BEEF
大佐に連れられてメシを食いに外に出た。
夕暮れの中、大佐とオレは人気のない裏路地を足早に通り過ぎていく。
「何、食わせてくれるんスか?」
オレはいつものように大佐の一歩後ろを付いて行く。そうすると、いつも話しかけるときは大佐のつむじに向かってになる。これがなんだかいつも意味もなくおかしくってつい笑いが込み上がる。大佐はオレが大佐の後ろでいつも笑いを堪えていることに気が付きもしなくって、ますます楽しかった。

「肉。正直に言うと、お前に食べさせるのはもったいないぐらいの肉。――だが、たまにはお前も美味いものを食べてもいいだろうと思った。お前一人に食べさせたのがばれたら、命に関るだろうから、誰にも言うなよ?」
食ったのがバレたら命に関る肉って一体どんな肉なんだよ…と思ったオレは、瞬時に大佐の言葉が自分の中の琴線に触れたことに気が付いた。
ムカっと言うか、イラっと言うか、――ここで絶対このもやっとした気持ちの正体を突き止めなくてはならない衝動に駆られて、立ち止まった。
目を閉じて、大佐の言葉を反芻する。
――肉。オレ一人に食べさせたのがばれたら命に関る肉。ばれたら、命に関る肉…。
「―――あっ!」
もやっとした正体がわかって目を開ければ、5歩先に大佐が振り返って佇んでいた。

「――あのー、大佐、今までオレだけ、その肉、食いに連れてってくれなかったんスね…!」
それは随分恨みがましいじっとりとした声になった。
バレるって言うからには、オレ以外の奴らはそこに行ったことがあるって言うことで。今まで、オレだけ仲間はずれにしてきたって言うことで…。
大佐は面倒臭げに大きなため息を付いて、あのな、今、こうやって連れて行ってやっているだろう?と悪びれた様子もなく言った。
「………………」
そんなんじゃこの傷ついた心は納得できないんスけど!思わず自分の視線が鋭くなったのを感じた。大佐はオレのその視線を鬱陶しそうに言葉を重ねる。
「仕方ないだろう?お前、外勤が多いんだから。ハブになるのは必然的だ。諦めろ」
やっぱり、もしかしてとか思ってたけどオレをハブにして司令室の奴らでウマイもの、大佐のサイフで食ってたなんて!しかも、オレが昼夜となく肉体労働している時に!信じられない信じられない信じられない!!いじめだ。これはいじめ以外の何物でもない!
「――ヒドイ…」
「そんなに回数が多いわけじゃないぞ」
その言い方も気に障った。面倒臭げに耳を触る仕草も。
「――1回や2回じゃないんだっ!」
「3回や4回程度だ」
「5回や6回なんスねっ!!」
「――ハボック、お前、全く私を信用しとらんな」
「アンタのどこを取ったら信用できるって言うんスか?!――ヒドイっ!!!」
思わずこの虐げられ具合に涙が混みあがった。職場中でグルになってオレを無視していた事実は例えようもなく重くオレの背に圧し掛かる。

「泣くな、ハボック。――見苦しい」
「ぐっ…」
確かにこんなでっかい図体してシクシク泣いていたら見苦しいという自覚はある。それを指摘されてさらに悔しくて、ぐしと涙を拭った。
「――アンタ、そんなだから部内で嫌われものなんスよ。焼き芋付き合ってもらえなかったのも自業自得だ。――エコヒイキ。最低」
今度は大佐がぐっと言葉に詰まった。
夕暮れが遠のき、あたりは薄闇に沈んでいく。そんな中オレたちはしばらくにらみ合いを続けた。あいにく人は誰も通らなかったが、ただ一匹、ミケ猫だけが迷惑そうに大佐とオレの間を走り抜けて行った。

「ふむ……。確かに、私は一部の部下に声を掛け、食事に連れて行った。人の上に立つものとして、これは確かに良くないかもしれない。よし。これからは全員平等に扱うことにしよう。これでいいか?ハボック」
「はじめっから、そうして欲しかったんスけど…」
肉。そうすればこんな気持ちにならないですんだのに。
「ならば、店を変えようか」
そう言うと大佐は来た道を戻り始めた。
つまりは、オレに向かって5歩の距離をゆっくりと縮めた。
「は?」
「部下全員におごるとなれば、それに相応しい店に行かなくては。これから行こうと思っていた店はさすがの私であっても、全員におごるのは躊躇するのだよ」
「―――あの?」
「何だ?これからは私が食事に連れて行く場合は大衆食堂か大衆居酒屋にしよう。ここならば、お前が外勤で来れなくとも不満は抱かないだろう?――なんて優しい気遣いなんだろうな!」
人間ができた上司を持って、お前は幸せだと、オレの耳がイカれてなかったら大佐は確かにそう言った。
「――あの、そんなところはオレたちでも普通に行けるんで…」
わざわざ、アンタにおごってもらうのにそんな安い店なんて。
「――人間は普段からよく食べ慣れている、自分の口にあったものを食べるのが一番だ。下手に美味しいものなんて食べてしまうから、人間は日々の欲望を高め、自らを不幸の際に追い込むはめになるんだ。さあ、ハボック!お前が普段行きなれた店に行こうではないか!今日は私がおごってあげるから、好きなものを好きなだけ食べるがいい!」
「――あの、大佐…」
「ああ、安心したまえ。今日、お前を連れて行こうとした店には金輪際、誰も連れて行きはしない」
「プ、プライベートは別でいいんじゃないんスか…?」
「プライベートで特定の部下を特別な店に連れて行くのは、他のものにとってはエコヒイキで気分がよくないだろう?平等のためにお前が諦めてくれ、ハボック」
肉…。ウマイ肉は?オレは食べないで終わっちまうのか?!

大佐はこのままではスゴイ肉を食べ損なってしまうと途方に暮れているオレの脇をさっさと通り過ぎようとした。慌ててその二の腕を掴むと、大佐が首を傾げた。
「ん?」
その顔には予想外にも、さっきまでの憎たらしい笑顔はなくって、オレは言葉に詰まってしまった。
「―――あ、の………」
にこりと大佐が笑う。薄闇の中ですら鮮やかな笑顔で。
「お前が普段どんなものを食べているのか知るのもデートらしくていいだろう?」
ぐうの音も出ないとは正にこのことだ。――卑怯だ。オレの反応を見て面白がっているだけのくせして、そんな尤もらしいことを言って、尤もらしく笑うなんて。卑怯だ…。そんな風に言われたら、何も言えなくなってしまうじゃないか。

「―――肉…」
ポツリと漏れた俺の呟きは自分ですら悲しみに満ちたものに聞こえた。
それをちゃんと聞き取った大佐は穏やかな笑顔を浮かべたまま肩を震わせた。必死になって笑いを堪えているその姿に一気に疲れと空腹感が襲ってきた。
「大佐、笑いたいなら我慢しないで笑えばいいでしょ」
「――そうか、す、すまないなっ、………ぶっ、あははははっ!あはははははっ!!あはははははっ!!!」
大佐は腹を抱え、体を折り曲げ、容赦のないほど笑った。
この人が笑えば笑うほど、オレはどんどん投げやりな気分になって行く…。
「あの、腹減ったんスけど…。もう、おごってくれさえすればどこでもいいっスから、メシにしましょうよ……」
「ど、どこでもいいのか?」
「はい、もうどこでもいいです…」
大衆食堂でも、東方司令部の食堂でも、何ならそこらのスーパーで材料だけ買ってくれてもいい…。
「そうか、なら付いてきなさい」

漸く笑いの収まった大佐はもう一度踵を返した。
――きっと大佐のことだから何だかんだと言っても、オレに肉を食べさせてくれるはずだと思う。きっと。たぶん。そして、この向かう先にはスゴイ肉が待っているに違いない。そうは思っても、オレはあんまり期待しちゃダメだと自分に言い聞かせて、大佐の後ろを付いていった。
2006/03/05