秋の夜長に
ベッドサイドを消した薄闇の中、重そうに寝返りを打つ。目の前に晒される白い背中。乾いていてもまだ熱を孕んで、明らかに疲れが浮かんでいた。
取り替えた、オレが洗濯して干して取り込んで畳んでおいた、清潔なシーツを黒髪が打つ。汗で湿ったままの髪。身体はくまなくタオルで拭いたけど、髪は頭を揺らさないようにしたせいで中途半端だったようだ。もう一回、拭いてしまおうかなと思った時だった。大佐がぼそりと呟く。――へたくそ。それはほんの小さな声だったけど確かな響きをもって辺りを、つまりオレを揺らした。寝言なのか…。眠ってまで講評を告げているのか。この状況でそう言うのなら、それについてでしかない。夢現に零す声が複雑な意味を持っているとは思えなかった。例え、この奇妙奇天烈な思考の、この人であっても。そう、これは紛れもない大佐の、素直な感想に違いない。
愕然とする。へたくそ。ヘタクソ。下手糞…。何に? 誰が? そんなの分かり切ってる。オレの、セックスに、だ。黙したままの、オレに向けられている背中が静かに、しかし、確実に追い打ちを掛けていた。拒絶という、落第点を告げて。
目眩がした。どうして? どこが? この人、今日だって気持ち良さそうに声を上げて、何回もイってたし。「ハボック、大好き」とばかりに、オレの背中に腕を回して、オレの胸に頬ずりした。身体はもっと正直で、オレがその白い腰を掴めば、背骨が期待に打ち震えるし、あそこに触れれば、オレの指を感じたそこが、もっともっとと素直に緩む。緩んで解れて潤って、オレに全てを委ねて、快楽を貪るのだ。それは長い時間を掛けて培った、愛の成果。決して、オレからだけじゃない、大佐とオレの二人の共同作業の成果なのだ。
ヘタクソ。そう、まずそこからオレたちは始まった。インターバルの最中の冷たい視線に晒されてもぐっと耐え忍んで、後半戦に挑んだ。試合終了後の傍若無人で攻撃的な言動に身も心も折れこともあった。それでも、常に反省を忘れず、自分自身の切磋琢磨に努めた。友人に相談を重ね知識を積み、短所の克服に臨み、日々のトレーニングを手を抜くことなく行い、長所を強化してきた。そして、その成果がようやく実りを向かえようとしていると、オレは思っていたのに。
ハーベスト。それはオレだけの幻想だったと言うことなのか。所詮、オレの劣情が見せた幻なのか? じゃあ、オレはどうしたら良い? どうするべきだったと言うんだ!
思わず立ち上がった。勢いが良すぎてつい大佐を跨いでしまったけど、今はそれどころじゃない。高級ベッドの高級スプリングが大きく軋みを上げても、オレはそれに負けまいと唾を飛ばした。
「オレの努力を知っての、言葉ですか」
ただ視線だけで、面倒臭そうにオレを見上げる大佐。その視線が煩わしそうに僅かに下がる。
「勃ってる」
「怒ると、勃っちゃうのが男ってもんでしょ!」
無神経! そういうことって、さり気無く見て見ぬふりをするのが礼儀でしょ! どうしてわざわざ言葉に出すのかな! バカ!
幸運にも手に引っかかったシーツを腰に巻きつけつつ、大佐の冷ややかな視線を息子から遮って、渾身の思いを込めて大佐を睨み続けた。オレの怒りは大きい。ふつふつと止めどなく怒りが湧き上がっていた。
「オレは、コレでも、努力してんスよっ!」
アンタは何をしてるって言うんだ! 
大佐の視線がどんどん温度を下げていく。
「努力? だからなんだ? お前は私から努力賞でも欲しいと言っているのか?」
なんて馬鹿らしい。最後の言葉まではっきりとオレには聞こえた。「ふん」と鼻で笑い、呆れるとばかりに歪む口元。下らない。その態度と表情で雄弁に言っていた。
「オレはこういうのって共同作業だって言ってるんスよっ!」
「お前、いつも言うなあ。共同作業って」 
「そうでしょ。オレの信念ですからね! だから、何回だって言います。こういうのって、オレ一人が頑張ったって限界があるんです! こうして欲しいとか、今の良かったとか、凄かったとか、そういうの惜しまず下さいよ! それがしいては、オレを成長させて、アンタの満足に繋がるんですから!」
オレは頑張る男ですからね! 向上心もある!
大佐のカッコいい眉毛が、片方だけつり上がった。
これ以上、口を開いたら大怪我すんのは自分だと分かっているのに。分かっているのに止まれない。
「オレがヘタクソなのはアンタにも責任があるんじゃないんスか! より良いオレたちのセックスライフのために、アンタもできることはちゃんとやって!」
怒っている。とっても怒っている。でも、頭の奥の方が冷めていく。オレがこんなに怒っているのに、大佐はちっともだ。この温度差はなんだろう。オレが思っているよりも大佐は、…………。つまり、大佐にとってこれは真に望んだ行為ではなく、気持ち良いことに弱い人が何となく流された果ての行為ということなのか…。
オレの攻撃ターンは終わっていた。同時に始まる大佐の攻撃ターン。オレは防御態勢に入るのに完全に遅れていた。
「オレたちのセックスライフ? お前の頑張り? 私の満足度? 笑わせてくれる」
口の中に飲み込まれた呟き。死ね。もちろん、大佐の口は閉ざされていたから、オレの幻聴なんだと思う。この人が、オレのこと、いつもセックスしたがってウザイって思ってて、いつも死ねって思ってるなんていうのは、オレの被害妄想だってちゃんと分かってる。多分…。
さっきまで抱き合って幸せだった。手足を動かすことすら億劫そうにしているこの人の後始末をするのすら、オレには幸せでたまらないのだ。力の入らない身体を右に左に動かすのもオレの成すがまま。足を広げて、太ももの最も柔らかい部分を蒸しタオルで拭いたり、中に零してしまった自分の精液を拭うのだって、嫌で面倒なんて思ったことはない。むしろそれは自分の最も重要な仕事の一つだと思っている。大佐の負担にならないように、短時間ですっきり済ませられるよう勉強だってしてる。なのに、なのに、抱き合ってお互いの熱を感じ合って、一つになることにこんなに幸せを感じているのはオレひとりだけなんだ。――鼻の奥がツンッと痛んで、視界が揺らいだ。
いっつも頑張って、いっつも努力して、いっつも期待して、いっつも我慢してんのは自分だ。たまぁ〜にある、こんな機会をいっつも夢見て、何をしたら喜んでもらえるかなって、アレしようとか、コレを試してみようとか考えているのは自分だ。その半分もできていないのが現状なんだけど。それがちゃんとできてたら「へたくそ」なんて言われなくなるんだろうか。そもそも何がヘタクソなんだろう。でも、それを聞く勇気が湧かない。オレの泉は枯れきってしまっていた。
そう。どれだけオレがこの時を待っていたかなんて、この人は考えるようなことはないし、そもそも考えようという気持ちがあるかどうかすら分からない。胸が引き絞られるように軋む。

先ほどまで燃え上がっていた怒りは消え去り、元気に勃ち上がっていた息子もしょんぼりしてしまった。それが視界に入れば益々打って変わった悲しみが押し寄せてきた。すまない、息子よ。
そうなると、オレ一人がベッドの上で仁王立ちしていることがひどく滑稽に思えてきて、そろそろと大佐に背を向けてベッドの端に座った。スプリング悪くしちゃったかなとか考える自分が哀れだった。
ここで、もうアンタには付き合いきれないとか捨てゼリフを残して出て行ければいいのに…。出て行けない、未練たらたらなオレは、こんな情けないヤツに大佐がほだされてくれるのを待つことしかできなくて、肩を落とした。
過ぎていく時間の長さに耐え切れなかったのは、オレの涙腺だった。ぽろっと何かが目から零れて膝を濡らした。鼻を啜る。
「…………」
背後から大佐の盛大な舌打ちが聞こえた。


+ + +


好きか嫌いか。そんな二者択一にせずとも、嫌いではないのは明らかだ。いや、それでは正しい表現とは到底、言い難いだろう。そう、それは間違いなく好きな部類に入っている。
女性が「優しい男って魅力的」と、例えそこに下心があろうとも思う気持ちが身に染みて分かる。自分自身の快楽の追求のために突き進むだけの男より、相手があっての快楽と理解し、相手の状況や状態を把握し、ペースを合わせられること。それができる男は余裕があり自信があり、強さがある。大きな男だ。そしてそれは女性に「優しさ」として認定されることになるのだろう。
奴にも優しさがある。若さから暴走しがちではあるが、常に私の意向を重んじる気質がはっきりと分かる所は、特に好ましい。しかも、それはセックスに関わらず言えた。日常生活の中、全般に置いて、奴は私のことを考えて、何をしたら私が快適に過ごせるか考えて行う。正直、それが的外れなこともあるが、概ね不快ではなく、私の日常はハボックによって快適に整えられていると言えよう。今や、私は既に手遅れなのだ。ハボックなしの生活を送ることなど…。
同時に、女性が「優しい男って物足りないのよね」と零すのも理解できた。その言葉を言う女性それぞれに事情があるのだろうと思う。私にも私の事情があってそう思う…。そう、自分自身の歪んだ倫理観をどうこう言う気はないのだが、そう思わずにいられない。
夢中になってお互いを貪りつくした後、体格や基礎体力や諸々の差から、私の方が一歩も歩きたくなくなるほど疲弊するのは承知の上だ。だからと言って、お前、背中に腹に好き勝手に付けたキスマークを一個一個、手で辿って「うふふ」とか笑ってんな。まあ、それはお前の中の乙女の部分の暴走と考えて不問にしてやってもいい。だが、こんな寛大な私だって譲れないことはある。ハボック。そんなに喜々として、ひとの足を持ち上げて股を拭ってくれるな。しかも、「あ、オレの、垂れてきた。今日もいっぱい搾り取られたなあ」とか呟くな。独り言のつもりなんだろう。もしかしたら、口に出している自覚はないのか。――ひと眠りしたら体力も回復する。そうしたら、自分で後始末ぐらいする…。いやしない。そう思うだけだ。自分はもうそれを積極的にはしない。楽だから、楽ちんだから、情事の後、ハボックの手に身体を委ねてしまうことに慣れてしまった。ああ、私は本当にダメな人間になってしまった。
ハボック。ハボック。しかし、こんな私といえども、煌々と輝く照明の下で、釣り上げた魚の内臓を抜くように、足を開かれ、尻の穴に指を突っ込まれ、お前の精液を掻き出されるとか、正直、戸惑う…。これが羞恥プレイの一環ならまだしも、お前、情事の色もなく真剣に行うから。それは既に介護の域に達している。しかも、機械的に効率だけを求めた介護だ。そこに心はあるのか。そこに愛情があるのか。お前に問いたい。
私は、お前の愛を感じない行為であっても、勃起させている自分が死ぬほど恥ずかしい。しかも、お前、私の半勃ちに気付いていないし! 何か言えよ、コラ! そして、同様に問題なのは、私がこの事実、私がこんなにも恥ずかしいと思っていることを、お前に伝えることができずにいることだろう。それを言ったら、私はアイデンティティの崩壊に到り、ロイ・マスタングではなくなってしまうだろうから。
私はそれを恐れている。ハボック。介護宜しく、私の身体を右に左に動かして瞬く間にシーツを新しいものに変えてしまう男。その有り余る体力を駆使して好きなだけ腰を振り、私を落としてくれればいいのに。それこそお前が好きなだけ後始末しても起きないほど。お前の優しさが歯痒い。お前の無神経さが腹立たしい…。
部屋の照明がやっと落とされ、ついでにベッドサイドの明かりも落ちる。ハボックによる、心無い私の辱めが終了した合図に、ゆっくりと寝返りを打ち、ハボックに背を向けた。満ち足りた長いセックスの充足感が萎んでいた。下手糞。いや、上手すぎるのが逆に良くないのか? まあ、なんでも良いから、もっとさり気無く後始末を行ってくれ。いや、しなくていい。いやいやいや、それは私が大変だ。中出しをしなければ良いんだ。根本的に。…………。

ハボックが勢い良くベットの上に立ち上がった。私を跨いで見下ろし、その垂れ下がった眉を吊り上げていた。どうやら、私の呟きが零れていたらしい。
「オレの努力を知っての、言葉ですか」
確かに。お前の技術は格段に向上した。それを、身を持って知っている。しかし、論点はそこではないのだ。技術の向上の方向性について、お前は迷走しているんじゃないのか。
「勃っている」
「怒ると、勃っちゃうのが男ってもんでしょ!」
同感だ。しかし、それを無視するのも大人げないと思う。指摘することもまた優しさと言えよう。私だって、あの時、勃っていると言われたら、「これはそういうプレイなのか」と蚊の鳴くような声で応えて、自分の恥ずかしさを自分の人格が崩壊しない程度に、それとなく伝えることができたかもしれないのに。
「オレは、コレでも、努力してんスよっ!」
何度もくり返すほど、努力していると言いたいのか。どこか実地で? 介護施設とか? あ、なんかイラってきたぞ。老人たちの介護を一生懸命笑顔で行っているハボックの姿が容易く想像できた。それは未来の私の姿なのか?
「努力? だからなんだ? お前は私から努力賞でも欲しいと言っているのか?」
「オレはこういうのって共同作業だって言ってるんスよっ!」
「お前、いつも言うなあ。共同作業って」
いっつも言うから、そういう意識になりつつあることを今や自覚している。
「そうでしょ。オレの信念ですからね! だから、何回だって言います。こういうのって、オレ一人が頑張ったって限界があるんです! こうして欲しいとか、今の良かったとか、凄かったとか、そういうの惜しまず下さいよ! それがしいては、オレを成長させて、アンタの満足に繋がるんですから!」
イイとかスゴイとか、惜しみなく言っているぞ。聞いてないのか。聞いてないんだろうなあ。もっともっとヤりたいならヤりたまえよ。私は構わない。気絶して終わった方が熟睡できるし、後始末を全部お前に任せてしまう罪悪感もなくなるから、翌朝気分が良いんだ。清々しさすらある。
それにしてもよく喋る。ボキャブラリーもちゃんと増えているし、文脈をもって喋っている。明らかな語学力の向上だった。安心したぞ。これもまた私の尽力の成果だな。
それにしてもうんざりするほど、元気だよ、全く。
「オレたちのセックスライフ? お前の頑張り? 私の満足度?」
共に色々と言いたいことはあるのだろうが、私たちのセックスライフは充足しているだろう。それは同じ認識だと思っている。お前には申し訳ないが、これ以上回数を増やすことは無理だと思うのだが、一回一回の時間は長い。翌日の予定をあまり考慮しないで済むようなスケジュール管理をしている。ここに私の努力を見て欲しい。そして、お前の頑張りを私は認めている。著しい技術の向上についてはどこも否定する部分はないだろう! 私の満足度は全体的に高い。うん。
「笑わせてくれる」
しかし、論点はそこではないのだ。ことが終わった後の話を、私は言いたい。だが、恥ずかしいからやめてとは口が裂けても言えない。言いたくない。止めて欲しい訳でもないのだ。やり方が問題なのだ。さて、ここは腕の見せ所と言えよう。ハボックにも理解できるように話してやらなくてはならない。それは私の責任でもあるとハボックが言うのだから。
「…………」
ハボックは私の言葉を待たず、顔を背けた。そのまま、音を立てずベッドから降りて、腰掛ける。そして、なんとグズと鼻を啜った! 泣いているのか、まさか! ついうっかり舌打ちが零れると、ハボックが透かさず言う。いつもより背中を丸めて、ごしごしと腕で目元を擦りながら。
「ちょっと、アンタ。言っときますけど、オレ、泣いてませんからね…」
泣くほど努力している。その気持ちは十分に伝わった。舌打ちは単なる反射だ、すまない。
わがままで自分本位で、ダメな人間なのは自分であり、更にダメな要求をしようとしている。自覚は著しくあるとも。だが、それが何だっていうんだ。私は今ある幸せを手放す気はなく、更により良いものにするために努力を惜しまない。お前を見習おう、ハボック。うん。私たちは共に努力を積み重ねて行こうではないか。
「大佐…」
恐る恐る振り返り、様子を伺うその目元がまだ少し濡れていた。
「ん?」
「怒ってます?」
「いや、別に?」
素直な感想を言うと、途端に喜々とした表情を浮かべる。忙しない奴だ。
「オレ、努力します」
ハボックが向上心を持って宣言した。なんと頼もしい。しかし、私はそれをお前ひとりの問題にはしない。私が責任を持って、私好みにカスタマイズしてやろう。だから、安心するが良い。
「うん」
共に、努力をしていこう。


   +++


「ブレダ。あー、ちょっとイイ?」
士官学校から腐れ縁の続く親友が、珍しくも人の都合を気遣う様子を見せたから、男気の厚い俺としては、話ぐらい聞いてやってもいいと思った。そして、同時に既視感。前もこんなことがあった。確かにあった気がする…。それでも、きっと前と同じことを言った。
「おう、いいぜ。先にこれ終わらせちまうから、ちょっと待ってろ」
ハボックが神妙な顔をして頷くのを目の端にいれ、ああこれはまた恋の悩みだと思い至る。面倒くせぇ。
俺を人気のない喫煙所まで引っ張って来て、ハボックは更に左右を確認し聞き耳が立っていないことを確認してから、憮然とした表情でボソボソと呟いた。が、ちっとも聞こえない。
「はっきり言えよ。初潮でも来たのか? なら赤飯炊いて大体的に祝ってやるよ。もちろん、大佐もホークアイ中尉もヒューズ中佐も呼んでやろう」
大佐とハボック。どっちかが女だったら、この二人の間にある問題は容易く解決したんじゃないかと思うことがある。案外、大佐の方が先にプロポーズするのかもしれない。あー、そうすると二人の最大の障害はヒューズ中佐になって、またハボックが止めどもなく嫁姑問題の相談を俺様に持ち込んでくるんだろう…。
「モジモジしてんなよ。さっさと言え」
それでも、口をへの字に結んで、喫煙所全体に尋常ならざるオーラを漂わせる。幸運なことにその場にいたのが俺たちより下位階級のものたちだったから、場の空気を読んでくれて、席を外してくれた。目線だけで、申し訳ないと謝罪する。そして、彼らが十分離れたことを確信して、ハボックが口を開いた。
「下手糞だってっ! 言われたんだけどっ!!」
またこれか…。今度は後戯に役に立つとでも言って、老人介護の本でも貸してやろう。



2014/10/12
SPARK9の新刊(印刷できなかった事情の…)のエッチを省いたもの。
エッチな部分はどうせなら書き足したい。