+  裏庭の木の下で  +


 庭の隅でうとうととまどろんでいた。
 にぎやかすぎるフラットに辟易し、逃げるように裏口を出てきた僕は、ちょうど誰もいなかった裏庭の木の陰にようやく安住の場所を見つけた。持ってきた本を広げようと思ったけれど、ほっとしたせいか妙に力が抜けて、ひっくり返るようにその場に横になったのだった。
「……ここは、にぎやかすぎる」
 低く声に出して確認する。僕はもしかして疲れているんだろうか。
 派閥の中はいつも静かだった。それなりに誰かがいたはずだけど、あの場所は人の声がすることのほうが稀で、それも低く押し殺した声がふつうだった。ここのように小さな子どもたちが走り回っていたり、たくさんの人間があちこち動き回っていたり、そんな雰囲気には僕は慣れていない。
 母親の違うきょうだいたちも館にはいたけれど、アルバやフィズやラミちゃんがするように大声で喧嘩しあうことなど、僕たちはなかった。
「だから、疲れてるんだな」
 また声に出して確認した。やっぱり僕は疲れているんだ。それに、
「………ハヤト……」
 名前がぽつりと声になった。
 あの正体不明の彼のことでも疲れている。どことも知れない世界から、魔王の代わりにやってきた彼が……もちろん本人はそんなこと知らないが……すぐにでも始末すべき存在なのか、それとも取り込むべき存在なのか、それを見定めなくてはならない。僕が何者であるのかは悟られないままで、だ。
 だけど今は、そんなことを考えることにも飽きていた。
 読もうと思って持ってきた本は、体の横に投げ出したままだ。
 そういえば彼が召喚術について教えてほしいと言っていたっけ。
 でもあまり知恵をつけさせないほうが先々のため、派閥のためだろう。
 それにそんなことを言いながら彼は剣の腕ばかり上達させている。
 傷を治すためくらいしか召還術を使わないんだ。
 あれだけの力を持っているのにもったいない。
 でも新しい召喚の道具を手に入れると、すぐ全種類誓約してみるあたり、ずいぶんまめだ。
 僕が隠し持ってることも知らないで、誓約したばかりの聖母プラーマのサモナイト石をくれたっけ……。


 薄く目を開けると、あたりは少し暗かった。そのことに驚いた。いつの間に寝入ってしまったんだろう。
「あ、起きた?」
 ハヤトの声がした。見ると横たわる僕のそばに彼が座っていて、なぜか右手で頭上の木の枝を握って、自分の顔の横まで引き降ろしていた。変な体勢だ。
 僕は未だに覚めきらない頭で、ぼんやりとそれを見た。
「きみ……。なにしてるんだ?」
 彼はちょっと笑った。
「キールが昼寝なんて珍しいと思って」
 その回答は僕には意味不明だった。珍しいから、見物してたということか? そんなに暇なんだろうか。身を起こすと、その拍子に上体にかけてあったものが膝の上に落ちた。
 反射的に拾い上げた、それは彼のジャケットだった。
 僕は何と言っていいのか分からず、黙ってそれを彼に差し出した。彼はのんびりと笑って、木の枝を持っていた右手を放してそれを受け取った……とたんにまぶしくなって、僕は思わず目を細めた。傾いた太陽が、まっすぐに僕にさしている。僕はその太陽を見、彼を見、彼がさっきまで引き降ろしていた頭上の木の枝を見た。
「……ハヤト」
「ん?」
 もしかして、眠っている僕がまぶしくないように影を作ってくれてたのか。
 そう聞きたかったけれど、僕の意思を越えた何かがそれをぐうっと押さえつけた。
「なんだ?」
 押し黙った僕に、ハヤトがきょとんとして聞いてくる。僕は戸惑った。
「……召喚術の、ことだけど」
「うん」
「君も、もう少し使えるようになっておいたほうがいいんじゃないか。これからどんな敵が現れるかわからないし」
 彼は首をかしげた。
「寝起きにいきなり何の話?」
 聞かないでくれ。僕にだってわからない。
「もしかしてキール、寝ぼけてるのか? 俺だよ、ハヤトだよ」
「……知ってるよ」
 小声で投げ出すようにこたえ、ひざを払って立ち上がった。まるで機嫌でも悪いみたいだと自分で思った。ハヤトもそう思うかもしれないと思ったけれど、ではどういう顔をすればいいのか、あるいは何か言えばいいのか、まるでわからなかった。だから無表情なまま、何も言わないままでフラットの裏口へと向かった。

 背に、彼の視線を感じる。
 渋面でも作っていてくれればいいと思った。なんだよ、人がせっかく―――と言って、僕のことをにらんででもいてくれれば、そのほうがよっぽど安心できた。
 けれど、それを確かめるため振り返る勇気は持てなかった。
 彼はただ、よくわかんないやつだなあと、いつもの困ったような苦笑いを浮かべているような気がして、それを目にするのがひどく怖くて、僕は押されるようにフラットの裏口をくぐった。
 慣れていないんだ、僕は。
 部屋いっぱいの子供の声にも、にぎやかな人々にも。
 それから、あの優しい苦笑いにも。
08.04.15




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