東方編み物サークル
木枯らしが吹き抜ける。日が落ちた薄闇の中、外套の襟元を押さえて家路を急ぐ人々。その足元、色褪せた石畳の上を一斉に落葉が流れていく。そのカサカサと乾いた音まで聞こえてきそうな様がより一層寒さを助長する。朝を迎えれば、それが赤や黄をしていることに気付くだろう。色とりどりの街路樹が日射しを受けて輝きながらはらはらと葉を散らす様は、冴えた空気の中にあっても幾分目に温かいはずだ。――ああ、寒い…。外気に冷えた髪が頭皮すら凍えさせる。
明かりの灯っていない家に横付けされた軍用車から、玄関口までのたった数十歩に忙しなく思う。家の中も外気とたいして変わりなく寒いはずだ。効率よく暖を取るには何をするべきか。気体のエントロピーを上げて室温を上げればいい。錬金術で。もちろん、鋼ののようにパンとやってポンとできるわけではないから、相応の対価が必要だ。本を探し、研究書を開いて、…………。それに没頭できるなら、気体のエントロピーを上げる前に寒さを忘れることができよう。
「しかし、今はそんな気分じゃない」
ならば、酒を飲んで寝るだけだ。――酒。どこにあるだろう。そうとも、私は自分の家にある寝酒の場所すら満足に把握していない。その事実が一層私を凍えさせた。
「…………」
勤務時間外にも関わらず、運転手を務めてくれた従卒に礼を言って、玄関を潜る。
暗くて寒くて、ひもじい家。辛うじて木枯らしは吹き抜けはしない程度の私の家。よく見たら枯葉ぐらい吹き込んでいるかもしれない。しかし、いつもそうだという訳ではない。今、明かりを付けて、暖を灯し、食事を作ってくれる者がいないというだけで…。
「寒い…」
その考えが。いつから私はハボックと結婚したんだ。アイツは私の嫁か。嫁なのか。いや、違う。そうとも違う。今日は予定外に帰りが遅くなって、一段と寒くなったから、少しばかり温もりが恋しくなっただけだ。うん。



@

温もりが恋しい季節。今、東方司令部の女性仕官たちに流行しているものがある。編み物だ。空き時間に談話室や食堂で、編み物に勤しむ女性仕官たち。目に優しい光景だった。しかし、それを損ない兼ねないものが、いつも視界を横切った。編み物を楽しむ女性仕官たちの周りを不用意に歩き回ったり、大声を出して見苦しく自分をアッピールするモテない野郎ども。実に目障り極まりない。例えどんなことをしても、彼らが彼女たちが編んでいるものを我が物にすることはありえないのに。これは宇宙の普遍的な真理である。
私は、今日も彼女たちの編み物の時間を確保するために、テロ行為を未然に防ぐため、余念なく業務に精を出す。ロイ・マスタングは女性の味方なのである。

急ぎの書類が一段落する午前のブレイクタイムに、全てを心得たホークアイがタイミングよくコーヒーを持って、書類を回収しに執務室へ訪れた。
私の机の前で処理済の書類を1枚1枚確認するホークアイの手元を見つめながら、私は熱いコーヒーに口を付けた。――私には少々熱過ぎるそれもいつものことで、一旦テーブルに置く。彼女が熱々のコーヒーを態々淹れてくれたことを思うと、それを冷めない内に飲めないことを申し訳なく思う。しかし、コーヒーから立ち上がる香気を感じ、湯気を見るだけで大いに癒されるものだ。
灼熱のコーヒーを淹れてくれる彼女の手。大の男すら尻込みする大型の銃器を扱う、銃胼胝のあるその手。その実、その手が握るには編み針の方が相応しいのかもしれない。――単に、私の希望的感想かもしれないが…。
「そう言えば、今、編み物が司令部で流行っているね。中尉も編み物してるのかい?」
「もちろん、してます」
「ほう!」
それは何て目に優しい姿だろうか! 素晴らしい! 思わず頬が緩むのを感じだ。中尉が司令室でも編み物ができるようにするには、私は何をしたらよいだろう。もちろん私が決済の期限が迫っている書類を滞らせないことは最低限のことだと分かっている。私にはもっとできることがあるはずだ。長考に到ろうとした私に、ホークアイは処理済の書類から目を離さないまま、言い放った。
「大佐もなさったらいかがですか?」
「は?」
「単純作業の繰り返しの編み物は、ストレス解消にとっても効果的です」
「ストレス解消?」
編み物がストレス解消?
「ええ、日々、ストレスに満ちてますから」
「へ、へえ…」
まあ、確かに、編み物のような単純な繰り返しの動作にはアドレナリンの働きを抑えてリラックスさせる効果があったかもしれないね…。
「大佐もなさったらいかがですか?」
「…………」
この私が、編み物をすると? 君は本気で言っているのか?! 
「明日、用意しておきます」
私の逡巡をホークアイは了承と考えたようだった。
彼女は私の戸惑いを意に介さず、書類を確認し終えると、小さく頷き、それを手に踵を返した。
「中尉…!」
待ってくれっ!
思わず、その背筋の伸びた美しい背中に手が伸び、椅子から腰が浮きかけた。が、その思いは彼女には届かなかった。
「礼には及びません」
彼女は立ち止まらずそう言い捨て、執務室に私一人を残して颯爽と出て行った。





A


私は数日前から昼食を終えた後のわずかな時間を編物に費やしていた。温かい日射しの差し込む執務室でホークアイ中尉とお茶を飲みながら日常の会話を嗜みつつ、共に日々のストレス発散を目的として編物をする。――これがなかなか難しい。それでも彼女にあれやこれやと教わって、競う合うように編んでいくのは面白味があり、あれよあれよと言う間に細長いものができていた。

そんなある日、1人の男が騒々しく執務室の扉を開けて入ってきた。
「大佐っ! 編物してるって聞きましたよ? 一体、どんな心境の変化っスか?」
その男はこの部屋の主である私に話しかけながらも、話をしようという気など微塵も感じさせなかった。
たった3歩で、この決して狭くはない執務室を端から端まで歩き、私の机の前すら横切り、更に後ろに回る。そして、私の机の一番下の引き出しに断りもなく手をかけた。さらに、私に邪魔されまいとして、机の引き出しから私を遠ざけるために、私の座った椅子を180度回転させる始末だった。
私は自分の背後で引き出しが開けられて、中にしまっておいた編物一式が入った紙袋を引っ張り出される音を聞いた。
「あー! マジで! ――ぶっ! あはははははっ! 何スか? これ!!」
90度、体の向きを変えると目の前の机の上にその紙袋の中身がぶちまけられていた。
「わざわざ、ボロ雑巾編むなんてっ!あはははははっ!」
私の日常のストレスの結晶を、ジャン・ハボック少尉は親指と人差し指で摘んで、わざわざ私の面前に持ち上げた。
この私にこうもダイレクトに喧嘩を売るようになったとは。さて、どうしてくれようか。――まず、その、癪に障る高笑いを止めさせなくてはならない。私はハボックをじっと見つめて、巷で評判のよい、少し寂しげなと形容される大人の笑顔を浮かべた。それだけで、予想通りハボックの高笑いがどんどん収束して行く。
「お前のために、一目一目心を込めて編んでいたのに。そうか、これはボロ雑巾か。そうだな、どう贔屓目に見たって、これはボロ雑巾か…。ふう。じゃあ、せめて、お前の家の雑巾の1つにしてくれるか? ハボック」
報復は後日だ、ハボック!


  +++


一際寒さが堪えたその日の朝は、雪すら降っていた。

俺の腐れ縁の親友殿は支給されたコートに黄色の毛糸の帯らしきものを首に巻いて、前方を歩いていた。その黄色のマフラーのようなものは目立つ上に見苦しく、すれ違う人が思わず振り返るほどだった。
上司があまり身嗜みに拘らない人だといえ、こうまで人目を引くほど無様なのはいただけないだろう。知り合いだと思われるのは抵抗を感じるが、社会正義のために仕方なく、俺はハボックに声をかけた。
「オイ、ハボック、お前、何、ボロ雑巾首に巻いてんだよ? 見っともねえぜ?」
のっそりと振り返ったハボックはいつものようにタバコを咥えていた。
「うるせえ。これは愛の結晶なんだ」
「えれえ汚い、愛の結晶だな、オイ」
「仕方ないだろっ! 大佐が編んだんだから!」
汚いなんてどんなに思っても言うな、とまで言ってハボックは睨みを利かせてきた。
目が至るところで跳んでて、どこかその辺の小枝にでも引っかかったら一発で糸に戻ってしまうだろう程度のそれに、ハボックは咥えたタバコの灰が落ちてしまわないように注意深く扱っていた。まあ、正に大佐の、ハボックに対する愛の結晶ってとこなんだろう。
「ハボ、お前、大佐に嫌がらせされてんことに気付けよ…」
そんなものを大切に大切に扱う俺の親友があまりに哀れだった。
「はっ! この程度の嫌がらせぐらいかわいいもんだっ!!」
それでも、打たれ強く生きているところが涙を誘う。
「男前だぜ、ハボック‥‥」
俺は、そっとその背を叩いて、日頃の苦労を労うことしかできなかった。





B


ジャン・ハボック少尉であります。
先日、恋人でもある上司から(オレはそう思ってます。間違ってないと思います)、昼休みに執務室に呼び出されて、手編みのマフラーが欲しいと言われました。恐ろしいことにその人はマジでした。
しかも、自分が編物らしいことをしていただけに、異様に詳しいのです。
最高級のメリノウールという微妙に色が違う2種類の白い細めの毛糸と編み棒を渡されながら、縦ストライプの透かし模様の入った、たっぷりのフリンジがあるマフラーにしてくれと、にこっり笑って言うのです。
オレは生まれてから、いままで、編物なんかしたことありません…。つい、この間、特に何も考えもせず、大佐を笑いものにしたことが大いに悔やまれます。
戸惑いを隠せないオレに大佐は笑顔で追い討ちをかけてきました。
「私のマフラーはどうした?」
オレの部下が、雑巾と間違えてトイレ掃除に使っちまいました。―――とは言えないオレは、大佐のマフラー編ませてくださいとしか言えませんでした。

編物一式が入った紙袋を大佐じきじきに手渡されたオレが、司令室に戻るとホークアイ中尉が待ち構えていました。そして、そのまま談話室へ連行です。
そこでは東方司令部編物サークルが活動をしていました。オレは空いている席に座らされて、向かいの年配の女性から編図なるものが描かれた模造紙を渡されました。
「大佐のマフラーはこの通りに編んでください」
相変わらず大佐の嫌がらせは大規模で手が込んでいます。その方は、オレの困惑など全く気にすることもなく、その編図の説明をしてくれました。出てくる単語全てが謎です。
「いいですか? こまめに目数を数えて編まないと透かし模様がきれいに出ませんよ?」
「――はあ‥‥」
その説明は朗々と続けられます。

オレが何をしようとしているのか、誰か教えてください…。





C


その日、中央から出張に来たヒューズ中佐は、東方司令官に珍しくも歓迎ムードで迎え入れられた。駅まで直々に大佐が迎えに行ったのだ。オレが連日夜鍋して編んだマフラーして。
白いフリンジが強風に棚引く。――東方司令部編物サークルのみなさんの厳しいご指導の下、その大佐が堂々としているマフラーは、自分で言うのも何だが実に上手にできた。

「ロイ、お前のマフラー、手編みじゃん?!」
駅構内で、ヒューズ中佐は大佐を見るなりそう言って、オレの力作をマジマジと見る。そういうヒューズ中佐も手編みのマフラーをしていた。グレイシアさんの手編みだろう。ガーター編みだけの単調なマフラーだったけど、マフラーを一本編んだ今となっては受ける感動が違った。ガーター編みは一般的に初心者向けの編み方だが、その編地をキレイにテンションを揃えて編むのが本当に難しい編み方なのだ。ここまで、キレイに編むとはさすがグレイシアさんと言えるだろう。スゴイ。
「そうだ。いいだろう?」
大佐がオレの編んだマフラーを中佐に自慢する。にっこりと笑みを浮かべて。
そう、自慢に値する一品だ。初めて作ったマフラーで、透かし模様も入っているのだ。
「俺のマフラーだって、グレイシアの愛が詰まった手編みだもん!」
そうだとも。愛がなければそんな手間はかけられないだろう。オレはそれを知っている。経験から。
「私のマフラーの方が手が込んでいる。この手間のかけ具合こそが愛の結晶と言える」
それは素人考えです。でも、手間のかけ具合は愛だけど…。
「専業主婦が忙しい最中に編んでくれたんだぞ! これこそ愛だ!」
そう。本当に、アンタが思っている以上に大変で時間がかかっている。
「ハボックは年末の極めて忙しい仕事の合間に編んでいたぞ。これが真なる愛だな」
特殊部隊の頃を思い出すほど辛かった。寝ずに一晩に50段編んでいって、昼に先生たちに汚いと言われて60段解かれたりもした…。
「あ、やっぱり、そうじゃないかなと思ったけど。ハボに編ませたんだな。うわあ。嫌がらせてんこ盛りじゃん」
それはもう、嫌がらせの域を超えてる。ちょっと、大佐をバカにした報復がこれだとはありえない。
「そんなことないぞ! 私だって私が編んだマフラーをハボックにプレゼントした」
いやいやいや、アレをマフラーと言ったら、マフラーをバカにし過ぎですから。マフラーは奥が深いんですよ。
「――へえ。それ、見てみてえ」
それは勘弁して下さい。
「好きにしたらいいさ」
ちょっと、大佐!
「ハボ、マフラーは? ロイが編んだってやつ、どこにあんの?」
「えーっと、大切にしまってありますよ」
「嘘だろ?」
嘘じゃないっスから。ウチのトイレにちゃんと大切に置いてあります。
「あー、こんな所で立ち話もなんなんで、さっさと司令部行きましょうよ…」

年末、誰もが忙しなく行き来する駅構内で、アメストリスの誇る軍将校がするような話じゃなかった。





D


白くて、たっぷりとフリンジのついたマフラー。ちょっとした嫌がらせで、ハボックに編ませたそれは、ことのほかいい出来で、この冬一番の私のお気に入りだった。わざわざ最高級のメリノウールを取り寄せたかいもあり、やさしい肌触りも心地よかった。
その温かさを知っていたからこそ、久方ぶりに司令部に訪れたアルフォンス君が、自分の、鋼の体の冷たさが部屋の暖かさを奪ってしまうことを気にして、部屋に入るのを躊躇ったとき、差し出せたのだろうと思う。ただの気休めに過ぎなくとも、完全なる自己満足と言われても、優しくされれば、心に温もりが生じることは確かである。
それに、このマフラーをアルフォンス君にあげても、私の分はまたハボックが編めばいいから惜しくはなかった。初めて編んだマフラーでこれだけのものができるなら、次に編ませるものはもっと複雑なパターンのものでも構わないだろう。
そう、次のマフラーの構想を思えば、快くこのマフラーをプレゼントしようではないか!
以前、毛糸を取り寄せたときに、いろいろな毛糸の種類を知った。その中で私の興味を最も引いたのが、ロム二ー羊の、艶の美しい、黒に近いチャコールグレーの毛糸だった。しかし、手紡ぎ糸で量産されておらず、そのときは品切れで手に入らなかったのだ…。
「――気にすることはない。持って行きたまえ」
この冬、2本目の私のマフラーは、私の白いマフラーにちょっと羨ましそうな目を向けていたホークアイの分と一緒に、お揃いにものをハボックに編ませるから。

アルフォンスは戸惑いつつも頷き、私の白いマフラーを巻いて旅立っていった。



2014/11/02
memoで書いていたものに加筆しています。
再録の1に乗せたものに、更に加筆しています。
寒いから構って欲しかったのかな…(ハボック)