+  星ふる夜に願う  +



 流れ星に願いをかけることを教えてくれたのは名もなき世界から来た誓約者だ。リィンバウムで生まれ育った僕たちは―――多少世間の常識にうといらしい僕だけでなく、フラットのほかの面々も―――そんなことは知らなかった。
 エルゴの試練を乗り越え、誓約者となった彼を含む僕らは、ようやくフラットに戻って来ていた。一息ついたことの証拠のように、他愛のない雑談で仲間たちは意外に盛り上がっていたのだ。
「流れ星に願い事を言って、それでどうすんだよ」
 ガゼルは行儀悪く椅子を斜めに倒して、怪訝な顔をする。よく晴れた昼下がり、窓から午後の光が差し込む食堂でのことだった。ハヤトは苦笑する。
「どうするっていうか、叶うんだよ。願いが。バスケが上手になりますようにとか、明日晴れますようにとか」
「つまり、名もなき世界の文化の一端ということだろう。なかなか興味深いね」
 レイドの反応は実に彼らしい。ちょっと前までならそのままかたい話題に持ってゆきかねなかったが、自分のそんな特性を思い出したようで、レイドは穏やかな笑顔になった。
「わたしなら……そうだな、剣の腕が上達するように願おうか」
「おれっちはもっと強い相手と戦えるように、だな!」
「僕は……森がずっと平和でありますように、でしょうか」
 対照的な二人が対照的なことを言う。
「ワシは、のんびり花見ができる日が来るようにとでも祈るかな。キールはどうだ?」
 いきなりふられて、とっさに返事ができなかった。僕の願い。僕の願うこと。無色の派閥の一員として、父上の息子として、願わなくてはならないこと。フラットに住む、誓約者の仲間として、願っていると言わなくてはならないこと……。
 疑われないよう振舞うのには慣れてきたはずだったのに、考えがまとまらなくなるなど初めてだった。
「……リプレは?」
 たまたま視界に入った少女に押し付けることにする。問われたリプレは頬に手を当て考えた。
「そうね、やっぱり、もうちょっと家計が楽になるように……かな」
「ほんと、所帯じみてるぜ」
 ボソッと本音を漏らしたガゼルに、フラットの主がゆらりと振り返る。
「ガ〜ゼ〜ル〜?」
「何も言ってねえ、何も言ってねえって!」
 焦った声に合わせ、食堂は笑いに包まれた。僕はその中で、1人だけ真顔を保った彼女に目をとめていた。
 くまのぬいぐるみを抱えた、小さな彼女――。


 人見知りする彼女がやっと自分から話しかけてきてくれたのは、僕がフラットに住むようになって一ヵ月以上もたってからだった。おにいちゃんのおうちはどこにあるの、おにいちゃんのパパとママはどこにいるの……。答えづらい質問を、僕はそのまんま彼女に返した。きみの父上と母上は?
「ラミのパパとママは……お空にいるって……リプレママが言ってた……」
「……そう。僕の母上もお空にいるよ」
 それを聞くと、ラミちゃんは少し笑った。
 ……おにいちゃんとラミ、いっしょだね、と。


 小さな彼女が屋根の上にきたのは、流れ星に願いをかける話をした夜だった。
 僕とハヤトは夜空を見ながら、二人で語り合っていた。これまでのこと、これからのこと、エルゴのこと、バノッサのこと、蒼の派閥のこと……。ぎいっと音がするので二人して驚いて振り向くと、屋根裏部屋の窓を開けたラミちゃんが屋根の上へよじ登ってきたところだった。
 夜遅いから部屋へ戻れというハヤトの説得を、彼女は頑固に拒否し、根負けした僕とハヤトの間に座った。
 そう、ちょうど新月だった。空は暗く、由なし事を話していた僕たちの頭上を横切った流れ星も、一瞬だったがよく見えたのだった。思わず僕は声に出していた。
「あ、流れ星……」
「本当だ!」ハヤトははしゃいだ声を出した。「リィンバウムに来て初めてだ!」
「そういえば君の世界では、流れ星に願いをかけるんだっけ?」
「うん」
 何か得意げにうなずいて、
「ラミちゃん、何お願いした?」
 ハヤトが少女に笑いかけた。が、ラミちゃんは返事をせずにぬいぐるみの頭に鼻をうずめるようにしてうつむいてしまった。やがて細い声が、
「…………たいって……」
「え?」
 僕とハヤトは同時に聞き返した。とたんに、ラミちゃんの目にみるみる涙がたまり始める。
「パパとママに、あいたいって……。でも、」
 とうとう、涙は大粒の塊になってぼろぼろと頬を零れ落ちた。
「おねがいしおわるまえに、ながれぼし、きえちゃっ……」
「ラミちゃん」
 顔を曇らせ、ハヤトはラミちゃんをなぐさめにかかる。そんな誓約者と少女を、僕は少し冷めた気分で眺めていた。
 ―――冷たいことを言うようだが、そういうものだよ、ラミちゃん。
 ―――流れ星は願い事なんて叶えてはくれない。もし叶えてくれるとしたって、気がついた瞬間には流れ星はもう消えてるんだ。そういうものなんだよ、君はまだ知らないだろうけど。
 冷めた目で見ていたのではないのかもしれない。冷めた目で見ているふりをしていただけなのかもしれない。とにかく僕はラミちゃんの涙を拭くハヤトの加勢もせず、他人事を決め込んでいた。
 ラミちゃんは声を殺して泣き続けている。ハヤトは弱りきった顔をして、それから「ラミちゃん」と呼びかけて立ち上がった。
「見てて」
 人差し指を立てて空を示し、それから一歩前へ出て軽く両腕を広げる。
 魔力の高まりを感じた。目を閉じたハヤトは小さく何かをつぶやいて、すっと夜空へ顔を向ける。
 瞬間、星が降った。
 蒼い夜空へ、幾筋も幾筋も軌跡を残して。
 流れ、消え、また流れ、百、二百、三百、数え切れぬほどの。
 空は突然の流星雨にまばゆく輝き、その中にくっきりと浮かび上がる小さな背、両手を広げて立つ僕たちの誓約者の姿が僕の目に焼きついた。
 言葉も出ず身じろぎもできぬまま、実際は10数えるほどの時間もなかったのだろう。やがて流星の最後の1つが地平に消えた。ハヤトは腕を下ろして振り返る。
「お願いできた?」
 期待を込めた声だったので、はっきり言うのは心苦しかったが、ラミちゃんが返事をしなかったので仕方なく僕は指摘した。
「……いきなりじゃ、お願いをする心の準備もないよ、ハヤト」
「え? あ、そうか……」
 ハヤトは頬をかいた。僕は改めてラミちゃんの顔を覗き込む。
「お願いできたかい、ラミちゃん?」
 吸い寄せられるように夜空を見ていた小さい彼女は、そこで我に返ったように頭を振った。誓約者の肩ががっくり落ちる。
「……でも」
 いつもの小さい声で、小さい彼女は言った。
「でも……、ラミ、もうなかない……」
 にっこりと、笑う。ハヤトはきょとんとした顔になった。
「……お願い、できたのか?」
「ううん……。でも、もうへいきなの……」
 ぬいぐるみを抱きしめて、彼女は幸せそうに笑った。
「ラミ、もうねなきゃ……。おへやに、もどる……」
 ハヤトもつられたように立ち上がった。
「そうだな、俺たちももう寝るか」
「そうだね」
 ハヤトが屋根裏部屋へ続く天窓を開けている後ろで、ラミちゃんが僕の手を握った。
「ラミもだいじょうぶだから、おにいちゃんもきっと、だいじょうぶだよ……」


 あの時、小さな彼女のために空いっぱいの流れ星をくれた彼。流星の輝きよりも強い光で、世界を照らしてくれた僕たちの誓約者。
 消えた流れ星を惜しむのは、子どもっぽいと思っていた。けれど星は何度だって空を流れる。2度でも、3度でも。
『約束するよ、いつかまたきっと、君に会えるって』
 君が言った言葉なら、僕は信じてみよう。
「リィンバウムを守るエルゴよ、僕にも力を貸してくれ……」
 魔方陣の上に立ち、僕は願う。あの夜降りしきる星に祈ったように。
「僕たちの誓約者への道を、どうかもう一度、僕の前に……」
 ―――聞き届けよう、守護者よ。
 遠く、確かに応える声を聞いた。
 ―――おまえを、われらエルゴの王の元へと……。
 魔方陣がゆっくりと光を放つ。僕はゆっくり顔をあげた。
 まばゆい光のその向こうに、あの小さな背が見えると信じて。

06.04.30



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