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サイジェントの休日 +
屋台でりんごをひとつ買って、かじりながら歩いた。
ずいぶん不思議な気分だ。平服で、一人で街にいるというだけでこうも違うものなのか。
あの騎士団長姿の自分が歩くと、街に妙な緊張感が走るのだけれど、今日は誰一人自分に注意を払うこともない。
なんだか、とても自由な気がした。
果物をいっぱい載せた荷車が、大急ぎで目の前を横切る。がたがたと道のでこぼこに車輪を取られ、危うくひっくり返りそうになった。自分が反射的に手を出して、宙に浮きかけた車輪を押さえると、引いていた商人が横につんのめっただけで、なんとか踏みとどまった。
「ありがとよ!」
彼は白い歯を見せて、後ろの荷台からりんごを1つとり、ひょいっとこちらに投げてよこした。自分が思わず受け取ったのを確認もせず、また猛スピードで荷車を引いていく。でも果物の山が崩れもしないのはたいしたものだ。どうやって積み上げているんだろう。
そんなことを思いながら、その場に残された自分は、食べかけのりんごと今もらったばかりのりんごを見比べた。困ったな。両手がふさがってしまった。
でも、気分は悪くなかった。
あんなふうに屈託のない笑顔を向けられるのは、ひどく久しぶりのような気がする。
……ああ、思い出した。城の騎士見習いになったばかりのころみたいだ。
厳しい訓練の合間に、ときどき、レイド先輩に連れられて街に出たっけ。
あのころは自分も希望にあふれていて、サイジェントの人々のため、働くんだと夢見ていた。今のような、民衆と領主様の対立の間にいる身を想像もしていなかったな。
そのことが頭をよぎると憂鬱になる。
もらったりんごを苦労してポケットにねじ込み、自分はあてもないまま歩き出した。アルク川のほうでも行ってみるか。それとも市民公園でも行こうか。
人ごみをすり抜けようとして、何かをけっとばしてつまずきそうになった。
「っ、と」
何かとても固いものだった。足元を見ると、四角い金属の箱に手足がついたようなロボットが、地面に転んでいる。
……ロレイラルの召喚獣だ。
「おまえ、こんなところで何をしているんだ? 召喚士とはぐれたのか?」
たずねても答えはない。というか、地面の上に仰向けのままじたばたしている。
「……自力で起き上がれないのか。ああ、自分がけとばしたせいだな。すまない」
抱えあげてよく見ると、それには見覚えがあるような気がした。
……そうだ、スピネル高原でレイド先輩たちと戦ったときに、召喚術を使う茶色い髪の少年が……。
「おまえ、あの少年の連れていた召喚獣じゃないか?」
たずねたが、ロボットはぽこぽこと煙を吐いて、自分の顔を見上げるばかりだ。
「仕方ないなあ。スラムまで連れて行ってあげるから、おとなしくしていなさい」
そうだ、南スラムのレイド先輩を訪ねるのもいいかもしれない。不意にそんなことを思いついた。別に何を話すでもなく……仕事の愚痴なんてもってのほかだ……ただちょっと訪ねて、この子を渡して、さっと帰ってくるんだ。レイド先輩は呼び止めるかもしれないが、仕事があると言って断って、さっと。
別にさっさと帰らなくてはならない理由があるわけでもないが、なんとなくそう決めて、南スラムへと足を向けた。ロボットはおとなしく胸に抱えられている。
「ああ、そうだ」
さっきもらったりんご、手付かずのほうのを取り出した。
「ほら、りんご。あげよう」
鼻先に近づけたが、ロボットはまるで反応せず、においをかぐでもかぶりつくでもない。
「食べないのか。ロレイラルの召喚獣はそんなものなのかな」
なら自分で食べようとして、また思いついた。
もし、自分がスラムについて、孤児院のドアをたたいて、最初に出てきたのがレイド先輩だったら、これをお土産にしよう。
どうぞ、先輩、おすそわけです。
ああ、この子、迷ってたみたいなのでつれてきました。
それだけ言って、りんごとこの子を渡して
。
レイド先輩はどんな顔をするだろうか。それを考えるだけで、さっきまでの悩みが吹き飛んでいくようで、南スラムへの足を速めた。
08.07.20