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ささのはさらさら +
かごに放り込まれていた短冊を全て木につるし終え、ハヤトは「よし」とうなずいた。
「これで全部か」
「うん。結構たくさんあったな」
あちらではアカネが子どもたちに紙細工を教えている。「じゃーん」と言いながら切っていた紙の両端をひっぱると、それは面白いように左右に伸びて網目模様を作った。アルバとフィズが大喜びしている。
「おにいちゃん、これ……」
足元で小さい声がした。ラミちゃんだ。左手にクマを抱え、右手で僕に短冊を差し出している。
「自分で書いたのか? すごいな、ラミちゃん」
弾んだ声でハヤトが言うと、ラミちゃんはちょとだけ嬉しそうにこくんとうなずいた。そして僕にまた短冊を差し出す。
「一緒につるそう。どこがいいかな」
僕とラミちゃんがつるす場所を探すのを、ハヤトが楽しそうに見ている。
こういった行事をフラットに持ち込むのは必ず、名もなき世界から来た誓約者で、今回もそうだった。僕と一緒にあかなべに行ったときにハヤトが言い出したのだった。「タナバタ」というものを。
「七夕! いいなあ、懐かしいなあ」
アカネがすぐに乗ってきた。
「あ、やっぱりシルターンにもあるんだ。やっぱりな」
と手を叩いたハヤトは、
「せっかくだからやりたいんだ。シオンさん、どっかに笹が生えてるところ知りませんか」
「残念ながら」
と即答したあたり、シオンさんも探したことがあったんだろう……と思ったのは後からだけれど。とにかくハヤトは「そうかあ」と眉をハの字に下げた。
「召喚してみますか?」
意図の読めない笑顔でシオンさんが言った。僕は冗談だと思ったんだけれど、僕たちの誓約者はそうは思わなかったようで、
「うん、そうしてみます。出来るかどうか分かりませんけど」
と笑顔で立ち上がった。シオンさんはびっくりしたようだった。顔はいつものほほ笑みだったから、そんな気がしただけだけれど。
「面白そう! あたしも行っていい?!」
アカネが飛びついてきたけど、
「アカネさん?」
「………………あはは、冗談です。店番してます、おししょお……」
師匠の一言ですごすご引っ込んだので、結局荒野で延々召喚を試してみる彼を僕が一人で眺めることになった。――――最初は。途中からシルターンのユニット召喚獣がどんどん増えて、誓約者の行動に興味津々な彼らとともに、最終的には一大応援団となって、でもフレーフレーと声を張り上げるでもなくただ黙って誓約の儀式を見ていた。見たこともない召喚獣もチラホラ出てきて、僕は結構面白かったんだけれど。
「ここも、治安がよくなったなあ」
競って膝の上に乗ってくるナガレ3匹が落ちないように抱えながらなんとなくつぶやくと、あちらでちょうどアクセサリを並べて考え込んでいた彼が「えー? 何だってー?」と聞き返してきた。
「ここも、治安がよくなったなあと言ったんだよ」
僕の声は彼のところまで届かなかったらしい。こっちへゆっくり戻ってきた彼は僕の座る斜面の少し下に立って、「何?」と聞いた。
「ここも治安が良くなったなあ、と」
「ああ」
彼はうなずく。野盗の影一つない荒野を眺め渡し、
「前はちょっとうろうろしてると、すぐ追いはぎにあったのになあ。イリアスさんたちが野盗退治がんばってくれてるお陰かな」
「それ以上に僕たちが返り討ちにしまくったのが原因じゃないかと思うが」
「あはは。まあ、一時は金に困ったら荒野に行こう、がスローガンだったしな」
彼は気楽に笑った。
「……うん、でもよかったよ。サイジェント全体の治安も良くなったし、税金も政治もマシになったし。フラットの家計もさ。だいぶ楽になった」
「そうだね」
「あの事件の混乱も、やっとちゃんと落ち着いた感じするよな。ちょっと前までは落ち着いたって言っても、やっぱりどっか浮き足立った感じがあってさ」
「ああ」
「レイドも騎士団に戻れてよかったよ。未練がないようなこと言ってたけど、うん、未練って物はなかったんだと思うけど、やり直したい気持ちは多分どっかにあったと思うし」
よく晴れて空が青い。砂は白くて、こうしてサイジェントに背を向けていると視線をさえぎるものは何もなく、上半分が青、下半分が白の世界にいると、まるで色鮮やかな絵の中に入りこんだかのようだ。ここはとても日光が、僕には未だ慣れない直接の日光がまぶしい。
「きみは、」
「ん?」
「帰りたいと思わないのか?」
彼は僕を見上げ、瞬いた。
「名もなき世界に」
彼はふにゃっと、いつもの頼りなくさえ映る笑顔を見せた。
「……今さらだなあ」
そうかもしれない。でも僕はずっと聞きたかった。
「うーん」
彼はちょっとあたりを見渡した。砂が白く、ずっと地平線まで光を弾いている。地平線の上は突き抜けるような快晴で、青い空を背にしてその小さい姿は堂々として見えた。その彼から数歩離れて、彼が呼び出した大量のナガレとミョージンとイヌマルと、それらに埋もれた僕がいる。
「七夕ってさ」
彼はずっと遠く、はるか右手の地平線の方を見ながら言った。
「笹に……俺が今呼び出そうとしてる木だけどさ、その木に、願い事を書いてつるすんだよ。そうすると七夕さまっていう人たちがかなえてくれるんだってさ」
僕の近くにいたイヌマルとミョージンが、彼の足元に跳ねていった。それに気づいてもいない風で、彼はずっと遠くを見ている。
「うん。『元の世界に帰りたい』って、書いて笹につるすところまではやるかもしれないな。でも、実際に七夕さまが降りてきて、元の世界に帰してあげますよって言われたら、俺はきっとすごく悩むと思う。そうしてくださいって言うか、やっぱいいですって言うか、そのときにならなきゃわからないな。……こら、くすぐったいよ」
彼は一生懸命足にまとわりつくミョージンとイヌマルをまとめて抱えあげた。それを見て僕のひざの上にいたナガレたちも大急ぎで彼の足元に駆けていく。……きみが呼ぶ異世界の獣たちは、いつもいつも、本当にきみが好きだ。
「それで元の世界に戻ったとしても、一件落着、って気分にはならないだろうし。……でも、やっと帰ってこれたってホッとはするかもな……俺にもわからないや」
足元で自分も自分もと主張するナガレたちに、彼は笑い声を上げた。かがみこんで手当たり次第にぐしぐし撫で始める。
ぼうっと見ている僕に、彼は突然顔を上げた。
「俺にとってはさ、キール。もう同じくらい大切なんだよ」
「名もなき世界と、リィンバウムが?」
「違うよ。名もなき世界の家族とか友達とかと、リィンバウムでの家族とか仲間とかがだよ。キールも」
彼が気負いなく笑う顔が、目にしみるほどの青と白の中で夢の中のようにぼんやりとしていた。もしかしたら、ずっとひそかに願っていたことの実現をこうして夢に見ているだけなのかもしれないと、不意に目が覚めたら派閥の暗い書庫の片隅なのではないかと不安がよぎるほどに。
柔らかな彼の笑顔が、すうっとホワイトアウトした。風の音や砂の熱さが一気に遠ざかって、
「……キール? キール! 大丈夫か?!」
そんな風に呼ぶ彼の強い声が、小さく耳に残った。
結論から言うと、僕は熱中症で倒れたのだった。
プラーマの回復でも僕が意識を取り戻さないことに彼は相当動揺したらしく、ユニット召喚獣たちを慌てて送還し、途中やりだったササの召喚もやめにして、伸びた僕を担いでフラットに戻ったという。そこでフラット総出で僕を介抱してくれて、ようやく僕が気がついたときにはラミちゃんが泣いてるわハヤトがリプレに叱られてるわ、とにかく大変だった。
「こんな暑い中にデリケートな人をずっと放置しておいたら、熱中症を起こすに決まってるじゃない!」
リプレのその認識に僕はちょっと傷ついたんだけれど、僕自身は彼女に叱られることもなく、代わりに数日間の外出禁止を言い渡されてしまった。そのせいで、サイジェントを回って仲間たちに短冊を書かせて回るハヤトのお供はできなかったんだ。
「――――あのイムランたちがよくこんなもの書いたな」
「中身は意味不明だけどさ。『憎い憎い憎い!』って。願い事って言ったのになあ」
笹の代わりの木につるした短冊をつまんで、彼は笑う。僕はラミちゃんの短冊を一番低い枝に結んでやって、「はい」と彼女に示した。半分クマさんに隠れて、彼女はにっこりする。
色とりどりの短冊に、様々の筆跡で書かれた願い事の文。フラットのメンバーはもちろん、スウォンもアキュートの人たちも、イリアスさんとサイサリスさんも、エルゴの守護者たちも、果てはマーン三兄弟まで。こんなことにみんなして付き合うというのも、あの事件の混乱が着実に収まっていることの証拠なんだろう。
「おにいちゃんたちは……ねがいごと……かかないの……?」
ラミちゃんが言った。ハヤトが手を打つ。
「そういえば、自分で書くの忘れてたな」
「ああ、そういえば」
「にーちゃん、はい!」
アルバがさっそく短冊とペンとを持ってきた。いや僕は、という前に手に押し付けられる。
「うーん、改めて考えると悩むなあ。何にしよう……」
ペンを口元に当て、ハヤトは考えている。僕も困った。こんなことはしたことがない。
「ねえ、おにいちゃんたちなんて書いたの?」
フィズがいそいそと聞いてきた。「ちょっと考えさせてくれよ」とハヤトが応じる。「まだ考え中かな」と僕も言った。
「早くしないと、タナバタが終わっちゃうわよ」
「気が早いなあ。こういうことはゆっくり考えて書かなきゃだよ。な、キール?」
「そうだね」
「キールおにいちゃんは、もう熱中症になりませんようにって書けばいいのよ」
「こら、フィズ」
ハヤトは笑いながら叱ったけど、僕の方はそれでもいいか、という気にもなった。
こういうことには慣れてないから、一番の願い事を堂々と書くのは照れくさい。
今はまだ、こっそりと隠し持っておこう。
『どうか、どうかいつまでも――――』
07.07.07