+  夜に積もる真白  +


 食堂に行くと、予想もしていなかったことに暖炉に火が入っていて、そこにハヤトがまきを放り込んでいた。
「あれ、キール。どうしたんだ、こんな夜中に」
「きみこそ」
 暖炉の前にはいすがひとつ置いてあった。僕もテーブルの方から持ってくることにする。彼は自分の椅子を少し動かして、僕のためのスペースを作ってくれた。
「なんだか眠れなくてさ。寒いし」
 僕も同じだ。暖炉に手をかざしながら、羽織ったマントの前をかきあわせた。彼は窓を見上げる。
「雪になるのかな。雪が降る前のにおいがするよな」
「雪が降る前のにおい?」
 聞き返すと、彼は手をこすり合わせながら、
「しないかな? なんだかほこりっぽいにおいがさ。雪が降る前には」
 僕にはわからなかった。
「雪が積もる音なら……」
 ぽつりともらすと、今度は彼が首をかしげた。
「雪が積もる、音?」
「ああ。周り中寝静まったあと、ずっと闇の中で目をあけていると、窓の外から音がするんだ。雪の上に雪が落ちて、だんだんと深く積もっていく音が」
「……それ、つまり、無色にいたころ?」
「そうなるな」
 今の僕の部屋は、フラットの真ん中にあって、外壁に面していないんだ。窓もない。
「なんていうのかな。口では表現しづらい音なんだけれど。
 雪の日って、なんだか空気が張り詰めていて、寝入るのに苦労するだろう? でも、雪の積もる音だけを聞くようにしていると、いつの間にか眠れるんだよ、僕は」
「ああ、だから今夜はキール眠れなかったのか」
 彼は得心がいったというようにひざをたたいた。
「へえ、雪の日って空気が張り詰めてるのか。やっぱりサプレスの召喚師って感覚が鋭いよな」
「……きみは違うのか? その、今夜寝つけなかったのは」
「うん。たぶん昼間に釣りしながらうとうとしてたせいだろうなあ」
 アルク川の河原、あったかかったんだよ。彼は笑った。
「そうだなあ、俺も雪の日はあんまり眠れなかったよ。でも、俺の場合は、雪ってだけでわくわくしちゃってさ。明日どのくらい積もってるだろうとか、その上に足跡付けて走り回ろうとか、そういうことを考えて眠れないんだ。子どもみたいだよな」
「……そうなのか……」
 知らなかった。雪の日は空気が緊張感をはらんでいて、少し恐ろしいような、息苦しいような、そんな思いにみんなが耐えているものだと思っていた。そうじゃない人もいるのか。
「言い訳させてもらうと、俺の住んでたところでは、雪が積もるなんて何年かに一回の大イベントだったからな」
 僕が黙ったのをどう解したか、彼はそんなことを付け加えた。
「名もなき世界では、雪はあんまり降らないのかい?」
「いろいろだよ。フラットの屋根よりも積もる場所だってあった」
 ほら、ルヴァイドが話してた、デグレアの冬みたいにさ。ハヤトは、今は自由騎士団の幹部となった、もと北国の将軍の名を出した。あの黒騎士がフラットで療養してたとき、そんな話をしていたっけ。
「キール、雪合戦したことある? 雪だるまを作ったりとか」
「いや、ないよ」
「……えーっと、雪合戦っていうのはさ、雪をこう丸めて投げ合って……」
「どういうものかは知ってるよ。実践したことがないだけだ」
 あ、そう。と彼は言った。
「そのくらい知ってるに決まってるじゃないか。僕を何だと思ってるんだい?」
「……ハハハ。今日は本当に寒いよなあ。でもあんまり薪を使っちゃうとみんなに悪いかな」
 なんで急に話を変えるんだ。
「何か召喚するか。あったかそうな召喚獣って、なにかな?」
「少なくとも、ロレイラルとサプレスには期待できないだろうな」
 ロレイラルのは金属ぽくて見るからに冷たそうだし、サプレスのはなんとなくひんやりしていそうに思える。
「やっぱメイトルパかな。よし、プニム!」
 空中に出現したプニムは、ひとつ弾んでからハヤトのひざに収まった。
「お、あったかい!」
 紫色の召喚獣を抱きしめて、ハヤトは上機嫌だ。誓約者のひざの上で、プニムも機嫌よくぷにぷに笑う。
「メイトルパも今は寒いのか?」
「ぷにぃ」
「そっかそっか!」
 彼とプニムとの間で、何らかの意思の疎通があったらしい。……僕には全く理解できなかったんだけれど。
「ぽかぽかだぜ。キールも何か呼んだら?」
「いや、僕はいいよ」
 断ると、彼は何か残念そうに「あったかいのになあ」といった。そうなんだろうけどそれよりも、さっきからプニムが僕の顔をじっーと見て目をそらそうとしないんだ。気になって仕方がない。何かついているのかと袖で顔をぬぐったけれど、そうでもないようだった。一体なんだ?
 こっちもプニムを見つめていると、首をかしげていたハヤトが、「あー」と手を打った。
「そっか、そっか、キール、ロレイラルとサプレスだけだもんな……。
 えい、よし、プニムは貸してやるよ!」
 そしていきなり立ち上がり、僕のひざの上にプニムをおしつけた。あっけにとられているうちに、
「何かあったかいものいれるか。キールも飲むだろ?」
 そう言って台所へと立っていった。残された僕はプニムを抱え、おとなしく待つしかない。正直に言ってしまうと、僕はプニムのぷにぷにした感触がけっこう苦手で、しかもそうしている間も、プニムは大きな頭を上に向けてじいっと僕の顔を見ているのだ。
「……僕の顔に何かついてるか?」
「ぷに?」
 会話が成立した気がしない。プラーマやエルエルなら、それなりに意思が通じ合ってる感触があるものなんだが。
「僕は、食べてもおいしくないぞ」
「ぷにぃ」
「わかってるのか? 僕は、」
「ぷぅ?」
 だからメイトルパは苦手なんだ。確かにひざの上は暖かくはなったけれども。
 ハヤトはすぐに戻ってきた。湯気を上げるカップを僕と、それからプニムにまでよこして、また椅子にかけた。そして一口飲もうとして、
「あ」
と腰を浮かした。
「雪」
 窓の外を、背景の闇から白く浮き上がるものが上から下へと横切っていた。
「降り始めたね」
「うん」
 視線を窓に向けながら、僕たちはなぜだか黙り込んで、静かに暖かいミルクを飲んだ。プニムがぷにぷにいう嬉しそうな鳴き声だけが、暖炉の火の燃える音にかぶさった。そして、
「ああ……ほら、ハヤト」
 窓から音がする。さくさくとも、しんしんとも違うその音に、僕は聞き覚えがあった。雪が、静かに積もっていっているんだ。
 ハヤトは(ついでに僕のひざの上のプニムも)目を閉じて、その音に聞き入っているようだった。
「積もるかな? だいぶ」
「積もるだろうね、だいぶ」
 僕たちは呪文のように繰り返した。まるでその言葉が雪を積もらせる魔法だと信じているみたいに。
 急に暖炉の薪が音を立ててはぜ、ハヤトは夢から覚めたように目をあけた。
「……眠くなってきた。俺、もう部屋に戻るよ。キールはどうする?」
「僕も戻ろうかな。じゃ、これ、」
 プニムを渡そうとすると、彼は笑った。
「一緒につれてってやれよ。キールのこと好きみたいだし」
 僕は抱えたプニムを見下ろした。プニムもこっちを見上げていた。
「……そうかな? やたら見てるけど」
「そうなんじゃないか? きっと仲間だと思ってるんだよ。色が似てるし」
 ……違うよ。
「2人とも襟元がぎざぎざだしな」
 だから違うってば。どうやら冗談のようだった。誓約者の言うことだと思って本気で聞いた僕が馬鹿だったらしい。
 暖炉の火を灰の中に埋め、椅子を片付け、僕らは食堂を出た。フラットの空気は雪に冷やされ、肌をしめつけるように冷たかった。
 暗く音もない廊下を歩き、彼は手前の部屋へ、僕は奥の部屋へ。彼がみんなの眠りを妨げない小声で、おやすみ、と言った。その声は舞い落ちる途中で消えてしまう小さな雪のように、静かに夜気にとけた。
 僕は苦労して部屋の扉を開けて(プニムを落とさないよう気をつけたせいだ)、すっかり冷えた毛布に包まった。
 雪の日の空気の感触がする。外ではきっと、少し大粒の雪が、空から落ちては積もっていっているのだろう。窓のないこの部屋には、その積もる音は届かなかった。
 そのかわり、この屋根の下にいる彼が、それから仲間たちが、それぞれに見る夢の音が聞こえてくるような気がした。一面に積もった雪の上を走り、転がり、雪だまを投げ合って、にぎやかに笑っている夢だ。彼らの立てるひそかな寝息が、手に届くほどすぐそばに、雪の夜の張り詰めた空気よりも近くにあるようだった。
 毛布が少しずつあったまってきた。プニムが自分の頬をかりかり掻いて、ぷう、ぷうと寝息を立てている。僕はその暖かさを感じながら、雪が積もるように静かに、眠りに落ちていくのを感じた。
08.01.29



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仮タイトルが「プニムもえもえ」だったのは秘密です。
部屋割り確認にはえらい時間食いました。
そのために引っ張り出したサモコレで、横から見たプニムさんに改めて萌えました
たまらん下膨れっぷりです。