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アルバイトをしてみよう +
うららかな春の日、朝食を終え、読みかけの本に取り掛かろうと自室へもどろうとすると、玄関から出かけようとするハヤトと行き会った。
「あ、キール。いってきます」
「……いってらっしゃい」
彼は釣竿と魚籠を抱えている。ちょうど台所から顔を出したリプレが「がんばってねハヤト。大物、期待してるから!」と声援を送った。夕飯の魚を釣りに行くんだ。もうすっかり日課になってしまっている。
その後ろから正装したレイドも出かけていくのが見えた。彼は騎士団の副団長を務め、サイジェントのため、市民のため、何よりフラットの経済状況のために多大な貢献をしている。
そういえば、と僕は思った。エドスはもうずっと早くに、僕がまだ朝食を食べている間に忙しく出かけていったっけ。
「さ、お洗濯お洗濯、と。アルバ、フィズー! 手伝ってー!」
リプレも鼻歌を歌いながら中庭に消えた。「はーい」と元気な返事がユニゾンで、さらにそのあとに「モナティもお手伝いしますの!」とかわいい声が続いた。
僕は唐突に気づいた。このフラットにいる人間は、みんな働いているんだ。
「キールおにいちゃん……」
マントを引っ張られ、ちょっと思考が現実から飛んでいた僕は慌てて見下ろした。ぬいぐるみのクマさんを抱えた少女が僕を見上げている。
「ラミといっしょに、ごほん、よも……?」
もしかして。僕はまた気づいた。僕はラミちゃんと同レベルの扱いなのか?
「そういうわけだから、僕も何か労働をしようと思うんだが、どうだろう」
「それを俺に相談するのがまず間違ってるよな」
ガゼルのツッコミは相変わらず鋭い。僕はうなずく。
「確かに僕も、恥ずかしげもなく平然と暇そうにしている人に相談しても仕方ないとは思う。でも、同じようにぶらぶらしているのが君しかいなかったんだ」
「……言うようになったじゃねえかキール」
ガゼルは一瞬威嚇するような表情になったが、「や、元からかコイツ」と言ってすぐもとの表情に戻った。
「ならハヤトの釣りにでもくっついていけよ。それでいいだろ」
「釣りしている人の横に座ってるだけというのは、労働ではないよ」
「おまえも釣竿持ってけばいいじゃねえか」
「前に行ったけど、僕の方には何一つかからないんだ。三日ねばったけどダメだった」
「才能ねえんだな……」
ガゼルは天井を仰いで嘆息した。
「エドスみたいに石工の仕事しろとは言えねえしな。ジンガみたいに腕っ節比べの挑戦者から金まきあげろとも……」
「それだ、ガゼル」
いいアイデアに僕は思わず手をたたいた。
「大通りで召喚術の挑戦者を募って、挑戦料を取ろう。勝てたら賞金1万バームくらいにしとけば誰かひっかかるだろうな。よし、さっそく……」
「待て待て待て待て」
出かけようとした僕を、マントを引っつかんだガゼルが止めた。
「お前の冗談は冗談に聞こえないからやめろってんだよ。肝が冷えるから」
「冗談なんて言ってないよ。心配しなくても、負けたりなんかしないから1万バームは大丈夫だ」
「そこで冗談だよって言ってくれたらその方がよかったんだけどな……。
あのな、まず挑戦者がいねえよ。いても困るよ。街中で召喚合戦したら騎士団来ちまうよ。騒ぎの中心がお前だってわかったらイリアスもびっくりだよ。レイド困らせんなよ!」
とうとうと叱られてしまった。そこへ、
「ガゼルさん!」
と窓をたたく人影があった。名前は知らないが見覚えのある顔が、横手の窓から覗き込んでいたんだ。
「北スラムで、また若いのがケンカ始めちまって……。オレたちじゃ止まらないんです! 来てください!」
「ちっ、仕方ねえな」
ガゼルは舌打ちする。窓から覗き込んでいたのは、北スラムの不良の1人だ。いつのまにかガゼルが、バノッサを亡くして統制を失った彼らのリーダーのようになっていたんだ。
「ちょっと行ってくる。お前はラミの相手でもしててやれよ。間違っても召喚術対決なんかすんじゃねえぞ」
「でも、僕には召喚術くらいしか芸がないし……」
ガゼルはまた舌打ちして
でも、いらだった風ではなかった
頭をかいた。
「小さい頃から召喚術の勉強ばっかさせられて、遊んだりしたことなかったんだろ?
今はしばらくのんびりすりゃいいじゃねえか。リプレもそう思ってるからおまえには何も言わねんだよ」
そして開けた窓を乗り越え、さっさと北スラムへと走っていってしまった。
……逃げられた。という感じがぬぐえないのはなぜだろう。
「僕を、ここで雇ってください」
言った僕を、シオンさんは上から下まで、穴があくほど眺め渡した。薬処あかなべの店先だ。
「……せっかくのお申し出、お断りするのは心苦しいんですが、うちは2人も店員を雇えるほど儲かってはいないんですよ。すみません、キールさん」
「そうですか。いえ、いいです。おじゃましました」
おとなしく立ち去ることにする。ここに来るまでに、告発の剣亭で断られ、森でスウォンに困った顔をされ、ダメ元で商店街の道具屋に行ってみたけどやっぱりダメだった。ここにもダメだろうなと思いながら来たんだけど、予想通りだったようだ。
仕方ない、もう一度商店街に行って、求人が出ていないか探してみよう。とあかなべを離れようとした後ろから、
「キール、キール!」
呼ばれて振り返ると、建物の隙間から
あかなべの店先からは見えない位置だ
くのいちのアカネが手招いていた。
「なになに? バイト探してるの?」
「ああ」
うなずくと、アカネは珍獣でも見るかのような目で「へえ〜え」と僕を眺め、
「じゃあさじゃあさ、アタシの代わりに、これ、行ってきてくれない?」
紙切れを差し出した。場所と、日付と、少々の金額が書いてある。
「小遣い稼ぎに引き受けたんだけどさ、お師匠の目を盗んでいくのが難しそうで……。代わりに行ってきてよ。ね! 難しい仕事じゃないからさ」
一方的にしゃべり、僕の手にメモ書きを押し付け、
「じゃっ! 頼んだからね!」
しゅっとその場から姿を消した。残ったのは僕と、手の中のメモ書きだけ。僕は声に出して、それを読み上げた。
「日給500バーム。場所、アルク河畔。仕事内容は……」
「花見の場所取りをしてもらうんだけどねえ……」
アルク河畔で僕を迎えた中年の男は、じろじろと僕の格好を観察した。
「もしかして、召喚師さん?」
「そうです」
即答すると、相手はかなり嫌な顔をしたが、
「ま、落ち着きのある人ならぴったりかもなあ」
そう言って僕を、よく咲いたアルサックの下へと案内した。
「そこにござがたくさん巻いてあるだろ? それを全部この下に敷いて、敷き終わったらその上で番してて。花見は夕方ころからだから。じゃ、頼んだよ」
さっさと行ってしまう。僕はその背を見送り、それから指し示された場所に向き直った。運んできてそのまま放り出したと思しきござが、ごろごろ転がっている。
「あれを全部木の下にしいて、敷き終わったら上で番をする……か」
仕事内容を復唱した。ふと、人生初のアルバイトだ、という自覚が沸きあがってきて、急にどきどきした。
そうだ、生まれて初めて、僕は働いてお金を稼ごうとしているんだ。妙な興奮が僕を包んだ。無色の派閥のため、父上の野望のためだけに生きてきた僕が、ささやかとはいえまっとうな仕事をして給料をもらおうとしている。そんな未来を、かつての僕は一瞬だって予想しただろうか。
「……よし、がんばろう」
声に出して言った。他人から見れば簡単な仕事かもしれないが、いや、だからこそ、この生まれて始めてのアルバイトをしっかりやり遂げよう。
そう決めればすることは一つだ。
「ポワソ! タケシー! ライザー! ゴレム! 来い!」
掲げたサモナイト石が次々に光を放ち、ユニット召喚獣たちが姿を現した。
「そのござを辺りに敷くんだ。手伝ってくれ」
号令をかけると、彼らはわらわらとござに飛びつき、ごろごろと広げ始めた。意外と力持ちな召喚獣たちのこと、あっという間に辺り一帯が僕の守る領土になった。
「よし。あとは番をするんだったな」
ござの上に座り、いろいろと考えた。ほかの花見客が間違ってござに入ってきてしまった時のための、説明用の言葉も考えた。ガラの悪い奴らが、ござの上のスペースを奪おうと襲ってきたときのための、応戦方法も考えた。が……。周りに花見客は増えたが、ただの一人として、僕が番をするござのうえに侵入しようとするものはいなかった。
「平和だなあ……」
つぶやいて頭上のアルサックを眺めた。今はもう昼も近く、あちらこちらでよその花見が始まっていて、どこかから音楽や歌が流れてくる。僕と並んで番をしていた召喚獣たちも、今は座っているだけに飽きたのか、ござの上を跳ね回ってみたりころころと転がったり、ござの端ぎりぎりまで行って、流れてくる音楽のほうへと身を乗り出したりしていた。
一度だけ、ガラの悪そうな数人が、げらげら笑いながらこのござの上に土足で踏み込もうとしてきた。が、僕を……もしくは周りで跳ね回る召喚獣たちを見たとたん、見事なかかとターンをきめて来た方向へ戻っていった。そうか、一般市民は、召喚師といざこざは起こしたくないのか。……それとも彼らは、バノッサとの乱闘のとき、僕のブラックラック試し撃ちに巻き込まれた誰かだったんだろうか。
ハヤトが家計をやりくりして黒曜石の指輪を買ってくれたときは嬉しかったな……。マーン3兄弟に沈黙がかかったときは、仲間から拍手が沸いたっけ。そんなことを考えながら、僕はだんだんと眠くなってきてしまった。
辺りには花の香りと、かすかな音楽と、穏やかな春の暖かさがある。木陰で昼寝するには絶好の日和だ。釣りに行った彼も、今頃釣竿を手にうつらうつらとしているのかもしれない。もしかしたら、意外と近くにいるのかも……。そんなことを考えていると、どんどん眠気が増してきて、僕は自然に落ちてくるまぶたを一生懸命押し上げた。バイト中だ、居眠りはまずい……。
「き、貴様はっ!!」
やおら正面から飛んできた怒鳴り声に、僕ははじかれたように顔を上げた。雇い主が戻ってきたんだと思ったら、そこにいたのは知った顔だった。
「憎い憎い憎い憎い、ああ〜っ憎らしい! なぜ貴様がここにいる、キール・セルボルト!!」
大声でフルネームを呼ばないでほしいな。一気に目が覚めた頭で、そんなことを考えた。背後に従者やら楽隊やら兵士やらを引きつれ、奇声を上げているのは、さっき思い出したばかりのマーン3兄弟長兄、イムラン・マーンだった。
よく見ると従者たちは立派な重箱や酒のビンをささげ持っているし、イムランの隣にはさっき僕をここに案内した中年男がいるしで、僕は背後の事情を瞬時に理解した。そうだったのか。
「僕は、ここの場所取りに雇われただけです。まさかあなたの花見だとは思いませんでしたが」
冷静に説明したのに、イムランは僕に返事もせず、かたわらの中年男を叱りつけた。
「なんというやつに場所取りをさせるのだ!! これがフラットの連中に知れたら、また面倒なことになるではないか! あああ、憎い憎い憎い!!」
どんな面倒なことになるって言うんだ? どうもこの人は僕たちを誤解している気がする。まあ確かに、敵対していたころは容赦なくブラックラックを叩き込んだりしたけれど。主に僕が。
「もう私は知らんぞ! 花見は中止だ! この場所も私には関係ないからな!」
イムランはそう言い放つと、「帰るぞ!」と後ろの軍団に号令をかけた。驚いたのは僕だ。
「待ってくれ、こっちのバイトはどうなるんだ! 僕はちゃんと……」
「知らんといってるだろう!」
イムランは僕をさえぎってキンキン声で怒鳴ると、急に声をひそめてにらんできた。
「私は関係ないからな? ハヤトに妙なこと吹き込んだらただじゃおかんぞ?」
さすがに、むっとした。僕を誓約者の腰巾着とでも思ってるのか?
「……ハヤトに言いつけたりなんかしませんよ。言いたいことがあれば自分で言うし、ケンカを売られたら自分で買います。相手があなたでもだ」
袖の中のサモナイト石をつかみながら言うと、イムランは後ずさった。後ずさりながらも、奇声を上げるのは止めなかった。
「な、何だ。私と戦う気か? 私とやって勝てるとでも思ってるのか?」
思ってるから言ってるんだ。言葉に出す代わりに、一歩前に進むことで意思表示してやると、イムランはさらに後ずさりながら奇声を上げた。
「生意気な小僧め! 憎い憎い憎い、あーっ憎らしい! この無色の
」
「それ以上言うなよ、イムラン」
僕もイムランも、驚いてそっちを見た。魚籠を提げ、釣竿を担いだ少年が、アルク川を背に立っていた。
「げ、ハヤト?!」
目をむくイムランに、
「それ以上言ったら、そのケンカ、キールじゃなく俺が買うよ。レイドもガゼルもエドスもリプレも、フラットのみんながだ」
そういう彼は怒っている風ではなく、ただ僕のことをちらっと見て、あ、キール傷ついてはいないんだな、よかった
そんな風に見えたから、僕はすとんと冷静になるのを感じた。
「ちっ! い、いつか覚えていろよ!」
悪役みたいな台詞をはいて、イムランはすごい勢いで撤退していってしまった。
「大丈夫だったか、キール?」
「ああ、うん、別に怪我はないよ」
というか、僕はあの人とケンカしたかったんじゃなく、ちゃんとバイト代を払ってほしかっただけだから、帰ってしまわれて困ってるんだけど。
「きみ、近くにいたのか」
「いや、いたのはもうちょっと上流のほうだよ。大体釣れたから帰ろうと思ったら、イムランの憎い憎いが聞こえてさ」
無駄によく通るよな、あの声。と、ハヤトは魚でいっぱいになった魚籠を僕に見せながら笑った。彼が軽々担いでいるそれは、僕には抱えきれないくらいの大きさなんだけど。
「イムランも相変わらずだな。でも、頭に血が上るとめちゃくちゃになっちゃうだけでさ、キールのこと、本心から悪く思ってるわけじゃないと思うよ」
「うん……ああ、彼が根っからの悪人じゃないのは知ってるよ。前に散々ブラックラックで沈黙させたこと、水に流せとも言えないしね」
さっきの腹立たしさはもう去っていた。
「召喚術でキールに勝てないからさ、悔しいのもあるんだろうな、あの人」
ハヤトはおおらかに笑った。
「キールはこんなところで何してたんだ? 1人花見? それにしちゃ広いござだなあ」
「いや、その……」
僕は口ごもってしまった。バイトをしていましたと素直に言うのが、妙に気恥ずかしかったんだ。僕を見て首をかしげる彼から目をそらし、どうしようか考える間に、ふと近づいてくる人影に気づいた。ハヤトもまた、
「あれ……レイドと、イリアスだ」
騎士服姿の彼らは、まっすぐこちらへとやってくる。手を振るハヤトを見分けたようで、途中から小走りになった。
「こんにちは。2人もお花見?」
「いや、自分たちは仕事なんだが……」
イリアスは困惑気味に僕たちの顔を見比べている。
「ハヤト、キール。きみたちはずっとここにいたのか?」
レイドが尋ねてきた。
「たちの悪い召喚師に花見をつぶされたとイムランが騒いでるのを聞いて、警戒に来たんだが……、もしかして」
……あの人、僕には人に言いつけるなと言っておいて、結局自分で言いふらしてるんじゃないか。
「まあ……少し……イムランと口げんかはしました。僕も少々短慮を起こした自覚はありますが、悪いのはあっちです」
「何があったのか聞かせてくれ」
レイドに言われては自白するしかない。いや、レイドとイリアスだけならいいんだけど、ハヤトもそこにいるのがわけもなく問題なんだ。そばで聞いているハヤトにどこか行ってくれと言える訳もなく、バイトのことを話しながら、なんだかひどく気恥ずかしかった。ただ顔に出ない方なので彼は僕の内心など知らず、
「そんなことがあったのか。イムランひどいな、ただ働きじゃないか。さっき引き止めて払わせてやればよかった」
大いに怒ってくれたのだけれど。
「確かにそれは道理が通らないね。自分からイムランに、正当な給料の支払いを求めてみようか」
イリアスも言ってくれたが、僕は首を振った。
「いや、いいです。結局花見はできなかったわけですし、彼だってごねるでしょうし、逆恨みされるのもいやですし」
イリアスやレイドに迷惑がかかるのもいやだ。
「しかし、それでは君の労働が……」
なおも言ってくれるイリアスに、レイドが「イリアス、騎士団の花見はそういえばまだだったな」と突然言った。
「はい? はい、そうです」
「忙しさにかまけて、満開になってしまった今でも予定すら立っていなかったな」
「はい、レイド先輩」
レイドはうなずき、
「なら、急ではあるが今日ここで騎士団の花見をしたらどうだろう。そんな豪勢なご馳走は用意できないが、予定を立てたってそれは同じだからね。これだけの見事なアルサックがあるなら、簡単なつまみと少々の酒があれば上出来だろう。忙しい騎士たちの息抜きになればなによりだ。
それでいかがですか、騎士団長?」
「レイド先輩……。そうですね、そうしましょう!」
うなずいたレイドはこっちに向き直り、
「そういうことだ。君への給料は騎士団から出すよ。ああ、よく見ればいい場所じゃないか」
その声に僕たちはそばのアルサックを見上げた。どっさりと花を咲かせた枝を四方に伸ばし、アルサックの天井が僕たちの上を覆っている。はらはらと花びらが落ちて、ござの上を転がっていった。
「ご馳走って言うほどじゃないけどさ、新鮮な魚ならたくさんあるよ」
ハヤトがあの巨大なびくを差し出して言った。
「ペルゴさんにでもさばいてもらえればいいけど」
「そういえば少年は釣りが趣味だったね。自分たちの花見に使わせてもらっていいのかい?」
「うん。たくさんあるからさ。……その代わりって言うのもなんだけど、この隅のほうで、フラットの花見もさせてもらっていいかな?」
「ああ、それはいいな。そうしよう」
ハヤトは僕のほうに笑った。「やったな、キール」
思ってもみなかったほうに話が進んでいる。でも、悪い気分ではなかった。
「それじゃ、自分たちは城に戻って準備をしてくるから、もうしばらく番をしていてもらえるかい」
「わかりました」
「ああ、そうだ」
イリアスはふところを探った。
「団員を連れてきてからだと、めちゃくちゃになってしまいそうだからな……。とりあえず給料を先払いしておくよ。このくらいが妥当かな」
僕の手の上に、バーム銀貨を載せる。それは予想より重かった。
「イムランの提示した日給より、高いみたいですけど」
「ん? そうかい? まあ彼はしまり屋だからね。市民相手と思って足元を見たんだろう。だが、騎士団長の自分がケチ臭いまねをするのでは騎士団の威信にかかわってしまう。……まあそんなところかな」
最後にあの猫っぽい笑顔を残し、イリアスはレイドと一緒に去っていった。
「よかったな、キール。それ、何に使うんだ?」
ハヤトが聞いてきた。僕はかぶりを振り、
「自分で使う気はないよ。全額リプレに渡す」
最初から決めていたことを言った。ハヤトは首をかしげ、
「そっか。キールらしいな。
でもさ、ちょっとだけでも自分の為に使ってみろよ。せっかくの初給料なんだから」
え、と顔をあげると、彼はずいぶんとうれしそうに笑っていた。
「バイト、初めてなんだろ?」
「う……うん」
彼はますます、顔全部で笑うような笑顔になって、
「俺もフラットに知らせに行って来るよ。番、よろしくな」
4歩の俊足でその場を去った。残された僕の周りに、ポワソやゴレムたちが集まってくる。そういえば召喚したままだったっけ。
「給料、もらってしまったよ。でもまだバイトは終わってないんだ。もうしばらくがんばって番をしなくちゃな」
興味津々といった様子で手の上の銀貨を見つめる彼らに、僕は説明した。
「それから、これ、何に使うか考えるんだ。……ああ、お前たちに何か好物を買ってやらないとだね。それから……どうしようか」
少し考えた。そして、気がついた。純粋に自分のためにお金を使うということも、生まれて初めてだった。
「……困ったな。どうしようか」
僕はつぶやいたが、本当はそれほど困っているわけではなかった。辺りはアルサックの花びらが舞い、どこからか音楽と、楽しげな笑い声が聞こえてくる。ハヤトの帰りを待ちながら、ゆっくりと悩むには、ちょうどいい日和に思えた。
09.04.20