りたいことは何一つ分からなかったが、ウチの大佐はヒューズ中佐の知っているところにいると確認できたと言っていい。
ほっとする同時に少し過保護だったかもという気恥ずかしさが残った。このやりきれない思いをどう大佐にぶつけてやろうか。眠れぬ一夜を過ごしてしまったじゃないか。そう思いながら、著しく減った仕事を早々に終え、余った時間をどう有効に使うか考えた。



03

ウチの大佐が東部を家出して一週間が経つ前に、軍閥のボンボンであるオコーネル大佐は執務室のスプリングの壊れた、しみとタバコの焦げ跡の目立つソファを自費で買い換えた。同時にコーヒーとインクのしみで汚れた執務室のカーペットや、茶渋に染まった来客用のコーヒーカップも。そして、東方司令部自慢の茶色のコーヒー出がらし汁の改善を図り、お茶請け菓子の向上も自費で行った。もちろん、これは東方司令部全体に渡ってだ。
そして、東方司令部の大半は、一週間と掛からずオコーネル派となった。その上、ハンサムで若く、地位・権力・財力とウチの大佐にも引けをとらない男は瞬く間に女性仕官たちの人気を獲得していった。
また、嫌煙家であるオコーネル大佐はなかなか喫煙者に理解ある人物だった。司令室内での喫煙は全面禁止になったが屋外の喫煙所は拡大された。ハボックは仕事量が減ったため喫煙所に足繁く通えることになり、今までのように司令室で肩身の狭い思いをすることがなくなって、はたから見ても司令室を出て行く足取りは弾んで見えた。広くなった喫煙所でのびのびと喫煙できて何よりも幸せそうだった。
東方司令部のお偉いさんたちは中央の軍閥にどう取り入ろうといつも必死だった。必要もないのに、日に何回も何回も執務室にやってきた。
つまりは、研修に訪れた若き司令官は上手く東方司令部に取り入ったと言えるのではないだろうか。



オコーネル大佐が東方に来て一週間目にテロが発生した。さあ、諸君らのお手並みを拝見させてもらうと口元だけ笑みを浮かべた笑顔で言った。しかし、馴染みの三流テロ組織によるテロだったおかげで、俺たちは敵味方共々死傷者を出すことなく早々にテロリストたちを捕らえることができた。
後方で安全をしっかり確保していたオコーネル大佐は、テロを未然に防ぐことができた俺たちに拍手と賞賛の言葉を惜しみなく与えた。特にハボックはこのときの活躍を酷く絶賛され、何の因果かオコーネル大佐の中央から呼び寄せた護衛官たちの一員に加わることになってしまった。これで一日の大半をタバコが吸えなくなると思うと辛いんだけど…。そんなことをぶつぶつ呟きながら、ハボックは大人しく命令に従っていた。
「―――オコーネル大佐の近くにいた方があの人の行方を掴めるかも知れないし、………」
腐れ縁の親友は滅多に見せることがないほどの真面目な顔をして言ったが、すぐに様相を崩した。

久々の残業なしライフにサイフの口が緩んで飲みにも行った。今や東方司令部内で昇進が確実視されているハボックに奢らせようと思って誘ったのに、酒癖の悪い奴は店に入るや否やバーボンを三杯煽った。グダグダな夜になるいつもの予兆が濃厚に漂って、思わず席を立ちかけた途端に、グスと鼻を啜って、慌ててごしごしと袖口で目元を拭うハボック。
「ブレダ………」
「――お前は何歳になったんだ。言ってみろ」
「オレがちゃんと大佐んトコに泊まってれば、こんなことになんなかったよな? オレ、何で休日前しか泊めてもらえないんだと思う? オレ、何か悪いことした? オレ、………」 
「知るか、そんなこと!」
正直言って、上司と親友の恋愛事情なんて積極的に聞きたい奴なんかいない。二人ができあがってると言われたところで、何がどうしてどうなっているのかなんか、一片たりとも興味はないのだ!
話を強引に切られたハボックが、またグスと鼻を啜った。
「―――ホークアイ中尉の視線が最近特に冷たくて…」
「気のせいだ…」
いや、気のせいではない。明らかにハボックを視界に入れると、あの鳶色の瞳が無能め、と言って温度を下げている。
「一週間も経ったのに……」
「ヒューズ中佐は知っている」
「じゃあ、何でオレたちに教えてくれないんだ。それって、オレがあまりに不甲斐ないから?」
うううと呻いて、ハボックがカウンターに突っ伏した。
「――さあ…」
酒が不味い。あまりの不味さに、休日を返上してヒューズ中佐のところまで大佐の居場所を聞きに行きたくなった。翌日が休暇であったことを思うと、このハボックのグダグダも計算内かと勘繰りたくなって、軽そうな金色の頭を一叩きした。



二週間経っても、ウチの大佐が戻ってくる気配はなく、ヒューズ中佐も相変わらずの知らん振りが続いていた。中央への出張をでっち上げようとしてもオコーネル大佐が中央軍閥の人間だけあって実にやり難く、休日を潰して何回か中央に行った。だが、タイミングが合わなくてヒューズ中佐を捕まえることができない。
大佐の居所を盗聴の恐れのある電話では言えないだけだと思っていただけに、行っても会えないなんて狐につままれた気分だった。タイミングが合わないというよりむしろ、積極的に避けられていると感じた。
尾行されている可能性を考えて、慎重に動いても、結果は変わらなかった。ただヒューズ中佐の言動から大佐は中佐のいる中央にいることに間違いないようだったが。



三週間目の休日にまた中央に向かった。
ヒューズ中佐が何故大佐の居所をオレたちに隠す必要があるのか。俺たちの内に内通者がいるとでも本気で疑っているわけではないだろう。ただ教えることができない事情があるだけで。
それは一体何なんだ。

しかし、三度目もヒューズ中佐を捕まえることはできなかった。しかし、何故かセントラル駅構内でアームストロング少佐に捕まった。一方的に発見され感動され抱擁される。肺が圧迫され、肋骨が軋むほどの抱擁され、その去り際に、もう大丈夫であられると呟かれた。もしかしたら、意識が遠のきかけたせいでの幻聴だったのかもしれないが、その言葉の意味に背筋が寒くなる。その真意を正そうと少佐を目が追ったが、あの巨体にも関わらず既に人混みの中に見つけることはできなかった。

「―――もう大丈夫って、今まで大丈夫じゃない状態だったってわけか…!?」
何に関わっていたのだろうか。
何に巻き込まれたのだろうか。
あの人の腹心の一人を気取ってて、あの人の全てに関わっていたわけではないという現実を突然目の前に突きつけられた気分だった。
自分たちがカヤの外になっている状態に忸怩たる思いで東部へ戻った。それでも、あの人の思惑の中の一コマになっているのなら、それを果たすべきだった。きっと、その思惑は大佐が帰ってくるまで続くのだろうから。アームストロング少佐の言葉を信じれば、大佐はじきに東部に戻ってくる。
こんな風に突然完全に頭と切り離された状態なんてはじめてでどうも勝手が分からない。東部に帰る汽車の二等席で深い疲れたため息が漏れた。ホークアイ中尉もハボックも驚くほど我慢強い。あの二人があまりに日常と変わらないから、最悪の事態を真剣に考えることは、俺はなかったように思った。



04

東部に帰って、本当に同じ情報しか与えられてなかったのか、ハボックにそれとなく聞いてみた。
「―――ヒューズ中佐がいつでも捕まる状況が答えさ。ライフラインは繋がっている。大佐がオレたちを動かそうと思ったならいつでも動かせるだろう?」
それでも疑わしそうな視線を向けるオレにハボックは更に言った。
「えーっと、その…。何でここに戻ってこないのかな、って………。オレが、その、面倒臭いからなのかなって…」
銜えたタバコが力なく項垂れた。
ホークアイ中尉が冷たい視線をコイツに向けていたのは、大佐がハボックのこと、うぜえって思っているから戻ってこないんじゃないかと疑っていたかららしい…。
そんなハボックに俺は踊らされて、中央まで大佐のご機嫌伺いに足繁く通わされたというわけか…。畜生!
「―――でも! すっげえ焦ったよ。ヒューズ中佐に連絡が付くまでは! 本気で焦った」
「はあ? それでもたった一日じゃねえか」
「三〇時間だ。それに、ブレダ、知ってたか。オレはなあ、あの人の護衛なんだぜ?」
まんまと行方を眩まされたマヌケな護衛だけどなと、ハボックが肩を竦めた。大佐がある程度は自発的に動いていたとしても、きれいさっぱりこうも行方が掴めなくなるのは、ハボックの落ち度に加算されることになるのだろう。下手な慰め方をした。

三週間目に入ると、事務的な仕事ばかりで全体の仕事量が減ったことに司令室の人間が飽きてきた。責任の重いポジションで時間に追われて仕事をしてきた優秀な奴らなだけに、誰にでもできる仕事というのは魅力に欠けたようだった。
オコーネル大佐も東方の部下たちとの間に生じたこの突然の齟齬感に面食らっているようだった。いや、持て余しているといったところか。金と権力で懐柔できない人間がいることなど思いもしなかったに違いない。
また、三週間も経つとオコーネル大佐の話題性は乏しくなり、その魅力は急速に萎んで行った。
移り変わりの激しい東部の気質にオコーネル大佐はどうやら付いていけなくなったのだ。東部で話題を独占したいのなら、常に面白い話題を提供し続けなくてならない。ウチの大佐のように。
美人女性仕官たちも一時の熱は冷めたようで、ゴージャスな装いは止めてしまった。彼女たち曰く、それが当然で当たり前と思われるのは腹が立つのだそうだ。それぐらいなら、東部の田舎娘呼ばわりの方が楽でよい、と。女性の心は複雑だ。
中途で護衛官を命じられた不運なハボックは、日々の業務の合間に、中央から来たオコーネル大佐の護衛官たちと訓練するハメになっていた。ハボックは、まあ、机に座っているよりかはマシだからと、眠そうな目で席を立つ。こっちは数日も経たない内に奴らのハボックの見る目が変わっていた。知らず知らずの内に奴らは敬語でハボックに話しかけていた。その内、訓練中には好きなだけタバコがすえるようになるに違いない。

三週間半ば、中央から掛かってきた突然の電話でオコーネル大佐の研修は突然終わりを迎えた。来るときもそうだったが帰るときも実に唐突だった。顔色を失って、体中の振るえが止まらない様子で受話器を握るその姿はいつものエリート然とした様子もなかった。そして、止まらない汗を何度も神経質そうに拭いながら取るもの取らず去っていった。
――どちらへ行かれるのですか?
そう冷ややかにホークアイ中尉に言われたオコーネル大佐は振り返りもせずに、お前たちには関係ない! 研修は終わりだ! とそう捨て台詞を残して、ついには東部からいなくなった。
オレたちを無視して進行していたらしい水面下の策略は終わったらしい。初めから最後まで、何が何だか分からなかったが、どうやらウチの大佐が戻ってくるという。

オコーネル大佐が脱兎の如く去って、誰ともなく、ここしばらくおざなりにされていた、書類の詰め込まれていた段ボール箱に向かった。―――そして、はじめから何もなかったように、書類を机の上に積み上げ、いつもの光景を出現させた。そこに感慨を抱く自分たちが何となく哀れだと思う。この三週間なんてなかったかのように振舞ってやろう。そう誰もが言い出すまでもなく自分のやることをやり始めた。大佐が戻ってきたとき、いつもの変わらぬ様でいてやろうと思った。その嫌がらせは無意味だったとばかりに。

その人は四週間目になろうかという頃にやっと戻ってきた。見回りをしていたハボックの隊員が駅から電話をかけてきた。――マスタング大佐を駅で発見しました! 迎えが来ていて大佐が車に乗り込むのを確認しました。暫くしたらそちらに付くと思います!
安堵と苛立ちと脱力感。言いたいことは山のようにあったが、出迎えもせずに司令室でその人を待った。驚かせようと俺たちに連絡を入れなかったのだろうから、いつものフリをして逆に驚かせてやろうと思う。





わざとらしく開けられた司令室の扉から、誰かが久しぶりに見るマスタング大佐に挨拶をする声が聞こえてきた。その人が扉の隙間から姿を見せると、ホークアイ中が、大佐が口を開く前に言った。
「マスタング大佐! どこに行かれていたのですか! 締め切りの過ぎた書類をそのままにして!」
いつものセリフに大佐が自分の机の上の、出て行った時よりも増えている山を見て肩を落とす。
「オコーネル大佐は何をしていたんだ…」
ため息と共にすごすごと自分の席に座るや否や、サイン下さいと詰め寄られ、しぶしぶとサインし始めた大佐の忍耐力は一時間で限界を迎えた。
「―――どうして第一声がそれなんだ! どうせ、私なんかいてもいなくても変わらないんだろう!」
そう言ってわっと机に突っ伏すと、書類の山がザザーッと雪崩を起こした。あっという間に戻ってきた日常のノリに脱力視ながら自分が安堵していることは否定できない。ホークアイ中尉が片付けを手伝う気もない大佐をさっさと司令室から執務室へ追い払った。

「―――あっ! カーペットとソファが新調されてる!」
執務室に入ると、実に嬉しそうに大佐は言った。自分が一ヶ月も不在にしていた場所への第一声がそれと言うのも問題だろう…。だが、ウキウキと新しいソファに座った大佐に、漸く何があったのかと尋ねようとした矢先、その人はあっという間に新品のソファに横たわって寝てしまった。
一体、あなたはこの一ヶ月、何をしてたんですか?
太平楽に眠る大佐を、ホークアイ中尉もハボックも、もちろん俺も、深いため息と共にただ見ていた。
えええっと、ペーパーで。本編はまだ書いていません…