「trick or treat
?」
東方司令部のエントランスに足を踏み入れたとたん目の前に現れた軍人にエドワードは胡乱な目をむけた。
自分の記憶に誤りがなければ、この目の前で胡散臭くも無邪気な笑みを浮かべている軍人は、焔の銘持つ国家錬金術師にして国軍大佐の地位に着くロイ・マスタングであり、どれほど童顔に見られようとももうすぐ三十路の人物であるはずである。
―――――たぶん。
だんだん自分の記憶に自身がなくなって来る。
白いシャツに飾り裾を外した青いズボン・・・まではまあ良い。なぜそのうえから黒いマントをはおり、その手には菓子の入った籠が下げられているのだろう。オマケにその頭には黒い猫の耳までついている。
「trick
or
treat?」
再度、軍人が問うてくる。その笑みをさらに深くして。
そもそもここは本当にアメストリスはイーストシティの東方司令部なのだろうか。疑心暗鬼に陥っているエドワードの横で、密かに大物な弟があっさりと疑念――もしくは逃避――を打ち破った。
「お久しぶりです、大佐。ハロウィンですか?」
「そうだよ、アルフォンス。ところで鋼の、そんなふうに頭を抱えていたらますますちいさ・・・」
「だれがカボチャの種より小さいって―――――!!!!!?」
「言ってないよ、兄さん」
「そうだな、カボチャは言ってない」
「小さいは言ってるんじゃないか!」
「大佐・・・」
無駄に煽る大人にため息を付きつつ、アルフォンスは慣れた仕草で今にも飛び掛かろうとする兄を羽交い絞めにした。
「で、どっちだ?」
興味津々といった目を向けてくるロイに、兄弟は先程の二択を思い出した。
一心にこちらを見つめる様子は子供みたいで、エドワードはあんた幾つだよとぼやいた。
「ええ・・・っと。あ、これ先日立ち寄った町のお土産です。皆さんで召し上がってください」
アルフォンスが自身の鎧のなかから取り出した包みを籠に入れてやると、ロイは嬉しそうに礼を言った。その際、急に手を離されたエドワードが落っこちたのはスルーされている。
「で、鋼の?」
「ちょっとまて。二重奪りするつもりかよ。それは俺たちふたりからの土産なんだけど!」
「何言ってるんだ鋼の。どうせアルフォンスが言わなければ土産など買わなかっただろう?それにひとり一品、としているからね。出した者勝ち」
一瞬言葉に詰まったエドワードに、ごめんね兄さんという弟の声がなんだか遠く聞こえた。
「鋼の?」
小首を傾げて覗き込んでくる国軍大佐に、なんだか為す術がない。
「ねぇよ!」
「ふむ。ではtrickということで」
言うと何やら籠から取り出し、ひょいと手を差し出した。思わず受け取ってしまったエドワードの掌に置かれたものはミルクキャンディー。
「てめ・・・・・・!」
「怒りっぽくなるときはカルシウムが不足しているのだぞ?ついでにその身長・・・」
「何度も何度もうるさいわ!」
再度暴れる兄をやはりアルフォンスが羽交い絞めにした。
その様に、相変わらずでなにより、とロイは言う。
「ああ、そうだ」
そしてふと思い出したかのように、いっそ無邪気に笑うその存在に、エドワードは嫌な予感がした。その漆黒のまなざしは、透きとおっているのに深すぎて底が見えない。何を考えているのかなど、分かりはしない。
「きみたちがいつかこの世を去ったとき、1日だけ戻って来られるならば、何がしたい?」
「死後なんて、信じない」
むっとしたようなエドワードの答えに、ロイはくすくすと笑う。
「では言い方を変えようか、鋼の錬金術師?あの世の有無など問題ではないのだよ。きみの死後、きみの魂の情報が1日だけ再現されるならば、何をする?」
エドワードが口を開くよりも早く。
「僕だけ?みんなも?」
アルフォンスがぽつりと零した。
「皆も、だよ。だってハロウィンだからね」
「じゃあ、僕はみんなに会いたいな。いろいろおしゃべりして・・・、うん、ハロウィンパーティーでも出来たら楽しいな」
兄さんも一緒だよ、と言われてエドワードは反駁する術を失う。
「良い答えだ」
兄弟の答えを気に入った様子で、ロイはついと踵を返した。
「ここでは何だから、入りなさい」
不味い茶でも出してやろう、というあまり有り難くない誘いに、後に続こうとしたアルフォンスはちょっと首を傾げて付け加えた。
「大佐も、一緒ですよ?」
その言葉に振り返ったロイの目はまんまるで、まるで子供みたいに無防備に、驚いたという表情をしていた。
「ありがと、う」
困惑したふうに呟いて、でもね、と続けた。
私は入れないよ。
その意味は、その時兄弟には分からなかった。
だいたい、とエドワードは思う。あの大佐も大概だけれど、彼を放置している司令部の面々もどうなのだろうと。
「あれ?ヒューズ中佐、お久しぶりです」
「おう、二人とも久しぶりだな」
兄弟が司令室のドアを開けると、なかには最早顔馴染みになってしまった軍人たちに加えて、セントラルの中佐までもがいた。
「お前たちロイに遭遇しなかったのか?」
「したよ、エントランスでバッチリ」
「結果は?」
「アルは土産を渡して難を逃れた。で、オレはこんなもん押し付けられた」
心底嫌そうな顔でミルクキャンディをみせるエドワードに、ささやかな笑いが広がる。
「ところで大佐はどうした?」
「途中でオネーサンとお菓子に引っ掛かったから先に来た」
火のついていない煙草をくわえた金髪の少尉に、憮然とした顔でエドワードは答えた。
「つーか良いのかよ?仮にも大佐があんなことしてて」
「本日分の仕事は終わってるからな」
「しかもあんなカッコで」
「ホークアイ中尉のプレゼントだそうだ」
「へ?」
恐るおそる東方司令部の影の支配者を見遣ると。
「似合っていたでしょう?」
いつもと変わらぬ大真面目な表情で聞かれた。
否とも言えず――言えないのが問題なのだが――適当に誤魔化すが、それにしたって年上の男の上司に猫耳をプレゼントするのは如何なものだろう。
類は友を呼ぶ、同じ穴の狢・・・等々の諺がエドワードの脳裏を駆け巡るが、彼はそれらが我が身に降り掛かることは完全に失念している。
ヒューズはそんなエドワードの様子と、あまり動じていない弟とを見比べて苦笑した。
「まあ軍なんてもんは、唯でさえ堅苦しいとこなんだ。ささやかなサプライズくらいは大目に見てくれや」
「たまには童心に帰れって?」
「いや、あいつの場合帰る童心はないからな。曰く何事も経験、だとよ」
さらりと、ともすれば流されそうなそれを聞きとがめた兄弟の様子にヒューズは軽く肩を竦めた。
「無駄な忠告をするなら、だ。時間なんてものは嫌でも過ぎていくんだから、今のうちにしか出来ないことはちゃんと消化しとけ」
でないと、といってカルく背後を指差す。
「こーゆー駄目なおとなになっちまうぞ」
「ナルホド」
やたらしっかり頷いたエドワードに、ちょうどドアを開けて入ってきたところのおとなは親友を睨みつけた。
「ヒューズ、お前なんか変な事を教えただろう!」
「いんや、事実を言ったまで」
「なお悪いわ!」
ぺし、と頭を叩かれ、ヒューズはちょうど手にしたコーヒーを危うく零しかけた。
「ところで収穫はどうよ」
「見ろ、大量だぞ!」
手にした籠を掲げて嬉しそうに胸を張るその姿は、とてもじゃないが東方司令部の実権を一手に握る人物には見えない。
さらに彼は嬉々として親友に迫る。
「ヒューズ、Trick or Treat
?」
「昨日グレイシアの手作りパイをあげただろうが」
「あれはグレイシアからだろう」
「はいはい」
なんだかんだ言いつつも鞄をあさるヒューズにはこの展開は読めていたのだろう。取り出したクッキーの包みを籠に入れてやる。
「ほら、お前が好きだった店の」
差し出されたそれに、ロイは懐かしいなと呟いた。
次なる標的は副官殿。やや控えめに決まり文句を告げる上司に彼女が取り出したものは、可愛らしくリボンで飾り付けを為されたキャンディレイ。あまつさえそれを彼女は上司の首に掛けてやり、貰った上司も至極嬉しそうだ。
「えーと・・・・・・?」
困惑するエドワードを他所に、次にロイは番犬のもとへと向かった。
「どっちだ?」
「えーっと、今晩パンプキンケーキ作ってあげますから、じゃあ駄目ですか?」
「駄目。いま」
「じゃあ・・・trickで」
降参と両手を挙げるハボックに、ロイはおもむろにマジックを取り出すと、悪戯っ子そのままの表情でにじり寄った。さらには椅子に座るハボックの膝に乗り上げ、その金髪を掴んで顔を固定すると、頬にでかでかと「駄犬」と書いた。
「ちょ、大佐、何書いてんですか!」
ハボックは、己の膝のうえに座り込んだままの上司をさりげなく支えながらも、しっかり苦情を申し立てた。
「タレ目、と迷ったんだけどな」
そっちの方が良かったか?と悩むロイにがっくりと項垂れる。
「あ、でもパンプキンケーキも作りたまえよ?」
小首を傾げてのぞき込んで来るロイに、もちろんハボックには否やはなかった。
ロイは満足気に肯くと膝から降り、次の標的へと邁進する。
この軍部らしからぬ甘くもむず痒い空気に、エドワードはくらりと眩暈がするのを感じた。
(うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・・・・)
何から如何つっこめば良いのかすら分からない。とにかく何かを叫びながら辺り一帯を走り回りたい。だがしかし。そのようなことをして、危機にさらされるのはエドワードへの評判であって、元凶たる面々にはなんら痛痒を与えない。
「中尉」
エドワードはすっくと立ち上げると、そもそもここへ来た理由である報告書の束を取り出し、ホークアイへと半ば押し付けるようにして手渡した。
「オレ、もう帰るから、この報告書を大佐に渡しといて。イーストシティにはしばらく居るから不備があったら連絡して」
「もう帰るの?」
「なんかちょっと疲れたから・・・」
精神的に。こころのなかで付け加える。
「あら、じゃあ今日はゆっくりしなさいね?」
「ありがとう。じゃ、また来るから」
一緒に帰るという弟と連れ立って司令部から退去する。門を出た途端、大きくため息をついて道端にしゃがみ込むエドワードに、どうしたのと相変わらずマイペースに聞いてくるアルフォンス。そんな弟を見上げ、そしてそびえる東方司令部を見上げ、エドワードはやっぱりここは鬼門だと、認識を新たにした。
+++
ふと窓の外を見遣れば日も大分傾いていた。
「おーい、ロイ、俺もう時間だから帰るわ」
「もうそんな時間か」
さっさと帰ってしまったエルリック兄弟にちょっとばかりすねつつも、大量の収穫を幸せそうに選別していたロイも時計を見上げた。
横の副官を見ると、鷹揚な肯定が得られた。
「駅まで送っていこう」
立ち上がった親友に、そいつは嬉しいが、と言ってヒューズは目の前の彼をまじまじと眺めた。
「仮装、ちゃんと解いてから来いよ?」
「ああ、忘れていた」
いたって暢気に、自らの頭へと手を伸ばす司令官に室内からはそのままで、などと野次が飛ぶ。
良い場所だ、と思う。
ロイにとって、ここが羽を伸ばせる最後の場所だとヒューズは知っている。先にはもう、険しい道しか残されていない。
(だから、多少のサプライズも)
子供染みた我が侭も。皆で許してしまおう。
遠からず、彼はこのあたたかさを失うのだから。失わずにいける、なんて。
「よし、行くぞ」
「おいおい、肝心の俺を置いていくなよ」
勝手に出て行くロイの後について、最早なれてしまった東方司令部の廊下を歩きながら。
都合の良いことを、いつも願っている。
街はハロウィン一色だった。やわらかに染まる空に、ジャック・オ・ランタンが燈りはじめる。建ち並ぶ家々や店には、悪霊が入り込まぬようにといういわれの飾りが施され、道行くひとの目を楽しませてくれる。いつもは無骨な駅舎もささやかに飾りつけられているのは御愛嬌だ。
「あーあ、今年はエリシアちゃんとハロウィンが過ごせなかったな。俺が東部に出張じゃなしに、お前がセントラルに来てたら完璧だったのになぁ」
「知らん。文句は上層部に言え」
「ロイくん、冷たい・・・」
ぼやくヒューズの顔を覗き込み、ふとロイはくすくす笑い出した。
「おまえは・・・」
「なに?」
「いや、聞くまでもないなと思って」
ひとりで納得している親友の、自分より低いところにある頭を掴んでヒューズは引き寄せた。
「こら、ローイ、勝手にひとをネタにしないで説明しろ。なにが聞くまでもないって?」
白状しないとキスするぞ、と脅すヒューズの碧の双眸を、明るくひかりをはじくロイの漆黒のそれがのぞき込む。
「今日はハロウィンだ」
「そうだな」
「死者の魂が還ってくる、という」
「否定するかい、錬金術師殿?」
悪戯っぽく問うヒューズに、そうでなくて、と返ってきた。
「もし、お前が死んだ後、1日戻って来るのなら何をするのかと」
「ロイ?」
「お前のことだから、グレイシアとエリシアに会いに、まっすぐ彼女たちのところへ行くのだろうな」
笑うロイは至って上機嫌だ。紛うかたなく。けれどもそれだけではない。
ヒューズは引き寄せた頭をくしゃりと撫でた。
「もちろん、決まってるだろう。限られた時間を我が女神と天使と過ごさずして何をする!」
もちろん、と言葉を挟む時間を与えずに続ける。
「お前も一緒だ、手のかかる親友。最高の癒しのお裾分けをしてやろう。ありがたく思えよ?」
「お前のだだ漏れの家族愛の余波を私に向けるんじゃない!」
ぺしっと頭に乗せていた手を払われ、冷たいねえとヒューズは肩を竦めた。ちらりとみた時計は発車予定時刻まであと少しを指している。ヒューズは足元に置いていた荷物を持ち直した。これから夜行でセントラルに帰還する。
「それじゃ、ロイ。またエリシアちゃんの可愛くもありがたーい成長の様子を聞かせてやるから、楽しみにしてろよ?」
「用件だけにしろ」
相も変らぬにくまれ口を別れの挨拶に、ヒューズは汽車に乗り込んだ。その際、親友の背後に控え頬に落書きをくっつけた番犬と、一瞬視線が絡む。
(コイツをちゃんと、見ていろよ。ふらふら、どっかに行っちまわないように・・・)
音にならぬ声を置き去りに、ゆっくりと汽車は動き出し、遠ざかる街並みにヒューズにはただ託すしかない。
ひとの感情というものは複雑に絡みあっていて、本人が自覚しているのが全てではないし、表層に出ているものもまた、全てではない。特にロイには、いっそ人間離れしていると言ったほうが良いところが多々ある。
「相変わらず、破綻してるな」
夕闇に沈んでゆく景色を映しながら、いつだったか聞いた伝承をヒューズは思い出していた。
ハロウィン――万聖節前夜。
それは・・・
一度司令部に戻ってから定時に帰宅。途中で買い込んだ食糧を手に、そろってロイの家のドアをくぐった。
家主は至ってご機嫌だ。表面上は。シャワーを浴びて、夕食を終えてもまだ浮かれた空気を纏っている。もっともハボックには今日のロイの機嫌のよさが表面上だけではないこともしっかりわかっていた。
(でも、このひとの場合、その理由が常人と同じであるとは限らない)
ロイの感性はとことん奇抜に出来上がっている。彼に近しい人間にはそれが身に沁みていた。
夕食後、場所をリビングへと移し、ワインを片手に、ロイはパンプキンケーキをしっかり抱え込んでいる。食べ過ぎないでくださいね、とハボックはクギを刺した。
「trick
or
treat」
今日幾度も口にした言葉を、ロイは歌うように口ずさんだ。
「ああいうこと、お前もやったのか?」
「やりましたね。どっちかって言うと悪戯考えるほうが好きでしたけど」
懐かしくも優しい光景。結局自分はなにも返さずに、あの地を出てきてしまった。
「お前などに悪戯されたら、さぞかし後片付けが大変だろうな」
「だから菓子くれるんでしょうが」
「もっともだ」
酔っているのでもないのに、珍しくも甘えるようにハボックにすりよってくる。そのまんま、猫みたいなひとをハボックは腕に抱きこんだ。
「今日はえらくご機嫌ですね、大佐」
「そうだな」
じっと、のぞき込んでくる真っ黒なロイの目は鏡みたいにハボックをうつしていて、吸い込まれそうな心地になる。
「ハボック、お前ならどうする?」
「何が」
「死んだ後に、1日だけこの世に戻れるとしたら」
ヒューズ中佐にもした質問だ、とハボックは思い当たる。本当はエルリック兄弟にも為されたものだが、それはハボックの与り知らぬところだ。
また、何を考えているのやらと内心で嘆息する。複雑怪奇な思考の大半は、単なる天然だから始末に終えない。たとえ、端から聞いているものがどれだけ痛かろうと、本人は何も思っていなかったりするのだ。
「・・・大佐だったら、どうしますか?」
「私?特になにも思い浮かばなかったから聞いているんだ。強いて言うなら本を読んで寝てるくらいか?」
1日では野望を如何こうは出来ないしな、と続けた。
「で、普通ひとは何をしたいのかが気になったんだ。言うなれば生態調査か。だから答えろ」
まるで自分が別のいきものみたいに言う。最もこれと同じいきものだとは、ハボックも時々疑問に思うことではあるのだが。
逢いたいひととか居ないんですか、とは聞けなかった。一応躯を重ねる関係にあったりするので、完全否定されるのが少し恐かったのがひとつ。そして、もうひとつ。
(このひとがニンゲンに関ったり、しなければ)
こんな生をいきることもなかったろうにというのは、彼に近しい好意を抱く者が一度は思うことだ。甦ってまで、ひとと交わるのは苦痛だろうか。
けれども、逃さないとばかりにはねた金髪をぎゅっと掴んで、のぞき込んでくるロイは、好奇心旺盛な裏表のないこどもみたいだ。
「―――――俺は、大佐に逢いにいきますよ」
「私に?ヒューズと言い、随分物好きだな」
「知っているでしょう?飼い犬はご主人様を逃したりはしないんですよ」
「お前、それは猟犬と獲物の間違いだろう?」
「それで、時間のある限り、あんたへの愛をささやいてあげますよ」
「それこそヒューズではあるまいし。公害だからやめろ」
逃さない、とばかりにぎゅっと抱きしめる腕にちからを込めるハボックに、くすくすとロイは笑う。
「ハボック、私に1日なんてないよ」
ふと、そんなことを言い出すひとに、ハボックは顔をあげた。
「1日なんて、出来ることは限られている。誰もが、それに愛を選ぶわけではあるまい」
数え切れぬ憎しみを負うひとは笑う。彼の存在の消滅を願うものは如何ほどだろう。
そして、彼はきっと死んだ後の憎しみには逆らわない。
自分には存在しない一日をひとは何をして過ごすのか、そう考えたというのか。
「大佐、それでも俺はあんたに逢いに行く」
たとえこの世を去る時、自分が殺されたのだとしても彼が殺されたのだとしても。復讐よりもまずアンタに逢いに行く。
「アンタを野放しになんて危なくて出来ない」
「猛獣扱いか」
「でっ!」
強く髪を引かれ、恨めしげに視線を寄越す番犬に、ロイはその手をしなやかにのべる。
あくまでも自分から離れないという犬に、せめてもの慈しみを込めて。
「ハボック」
見上げる漆黒の瞳は、ほんのりと酒気をおびてなおいっそう艶やかだ。
「今日は、ハロウィンだ」
「そうですね」
「年下のお前に特別に選ばせてやろう」
trick
or
treat?
一夜限りの呪文は、ささやかな免罪符。甘やかな誘いにハボックは逆らわず、手をのばした。
―――――今日はハロウィンだ。
(ああ、そうか・・・)
とおい日にきいた伝承を思い出す。
今日はハロウィン。其は悪魔の祭り。
(だからあんたは、はしゃいでいた)
「万聖節の前夜、悪魔は解き放たれ、死者は良きも悪きもこの世に舞い戻る」
fin