+  たとえば桜舞うころに君と  +


 買出しの帰り道、小麦粉の袋を軽々抱えた誓約者と、その他のこまごましたものを抱えた僕とふたりで、あまりなじみのない道を歩いていたときのことだ。
 ハヤトがいきなり「あ、桜」と振り返った。
「サクラ?」
「うん、あれ枝垂桜じゃないか?」
 指差す先には、枝が柳のように垂れた木があった。時期も時期だし、花も葉もついていない丸裸の木が、道から少し外れた草地の上に、ぽつねんと立っている。ハヤトが荷物を抱えたままそちらへ行くので僕もついて行った。
「もう一年になるってのに、こんなところに枝垂桜があるなんて気がつかなかったなあ。キール知ってた?」
「いや」
「ほら、時々は回り道もしてみるもんだろ?」
 彼は胸をはって得意げだ。でも、路地に消える三毛猫を追いかけてつい道を外れることは『回り道をしてみる』とは言わないんじゃないか? 
「俺、けっこう枝垂桜って好きなんだ。家の近くに一本立っててさ、これよりずっと大きい木に、春になるとやまほど花がついて、すごくきれいだった」
 嬉しそうに木に歩み寄る。少し考えたがやはりわからなかったので、「ハヤト」と声を掛けた。
「シダレザクラって何だい?」
 彼は目を丸くした。思いもかけぬ質問をされたという顔だ。
「だから、枝がこういう風に垂れてる桜だよ。枝垂桜。……あー、そうだそうだ。アルサック。アルサックだよ。枝がこういう風に垂れてるアルサック」
 それでようやく僕にも話が見えた。彼はアルサックの話をしていたのか。
「これがアルサック? 去年の花見で見た木とは随分違うようだけど」
「そういう種類のアルサックなんだよ。……と思うけど。俺のいた世界じゃ、こういうアルサックがあったんだ。こっちでも同じじゃないかな」
 彼は手を伸ばす。風に動く枝の1つを手にとって眺めた。
「キール、ほら、つぼみついてる」
「ああ、本当だ」
 まだごく小さなつぼみだけれど、それは確かにアルサックのものに似ているようだった。……アルサックのつぼみ自体を僕はあまりまじまじと見たことがないから、そんな気がするだけだけれど。
「……アルサックか。懐かしいな」
「は? 何で? ああそっか、そういえばあれはキールの歓迎会だったもんな」
 僕がぼそっとつぶやいただけだったのに、彼はこちらの考えを見通したかのようにぴったりなことを言ってきた。
 そう、その通りだ。去年の今ごろ、君を監視するためにフラットに入り込んだ僕、その僕の歓迎会と称して行われた花見の宴を思い出していたんだ。どうして今の言葉だけで、そこまでわかってしまうのかわからないけれど。
 ……懐かしく思えるのはきっと、あれから僕が随分と変わったからだ。きみと、きみたちの輪の中で。
 彼もまた、身の丈の倍くらいあるアルサックを見上げて懐かしい目をした。
「そうか、まだ一年だな。すごく前のことみたいにも、ついこの間のことみたいにも思えるけど。あの時は途中でバトルになっちゃったんだよな。バノッサが襲ってきたんだっけ」
「そうじゃない。きみとガゼルの軽挙妄動で、マーン家にケンカを売るはめになったんだ。僕たちまでな」
「…………ははは、そうでした。すみません。反省してます」
「その割にはすっぱり忘れてたみたいだが……」
「いやいやちゃんと覚えてるよ。リプレに夕飯抜かれた上に、屋根の上でキールに説教されたことまでちゃんと覚えてる。花見に出かける前に、キールに楽しんでくれよって言ったら『努力するよ』って言われて返す言葉もなかったこともちゃんと覚えてるから」
「あんまり反省してない、と。リプレに報告しておくよ」
「反省してるって!」
 彼は慌てたように主張した。それから、「まったく……」と頭を掻く。
「リプレに報告って。キール、いつからリプレの密偵になったんだ?」
「フラットで生活する上では、最高権力者にこびへつらうことは必要事項だと学習したんだ」
「………………」
 彼が真顔で絶句してしまったので、「冗談だよ」と付け加えた。それで彼は「あ、冗談か。びっくりした」と表情を緩める。なぜ僕が冗談を言うとみんなこういう反応をするんだろう。確かにフラットに来たばかりのころは冗談なんて言わなかったけれど。
「そっか、あの花見の時は、バノッサいなかったんだったな」
「花見なんかする人じゃなかっただろうな、彼は。……あのころの僕と同じで」
 小さく付け足したのが聞こえてしまったらしい。彼はちょっと僕のほうを見て、それから肘で僕の腕を軽く突いた。
「あの時バノッサが来ればよかったのにな。そうしたら、エドスが無理やり宴会に引きずり込んで面白いことになってたかもしれない」
「……………どうだろうな」
「もうちょっといろいろ違ってたら、バノッサだって一緒に戦える仲間になってたかもしれないって俺も思うよ。いまさらだけどさ」
 僕はそんなこと言ってない。言ってないのに、どうしてわかってしまうのか本当に不思議だ。僕がきみたちの中で変わってゆけた、それと同じ奇跡が僕の異母兄になかったことを残念がってもいまさらだと、僕だってわかってはいる。だから口に出したことはなかったのに。
 彼は「うん」と一人でうなずいて、今度は笑顔でアルサックを見上げた。
「ちょくちょく様子見に来てさ、それで咲いたら、花見、しに来よう。みんなでさ」
「うん」
「あちこち声かけて、たくさんで来よう。騎士団の人たちも告発の剣亭の人たちも、カイナとエルジンとエスガルドも呼んでさ、うんとにぎやかに」
「うん」
「シオンさん留守がちだっていうけど、今からアカネに声かけとけばつかまるよな、きっと」
「うん」
「ミモザさんとかギブソンさんとか、あとミニスも呼べたらいいよな……。そうだ、いっそマーン三兄弟にも声かけてみよう!」
「きみが直接?」
「か、ラムダさんから言ってもらうかな。嫌な顔されそうだな〜」
 そういう本人はすごく楽しそうだ。そして西の空を振り返る。
「うわしまった、道草しすぎたかな」
「まだ大丈夫だろう。少し遠回りしてるから、急がなくちゃならないだろうけど」
「そうだな。行くか」
 道へと戻りかけ、僕は一度振り返った。
 草地に立っている垂れた枝の一本一本に、アルサックの花が咲いているところを思い浮かべようとしたけれど、それはうまくいかなかった。
 …………この場所にはまだまだ僕の想像もつかないものがあって、それを僕は一つ一つ目にしてゆくことになるんだろう。きみと、きみたちの輪の中で。
「また来よう、ハヤト」
 急ぎ足の彼に声をかけると、彼は少しばかりきょとんとして、それからくしゃっと笑った。
「うん」
06.02.26




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